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第12話 行き先

今後の投稿は月・木・土・日・祝とさせてください。宜しくお願い致します。

それではいよいよ信勝の行き先です。

信勝と昌恒そして佐助は関東と奥州の境である白河に差し掛かろうとしていた。平安時代には関所があったようだが、今は存在しなかった。

白河に来るまで托鉢などもしながら甲斐や信濃の情勢も聞こえてきた。勿論真田家から佐助を通じて得た情報も多い。

北条と織田がにらみ合いしている。その原因の一端が信勝自身であることもだ。

上杉家や真田家まで疑惑の目が向けられたと聞いた。

改めて甲斐・信濃からしばらく距離を置く必要性を感じた。


さらに、生き方を教えてくれた恵林寺の快川紹喜住職も焼き討ちで寺と運命を共にしてしまった事を聞いた。正直申し訳なかった。武田がこんな無様な事になってなければ・・・。


「ノブ、奥州とは聞いていたがどこに向かう」


奥州は当時群を抜いて強いものは無く、どんぐりの背比べの様な状況であった。主だったものを列挙していくと、陸奥(主に現在の青森・岩手・宮城・福島)の北部を治める『南部氏』や『大浦氏』、中部を治める『葛西氏』や『大崎氏』、南部を治める『伊達氏』や『相馬氏』、『蘆名氏』ここに常陸から勢力を伸ばしてる『佐竹氏』もいる。

羽後(現在の秋田の大部分)では『安東氏』『小野寺氏』、羽前(現在の山形)では『最上氏』、『武藤氏』などが争っていた。


しかし、信勝は知っているこの後、奥州を代表する者が誰になるかを。


「マサ、米沢だ。伊達に向かうぞ」


当時の伊達氏は伊達輝宗が治めている。輝宗は最上より妻を迎えており同盟とまではいかないが、それ相応な友好関係で、政宗も陸奥南部の小大名であった『田村氏』から嫁を貰い守りを固めて長年戦っていた相馬と相対する状況であった。


「ノブ、なぜ伊達ぞ。猛将と名が伝わる最上義光という選択肢もあるぞ」

確かにそれも考えた。しかし・・・


「よいか、奥州で我を証明するのは父上が書いた書状しか今はないのだ。その書状ですら、その者が武田の書状を持って無ければ意味は無いし、捨てられたら一貫の終わりぞ」

「しかし、それは伊達家でも同じではないでしょうか」

「いや。伊達家だけは例外だ」


伊達家には唯一、信勝と何度も面識があるものがいる。

虎哉(こさい)住職がいらっしゃる」


昌恒は驚いた。

「信勝様が幼少期より恵林寺に行った際に」

おもわずノブと呼ぶのを忘れてしまっていたが、伊達家に縁があった事に驚いた。


「あぁ、まだ幼かったから落ち着きなくてな。快川住職が境内の勉強部屋で遊びまわってた時に幾度となく快川住職の弟子であった虎哉宗乙殿に(たしな)められた事か」

「その話、私も聞いたことがありますな。その虎哉殿が、いま伊達のもとに」

「ああ、虎哉殿が伊達に招かれてからも幾度か文を交わしたが、今は次期当主の教育を行っているようだ。虎哉殿に取り次いでもらえれば伊達家に身を寄せられるやもしれぬ」


信勝ら一行は羽州三山を目指す方向と同じである米沢に向かって再び歩き始めた。

感想でも伊達家予想する人多かったですね。(虎哉住職の名前が出てなかったのでちょっとだけ裏をかけたかな?)

この小説の肝になる部分なので、小説を書き始める前に数大名考えましたが、色々考えると伊達家しかないんですよね。感想でもありましたが、政宗と信勝が同い年というのも大きいです。それでは次回更新をお待ちください。

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