第11話 恵林寺焼き討ち
「引き渡すことはありませぬ」
甲州征伐の総大将でもある信忠自ら恵林寺に赴いたが、快川紹喜住職からの返答は明確であった。
「私は南蛮から伝わったゼウスの教えなどは知りません。ただ、『神の子となった人は皆平等』この考えには頷ける部分もあります。私や恵林寺を頼り助けを求めた者。ましてや彼らは町民や寺の者に何か危害を加えておる訳ではありません。それどころか近くの子供たちに読み書きなどを教えてる者たちです。彼らが織田家と何があったかは存じませぬが、寺や町の者にとっては関係無い話です」
信忠はただ聞き入るしか無かった。考えが全く同じであったからだ。
「しかし・・・」
「私は仏に仕える身です。その仏に頼ったものを引き渡すなどすれば私は死んだと同じです。信忠様やお武家の皆様に武士道というものがあるように、我らにも仏の道というものがございます」
「そこをなんとか・・・せめて住職だけでも」
「それは私に仏の道を捨てさせ生きながらに死ねという事ですか。私は恵林寺住職として恵林寺にとどまります。ただ、まだまだ若い修行僧や寺に奉公に来ている町の者たちは逃がさせて頂きたく思います」
全てを覚悟し、まさに悟りの境地であるものに掛けるべき言葉は無かった。
「我らが罪はいかにすれば、滅ぼす事ができましょうや」
「信忠様の心の中にある正義を貫かれ、その正義が民の為になっているか自ら問いかけていかれるしかないでしょう」
信忠は平伏した。
「出来ることなら貴方を人生の師として仰ぎたかったです。ありがとうございました」
快川紹喜は黙って手を合わせた。
その翌日、織田軍によって恵林寺に火を付けられた。快川紹喜は寺と運命を共にした。
甲斐の民衆の心は織田家から急速に離れていった。
新府城建設時に増税によって苦しい生活であった事は民衆の思いから徐々に薄れて、武田時代への郷愁が強くなり、また信者でなくとも心の拠り所でもあった恵林寺を焼き討ちされたことで甲斐国の統治はますます難しくなった。
信忠は忸怩たる思いであった。
この時点で焼き討ちをやってはいけない事は分かっていた。特に武田家が完全に滅んでいない事が民衆に広まったら信勝が甲斐に居なくても見えない旗印となり民衆と武田家旧臣が手を組み甲斐で大型の一揆が起きるのは火を見るまでもない。
それでも焼き討ちをしてしまった。いや、せざるを得なかった事が悔しくてならなかった。
「俺が織田家の当主だぞ・・・」
6年前に既に家督を信長から引き継いでいて、確かに甲州征伐は総大将であった。
しかし、実際は信長の指示の下で働く武将に過ぎないと見られている。
織田家家臣からは次期当主とは認識してもらってるものの、家督を譲られた当主とは誰も見てもいなかった。
「俺が織田家を正しい方向に導かなくては」
信忠の中に当主としての自覚が生まれた瞬間であった。
少々遅くなりました。




