no.006 立ち上がって、拳を握る。
よろしくお願いします。
『只今より、G3の入隊試験を行います。受験者は入場してくださーい!』
地下アリーナにメニカのアナウンスが鳴り響く。無駄に広い観客席は当然ながら閑散としており、その中央でハークが腕組み仁王立ちのラーメン屋店主スタイルでコウタを待っていた。
『実況解説は私、メニカ・パークでお送りします。観客はいないけど後ほど映像はアップするのでどうぞよろしく。本入隊がかかった大事な一戦、戦いが素人のコータくんがどう展開していくか気になるけど、やるときはやる男だと思ってるから、いい結果が期待出来してるよ』
実況席に居るのはメニカひとりだ。ただ見るだけでは暇なので、不公平のないよう、おもしろおかしく観覧するのだ。そしてそれを、全く面白くないといった様子で聞いている者がいる。コウタだ。
「……何故こんなことに」
その言の葉にはしっかりと、恨みつらみ後悔がこもっている。その感情の大半はアシスタントを名乗るヤバ女に向けられている。
『頑張りましょうコウタさん!』
「頑張る……なんて無責任な言葉だ」
『コウタさん、できることは?』
「できるだけやる。はぁ……」
鬱陶しいアシスタントの声を聞き、信条を口にしたあともぶつくさ不満を言いながら、通用路を歩く。その足取りはずしりと重く、帰る場所はないが帰りたいと願っているほどだ。そもそもあまりコウタは争うのが好みではない。争うくらいならば、多少自分が損をしてでも諌めるタイプだ。
しかし、やらねばならない時はやる。とは言っても、今回がやらねばならないその時かは皆目わからないのだが。
「……っ」
歩を進めていたコウタだが、ついに歩みが止まってしまう。ハークをその目にしたからだ。格闘技の心得がなくとも、立ち姿だけで実力差がわかってしまう。越えられない壁を目の当たりにするというのはこういう気分かと、絶望しながら口を開いた。
「……これのどこができることなんだ」
『え? 試験に挑むなんて誰でもできますよ?』
「それを言ったら不可能なんてほぼなくなっちゃうでしょ。降参していいですか?」
のっけから無条件降伏である。毛ほどもなかった戦意は未練や遺恨など残さずに綺麗さっぱり消え、コウタの脳内はどう逃げるかだけで埋め尽くされていた。しかしそうは問屋が卸さない。実況席のメニカからダメ出しが入った。
『だーめ。というかコータくんお家ないでしょ』
それを言われるとコウタは何も言えない。今後しばらくはメニカの厚意で、研究に協力するという条件付きではあるが居候させてもらえる予定なのだ。それを抜きにしても口論では絶対に勝てず、彼女には強く出られない。
『コウタさん、メニカちゃんと一緒に暮らせるんですよ! こんな美少女とひとつ屋根の下! しかも結構好かれてると来てます! 据え膳食わぬは男の恥ですよ!』
「性別を超越してるのでその理論は僕には効きません」
『つまりそれはメニカちゃんと一緒にお風呂に入っても倫理的に問題ないってことですね!?』
「こいつ無敵か?」
そして、コウタはアミスにも強く出られない。
遭遇一日足らずで既にヒエラルキーが確立してしまっていた。それを再確認し、ようやく諦めて、力を抜くようにため息をひとつ。
「はぁ……。合格条件はハークさんを驚かすこと、か…」
『簡単だよね』
「これを簡単というのはハークさんがホラー苦手でもない限り間違ってると断言出来るよメニカ」
『そう? 私はしょっちゅう驚かれてるけどなぁ。まぁコータくんならできるよ。全力を見せてやれ!』
――メニカの激励を受け、視線の先にいる鉄筋ゴリラにもう一度目をやる。戦いになるイメージすら湧かない。
エイプとの戦闘を経て、自分はちょっとくらいやれるんじゃないかという自信が粉々に砕かれた瞬間である。
いっそなりふり構わず、恥も外聞も捨てて逃げ出してやろうかと後ろを見るも、開け放ったはずの扉はしっかり閉じられていた。しっかり鍵もかけられている。
立場的にも物理的にも、コウタに逃げ場はなくなってしまっていた。
「…………ちくしょう。なるようになってしまえ」
コウタは数秒の逡巡の末、ようやく腹を括った。
『その意気です! バックアップは任せてください!』
「僕は、僕は……生きる。生きるんだ……!」
