no.046 魔導臨界
よろしくお願いします。
マリアが放った極小の台風は、その風圧だけで60キロを超える人体を余裕で吹き飛ばし、固い壁面へと叩き付け、さらに容赦なく押し潰す。
同時に巻き上げられた細かい砂利が風に乗って鋭利な刃と化し、衣服と薄皮をズタズタに引き裂いてゆく。
「――いっちょうあがり、ですわ。ただの風圧魔法ですが、眠気覚ましには充分でしてよ」
マリアが角笛から口を離すと、だんだんと突風が収まってゆく。
風圧魔法は本来、立っていられないくらいの突風を起こす程度のものだ。神器を用いたとはいえ、マリアのそれは明らかに突風や豪風という生易しいものではなく、見えない掘削機とでも評すべき代物だ。
「さて」
やがて風が収まり、壁にめり込んでいたスレンヒルデはばたりと、力なく前のめりに倒れた。辺りに夥しい量の血液が撒き散らされ、ぴくりとも動かなくなってしまう。
しかし、マリアは警戒を欠片も緩めない。まだ終わっていないからだ。
「お狸さん寝入りなのはわかっていますわ。そろそろ起きませんとよりおキツイのをお見舞いしますわよ?」
マリアが再び角笛を構えようとすると、スレンヒルデが地面からひょいと跳ね起きる。
全身に塗れた血混じりの砂埃を軽く払いながら、イタズラがバレた子供のように軽く笑った。
「……ふふ、お見通しですか」
「当然ですわ。今の程度で終わるなら、コータさんで終わっていましたもの。わたくしがおトドメを刺そうと無防備に近付こうものなら、即座に焼き払うくらいには用意が出来ているのでしょう?」
「貴女はそれすらも防ぎそうですね。まぁ、だからなんだと言うわけですが」
スレンヒルデは魔力を高め、全身に巡らせてゆく。
大気がそれに巻き込まれて旋風が吹きすさび、熱の余波で肌が灼けるほど熱くなる。じりじりと景色が陽炎に歪む。
しかしマリアは冷や汗ひとつかかず、涼しい顔をしていた。
「あら、何を早とちりしていますの? わたくしの攻撃はまだ終わっていませんわよ?」
マリアはパチリと、軽快に指を鳴らした。小気味よい音が地下にこだました。すると、豪風が抉り通った箇所が一瞬で緑で埋め尽くされた。
苔を生した、などという生易しい表現では足りず、もはやガーデニングの域さえ超えて、鬱蒼としたジャングルを思わせる量の植物が一瞬にして生え――現れた。
それは水気のない地面に根を生やし、容易くコンクリートに突き破り、当然のようにスレンヒルデに絡みつき、その動きを封じた。
「――っ!」
ほか、植物が皮膚を起点に根を張り、地面から生えたツタ状の植物がそれと結びつくように絡まる。
「コルヌ・コピアの音色は豊穣をもたらしますわ。つまりはたくさんのごはん。ご覧なさい、周囲のエネルギーを吸って果物がたくさん成ってますわ」
マリアの示す方向には確かに、様々な果物が瑞々しくその実をつけていた。
「こんなもの……」
スレンヒルデは絡みつく植物を焼き払おうと、魔力を高めて自身の周囲の熱を爆発的に上昇させた。しかし、燃え尽きはしない。その灰さえも糧としていっそう太く、多く、その緑は増していく。
「お聞こえになりませんでしたか? その植物はエネルギーを吸収して実をつける、と。身が焼けるほどの高熱だろうと問題ではありませんわ。そもそもが生い茂る瑞々しい草花。火がつきづらいのは当然ですわ」
「……なるほど。魔法を使わず、腕ずくで抜け出すしかないようですね」
「お明察ですわ。ですが、わたくしがその隙を与えると思って?」
マリアは再び角笛を構えるが、スレンヒルデはそれに臆するどころか、にたりと不敵に笑ってみせた。
「隙というものは無理やり作るものですよ」
「作れるまでにお命があることを願っておきなさい!」
マリアが風を与えると、植物はスレンヒルデをより一層強く、きつく締め上げる。
「ぐ……!」
「まだまだですわ!」
硬い岩壁に叩きつけても傷一つつかない強度の角笛を、暴風を巻き起こすほどのスピードで、容赦なく顔面に向けて振り抜く。
