日本語の「鬼」について
私が読んだ日本書紀の注釈では、「鬼」という字は、万葉集では全て「もの」と読んでおり、「おに」という読みが定着したのは平安時代からだというのが定説だと述べられていました。
ではその「おに」という言葉はどこから来ているのかというと、その語源には諸説あるようですが、その一つに「鬼」は「陰」から来ているという説があります。つまり陰陽の陰から来ていて、「陰」→「おに」となったという説です。このように漢語から来た言葉としては「縁」→「えに」→「えにし」があります。
自分としては、この説が正しいと思います。理由は以下の通りです。
まず、漢語としての「鬼」は、本来は「亡くなった人」「死者の霊」を指します。この意味での使われ方は、「鬼籍に入る」という言い方に表れています。飛鳥時代の仏像の銘文でも、聖徳太子の亡くなった母のことを「鬼前太后」と読んでいるそうですから、古くからこの意味で使われているようです。
しかし、この鬼は単に霊を言うのではなく、特に「魂魄」のうちの「魄」が化したものをこう言います。
陰陽思想では、人の霊魂には「魂」と「魄」の二つがあって、「魂」は天から受けたもので精神を司り、死後は「神」になり天に帰る、「魄」は地から受けたもので形体を司り、死後は「鬼」になり地に帰る、とされます。そして天は陽であり、地は陰です。中国でも、古い時代では必ずしもこのようには整理されていなかったようですが、陰陽思想が整理されていくにつれてこのような区分が確立したようです。
陰陽思想は中国から輸入されたもので、本来日本のものではないではないかと思うかもしれませんが、ものごとを天地、陰陽、男女などに分けて、対になるものとして考える考え方は世界的に広く見られます。
日本にもこのような考え方があったことは、神々が「天つ神」と「国つ神」に別れていることや、記紀で天照大神と月夜見尊が昼と夜とで一日おきに別れて住むことになったという説話や、世界の初期に現れた神々が男女の対になっていることなどからわかります。
また人の霊魂が単一のものではなく、魂魄のように複数の霊魂があるという考え方も、魂について「幸御魂」「奇御魂」や、「荒御魂」「和御魂」の区別が述べられていることからうかがえます。(これは神の霊魂について述べられていることなので、人にも当てはまるかどうかはわかりませんが)陰陽思想が日本で受け入れられたのも、こういう下地があったからだろうと思います。
次に古典での「鬼」の使われ方を見ると、日本書紀で「鬼」という語が使われている場面はいくつかありますが、まず神代紀でイザナギが黄泉の国で屍と化したイザナミに出会い、イザナミに宿っていた八種の「雷」に追われる場面で、桃の実を投げて雷を追い払った、と述べた後で、「これが桃を用いて鬼を避う由縁である」と述べられています。
また天孫降臨の段で、タカミムスヒは地上に天孫を天降らせようと思ったが、葦原中国(地上)にはさばえなす邪神がいた、と述べた後で、タカミムスヒが神々に告げて「我は葦原中国の邪鬼を平定しようと思う」と言っています。そして後に「諸々のまつろわぬ鬼神たちを誅伐した」と述べられています。
また神代紀の後では、景行天皇紀で、天皇が東征に赴く日本武尊に告げて「東方の異民族は属性が凶暴であり、侵犯することを専らとしている……また山には邪神がおり、野には姦鬼がいる(「姦」は心がねじけて正しくない、「かだまし」は偽りの心を持っているの意)。……反逆する者を服従させよ。言を巧みにして暴神を鎮め、武をふるって姦鬼を討ち攘え」と言っています。
また欽明天皇紀で、ある島に来た粛慎人(東北に住んでいた異民族らしい)が「鬼魅」(または「魅鬼」)に惑わされて他の土地に連れて行かれ、連れて行かれた先の浦の神(この神は霊威の強い神で人々は敢えて近付かなかったという)のためにその半ばは死ぬことになり、洞窟にその骨を積み上げた、と述べられています。
また斉明天皇紀で、天皇の葬儀の時、山に大笠を着た鬼が現れて葬儀を見守っていたので、人々は驚いたという記述があります。
また出雲国風土記では、阿用の郷の山に田を作っていた夫婦のところに片目の鬼がやってきて、彼らの子供を食らったという話が出てきます。
さて黄泉の国は描写からして地下にあるものとしてイメージされているようですし、天孫降臨の段では天上から地上を見下ろして言っているので、神代紀の記述では「鬼」は地下、地上といずれも地に住むものであり、また「鬼」は「神」と同じように霊的な存在ではあるものの、ネガティブなイメージを伴って語られています。
景行天皇紀の鬼も、天孫降臨の段と同じく討伐の対象となっています。またこの鬼は「野(郊)にあり」と言われているので、やはり地に住むものだと思われます。
