no.032 タイキック
地下にコウタの声がこだまして、やまびこのように聞こえても、勇者は来なかった。当然である。
「くそ、ユーリめ。なんて薄情な奴だ」
「聞こえていないだろうということは置いておいたとしても、友をこんなところに呼びつけようとするお前の方がよほど薄情だと思うが……」
ハークは諭すですらなく、呆れたようにそのド正論をコウタにぶつけた。
「適材適所です適材適所。むしろ信頼ゆえだと思って欲しいです」
「それはどうでもいいが。それよりまともに食らっていたが、無事なのか? あの女の炎は最低でも摂氏3000度はあったはずだが……」
「それくらいなら最近割と食らってますね。さっきもシンデレラに焼かれましたし」
コウタの身体に目立った外傷はない。せいぜい黒い煤が少し着いている程度だ。鉄の沸点くらいでは、アルヴェニウムは少しも変質しない。
「……今更だが、お前もかなり人外じみているな」
「隊長に言われたくありませんが、僕も最近そう思ってきたとこです」
外界に触れ、世界を知るにつれ、普通は井の中の蛙は大海を知る。しコウタも例に漏れず大海原に放り投げられた。しなし、まだその海面に溺れることなく駆けている。
それがどれほどのことか、コウタは少しずつ理解し始めていた。
「それはそうとコータ。お前あの女と面識があったのか? いつだ」
ハークは少し訝しむように、コウタにスレンヒルデとの関係を問う。
己の部下と仇敵が仲睦まじく会話を繰り広げていた光景は、ハークにとっては恐怖と困惑を産むものでしかなかったからだ。しかし当然それは杞憂で、コウタはすぱりと答える。
「つい昨日ですね。それも事故と言いますか。今思えばあれもわざと……? じゃあ当たり屋ですね」
「……そうか」
いくらなんでも都合が良すぎると、コウタは思う。
――たまたま足を運んだ展覧会に、たまたまハークを狙う変態が居て、それが堕者と呼ばれる勇者と並ぶ存在だなんて、どこか作為的なものを感じる。
「目的は神器の収奪だけならいいんだがな……」
「それだけで済みますかね? 隊長を何がなんでも手に入れるって目してますけど。具体的に言えば初対面のときのメニカが僕に向けてた目によく似てます」
「……だろうな」
ハークは自嘲するように頬を軽く歪め、スレンヒルデを睨めつけた。それはコウタにもわかるほど強く、重い殺意が込められていたが、スレンヒルデからすれば、それは愛による熱視線と変わらない。
「ああ、その熱い視線だけでどうにかなってしまいそうです。本音を言えば、新たな神器などどうでも良いのです。アナタさえいてくれればそれでいいのです」
スレンヒルデはハークに艶めかしい視線を送りながら、続ける。
「神器の発見となれば各国が出張るのは当然。大会は強者を集める隠れ蓑。そして、メカーナからは貴方が出てくる可能性が高いと踏んでいました。前回、あなたの左腕をいただいたときもそうでしたよね」
「……」
ハークは沈黙で肯定しているのか、何も言わずに左腕がずきずきと疼くのを、押しつぶさんばかりの力で強く握って誤魔化していた。
どこか苦悶とも言える表情を浮かべるハークに対し、やさしくやわらかい笑顔でスレンヒルデは返す。
「私は愛を知りました。アナタがあの日抱き留めてくれた瞬間に。伝わる体温と鼓動、逞しく安心させてくれたお身体。危険を省みない勇敢な心。全ての愛を受け取りました。知ってしまいました。この愛の為ならば、私はきっと世界を滅ぼすでしょう。アナタと結ばれない世界など必要ありませんし、私とアナタの世界に他のものは必要ありませんので、世界は滅ぼします」
言葉を放つにつれ、スレンヒルデの周囲がゆらりゆらりと歪んでゆく。夏の暑い日に地面のあたりが揺らめくのを何十倍にも強めたような、そんな歪みだ。
「あの空間の歪みは?」
「蜃気楼、いや陽炎の方が近いか。熱操作の魔法だ。あいつは愛だとか言っているが」
「空間を歪める程の愛か……恐ろしい」
――こうして話している間にも攻めてこないのは、隙を伺っているのか、単に余裕からなのか。
しかし、攻めてこないならば良し。存分にその余暇を使わせてもらう。
コウタはどうにか策を練るべく、ハークに問いかける。
