【人間編】最後の交渉
「遅かったじゃない」
動かない兄の首筋にナイフを突き付けたイレーネがこちらに向き直る。
もう後戻りは出来ない、といった表情だ。
説得は無理、か?
というかこんな状況でも兄は寝ているのだろうか?
「ぐ……ヴェルミーリョ……!」
普通に起きてた。
しかし抵抗をしている訳ではない……?
「しびれ毒よ。手から生成して吸わせたの」
なるほどなぁ、よほど瞬間移動頭突きが効いたみたいだ。
「……なんや、ちゃんと失敗を活かしとるやんけ」
ヴェルミーリョの軽口にイレーネの眉が釣り上がる。
「ふん、レディの顔に頭突きかますような野蛮人には、もう油断しないわ」
「野蛮なのは君やと思うけどなぁ」
「ふた……りとも、なん……の話を、して、るんだ……!」
「黙りなさい!この無能!!」
ナイフが首筋に薄く喰い込む。
「おい!!」
思わず身を乗り出すが、
「動くな!!妙な動きをしたり私の視界から消えるようならこの無能が死ぬわよ?!」
「……くそ」
こちらの能力の全容は理解していないだろうと踏んでいたがやはり学んだのだろう、
しっかり条件付きでこちらの行動を制限してくる。
「……今全部捨てて逃げんのなら死んだって事にしたってもええぞ、
ワイもアルシャンドル兄も、この事は一生黙っといたる。
なんなら、ワイの部屋に家出るために貯めた纏まった金がある。くれてやってもええぞ」
「うるさいうるさいうるさいうるさいうるさい!!!!
アンタに決定権なんてないのよォ!!」
説得も誘導も無理。取り付く島がない。
息を荒げたイレーネが狂った様相でまくし立てて来る。
「すべてを決めるのはこの私よ!!この男が殺されたくないならまずはそのマスクを渡しなさい!!!」
やっぱそう来るか。
しかし従うしかない、判断を誤ってアルシャンドルを死なせるわけには行かない。
「……しゃあない、言うとおりにしたる」
手に持っていたマスクをイレーネに放り投げる。
こちらへの視線を切らさず空いた手でマスクを拾い上げたイレーネは、にたりと不気味な笑みを浮かべる。
「……やっぱりあんたは最高の馬鹿ね!これであんたの勝ちは無くなったも同然!!
あんたがどれだけ速く動けてももう意味なんて無い……動けなくしてから殺してやる!!!!」
マスクを顔に押し当てながらイレーネが吠える。
次の瞬間、彼女から粉末状の何かがドバッと溢れ出し、部屋の中が煙でいっぱいになった。




