#86 『少年の楽しい記憶は、いつも、少女とともにあった』
この街は、少年と少女が1日でくまなく探し回れるほど狭くはない。この街には大学があり、様々な娯楽施設があり、レストランもたくさんある。近くには海があって海産物を扱う店も多く並ぶし、反対側には山があって、山の幸も豊富だ。この街に住んでいる人が自慢に思うのは、そこで一生を幸せに送ることが出来るという意味も含めてなのだ。街の中の一角に絞って、そこにある建物という建物に入って、全ての階を探し回り、あるいは管理人さんや大家さんに聞いてヒントを得ようとするので1日が終わる。もう暗くなって危ないから家に戻らなければならない。心残りだが、次の日も普通に学校がある。心配で仕方なくて、授業などそっちのけでロゼのことばかり考えていた。
ロゼはアルにとって、大事な人だ、という言葉では言い表しきれないほどの大きな存在になっていた。もちろん血のつながりがあるわけではない。その点で言えば、おじさんの方が実の親だから、当然心配になる。だが、アルとロゼの間にはそれに勝るとも劣らない絆が、あった。アルが過ごした時間は、ロゼとともにあったと言っても過言ではなかった。だから、すっかり暗くなって危ないから帰ろうとシーナが促しても、アルはロゼを探すのをやめようとはしなかった。雨が降っていようと、雪が降っていようとアルには関係のないことだった。むしろそんな悪天候の日にロゼがあてもなく外をさまよっているのだとしたらと思うと、そちらの方が心配だった。
「......アル!」
「あと、ここだけ......!!」
そう言っては次の建物に入って会った人にロゼの特徴を伝えて、見かけたかどうかを聞いた。だがどの人もロゼのことは知っていても、ここ数日で目撃してはいないと返した。それがアルをよりロゼ探しに固執させた。
授業が終われば何かに取り憑かれたように真っ直ぐ学校を出て、また会った人に聞いて回る。シーナはそれについていくので精一杯だった。アルは休み時間になると地図を広げてどこに行くかを考え始め、外に出ることはなかった。あれだけ友達と楽しそうに遊んでいたかつてのアルの姿は、もうそこにはなかった。
やがてアルのその様子は、先生たちにも知られるようになり、それを問題にする先生も出てきた。小学生でそんなに勉強に身が入っていないなんて論外だ、と。一人の女子大学生が突然行方不明になったということはすぐに街の人たちに知れ渡り、それは先生たちも同じだった。だが小学生が探して見つかるような話ではないというのも、先生たちの共通認識だった。誰かが話したのか警察が既に動いて、誘拐の可能性も視野に捜索に当たっていた。だから警察に任せて、もうアルは学校に集中させた方がいいと結論されて、アルにもそのことが伝えられた。
「......無理です」
「無理じゃない、先生の話ぐらい聞け」
「ロゼは、警察に任せていられるほどの存在じゃありません。確かに警察の人がたくさん動いて探してくれるなら、いずれ見つかるかもしれません。だけど、それじゃ遅すぎるって、思うんです」
「......とにかく、君はまだ小学生なんだ。以後夜遅くまで自分で捜索していることが分かったら、これぐらいの注意では済まないと思ってほしい」
「......。」
自分はロゼが一刻も早く見つかってほしくて、やっているだけなのだ。それの何が悪いのか。ロゼが見つかってほしくないのか、見つかったら何か悪いことが起こるとでも言うのか。先生はじめ大人に対する不信感が、アルの中で大きく沸き起こった。それでも先生の脅しのようなその言葉に、まだ小学生であるアルは屈するしかなかった。逆らえばどうなるか分からないのは確かだった。
探しに行くのを禁止されてしまい、すごすごと帰る家にはロゼはいない。アルの元気はますますなくなるばかりだった。おじさんも娘がいなくなったことなど一度もなかったので、顔にこそ表さなかったが不安でいっぱいだった。晩ご飯を作るのもおじさんがしなければならなくなったが、手元がよく狂った。それでも何とか作って、ご飯を食べる時はなるべく明るい話を持ちかけるように務めた。そのおじさんの努力もむなしかった。ロゼには遠く及ばなかった。
いつしか街中の木たちも木の葉を落として、気温が下がり始めた。この街は冬になれば雪がしっかり降って、足を取られるぐらいには積もる。そうなればどこかの家にでもかくまわれていない限り、生存率は下がる一方だった。そんな、ある日だった。
『ここ最近この街で、行方不明事件が頻発している』
それは少し前から起きていたことだったが、だんだん頻度が高まって、大きな問題になっていた。......ちょうど、ロゼがいなくなってから増えたと言う人が出てきた。さらには直近の事件に関しては、実際に何者かが連れ去って森に逃げてゆく瞬間を目撃したという証言まで出てきた。
