no.009 龍に丸腰で挑むアホ
よろしくお願いいたします
『右に避けて!』
「はい!」
右にステップすると、ドラゴンの前脚が岩盤に深く突き刺さる。コウタはそれに背筋をひやりとさせたが、喰らっても普通に耐えられそうだとも思っていた。
『左に避けるついでにじゃんぷ!』
「ほい!」
左にステップジャンプすると、鉤爪の薙ぎ払いが空気を裂く。コウタはその鋭さに身震いしたが、ハークのナイフ術(手刀)の方がよっぽど鋭く恐ろしかったと思い返していた。
『右に避けると見せかけてバックステップ!』
「せい!」
フェイントを交えて後退すると、尻尾の叩き付けが地面を割る。コウタは尻尾の有用性を悟り、同時にテイルブレードもありかもしれないとメニカに提案された事を思い出していた。
『垂直方向にでんぐり返しで逆立ちからトリプルアクセル!』
「へ……ん?」
疑問を持ちながらも逆立ちで三回転半跳びをすると、その真下を鋭い牙が抉り去る。コウタは以下略。
『ガニ股でセーフのポーズをとってから普通に左に避けてください!』
「ちょっと僕で遊んでませ――おグゥっ!?」
『コウタさん!?』
あまりに素っ頓狂な指示にコウタはつい足を止めてしまう。当然その無防備な土手っ腹に鉤爪が食らいつき、コウタを深深と地面に縫い合わせた。
「ぐ……! アミスさん、ダメージ!」
『ほぼないです! これなら隊長さんの一撃の方が余程痛いかと!』
「それはよかった、けど重い……!」
『頭の先からしっぽの端まで30メートルくらいはありますからね! 体重はともかく筋力は相応のものになるはずです!』
対峙しているミスリルドラゴンは全長30メートルとかなり巨大だ。ただ前足の一本だけで数トンは下らない力がコウタに襲いかかる。
「ぐぬぬ……重――うわなんか落ちてきた!」
力づくで何とか押しのけようとするコウタの顔面に、ぽたぽたとなにかの液体が滴る。相応に熱く、粘度も高めなのかゆっくりと頬を這ってゆく。
『解析結果、ヨダレです!』
「僕美味しくないよ!?」
『いや、コウタさんはミスリルドラゴン……長いですね。ミスゴンにはご馳走に見えているはずです』
「その略称は要審議ですが、何故……?」
『金属食の動物にとって希少な金属や硬い金属ほど美味しいらしいですし、コウタさんはミスゴンからすると見たことないご馳走に見えるはずです!』
「そんな情報知りたくなかった!」
一説によると、埋蔵量や原子の構成、比重や熱伝導率に電気伝導率、磁性体や水素吸収率、各種硬度等が、味に関係していると仄めかされている。それに加えコウタは外装用カーボンや絶縁ゴムなどの混ざり物の粗悪な状態でなく、構成がほぼ金属で純度と質が極めて高い。溶解性のヨダレを垂らし、高い知能をおくびも出さずに襲いかかるほどには魅力的な獲物なのだ。
「アミスさん、フォースオシノケ!」
『そんな技ありませんけど――今です!』
「ふんぬっ!!」
合図に合わせ、コウタは気合いとともに力を込める。万力の如き力に合わせ、アークの持つ無限の如きエネルギーを筋力パフォーマンス――つまり運動エネルギーへと変化させる。莫大な上方向への運動エネルギーはミスゴンの押さえつけなどものともせず、容易にその隙間をこじ開けさせた。
「出来た!?」
『長くは持ちません! 早く脱出を!』
「言ってみるもんですね!」
素早く這い出ると、コウタはそのまま転がってミスゴンから全力で遁走する。当然ミスゴンはそれを追い掛け、地獄のグルメレースが始まった。
「くそ、全速なのに追いついてくる……!」
『単純な膂力じゃ敵いません。勝てる部分で勝ちましょう! 知恵を使うんです! 私に良い考えが――』
「くそ、メニカが居ればな……!」
『眼中にない!?』
コウタは悔しそうに歯噛みする。通信が途絶えてさえいなければ、色々な知恵を貸してくれたろう。しかし現実はそう甘くない。アシスタントの凶行を防ぐべく無視することしか出来ないのだ。