震えながら、コウタはやけくそに地面を蹴った。落下やエイプの時よりも明確に、色濃く死の予感がしていた。そしてそんな恐怖を置き去りにするが如く突貫していく。相手が生身でも全力で駆けた。そうしないと恐怖に追いつかれてしまうから。
『さぁ、コータくんが入場――おーっと! いきなり仕掛けた! 隊長に向けて一直線! これはエイプとの一戦でも繰り出したタックルだ! メタックル……いや、コータックルとでも名付けよう!』
『メニカちゃん!?』
自慢の脚力から繰り出す持ち技に、アミスですらドン引きするクソダサいネーミングをされながらも、コウタは駆けた。瞬く間に時速は300キロを超え、ハークまであとほんの数瞬。
「ほう、なかなか速い。割り切って小細工を使わない思い切りの良さは評価しよう」
ハークはその速さに驚かない。冷静に分析し、構えた。肩幅程度に脚を開き、少しだけ腰を落とす。肩の力を抜いて、構えるだけの力を残す。それだけの所作がやけに美しい。
「だが、それだけだ」
コウタに目もくれず、固く握った右の拳を振り降ろした。
「――フッッ!!」
それは眼前まで来ていたコウタの右頬を掠め、地面に着弾した。
「ひっ!?」
アリーナ全体がぐわんと揺れ、地面が少しばかり波打ち、砕けた。ハークの足元から前方40メートルにかけて、強化コンクリートが無数の瓦礫と化してしまった。
『出たァーッ! ハーク隊長の必殺パンチ、通称ハークスマッシュ! これを直撃して生き延びたのは勇者以外にいないよ! 戦車砲の直撃を耐えるドラゴンすら頭蓋が弾け飛ぶんだ!』
「そんな恐ろしい技を入隊試験で放つのかこの人は!? 魔王か何か!?」
ちなみに命名はメニカだ。
「脚を止めるな。でないとこうなる」
「あっ」
ハークはそう忠告すると、コウタの右脚を掴んで片腕で軽々と吊り上げた。そして思いっ切り振りかぶり、ブンブンと風を切り始めた。
『おお! 200キロあるコウタさんを軽々と!』
「呑気に関心しないでください! この……!」
「なんだその腰の入っていない蹴りは。基礎がなっていない。身体ばかり立派で使いこなせていないな」
コウタがどれほど暴れようと、ハークは全く意に介さない。それどころか講評を述べる始末だ。大人と子ども、それ以上の実力差がふたりにはある。
「痛覚はあるようだが、まぁ死にはしないろう」
ハークはコウタを地面に叩きつけ始めた。瓦礫がさらに砕けて石ころや砂となり、砂煙を巻き起こす。しかしそれすらも振り払ってゆく。圧倒的筋力、抗いようのない暴力である。
「ふむ、なかなか硬い。多節棍として扱うには重すぎるが……」
「たすけて」
景色が超高速で流れてゆく現状にコウタは情けなく助けを求めた。
「助けを求めるなとは言わん。だが、これからお前は助けを求められる立場になる。それを自覚しろ」
『コータくんなら大丈夫だよ。わたしを助けてくれたしね』
『ですってコウタさん!』
立ち直れそうな場面のようなセリフが並び立てられるが、コウタは立ち直るどころかぶら下がり振り回されている。
「それ、どころ、じゃ、ない……!」
ヌンチャク扱いは続き、コウタは己の無力さを痛感した。そして同時になにもしないアシスタントに腹を立てていた。
「このアホ……ミス、さん……! なんとかしてくだ……さい!」
『えーと、脚部グリス放出! ……アホ?』
コウタの脚部から潤滑グリスが染み出す。それはぬるりとハークの手を滑らせ、凄まじい遠心力によって拘束から外れることができた。
「ばっ、べっ、うべっ!」
投げ飛ばされたコウタは慣性に従って飛んでゆき、三度バウンドして壁にぶつかって、ようやく止まった。
『凄まじい暴力性能ですね。流石はメニカちゃんが隊長と慕うだけあります』
『でしょー? ハーク隊長は勇者候補にも選ばれたことがあるほどの実力者なんだよ!』
「所詮候補止まりだ。それくらいならざらにいる」
『なるほど、どうりで……』
勇者とは人智を超えた力を持つ者の中から稀に選出される正義の使徒のことで、現在は全世界で10名のみ存在している。ハークは過去、その候補に選ばれている。勇者となることは叶わなかったが、人智を超えた力の持ち主であることには変わりなかった。
「う……ぐ……」
そんな事実に驚くことすら出来ず、コウタは呻き声をあげるので精一杯だ。
『コウタさん、ダメージはほぼありませんよ! 行けます!』
外傷はなく、一見何事もないように見える。痛みもほぼない。しかし、コウタの膝は抜けて、震えてしまっている。物理的ダメージはほぼないが、精神的ダメージは大いにある。