「......ロゼ」
そんな保証はないことばかりだ。だが、ロゼがきっと関係しているんだということが、アルの頭に浮かんだ。先生たち大人の忠告を無視して、アルは雪が降りしきる中、無謀にもロゼを探しに出た。
「今度は、大丈夫」
人を連れ去って森に消えていったという証言があるのだ。いくつあるかも分からない建物を探し回るよりずっと楽だとアルは思い、道があるかどうかも分からない森の中に飛び込んだ。
入ってからだった。
「............!!!!」
大人でさえ入れば最後抜け出すことが難しいと言われる樹海だった。数分も歩けば、自分の入ってきたところを確認できなくなった。いよいよ後戻りができなくなったと、アルは少し後ろを振り返ってからさらに奥に進んだ。
森の中は、街中よりずっと雪が深かった。森があるところだけ、全く違う雪国にでも来たような心持ちだった。だんだん足を取られ、足取りが重くなってゆく。
「ガガガガッッ、ガッッ............ガアアアアッ」
猛獣の叫び声のような声が聞こえた。アルのすぐ近くから聞こえているようだった。
「ガアァァアアアァッッ、グゥゥッッ、ガアアアアッッ!!!!」
その声はだんだん近づいてくる。アルは逃げるべきだった。ロゼを探し当てる前に自分が死んでしまう。だが森を抜けるだろう方向に、足は動かなかった。それどころかその叫び声のする方へ、足は動いてゆく。
「ガ、......ガガガァァアッッ」
やがて目の前に、何かの影が見えた。それからその叫び声が発せられているのは明らかだった。
そのタイミングでも、アルには十分逃げる時間はあった。それでもその選択肢を選ぶことはなかった。そこからさらに進んで、吹雪によって見えていなかったその姿が、見えた。
「ロ、」
髪は乱れていたが、忘れもしない、きれいなその紫の髪は変わっていなかった。瞳も、片方は髪の毛と同じ、宝石のような紫色だった。それだけで、もうアルには断定できた。
「ロゼ............!!!!」
「ガウウウッッ、ガルルルルルッッッッ............!!!!」
それはアルを認識するなり、また叫び声をあげて襲いかかってきた。アルをアルとしては認識していなかった。
「ロゼ!ロゼ、ロゼ......!!」
それを否定するかのように、アルは何度もその名前を呼んで近づいていった。たとえ目の前にいるのがロゼじゃなかったとしても、ただの幻想に過ぎず、本当は森に潜んでいる凶悪な肉食動物だったとしても、それでよかった。その時のアルにはロゼに見えたから、それでよかったのだ。
「ねえ、......ロゼ!!!!」
距離はあっという間に縮まる。いよいよぶつかるというところまで来て、不意にアルの視界が歪んだ。それまで自信を持ってロゼだと認識していたその姿が、ほんの一瞬、ただの猛獣になった。ただ自分を襲って食べようとする怪物に、一瞬でも見えてしまった。
それでもアルは信じることをやめなかった。
「ロゼ!!!!」
そう叫んで、それにぶつかった。
鈍い音がして、アルは弾き飛ばされて雪に少し埋もれた。顔に乗っかった冷たい雪で薄れかけた意識が戻って、慌てて起き上がった。
そこにはぶつかったそれの姿がまだあった。
それはアルの方をじっと見つめていた。叫ぶこともなかった。
くらんだアルの視界は再びくっきりしたものに戻った。そこにいたのは、どこからどう見てもロゼだった。
「ロゼ............」
アルはそのロゼに向かって、ゆっくりと近づいていく。靴は脱げていた。裸足だったが、足の冷たさも忘れて、歩いた。歩いたが数歩行ったところで足に力が入らなくなり、アルは倒れ込んだ。足が動かなかった。凍傷か何かを起こしているのだろう、今度こそどれだけ踏ん張っても、足は言うことを聞かなかった。それでもやっとのことで体を起こすと、すぐ目の前に、ロゼがいた。アルと同じような覚束ない足取りで向かってきた。ちょうどアルの目の前でバランスを崩して、まっすぐアルに倒れ込んだ。
「......ロゼ?」
「............ごめん、ね」
「え?」
「ごめんね............?」
そんな状態にまでなっても、ロゼの口から出てきたのはごめんね、の一言だった。
「ロゼ......」
「てが、み......見て、くれた?」
「うん......」
「ずっと、......探してくれたの?」
「......うん」
「私......体が......」
ロゼの片目は、手紙に書いていた通りになっていた。透き通るようなその色の面影はもうそこにはなかった。濁った灰色と、緑色の混ざった色をしていた。見る者を、不気味にさせる色だった。その色を目の当たりにしても、怖気づかないのはアルだけだと、言えた。
