第10話 信長の苦悩
大変お待たせしました。
年度末で仕事がバタバタで、帰宅してからもバタンキューな状況です。日&祝でなんとかストック出来るようにします。
諏訪大社に本陣を置いた信長は悩んでいた。
当初、甲州征伐を行ったら、上杉や北条と(一時的に)和睦を結び毛利や長宗我部制圧に取って返そうと思ってた。実際、羽柴秀吉には既に毛利攻めを行わせているし、丹羽長秀や信孝には四国征伐の準備を行わせている。その先には九州征伐を明智光秀あたりにやらせようかと思っていたのだ。
しかし、天目山で武田家を滅亡させる事が出来なかったのが痛い。
家臣の一部は野盗や落ち武者狩りにあって死んでいるだろうというが、恐らくは生きているだろう。多分この直感には自信がある。残念なことに。
信勝の母は、信長の養女であった。彼女が若くして病で命を落とし戻ってきた彼女の侍女たちから信勝は利発な子供であると話を以前聞いた。それから時を経ているからこそ相応の学も武芸も積んできただろう。勝頼は我らの前に敗れたが、火縄銃の導入が遅れ対応が後手に回ったのが最初の躓きだったが、あの日途中から雨でも降り出せば、いま命を金華山か清須で落としたのは自分だったかも知れない。その程度の差だ。
今後の計画のなかには、家康を京に招待し、事故などに見せかけて消すことも考えていた。しかし、北条との防波堤に家康には今はなってもらわないといけない。まだまだ消すわけにはならない。
そんな思案をしていた信長のもとに信忠から使者が来た。
「恵林寺に武田家の残党や六角義定らが匿われているとの事。引き渡しを求めておりますが色よい返事をいただけません。下知のほどを」
「焼け」
「えっ」
「聞こえぬか。焼いてしまえ」
「恵林寺は甲斐では広く信仰されている寺でございます。そんな事を・・・」
「わしは延暦寺にも火を放った。しかし、天罰も受けておらぬ。むしろ天下布武へ順調に事は進んでおる。ここで仏を超えた我が力を東国にも見せつける絶好の機会ぞ」
「ははぁ」
その下知を聞いた信忠は頭を抱えた。
「信長は狂ってる・・・」
延暦寺焼き討ちは、当時織田家包囲網に参加していただけでなく僧兵が京の町で狼藉を数え切れないほどしており、その武装解除を求めたが拒絶された為、止むを得ず行った。
結果として悪名も轟いたが、京の町民からは賞賛する声があったのも事実だ。
しかし、この恵林寺への焼き討ち命令は大義名分は無い。強いて言うなら武士たちの勝手な論理でしかない。こんな事をすれば甲斐の統治は厳しいものになるのは、まさに火を見るまでもなく明らかだ。
「せめて高僧である快川紹喜殿などを匿わねばならない」
信忠は悲壮な覚悟で恵林寺との交渉に向かった。
次の更新は今夜10時頃を予定してます。
※なお第10話タイトルは仮称です。後日変更するかもしれません。