また欽明天皇紀の「鬼魅」は、これに惑わされた人々はそのためによその土地に連れて行かれ、その半ばは死ぬことになったわけですから、やはり土地と関わり、ネガティブなイメージを伴っています。
また斉明天皇紀で天皇の葬儀に現れた鬼は、葬儀の場面なので漢語の「鬼」のイメージでもあるようですが、実は斉明天皇紀には、ここで鬼が現れた原因と思われる出来事があります。つまり、天皇は朝倉に宮を作ってそこに移り住んだが、そのとき朝倉社の木を伐りそれを使って宮を作ったので、朝倉社の神が怒って宮を壊し、また宮中に「鬼火」が見えた、と述べられています。そして天皇の葬儀の時には、朝倉山(朝倉社の後ろにあると思われる)に鬼が現れて葬儀を見守っていた、と述べられています。
また斉明天皇紀には、天皇は事業を起こすことを好んで人夫や資源を浪費したので、時の人々がこれを誹謗したと述べられています。またこの頃、百済と新羅、唐の間で戦乱が起こり、日本は百済を救援するために援軍を出すことに決めた(白村江の戦い)が、不吉な兆しがあったために、人々はこの遠征が失敗に終わることをさとった、と述べられています。あるいは書紀の編者は、この遠征が失敗したのはこうした斉明天皇の不徳のせいだと示唆しているのかもしれません。つまり、ここでの鬼は一種の「たたり」あるいは「不吉な兆し」のようなものと思われます。
欽明天皇紀の粛慎人を惑わした鬼と、この斉明天皇紀の朝倉山の鬼は、神の使い、あるいは神の化身のようにも思われますが、いずれも不吉なものと思われます。神代紀の天孫降臨の段で、地上に住むものを「邪神」と呼んだり「邪鬼」と呼んだりしているところと合わせてみると、神霊のうち悪しきもの、あるいは悪しき現れ方をしたものを「鬼」と呼んでいるようにも思われます。そしてその鬼はおおかた地に住んでいます。
また風土記の人を食う鬼は、すでに後世の鬼のイメージと重なっているようですが、神代紀の黄泉の国で追いかけてくるイザナミや、その仲間である雷や泉津醜女(または泉津日狭女)も、イザナギを追いかけてきて、「日に千人をくびり殺そう」と言っていますから、やはり人食いのイメージと重なるように思えます。つまり、生きている者を、地下の死者の国に引きずり込もうとするようなイメージです。
また神代紀の記述や孝徳天皇紀の詔からして、「死」に触れることが汚れであるという観念は古くから存在しているようなので、地と死者とに関係する「鬼」がネガティブなイメージを持っているのは自然なことだと考えられます。(「鬼」を死者の意味で使うのは漢語の用法ですが、死者は地に葬られるわけですから、地と死とが結びつくのは自然な発想だと思われます)
次に「もの」という言葉についてですが、平安時代より前は「鬼」を「もの」と読んでいたと言いますが、その「もの」という言葉は本来どういう意味なのでしょうか?
これまでは地のネガティブなイメージばかり見てきましたが、一方では地は産物を(特に穀物を)実らせて人々を養ってくれるものでもあります。特に農耕を生業とする人々には古くから大事なものであったでしょう。それで、土地はその「生成力」の観点から見られていると思います。(古代ギリシャの詩にも、「ものみなを養う大地」という言い回しがしばしば出てきます)
植物について、実が「実る」とか「成り出でる」とか言います。「みのる」は「み(実)」を「のる」でしょうから、「なる」や「のる」は「発生する」「発生させる」の意味であると言えます。(「音が鳴る」の「なる」や「名のる」の「のる」も同じだと思います。つまり、それは音を発生させることだからです。またそうして告られたものを「名」と言います)また植物の地下にある部分を「根」と言います。(鳴った音のことも「音」と言う)それで神代紀で言う「根の国」は地下の国であると考えられます。
また地震のことを「なゐふる」、あるいは単に「なゐ」と言います。
出雲の神である「大国主」の別名に「大名持」「大穴持」というのがありますが、この「な」と「あな」もそういう意味で、つまり「土地」の意味だと思います。つまりそれは「大いなる(生成力を持った)土地の持ち主」の意味であって、「大国主」という名前と意味が通じます。
また野原のことを「野」と言います。これははっきりした名詞としての土地の名前で、「草木などを生成する」あるいは「生成した草木(に覆われた土地)」の意味だと思います。こうした名前は、土地をその生成力の観点から見た言い方であると思います。
また、植物が生え出てくることを「萌え出る」と言いますし、火が「燃える」とも言います。また、海藻のことを「藻」と言います。ここから、「も」にも「発生する」または「発生した」の意味があると考えられます。
こうしたことから、「もの」は「も」と「の」でいずれも生成を表す言葉で、「産物を生成する土地」あるいは「土地によって生成された産物」の意味であると考えられます。「もの」という語の使われ方からすれば、おおかた後者の意味でしょう。