「ハスキィさんは?」
「あいつは今治療中だ。戻ってこれるかはわからん」
「他の人は?」
「同じく治療中だ。それと一部の実力者を除き、隙を見て逃がした。居ても死体にしかならん」
現状、地下にいるのはコウタらを含めて数人だ。
コウタにやったように、スレンヒルデは人を呑み込めるほどの爆炎をほぼノータイムで放てる。それは先日のミスゴンのブレスと似た性質をしており、身体にまとわりつく炎だ。そんなものが直撃すれば、まず大火傷は必至だ。
「じゃあ、ほとんど僕らふたりで堕者とかいう悪勇者をなんとかしなきゃいけないんですね」
「そういうことになる」
「……隊長、実はあの神器の適正持ってたりしません?」
「さっきやった。無駄だった」
現状、増援は厳しい。都合よく秘められた力が解放されもしない。勝っているのは頭数だけ。しかも、今回の任務は防衛だ。将来的な損害を考える以上、神器を放って逃げるわけにもいかない。
以上をまとめて、コウタは結論を出す。
「万事休す、か」
「……そうだな」
――ハークのその静かな肯定に、とてつもない違和感を感じた。
いつもなら早々に諦めた自分の脳天に容赦のないゲンコツが飛んでくるのだが、それがなかった。
それはコウタにとって、なぜだかとても気に食わないことだった。
「……どうしたんですか。隊長らしくない。今のツッコむとこですよ? それとも僕がいるからってツッコミから外れたとでも思ってたんですか? ツッコミから逃げるな」
コウタのその言葉にハークは押し黙る。茶化すような言葉ばかりだが、その中身に込められているものを感じ取ったからだ。
コウタは続ける。
「あのスレンヒルデとの間になにがあったかは知りません。けど、鬼隊長が震えて冷や汗をかくくらいの相手なのは僕にもわかります」
コウタはハーク回想を聞いていなかったし、聞く気もない。過去は学ぶもので、悔いるものではないと考えているからだ。
そして、コウタにとってハークは学ぶべき師で、叱ってくれる親で、同じ苦難に立ち向かう友である。
「ですが」
だからこそ、こうして容赦なく伝える。
「その丸い背中は、隊長には似合わない」
ハークの姿勢はいつもと変わらず、しっかり剛としている。だが、コウタはそれでも「丸い」と評した。
それは無慈悲な信頼だ。幼子が親に抱くような、遠慮のない理想そのものだ。コウタはそれを、ハークに真正面からぶつけている。
「……なんて生意気な部下だ」
「尊敬してる上司がしょんぼりゴリラになってたらケツくらい叩きますって。なんならほんとに蹴り入れましょうか?」
シュッシュと、軽く蹴るような動作をしながらコウタは冗談っぽく話す。無論彼に蹴るつもりなど微塵もなく、自身の説教で張り詰めた空気を解すためのアイスブレイク的ななにかのつもりだった。
しかし、ハークはその更に上を行った。
「……あぁ、頼む」
「え、マジですか」
まさかの快諾。コウタは一瞬たじろいたが、ハークはそれを更に追随する。
「マジだ。早くしろ」
流石に尻を突き出しはしないが、ハークは仁王立ちでガードを見せずにケツをフリーにした。ドンと来いと。
「そ、それでは失礼して……フン!!」
躊躇いこそ少ししたが、コウタは加減をしなかった。そこそこ、かなり強めの蹴りを繰り出した。ズドンと、かなり重ための音がハークの臀部から響く。
「……っ!」
想像以上の威力に、ハークは思わず顔を歪めて苦悶の声を漏らす。しかし衝撃で倒れることも痛みに飛び上がることもせず、グッと堪えて、コウタに礼を言った。
「……感謝する」
「お易い御用です」
「それと、メニカたちには黙っててくれ」
「僕の視界常にモニタリングされてますよ」
コウタが見たものは過不足なく、ほぼリアルタイムでアミスと共有される。録画もされる。アミスがそれをメニカに伝えないわけがなく、それはつまり、筒抜けであるということだ。
「まぁいい。茶化してくる奴はゲンコツだ」
「あ、それじゃあアミスさんは僕にやらせてください。シンプルに日頃の恨みです」
「……ふっ。あぁ、任せた」
「っしゃあ!」
コウタは割と本気で喜んだ。
ありがとうございました。明日も挙げます




