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現世【うつしよ】の鎮魂歌  作者: 奈良ひさぎ
Chapter9.ル・シェドノワール・アラルクシェ・アルカロンド 編

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#85 『少年は、突然にして周りが見えなくなる』

 その日とて、何も変わらない1日のはずだった。強いて言うならアルの苦手な算数のテストがあっただけで、いつものように勉強して、休み時間は鬼ごっこやら遊具やらで活発に遊び、みんなでがやがやしゃべりながら商店街を通って行く。うるせえ!注文が聞こえねえだろうが‼︎と怒鳴る店の人がとっ捕まえようとするのからわーきゃー言いながら逃げる、そんないつもの1日になるはずだった。


 変わったのは、お昼休みからだった。


「......アル!」


 登校中以外ではまず会うことのなくなっていたシーナが、息を切らしてアルのクラスの教室の前に立っていた。会うことがないだけにアルは驚いた。


「......ロゼさんが......‼︎」


 小学校に入ってからもシーナはパン屋さんに来ており、すっかりロゼとも親しく話す仲になっていた。そのロゼが、おかしいのだと、シーナは言った。いつも落ち着いているように見えるシーナからすれば、異常だということはすぐに見て取れた。

 シーナとともにアルは学校の外へ出ようとした。校門には警備員さんが立っていたが手短に事情を説明して飛び出し、商店街を走って突き抜けてゆく。

 歩いて十数分のところにアルの家となっているパン屋さんはある。おばさんたちが談笑しながらパンを選んでいるところを潜り抜けて奥に入り、ノックもせずロゼの部屋に入る。


「ロゼ!!!!」


 その日は講義がたくさんあって、お昼時にはロゼは帰ってこないことをアルは知っていた。だからベッドにロゼがシーツをかぶって寝転がっていたのを見た時、安心するとともに少し不安を覚えた。


「アル、シーナちゃん......」


 ロゼの声はいたって普通に聞こえた。


「ロゼ、調子が悪いって......」

「ううん、大丈夫。少し熱が出て身体が重いから、大事をとって授業を休んでるだけ。心配ないよ」

「でも......」

「それより今は昼休み?小学校を抜け出しちゃダメじゃない。早く戻って、みんなもきっと心配するだろうし」

「......うん」


 アルは口に出しているよりもっと心配で、本当はこのまま学校にも早退すると連絡してロゼのそばにいたかったのだが、ロゼの方がそれを許す気配ではなかった。何度も心配ないから、すぐ治るし、と繰り返して、アルとシーナを部屋から追い出した。アルがしぶしぶ出た後、何度かロゼの方をシーナは見て、それからアルについて部屋を出た。



「......いいの」

「よくないよ!」

「......。」

「ロゼがあんなことになるなんて一度もなかった!風邪だって引いたことがないって自慢してたのに!」

「......私はここに残る」

「え......?」

「私はここにいても、きっと気づかない人が多い。私、いつも一人だから。でもアルは違う。いつもみんなに囲まれてるから、いなくなったらすぐ分かる。だからロゼさんのことは私に任せて、戻ってて」

「......。」

「私の言ってること、聞いてほしい」

「............うん」


 アルはシーナにも追い討ちをかけられたようで不服だったが、シーナの言っていることは事実だった。警備員さんにざっと説明しているとはいえ、いなくなれば騒ぎ立てられるのは確実にアルの方だ。アルはシーナと別れて、学校に戻った。



 だがそれは序章に過ぎなかった。



 シーナはパン屋さんの近くのどこかに隠れつつ、ロゼの様子をうかがってくれているはずだった。もし帰ってきてロゼが何も言わなければ、ロゼに特に変わった様子もないし、シーナのこともバレていない、となるはずだった。

 アルは学校の時間が終わるや否や学校を飛び出し、家の近くまで走ってきた。シーナはパン屋さんの隣にある建物の屋上からロゼの部屋をのぞいていた。ロゼの部屋からは分かりにくい位置だが、屋上からならぼんやりと見える。ただしフェンスを乗り越える必要がある。地上からはすぐにその姿を見つけられた。アルは同じ屋上に行き、シーナに声をかけた。