動けぬ身体に轟速の一振り。回避などできるはずもなく、不快なほど鈍い音と共に、鮮血がスレンヒルデから飛ぶ。
「そのお首、かっとばして差し上げますわ!」
マリアが横薙ぎに、ちょうどバットをフルスイングするように角笛をスイングしようとしたその刹那。
上からの一閃が、彼女の動きを遮った。
「!」
マリアは咄嗟に飛び退き、その一閃の正体を視界に捉える。
それは植物が絡みつくのをものともせず着弾とともに切り飛ばして地面に突き立つと、絡みついていた植物はあっという間にしおれた。
「ふぅ……。なかなか危なかったです。あと一度でも喰らっていれば、貴女の勝ちでしたよ」
口元の血を拭うと、スレンヒルデは不敵な笑みを浮かべながら突き立ったそれをするりと引き抜いた。
その飛来物はやはりというか件の神槍で、コウタの自爆に巻き込まれたからか、先端が少し黒く焦げている。
「グングニル、宇宙旅行はどうでしたか?」
スレンヒルデはグングニルを労わるように撫でつつ、まばらについた煤を拭い、二、三振ってから腰に構えた。
マリアはそれに警戒しながら、枯れずに落ちた実を拾い上げ、がぶりと豪快にかぶりついた。
「あむ……。それがかのグングニル……。もむ。投げても帰ってくるとは便利ですわね。むむ。それに、その常軌を逸したエネルギー吸収速度。さすが神槍と呼ばれるだけありますわ。ごくん」
パイナップルほどの大きさはあった実をたった数口で完食すると、マリアは角笛を傍らに置き、パンと乾いた音を鳴らして手を合わせた。
「ごちそうさまでしたわ。流石は堕者、ここまで栄養価が高くなるとは」
マリアは上腕に血管を浮かばせると、より一層強く角笛を握りこむ。彼女についた大小様々な傷は癒え、体力が全快し、魔力さえも五割増しで漲る。
コルヌコピアが作り出した植物から成る果実は、その豊穣たる名の通りにきっちりと食用だ。魔力やなどのエネルギーと酸素さえあれば、枯れた土地やコンクリートのビル街、溶岩の上でさえその実をつける。その栄養価は吸い取ったエネルギーに比例する。
スレンヒルデの莫大なエネルギーを吸収した今回の果実は、例を見ないほど栄養に溢れていた。
「さて、おいしいごはんで全快したわたくしと、神器を取り戻したとはいえ満身創痍の貴女。大人しく投降するなら、獄中のご飯をおいしくするよう進言してあげますわよ?」
マリアは角笛の先をスレンヒルデに向け、降伏を促す。
しかし、スレンヒルデは依然として勝ち気な笑みを浮かべたままだ。そして何を思ったか、せっかく戻ったハズのグングニルを、マリアへ向けて蹴り飛ばした。
「えいや!」
音速で放たれたグングニルを容易くいなし、ホームラン級の弾道で弾き返す。
「おバッティングセンターの方が打ちごたえがありますわよ?」
マリアはこれ好機とばかりに丸腰のスレンヒルデへと駆け出す。
――折角戻した武装による不利をまた手放すとは浅慮。このまま一息に息の根を止める。
マリアの行動は何も間違っていない。敵対者が武器を手放したならば、即座に叩き潰すのが鉄則だ。罠の可能性もあるが、勇者ならばそれすらも叩き潰せる。
せまる豊穣の勇者を前にぽつりと、スレンヒルデが言う。
「……言ったでしょう? 私にはまだ、奥の手があると」
その言葉を聞いた瞬間、マリアは自身の行動を後悔した。
スレンヒルデから放たれていたはずの莫大な魔力の奔流。それが、いつの間にかぴたりと凪いでいたことに気付いたからだ。
「――まさか!」
マリアは脳裏から可能性の一つを導き出し、結論付け、しまったと己の選択を悔いた。その思考時間は文字通り刹那程しかなかったが、それでも充分すぎるほどだ。
――これは、近すぎる。
迂闊に踏み込んだわけでも、図に乗ったわけでもない。ただ、一瞬の思考の遅れ。たったそれだけで、マリアは己の死を身近に感じとってしまった。
その直後、スレンヒルデがそれそれを唱えた。
「魔導臨界」
眩い光が、二人を飲み込んだ。
ありがとうございました。感想くれるとマジであがります




