#90 そして、あの後
シャルロッテはミュールも交えてある程度シェドと談笑すると、連日の交渉の疲れが取れた気がするよ、感謝する、と言ってシェドの病室を去ろうとした。
「あ、ちょっと待ってほしいんだけど」
「ん?何だ?」
「俺のこのケガは、なんで?暴走したなら相手に犠牲がたくさん出たっていうのは納得できるけど、俺のこのケガについては聞いてない気がする」
「......ウラナ絡みの話になるが、いいのか?」
シャルロッテのその言葉はシェドではなく、主にミュールに向けられていた。シェドがウラナのことを思い出しかけて、吐きそうになっていたことをミュールが伝えていたようだった。
「......たぶん、大丈夫」
「......分かった。君のその傷は、君がウラナと戦ったときにできた傷だと、我々は結論した」
「ウラナと戦った......?」
「君が暴走し”西の国”の兵士を殺し、最後にウラナをも敵とみなして攻撃した。それはあくまで推論の域を出ないが、君の傷の中に刀の傷や、爆風によってしかできない傷があったのは事実だ」
「ウラナを......」
「何にせよ、君自身に記憶がないならばどうしようもない。先ほども言ったが、あまり気にかけすぎるのはよくない」
「......分かった。わざわざ引き止めてごめん」
「いや、大丈夫だ」
* * *
シェドが回復するにはあと1ヶ月ほどかかるのではないか、とメイリアは言っていたが、予想以上に動き回れるようになるまでは早かった。ミュールも初めは自分一人で冥界に帰ろうとしていたのだが、シェドの回復が早い様子を見て、シェドが行きたいと言っていた場所に連れて行ってほしい、と言い出した。シェドはもちろん、と了承して、退院出来た日にそこに向かうことになった。
「ここからそんなに遠くないはずなんだけどな」
シェドの言うロゼと一緒に暮らしていた町は、冥界を囲む深い森の近くにあるらしい。入院していた病院のあるKetterasereiburg国も冥界からちょっとだけ遠い、という程度なので、結局冥界からもKetterasereiburg国からもほどほどの距離、ということになる。その街に行きたい、とシェドは言った。
「(......アルくんを表面だけで慰めるべきじゃなかった。ロゼさんを、ちゃんと知ってからにすべきだったかも)」
その思いがあって、ミュールはよりついて行くべきだったと思った。
ただその当時とは行き方が違うので、ミュールと相談しつつあーだこーだと言って、たぶん遠回りをして目的の街にたどり着いた。
「うん、ここだ......この海」
その街に入ってまず目に飛び込んできたのは、きれいな海だった。ミュールの数少ない現世経験の中でもさらに少ない海を見た経験との比較になるが、そのどれもと比べ物にならないほどにきれいだった。現世の海と言えばよほど国単位で囲われてきれいに保つよう厳しく取り締まられていない限り、ゴミが捨てられたり漂着したりして見るに堪えないところも多い中、この海はみんながきれいにしようと呼びかけ合って、ずっときれいに保たれている海なんだとシェドは言った。
「俺......ここが一番最初に住んだ現世の街なんだよな。だから、余計に心に残って、どっか他のところに行っても、ここが一番よかったってなって、そうなるとこの街の姿に近いところをまた探し始めて」
「分かるよ。だって、子どもの時でしょ?大人になってからでもそういうことってあると思うけど、子どもの時ならなおさらだよ。私ももしこの街に生まれてたら、この街から出たくないって思うだろうし。アルくんにとっての故郷は、ここなんだね」
「故郷、か......」
故郷。生まれ育った町。シェドの生まれは、確かに冥界だ。だが子ども時代の記憶がより濃いものとして残っているのは、絶対的にこの街の方なのだ。たとえ冥界で生まれたくせに、と言われたとしても、シェド―――アルは、この街を誇りに思う。
「......ロゼさんの家は、どこなの?」
「あの時は、パン屋さんだった。俺の好きな食べものがバターパンなのもその影響。その頃の味を作ろうと思ったらやっぱり自分で作らないといけないんだろうけど、バターパンを食べると、すごく懐かしくなる」
シェドはそんな話をミュールにしつつ、街の中心の方へ足を進めてゆく。
「何だか、うらやましいな。そうやって思い出とともに好きな食べ物があるって」
「ミュールは確か、プリンが好きなんだよな?」
「そうだよ。プリンソムリエって資格があったら第一人者になれるよ」
「プリンソムリエって......」
「あ、あった!ロゼさんの家って、あれじゃない?」
「ん?......ああ、確かにあの家だな。けどなぜ分かった」
「すごくおいしそうなパンの匂いがあの家からしたからね~」
「あれ?もしかして小さい頃に嗅ぎすぎて慣れたかな」
「向かいにはプリン専門店!ねえねえ、あの店も行っていい?アルくんの用事が終わってからでも全然いいから!」
「......おう、まあ」
「やったあ!!」
近づくたび香ばしいパンの焼ける香りや、焼きたてができたのを知らせる鐘の鳴る音がするそのパン屋さんに、シェドとミュールは入っていった。
「......ずいぶんおしゃれになってる」
「待ってねアルくん。まず100年かもっと経ってるのに、同じ場所で同じパン屋さんがやってること自体奇跡に近いからね?」
「......そっか。でも、うちのパン屋さんはずっと、ここで忙しくパンを焼いてそうだって、何となく思ってた」
「いらっしゃいませ」
高校生くらいの女の子がシェドたちに気付いて出てきて、あいさつをした。
「えっ............ロ、ゼ......?」