『いいから聞いてください! 取っておきの策があります!』
「先に言いますけど自爆はなしで」
『死ななくても?』
「死ななくても」
『…………じゃあ万策尽きました』
「だから聞きたくなかったんですよ!」
コウタは稀にアミスの事を心中でポンコツと呼んでいるしたまに口にもするが、彼女はいつもそれに恥じぬポンコツっぷりを披露する。決して頭は悪くなく、むしろIQは高い方だ。しかし、それだけでどうしようもない間抜けさが彼女にはあった。一ヶ月も共に暮らしていればそれがありありとわかり、彼は既に知能面での期待はしていなかった。
「アミスさん、なにか物理的な対抗手段は?」
『防戦だけなら幾らでもありますが、効果薄いですね。こんなことならメニカちゃんにコウタさん用の装備開発を急いで貰えばよかったですね』
「そうです……ん?」
そんなことを言うアミスに、コウタは違和感を覚えた。記憶が正しければ、自分の武器が欲しいという提言をいけるいけると無視したのはこのアシスタントだ。
「……そもそも武器要らないって言ってたのアミスさんですよね?」
『だって仕方ないじゃないですか! 要らないって思ったんですから!』
「逆ギレ!?」
言い争う間にもミスゴンは暴れ回り、コウタは逃げ回っている。綺麗に整備されていたミスリル鉱山が荒れ放題壊れ放題崩れ放題のバーゲンセールだ。オートロイドの分も合わせた被害総額は計り知れない。
「それにしても、ただご馳走を前にしただけとは思えない暴れっぷりなんですが……。これ確実に怒ってますよね」
『怒ってますねぇ。今回の異常も併せて鑑みると、恐らく産卵期で気が立ってるんでしょう。餌で子のために寝床を作るのは鉱竜の特徴ですからね。そんな時期に当たるなんて運ないですねコウタさん』
「運が無いで済むのかこれは……?」
危険な場所にたった一人で調査に来たら危険な生物のちょうど危険な時期にぶち当たってしまうという事態に、少しばかり作為的なものすら感じるが、起こってしまったことは仕方ない。コウタは慣れた様子で頭を切り替えた。
「この場合、何をどうすればミッションクリアなんだろう」
『そうですね。撃退、討伐、捕獲のどれかでしょうか』
「現実的なのは撃退……いや、卵を護ってるんだからそれはテコでもしないはず。となると討伐か捕獲か。無理ですね!」
『諦めるの早すぎません!?』
「実はハーク隊長より怖くはないから反撃は出来そうだけど有効な手段が分からないんです!」
『ちっちっち。コウタさんはドラゴン退治というものがわかってないですねぇ』
「あいにくと今までの人生で縁がなかったもので……」
普通に生きていて野生のドラゴンと対峙することなどまずない。希少性や生存区域の違いは言わずもがなであるが、ドラゴンは人間が巨大な生存集団を築いていることを知っている。さらにその生存を少しでも脅かそうものならば、集団で報復しに来ることを知っている。故にほとんどのドラゴンは故意に人を襲ったりしないし、人前にも現れない。コストパフォーマンスが悪すぎるからだ。今回は特例中の特例で、本来互いの動線に触れ合うことがないのだ。
『ドラゴンには心臓の直線上の腹部に一枚だけ逆さの鱗があるんですよ。龍の逆鱗ってやつですね。弱点はそこです! そこを狙いましょう!』
「逆鱗に触れるって慣用句知ってます? せっかくまだ食料として見てもらえてるのに怒らせて敵認定されたくないんですけど」
『一撃でノせば問題ありませんよね?』
鉱床を容易くご飯に出来る爪牙による猛攻を掻い潜り、全方面への耐性がとても高いミスリルで覆われた鱗を砕き、それらを着ながら俊敏に動けるほど柔軟で分厚い筋肉を貫き、シロナガスクジラなみの全長を動かせるほど強靭な心臓を穿つだけの簡単なお仕事である。バカなのかこの人は、バカだったわと、コウタは既に定めていた評価を自問自答で再認識した。
