no023 ばーさすけもみみ
よろしくお願いします。
『一回戦第四試合、今回のカードも注目です! 昨日ロイドレースでとんでもない記録を打ち立てた、メカーナのキガミ・コータ! レースに引き続き、ハチャメチャな戦いを繰り広げてくれるんでしょうか! 』
昨日の一件以来、コウタは一躍注目の的だ。
『対するは我が国アストの特殊獣人部隊【黒狼】所属! ハスキィ・ウルソン! 』
ザワつく場内の空気に若干緊張しながら、コウタはリングの中央へ歩いてゆく。
――なんとか駄々を捏ねて出場を固辞しようと試みたが、民主主義の前には屈さざるを得なかった。己の意思の弱さがうらめしい。
「……帰りたい」
とぼとぼ歩くコウタを仁王立ちで待っているのは、身長160半ばほどの男だ。筋肉こそしっかりとついているが、特殊部隊所属の精鋭にしては些か小柄、という印象を抱かせる。しかし、その小柄さや鍛え上げられた肉体よりも、ひときわ目を引く二対の山が、ハスキィの頭頂部にはあった。
「ケモミミだ」
「珍しいか? メカーナにはほとんどヒュームしか居ないものな。ちなみに尻尾もあるぞ」
「おぉ……」
興味深そうに耳を眺めてくるコウタに対して親切にも、ハスキィは腰巻きにしているフサフサの尻尾をさらけ出して、ゆらゆらと揺らしてみせた。
ハスキィはイヌ科の遺伝子をもつ、ホモ・サピエンス・スロゥプだ。スロゥプは他の哺乳類の遺伝子を持っており、人の耳の代わりに動物の耳が頭頂部から生えていたり、自在に動かせる尻尾が着いていたりする。
『なんとこのふたり、意外な共通点があります! それは現在連覇中の今大会の覇者、ハーク・ベンジャーにボコボコにされたことがあるという点! ある意味では兄弟対決であります!』
「隊長に……? よく生身で死ななかったな」
ハスキィは前回の同大会でハークにボコボコにされている。そしてコウタは言わずもがな日頃からボコボコにされている。言うなればボコ兄弟だ。もちろん、この二人の他にも件のヘルゴリラにボコられている人間は多くいる。
「おいお前、オレのことチビだと思っただろ?」
ハスキィはドスをきかせた声で、コウタを威嚇する。彼自身は身長のことを全くもって気にしていないのだが、軍属ということもあってか煽られることが多く、いつからか煽られる前に圧をかけるようになった。
「思いましたけど、むしろ警戒感は増してますよ」
小柄であることを除いても、ハークと戦って生きている。それだけでコウタにとっては充分警戒するに値する。
「……ふん、嘗めてくれればその鼻を明かしてやれたのにな。ハスキィ・ウルソンだ。そっちがそうならコッチも嘗めてやらない」
「キガミ・コウタです。胸を借りるつもりでいきますよ、先輩」
バッチバチな視線とギラついた笑顔を交わしながら、ふたりは握手を交わす。
「お前に先輩と呼ばれる筋合いはないなあ、この女たらし」
「思い当たる節が無さすぎるんですが!?」
確かに周りに女性は多いが、コウタは彼女たちをほとんど異性として見ていない。ヤバ女という評価が先に立っているからだ。童貞ゆえ、主にメニカのそのやわらかな感触にドギマギすることはあれど、それだけだ。失礼だとは承知しつつも、今のところ恋愛対象としては「ない」と思ってさえいる。
そんなコウタの都合など知るつもりもなく、ハスキィは言葉を続けた。
「お前がケイトの弟になったからだ」
「なってませんけど!?」
思いもよらぬ方向から口撃され、コウタは口荒くツッコむ。言いくるめるために姉と呼びはしたが、心までは渡していない。
しかし、ハスキィは知らんとばかりに続ける。
「アレほど良い女に言い寄られて反応しないとかお前、タマ付いてるのか?」
「な、付いてるに決まって――!」
そう言いかけた瞬間、コウタは思い出した。この身体は排泄も生殖も必要ないのだということを。それはつまり、相棒が亡き者になっているということを。
「付いて……ない……」
その相棒が居たであろうあたりを確認し、コウタはガクリと肩を落として膝を地面に着いた。頭を項垂れ無かったのは、攻めてもの意地か。
『おーっとコウタ選手、なにかダメージがあったか!? 実況席からは見えませんでしたが、膝を着いてダウンしてしまったー! なお、試合開始のゴングはまだ鳴っていません! しかし、戦いとはその場に着く前から始まっているのだと、いつぞやの人は言いました! 今大会もそれにならい、余程の反則でなければ大体は黙認しています!』