シェドは意識せずにそう言って、女の子の肩に手を載せていた。もちろん女の子は何が起きているのか分からず困惑した表情で、隣にいるミュールに何とかしてくれこの面倒な客、といった顔を向けた。
「ごめんね、ちょっと懐かしくなっちゃったみたいで」
とミュールはシェドを引きはがす。が、女の子の反応は想定していたのとはちょっと違った。
「アル、さん............ですか?」
その女の子はシェド―――否、アルを知っていた。
* * *
「失礼いたしました。私、シェリアと申します。シェリア・ストラスブールです」
「......ストラスブール?」「ストラスブール......確か、ロゼも」
「そうです。ロゼリアの系統は途絶えたのですが、親戚である私たちの一族が受け継いで、今も続いています」
「そうなんだ......」
「私はもちろん、直接には知らないのですが......ロゼリアのお父さんはずっと、アルさんに会いたがっていたそうです。ジェムさんも」
「......!!」
「行かなかったの?」
「......ロゼが、......死んだ後、気がついたら別の人に憑依してて、それからずっと転々と憑依を繰り返してた。何だろう......忘れたかったのかも、しれない。あんまり覚えてないぐらい、自分の意識を殺して、次から次に憑依していろんなところに行って......ここには、帰って来れてない」
「私の曾祖母のメイリアや叔母のアーリアが能力を持ったり、その能力を持ちうるのが死神という存在だ、ということは聞いているので、その、アルさんももしかしたら、と思って......」
「普通そういう思考回路にはならないと思うけどなあ......まあ、合ってるんだけど」
「私、すごく嬉しいんです」
「嬉しい?」
「はい。アルさんがロゼリアのことも乗り越えて、ちゃんと、またここに帰って来てくれたことが。きっとロゼリアも、喜んでいます。だから、私から、言わせてください。......おかえりなさい、”アル”」
目の前の女の子が、そう言うことによって一瞬、アルにとってロゼに見えた。元からロゼによく似た特徴を持った、かわいらしい女の子だったが、アルにとってはロゼそのものに見えた。
「ロゼっ......」
アルの目頭は熱くなって、視界がにじんだ。今いるこの場所で刻まれたあの時間がもう一度アルの脳裏によみがえって、また記憶の海ににじんだ。今は、違う。ロゼのことではもうくよくよ泣かないと、自分で決めた。だから何も見えなくなってしまう前に袖でそっと目を拭って、
「......ロゼには、会える?」
そう尋ねた。
「......ええ、会えます。奥にどうぞ」
シェドとミュールはそれに従って、2階に上がらせてもらった。
「......残してあるんだ、あの時の物とか」
「ええ。確かに私たちはここでパン屋さんをやっているんですが、もうここには住んでいません。住み込みでアルバイトをしてもらっている方に住まいとして提供してはいますが、今はいないですし」
「そうなんだ......」
「こちらです。ロゼリアの部屋に、小さいですがお墓を作っています」
「......!!」
案内されたのは記憶の通りの位置にあるロゼリアの部屋だった。入ると部屋の窓の近く、日当たりも風通しもいい場所に、1つ箱が鎮座していた。その上に、写真立てがあった。
「アルさんはロゼリアを看取った後、遺体をここまで運んで来たと聞いています。その後丁寧にお葬式をして、遺骨はこの箱の中に眠っています」
「ロゼが、この中に?」
「ええ、共同墓地にという考えも、何度も挙がったのですが、やはり」
「いや、」
「え?」
「共同墓地に、ロゼも連れて行ってほしい。確かにロゼはこの部屋が懐かしく思うかもしれないけど、この部屋、誰も使ってないんだろ?だったら、さみしい思いはしてほしくないから、他の人たちにたくさん、楽しい話をしてほしい」
「......そうですか?」
「ロゼと一緒にいた俺が言ってるんだから、間違いない」
「分かりました。では、一緒に行きませんか」
「店は?」
「大丈夫です、少しの間ですから」
ロゼは、楽しい話が好きだった。それを人に話すのも好きだった。だから、たとえ場所がなくて、周りが知らない人ばかりになっても、あるいは年上ばかりでも、年下ばかりでも、ロゼには関係ない。ロゼの周りにはたくさん人がいた方が、ロゼらしい。そう、シェドは思った。
共同墓地は、多くの人の遺骨を一つのところに埋める。ロゼが入るお墓は、心地よい風が吹いて、他のたくさんのお墓に囲まれた場所にあった。シェドが遺骨を持っていた。
「ロゼ......聞こえてる、かな。俺は、元気だよ。だからロゼも......ここでずっとみんなに、楽しい話、聞かせてあげてほしいな」
『Roselia Strasbourg』
1人の少女の名前が、そのお墓に新たに刻まれた。
* * *
「......じゃあ、レイナのことをお願いね?」
「ああ。......一人で帰れるのか?」
「たぶん帰れる。すぐそこだしね。もしダメだったらヘルプ呼ぶし」
「そっか。......じゃあな」
「そんな、今生の別れみたいな言い方しなくても」
「そうなってる?」
「なってる。ロゼさんのことは心にそっとしまっておくって、約束でしょ?」
「......うん」
「それに今はレイナがいるし。浮気してるとか言われても知らないよ?」
「ぐっ......」
「まあレイナはそんな頑固な子じゃないけどね。レイナのことも、気にしてあげてね?」
「......分かってる」
その街の森の前でミュールとシェドは別れ、ミュールは冥界へ、シェドは日本へと向かった。