「バカなんですか? バカなんですか?」
『続けて二回言った!?』
「それに僕思うんですけど、あくまで心臓の目印になってるから結果的に弱点って呼ばれてるだけなのであって、実はそこが突くだけで爆裂四散するとかそういう特別めちゃくちゃ弱いとかはないんじゃないですか?」
まさかそんなわかり易くお誂え向けな弱点がこんな巨大生物にあるわけがないとコウタは苦言を呈す。全ての事象にはなんらかの理由があり、その理由には理不尽も多くある。事実は創作よりも奇妙であるし、現実は想像よりも厳しい。ただでさえ生物種最強と言われているような種族に、そこを突くだけで死ぬような弱点などない。
『もう! ああ言えばこう言いますねコウタさん。忘れましたか? 私はあなたのアシスタントなんですよ。アシスト、つまり手助けすることがお仕事なんです。なので大人しく私の指示に従ってください! これは決定事項です! 異論を挟むならメニカちゃんにチクリます!』
「手助けごときが自我出しすぎじゃないですか!?」
無事に帰ったらアシストの言葉の意味を、今一度問わせてやるとコウタは固く心に誓った。
『エネルギーチャージ完了! さぁ騙されたと思って突っ込んであのオオトカゲの逆鱗をぶち抜いてやりましょう!』
「オチが見えそうなんですが」
『トラスト! ミー!』
良心に訴えかけてくる曇りなき声音。経験則から大概ろくでもない結果になると悟っており、コウタはどうしても首を縦に振りたくない。しかしまた経験則から、このアシスタントは絶対に折れず、なんなら本当にメニカにチクるということも悟っていた。
「…………隊長にしごかれた一ヶ月の成果を見せてやります!」
『その意気です!』
コウタはミスゴンの逆鱗をぶち抜くべく、なによりうるさいアシスタントを黙らせるべく駆け出した。瓦礫や転がるスクラップをものともせずに真っ直ぐ駆け抜けていく。そしてミスゴンの射程圏内に入ると、合間に襲い来る爪や牙、尾による攻撃を圧倒的な走力でひらりふわりぬるりと躱し、あっという間に彼奴の胸元の死角、逆鱗の直線上へと辿り着いた。
「隊長直伝、機式剛術!」
入隊から一ヶ月、コウタはハークに身体の使い方、とりわけ脚の使い方を叩き込まれた。素で音速の半分程度を出せる脚力を活かさない手はないと、メニカとアミスが進言したからだ。走りまくり、転がりまくり、蹴りを打ちまくった。ボディにとって合理的な動きを導き、それを頭で覚え、身体に叩き込み、魂にまで擦り付ける。そうして出来上がったのが、足技だけに特化した哀しい絶殺マシンもとい、ハークの一番弟子コウタである。
「鋼穿脚!!」
走力をそのまま乗せ、目にも止まらぬ速さで蹴り穿つ。最強の金属をそれなりの速度でぶつけるという、馬鹿でも只事でないとわかる破壊行為。コウタの剛脚はミスリル製の逆鱗を容易く貫き、その破壊力は心臓にまで轟いた。足を抜くと、逆鱗がごろりとこぼれ落ちる。ミスゴンは少しだけ低く唸ると、同じように地面に倒れ伏した。
『やりましたね!』
「……あっ」
その言葉は明らかなフラグ。この女を黙らせるためには行動するだけでなく、もっと直接的に黙れと言うべきだったと、コウタは己の至らなさに歯噛みした。地鳴りのような唸り声が大気を震わせる。彼奴は地面を爪で抉って立ち上がり、地団駄を踏むかのように尻尾を何度も地面に叩き付ける。鋭い牙を剥き出しにしながら食いしばる。瞳孔は開き切り獲物を狙う眼差しから、敵を滅殺する眼光へと変化していた。
「……生きてるんですけど。ブチギレてるんですけど。殺気が増したんですけど」
逆鱗に触れられるどころか砕かれ、心臓までも揺らされた。ミスゴンの激昂は必至である。コウタは無事、餌から敵へとランクアップを果たした。
『…………てへ!』
「だまされた!!!」
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