流石のハスキィもまさかシンボルが亡くなっているとは思いもしなかったのか、バツが悪そうに謝罪する。
「な、なんか悪かったな」
「……いえ、悪いのはウチのアホですので」
――件のアシスタントは今回はお留守番、というよりまたハークに着いて回っている。本当にどこが専属アシスタントなのだろうと心底疑問に感じるが、そもそもルール上アミスの参加がセーフなのかも微妙なので、今回に限り特に気にしないことにしていた。
「申し訳なさが立ってるが……手加減はしない」
「そうしてください。少しでも気が休まる」
初めにしかけたのはハスキィだ。
目にも止まらぬ速さとまではいかないが、獣人特有の優れたバネを用い、通常の人間よりもずっと素早い機動で、コウタの顔面に一発、拳を叩き込んだ。
「……なるほど、見かけ通り堅いな」
「どうも、宇宙一硬い物質でできてます」
顔面へのストレートを歯牙にもかけない様子のコウタだが、ハスキィもそれを気にすることなく、容赦のない追撃を重ねてゆく。
「え、ちょ、速……!」
「どうやら反射神経は人並みらしい!」
「バレた!」
ダメージこそないが、コウタの持つ反応速度をゆうに超えた連撃は、傍から見ればハスキィが圧倒しているようにも見えるだろう。しかし、この程度で怯む性能ならば、コウタはここには居ない。
「けど――!」
ハスキィの猛攻をその身に受けながら、コウタは両脚にエネルギーを溜めてゆく。
――退くつもりも逃げるつもりもない。攻撃に反応出来なくとも、もっと強い相手にぶちのめされてきた経験、そしてその自負がある。
「隊長やユーリより――軽い!!」
莫大なエネルギーを伴ったその左脚で、リングを踏み抜き砕いた。直径20メートルほどの円形の地面が、一瞬で瓦礫と化す。ハークから学んだ兵法のひとつ、こちらがフィジカルで勝っているが、自分より素早い相手にはまずは足場を崩すというものだ。
「地面が……!?」
踏み込みだけで爆裂した地面に驚きつつも、ハスキィは冷静に状況を判断し、伝播する衝撃と、不安定な足場にこのまま攻め続けるのは不利であると結論づけ、コウタを中心とした崩れた地面から距離を取った。
「ハークさんの弟子ってのは嘘じゃないみたいだな!」
「誠に不本意ではありますけどね。それと、僕のターンはまだ終わってない!」
コウタは破砕させた地面に、右足のつま先を突き刺す。スコップやシャベルか何かでしっかりと土を掘り起こすように、くるぶしの辺りまで深く潜り込ませた。
「喰らえ! フォース・エクスプロード改め、機式剛術――」
そして、右脚に蓄えていたエネルギーを一気に解放しながら、地面ごとその脚を蹴り上げた。
「礫脚砲!」
莫大なエネルギーを強制的に与えられた瓦礫たちは、蹴りのベクトルに従い、瞬く間にハスキィへと襲いかかる散弾と化す。
「なんてデタラメな……!」
ハスキィは強く地面を蹴り、華麗に身を翻しながらその場から跳び退いた。ターゲットに避けられた散弾は、はるか後方の壁にぶつかり、また新たな瓦礫を生み出していた。
「当たったらタダでは済まなさそうだ」
一筋冷や汗を垂らしながらも、その言葉とは裏腹に、ハスキィの顔はニヤリと笑みを浮かべていた。
「そう簡単に当たってくれないか! けど、弾はまだある!」
ハスキィの回避性能は折り込み済みなのか、コウタは間髪入れずに瓦礫を蹴り飛ばしてゆく。
『キガミ選手の大技が炸裂してゆく! 容赦なくリングを砕いたかと思えば、それを大砲のように射出する! こんな戦闘をするオートロイドは見たことがありません! そもそもオートロイドが肉弾戦て! 敢えて言います、彼を造った人はアホなんですかと! もちろんこれは褒め言葉です!』
しかし、高速で次々飛んでくるその凶弾たちを、ハスキィは軽快なフットワークでひらりひらりと避け、一歩、また一歩とコウタへと接近してゆく。
「素早い! フットワークだけなら隊長以上か……!?」
より速いスピードを出すには、より強くより多い筋肉を搭載する必要がある。しかし筋肉は重く、とりわけ瞬発力のある速筋は、持久力のある遅筋よりも太い。つまりは重いのだ。筋肉ゴリラは最高速度こそ出るがその体重故、二の足が重い。軽快な素早さという点では、小柄な者がより勝る。
「間合いだ」
ハスキィはあっという間にコウタの喉元まで辿り着いた。
「もう詰められた!?」
「戦いのスケールが大きいが、こういうのはどうだ!」