穀物のことを「たなつもの」(種+つ+もの)と言います。また土を焼いて作った陶器のことを「焼き物」とか、金属製品のことを「金物」とか言いますが、これらはいずれも土地の産物です。
また野生動物のことを「けもの」(毛+もの)と言います。
また人のことも「この者」「その者」と言いますが、これは基本的に自分と同等か目下の相手に対して使われるように思います。敬称では「この方」「その方」などと言うからです。また神の名につく敬称にも「もの」は使われず、むしろ「みこと(命、尊)」が使われます。
「鬼」の意味で使われる「もの」は霊的な存在のようですが、それは土地から発生した霊、地の霊であって、ネガティブな属性を持った霊だと考えられます。「もののけ」とか「憑きもの」とか言うのもそういうおどろおどろしい霊のイメージでしょう。
精進潔斎することを「もの忌み」と言いますが、これはその主な実践が飲食を絶つこと、つまり地の産物を絶つことにあるからでしょう。そしてこのもの忌みによって心身が清められると考えられるところに、「もの」の持つネガティブなイメージが表れています。
また一般に、地は天に対比される時は従属的なものだとみなされますし、発生したものは発生させたものに対して従属的なものだとみなされます。ですから、「もの」は所有物や、従属的なもの、また言葉の上で他に従属する事柄を表すものになっていると思われます。つまり、代名詞として「このもの」や「そのもの」という場合、それは他のものによってその内容が意味付けられる言葉だからです。(この点は「こと」も同じですが、「こと」は動詞に対して使われ、「もの」は名詞に対して使われる)
大和の神に「大物主」という神がいますが、この神の名もその意味で、「大いなる土地の持ち主」あるいは「多くの土地の産物の持ち主」であろうと思います。この名は大国主の名と意味が通じます。大物主が大国主の別名、あるいはその子、あるいはその幸御魂、奇御魂だとされているのもそのためでしょう。(ギリシャ神話で地下の神、また冥界の神とされるハーデースの別名にプルートンというのがありますが、これは「富める者」という意味で、豊富な地下資源の持ち主であることからこの名があるといいます。また道教でも、土地の神である土地公は豊作や大漁や商売繁盛をもたらしてくれる存在であり、同じく土地の神である后土は墓の守り神であるといいます)
古代の豪族に物部氏がいますが、物部氏は軍事や刑罰を担当する氏族だったといいます。また武士のことを「もののふ」と言い、武具のことを「物の具」と言います。これは武士が土地の産物である鉄でできた武器を使うことから来ているのでしょうが、また軍事や刑罰は死者を伴うものですから、それで「もの」という名がついているのかもしれません。
そんなわけで、土地には産物を生み出すというポジティブなイメージと、死者の国であり、生きている者を引きずり込むというネガティブなイメージの両面があり、その土地、あるいは土地から発生した「もの」にもそのような二面性があると思われます。
つまり、「鬼」といわれるような「もの」は、「神」と同じように一種の霊的な存在ではあるものの、それは土地から出てきた土地の霊、あるいは地下の霊であって、死を連想させるような恐ろしげなイメージで語られているのでしょう。つまり地の霊はネガティブな属性を持った霊である、あるいは霊のうちネガティブな属性を持ったものが地の霊だとみなされる、ということです。(神代紀でも、スサノヲは暴虐な性質を持っていたために根の国に追いやられたと述べられています。斉明天皇紀の朝倉山の鬼が笠をかぶっているのも、スサノヲが乱暴狼藉を働いて天界から追放された時に蓑笠をかぶって神々に宿を乞うたといわれるのと関係しているかもしれません)
また一方では、地方によっては鬼を信仰したり、鬼が幸いをもたらしてくれると考えるところもあるようですが、それも土地の持つ二面性から来ているのだろうと思います。また「醜」や「悪」がそうであったように、恐ろしいイメージがむしろ「強さ」「威厳」のようなポジティブなイメージに転ずることも考えられます。
で、再び陰陽思想に戻ってみると、天は陽であり、地は陰です。それで、地の霊である「もの」は、「陰」の化成したものとして「鬼」にあてられて「鬼」となり、後には漢語で呼ぶほうが一般的になって、「陰」→「おに」となったのだと思います。
つまり、「もの」は地から発生する事象のことであって、物理的な産物から、獣、霊的な存在まで含みますが、そのうち霊的な存在は地の霊なのでネガティブな属性を持っており、このような「もの」が後に、陰の気から生じたものとして「鬼」と呼ばれるようになったのだと思います。