「ずっと、私......森の中で、いて、......たくさんの人を襲って......体が勝手に動いて、気がつけばまた人殺しをして......もう、いや......」
「大丈夫、心配ないよ」
それはアルが悲しいことや、悔しいことがあってそれをロゼに言った時に、ロゼが必ずかけてくれた言葉だった。そんな心配はすぐ過ぎ去って、きっと何か、いい解決法が見つかる。それが最善の方法かどうかは分からない。でもその言葉で不思議と、アルは気持ちが落ち着いた。
「アル......」
「ロゼには、......化け物が、取り憑いたんだよ。みんな分かってくれる。ロゼが、そんなことする人じゃないって......」
「アル......ありがとう」
「......だから、帰ろう?おじさんも、みんなも、待ってるから......」
「見つけたぞ!!こっちだ!!!!」
不意にアルのものでも、ロゼのものでもない声がした。野太い男の人の声だった。
「そいつを離せ!!」
男の人はライフル銃の先を、ロゼに向けた。
「ダメ!!ロゼは......」
「何言ってる!そいつは大きな熊だ、とっとと離れねえと死ぬぞ!!」
ぞろぞろと、その男の人の仲間もやってきた。みな男の人の猟師仲間のようだった。
「ロゼは、熊なんかじゃ、」
「やめて!!」
ロゼが渾身の力を込めて、そう叫んで、アルの前に立ってかばった。
それが裏目に出た。
「ダメだあの大熊、人間数人じゃ動じもしねえ、......」
「......撃て」
「だがあの男の子が」
「撃てええぇぇぇぇっっっ!!!!」
男の人の仲間がそう叫ぶと同時に、あたりに轟音が響き渡り、いくつもの銃から弾が放たれ、
そのどれもが、真っ直ぐにロゼを貫いた。
おそらく、最初に貫いた一発で、一気に瀕死まで陥っていただろう。だが人間は容赦がなかった。例え瀕死でも、確実に仕留めて、微動さえ許さないところまで撃ち込んで、初めて成功とするのだ。
ロゼのお腹には、どす黒い染みができていた。それがみるみるうちに広がってゆく。ロゼは今度こそ体のバランスを失って、そっと、アルの方へ倒れ込んだ。
「ロゼ、............ロゼっっ」
「ううん、......」
「ロゼっっっっっ!!!!」
「泣かないで......」
「ロゼ......っ!」
「......アル?」
「ロゼ、......」
「アルは、泣いちゃ、ダメ」
「ロゼ......」
「アルが泣いてるところは、見たくないかな......」
「だって、っ」
「私は、大丈夫、だから」
「大丈夫じゃないよ!!!!」
「私、ね?」
「大丈夫じゃ......!!」
「私ね、アルといられて、すごく、楽しかった......嫌、だよね、こんな、お別れの仕方......」
「ロゼ......しっかり、してよ......」
「アル......」
ロゼの声は、一文字つぶやくごとにか弱くなってゆく。
「アル、......ありがとう、ね?私、すごく、楽しかった......それは、絶対に後悔、してないから」
「ねえロゼ!!そんなこと言わ......」
「アルなら、......私がいなくても、いい子にしていられるよね?」
「ロゼがいないなんて、嫌だよ............!!」
「わがまま言っちゃ、ダメでしょ......?それに、あの人たちは、責めないであげて?」
「どうして!!だってあの人たちはロゼを......っ!!」
「仕方、ないわ」
「仕方ないって、」
「私ね、何か、変な薬でも飲まされちゃったのかな。もうたぶん、普通の世界では生きていけない。人を見ちゃったら、どれだけ私の中で思いとどまりたくても、できなくなってるの。今はこうやって、アルに会えたから、私はロゼになってるよ。だけど、もしアルのことを、忘れちゃうほどに悪化したら?私はアルだって分かる前に襲うかもしれない。襲って殺してはじめて、アルだったって気づくかもしれない。それは、嫌でしょ?アルも嫌だし、私も嫌。もしかすると私、もう、ロゼじゃないかもしれない。ロゼっていう女の子に似た、ただの怪物なのかもしれない......だから、......だから、せめて、アルに、ロゼだよって、分かってもらえるうちに死ねて、幸せ」
「ロゼ、......」
「お父さんにも、......よろしくね?」
「ロゼ!!!!」
「さよなら、アル......元気でね」
「ロ............」
ぷつん、と、その場に音が響いた気がした。
アルの肩にもたれていたロゼの体から、急に力が抜けた。
そこには、あたたかみがあった。体のぬくもりが。それが、すぐに冷たくなっていった。
それがアルの頭に理解されるまで、少しの時を要した。そしてやがてそのことが、伝わって、視界と、脳内の情報が一致した。
「ああっ、......あ、あ、ああ、あああ、ああああああああああっっっっっ」