「あっちいけ!」
咄嗟に、コウタは右腕で突きを繰り出す。当初よりは幾ばくかマシになったパンチ。持ち前の膂力で凶悪な威力になっている。
しかし、ハスキィはそこに置いてあるモノを取るかのような仕草で簡単に、その腕を巻き取った。
「思った通り、初速は人間と変わらない。反応速度も戦闘員にしては遅い方だ。最高速度が凄まじくても、出鼻を抑えてしまえばどうとでもなる」
「あいにくとまだ素人なもので……! 離せ!」
ハスキィはまたも飛んできたコウタのパンチを軽くいなしながら、腕固めの態勢に入った。
「サブミッション!?」
「そして幾ら硬くても、お前自身で攻撃すれば通るだろう?」
何の加減もなしに力を強め、腕をへし折りにかかる。自身に擦れ、ぎちぎちと嫌な音を立てるコウタの右腕。仮に生身、コウタが普通のオートロイドの身体であるならば、既に右腕はあらぬ方向にへし曲がっているだろう。
「動かない……だと!?」
しかし、アルヴェニウムボディは鍛えた程度の人間がどうこう出来るシロモノではない。それこそ勇者ほどの人智を越えた力でもないと、傷一つ付けられない。
「パワー……!」
コウタは無理やり起き上がり、拘束を力づくで剥がしにかかる。ヒトならば、激痛で動かすことすらままならない。だが人間であってもヒトではない。この程度、痛みにすら入らない。
「この膂力! ケイト、いやそれ以上か!」
「このまま叩きつけてやる!」
ハスキィはコウタの腕を離し、そのまま顔を踏みつけに加速して、叩きつけから離脱した。
「……蹴りましたね。人の顔を」
「顔と言うよりかはメインカメラが近い気がするが」
「くっ、人が気にしてることを!」
アミスが『メインカ――あ、顔、顔です! 顔につけるやつです!』と間違えたのがキッカケだ。
「しかし、らちがあかないな。今のままでは俺に不利すぎる」
フィジカルでは圧倒的にコウタが勝っている。ハスキィは試合開始前の時点でそれをわかっていたが、どう見ても素人に毛が生えた程度の動き、本気を出すまでもないと、少しタカをくくっていた。
「強いな、お前は」
ハスキィは先刻の自身を戒めると共に、コウタを強敵と認めた。そして、目の前のオートロイドとも似つかないなにかを撃破すべく、あることを決めた。
「よし、使うか」
「武器?」
「ある意味ではそうかもな」
そう言ってハスキィは懐からアンプルを取り出すと、その中身を喉に流し込む。決して美味くはないその味に耐えながら、染みゆくのを身体で感じ取る。
「かぁー! 効く!」
「もしかしてドーピング?」
「それも手段としてはある。だが、これはもっと原始的で生物的な機能のひとつでしかない」
どくん、と心臓の音が大きくなる。
総毛立つ気分は比喩でなく、文字通り全身に毛が立っている。
影がだんだんと人型から離れてゆき、そして、これもまた大きくなってゆく。
「そういうのもアリなの……!? この世界!」
未知の光景に心奪われたのか、普段なら全力で逃げているところを、コウタは数歩後ずさっただけで止まってしまっていた。
ハスキィが大きくなるにつれ、会場のボルテージはさらに上昇していく。
『これぞスロゥプの真骨頂! 彼らは皆、もうひとつの原始の姿を持っています! スロゥプは素の状態でも我々ヒュームより高い身体能力を誇りますが、原始回帰においては更に数十倍にもなると言われています! ハスキィ選手の体格がみるみる変わってゆきます!』
ハスキィが飲んだのはアドレナリン増強等の効果がある薬剤だ。それはスロゥプが服用すれば、擬似的に所謂「満月を見た狼男」に近い状態にさせ、身体を変身させる効果がある。
「体格ってか、骨格が変わってるんだけど……!?」
むき出しの牙が日本刀のように白く艶めき、その奥からは獣の唸り声が聞こえる。
体表は見えるところだけでも毛むくじゃらになっており、衣服の下もそうなっていることは想像に難くない。
インナーとパンツは伸縮性の高いものを着用しているのか、張り裂けたりはしていない。
肩幅は倍ほどになり、耳や尻尾も先程よりもふた周りほど大きく伸びている。
ヒト科とイヌ科の要素を合わせたような前足から伸びる五指には、黒く鋭い爪がギラつく。
「ここからが本意気だ」
コウタが見上げるほど大きくなったハスキィの姿は、まさに映画かなにかに出てくるような人狼とでも言うべき姿――いわゆる狼男であった。
ありがとうございました。続きは近いうちにあげます