「くそっ、くそっ……! 言うこと聞けよこの……!」
意思とは反して、動きすらしない脚に拳を振るう。しかし虚しくぶつかる音がするだけで、一向に動く気配はない。むしろこわばりが強まるばかりだ。そんな様子を見ても、ハークは特に失望することもなかった。怖がられるのに慣れているし、そもそもコウタが戦いの素人なのは初見でわかっていたからだ。
『その風貌、まるでラスボス! 魔王かなにかとみまごう程の貫禄! 怖がられるのは無理もありません! 泣かした子どもは数知れず、大人ですら時には漏らしてしまう! それが我らが鬼隊長、ハーク・ベンジャーです!』
部下であるメニカからひどい言われようだがハークはそれを意に介さず、コウタに語りかける。
「……男が倒されたときにする行動はたったふたつだ。それさえあれば、どんな相手にだって立ち向かえる」
ハークは、師のように、父のように。力強く、厳しく。そして、優しい声音で続けた。
「立ち上がって、拳を握る。それだけだ」
それは不屈の意思表示、意固地の具現化。時代錯誤な漢の在り方。場合によっては批判されてしまうこともあるだろう。
しかし、コウタは違った。
――この言葉をぶつけられて、なによりもまず、嬉しいと思った。
ひとりの自立した男として扱われるなど、ほとんどなかったからだ。
「男なら……!!」
男であるならば、難敵に立ち向かい、信念を突き通すには拳ひとつあればいい。そして、コウタも男だ。雑魚だなんだと揶揄されようと、自己を卑下しようと、どうしようもなく男なのだ。
動かない足の代わりに手のひらで押し上げ、無理やり上体を押し上げる。そうして弾いてしまいさえすれば、身体は勝手に立ち上がる。
「立つ……!!」
無理に立ち上げた膝は震えている。気を抜けば崩れ落ちそうだ。コウタはエイプのことを思い返していた。思えばエイプの武装には多少恐怖したものの、エイプそのものには全く恐怖を持たなかった。殺意がなく、殺気もなかったからだ。しかし、ハークは遠慮なく殺気を飛ばして来ている。それが恐ろしくて恐ろしくてたまらない。だからこそ、その遠慮のない殺意、本気で向けている殺意には、本意で応えなくてはならないと思った。そんな理由で、本心を吐露する。
「……正直言って、めちゃくちゃ怖いです。今だって、立って拳を握れたからといって、この魔王デスヘルコング相手にだからなんだって思ってます」
「怖いか。ならどうする?」
なにせ見ず知らずのメニカを身を呈して助けたのだ。打算があろうとなかろうと、物事を知った時点で自分の責任とし、そして目の前の責任から逃れることを良しとしない、そんな人種であることを理解していた。
「それは、隊長がさっき言ってた通りですよ」
「……そうか。野暮だったな」
ハークは優しく見届ける。立ち上がったのならば、やることはひとつだ。
「拳を、握る……!!」
コウタは不安や恐怖を握り潰すように、拳を握った。そして、何を思ったか、自分の顔面を殴打しはじめた。
『コウタさん!?』
『おーっとコータくん乱心か!? このメニカ・パーク、IQ198を記録していますが、その知能でも全く理解出来ません!』
『コウタさん、やめてください! そんなことしても死ねませんよ!』
「自殺、じゃ、ない……!」
コウタのこれは決して自棄になった故の自殺などではない。死にたいならばハークに喧嘩を売る方が早い。これはどちらかと言えば精神の安定を図り、現実と向き合う。そして前に進む為の行為だ。
「ぐ、がっ、ぎ……!」
しかしなかなかどうして、このみっともなさは類を見ない。ハークは一瞬、その姿を勇者のひとりに重ねたが、ここまでみっともなくはなかったことを思い出し、その彼に申し訳なく思って脳内から消した。そしてしばらくして、鳴り響く音はようやく止まった。
「あー……痛い。硬いけど痛い」
『い、一体何を……?』
「雑念を物理的に消しました」
『そんなんで消えます……? びっくりさせないでください』
「震えは止まりましたよ。まだ怖いですけど、走れます」
コウタは歩み始めた。戦いはまだ始まったばかりなのだ。やがてその歩調は気合いとともに速く高まっていき、最高速度を迎える。
「うおおおお! 僕の戦いはまだこれからだぁぁ!!」
『縁起悪っ!』
ありがとうございました。