【悪魔編】グリムと本と、堅物じじいⅠ
転生した悪魔の青年、グリムは困っていた。
グリムの持つ『本で読んだものを取り出す』スキル。
使うためには文字を理解することが大前提なのだが……
「よ、読めない…………」
読めないのだ。
魔族には文字という文化が浸透していない。
強さこそ至上とする戦闘種族なのだ。
しかし彼は諦めなかった。
村を収める領主の家で魔導書を発見した彼は半ば強引に働き詰め、
ようやく家主である爺さん、ブランドン・バーンズに認められ魔導書を読むことを許可して貰えたのだ。
しかし――
「全ッ然わからんですわ……」
無理もない、いきなりなんの注釈もない外国語の本なんて読めるわけないのだ。
ダメ元で爺さんにも聞いてみたが
「戦争してた頃にぶち殺した魔術師から奪った勲章みたいなもんじゃぞ。難解な呪文の読み方なんぞワシが知るか」
と来たもんだ。
にっちもさっちも行かなくなってしまった。
誰かに聞こうにも爺さん以上に知恵がありそうな連中なんてこの村には居そうにないし、本当に手詰まりだ。
それにこの本だって読まないにしろ爺さんにとって人生の勲章みたいなものなのだ。
事情を知っておいて「いずれ使うから譲ってくれ」なんてとても言えない。
本当にどうしたものか。
休憩を終え、困り顔でじいさんの肩を揉んでいると
「なんじゃ、元気ないのう。そんなに文字が読めんのがつらいのか?」
いつも怒っている爺さんにしては優し目な言葉が飛んできた
「ええ、まぁ……本が読めれば色んな事が知れますからね。
知見を得れば自分の可能性だって広げれるんすよ」
前世のグリムは現代社会においては珍しく、本好きで図書館通いが趣味というアナログタイプな人間だった。
好きすぎて図書館司書の資格まで持っているぐらいだ。
「それに――」
「ふん、それになんじゃ?」
「…………人の人生が書かれてるものなんかは、その人が生きた証なんかも知れるんで……なんというか、すごく大事なものを得ることができるんすよ」
本好きな彼だからこそ、この世界の本というものの価値を理解しているのかもしれない。
そして、そんな彼の言葉だからこそ響いたのかもしれない。
「……ふん、そうか。少し待っとれ…………」
バーンズ爺さんが座っていた椅子から立ち上がり奥の部屋へ消えいく。
なんだろう?と首を傾げるグリム。
しかして戻ってきた彼の手には一つの絵本のようなものが握りしめられていた。
「爺さん、これは?」
「……ワシがまだ魔王城で魔王の幹部やっとった頃やった試みの一つでな、魔族の識字率を上げる為に作ったもんじゃ。
まぁ、文字が読めたところで強さが全てのワシらの世界じゃあ、魔術使いぐらいにしか用事のないもんじゃったからな……すぐに廃止になっちまった」
「…………これを、俺に?」
「くれてやろう。ワシも文字を勉強して強くはならんクチじゃったからほとんど読めんが、さわり程度なら覚えとるからそれを教えてやろう。
ま、しばらくは自宅で勉強するんじゃな。数日間は家には来なくて良いぞ」
「爺さん……ありがとうございやす!!」
基本の読み方を教えられたグリムは帰る時にも深々と礼をして出ていった。
「…………なぁ、王よ。ワシらのやっていた事も……無駄ではなかったのかもしれんな」
グリムを見送ったバーンズは物思いに耽りながら自室の椅子に腰掛ける。
机の上には今朝届いた魔王軍からの伝令書。
文字の読めない魔族用に書かれたそれには、魔王の紋章を汚すように赤い血が、
――すなわち、魔王が打たれ新たな魔王が現れたという事が書かれていた。
魔王が変わり政権が交代したのだ。
それは今まで土地を収めていた元の魔王の眷属達にも波及する。
つまり、近い内にこの領地にも新たな魔王の幹部がやって来て今の領主であるバーンズとすげ変わると言う事を意味している。
強さを至上とする魔族は、書面のやり取りなどで領主の権利を譲渡したりはしない……ただ、戦うのだ。
戦って、力を示す。
そしてその力を新しい王に捧げ、誓いを建てた者が新しき領主になるのだ。
「……覚悟は、しておったんじゃがな…………」
ぽつりと寂しそうに老人が呟く。
戦うには歳を取りすぎた。
力は弱く、魔力も衰えた。
いつかこんな日が来る事は分かっていた。
それでも、たとえ負けて死ぬのだとしても、自分の王への誇りを持ったまま死のう。
ずっとそう考えていた。
「……あいつと会って、今更死ぬのが嫌になっちまうなんてなぁ……」
震える手で本棚にある魔術書を手に取る。
今まで倒してきた魔術師の中で一番強かった相手の物を。
老人は自らを安心させるように……心を奮い立たせ矜持を守る為にそれを固く握り締めた。