「......どう?」

「どうって?」

「ロゼの調子は......」

「ここから見る限りじゃ、大丈夫そう。ベッドに入ってはいるけど、特に調子が悪いわけではなさそう」


 いつの間にかシーナはリュックサックも横に構え、ロゼのことを見守っていた。

 もう学校から帰ってきてもおかしくない時間だったので、いたって平静を装って2人は中に入った。


「ただいま~」

「おう、アルか」


 おじさんもロゼから大丈夫だという話を聞いているのか、特にそれ以上のことを言わなかった。2階に上って、アルは自分の部屋ではなく、ロゼの部屋に入る。


「ロゼ?」


 返事はなかった。


「......アル」


 シーナが静かに言った。


「............!!」


 ロゼのベッドに、膨らみがなかった。そこに、ロゼはいなかった。


「......じゃあ、あれは」


 確かに、そこにロゼの姿はあったのだ。窓からしっかりそれを確認していたので、間違いはないはずだった。そう思い、ロゼがベッドを確認すると、


「......嘘」


 そこにはロゼの寝顔をかたどった板があるのみだった。いかにも子どもだまし、少し近づいて見ればすぐに偽物だと分かるような代物だった。窓から見ていたから、気づけなかったというのか。あるいはそのことさえ見抜いて、あえてこんな方法をとったのか。どちらにせよそこに本物のロゼの姿はなかった。


「シーナ......」


 アルがロゼの机の上に、手紙が置いてあるのを見つけた。


「......開けて」

「うん」


 外観とは対照的に、すごく長い手紙が中から出てきた。



* * *



 アルへ


 たぶん、アルはこの手紙を学校から帰ってきて見てると思う。あるいは、私がいなくなってすぐに見てるかもしれない。

 最初に言っておきます。こんな手紙一つだけ残してここを出て行くことになってしまったのを、許してください。私は別にアルが嫌いになっちゃったとか、お父さんとケンカして居づらくなったとか、そんなことは全然ない。だけど、本当にごめんなさい。

 思えばアルと出会ってから、私たち家族はすごく楽しい時間が過ごせました。私がすごく小さい頃にお母さんはいなくなったから、お父さんは私みたいな手のかかる娘を一生懸命育てるので、手一杯だって感じてたはず。私もだいぶ大きくなって、いよいよそんな心配もなくなるっていう頃に、アルがやって来た。もしかしたらその頃のお父さんはアルをうっとうしく感じる言い方をしてたかもしれないけど、私もお父さんも、本当は決してそんなことなかった。少なくともアルが来たことですごくにぎやかになったし、楽しかった。でも、もうその日々が終わるってことを考えると、この手紙を書いたらそうなる気がして、書きたくなかった。でも、私はアルに、たくさん伝えたいことがある。だから、頑張って書きます。

 今日私は、アルにもシーナにも、大したことないから大丈夫だよ、って言いました。だけど、本当は全然そんなことなかった。熱なのか、熱じゃないのか、とにかく身体がふらふらして、それをかくすので必死でした。うそついて、ごめんなさい。なんでこんなことになったのかも分からない。言ったことがあるかもしれないけど、私はどんな病気もしたことがないし、風邪一つ引いたこともないです。だから私自身も、本当は私の身体に何が起こっているのか知りたかった。

 だけど、一つだけ、思い当たることがあるので、書きます。一度、早く帰れるはずの金曜日に遅く帰って来たのを覚えてるかな。その時はレポート書いてたら遅くなったって言ったんだけど、あれはうそでした。本当は、よく知らない人に誘われて、食事に行ったんです。その時たまたま一人で、テストの出来があまりよくなかったので、私に珍しくもやもやしてました。だからいつもなら絶対ついていかないのに、その時はついていってしまった。

 でも別に怪しいことをされた覚えはない。本当にご飯食べて、それからゆっくり近くを散歩して、夕方になって帰ってきただけです。その夜にちょっとだけ頭がくらっとして、ちょっと調子悪いかもって思ったこと以外、昨日まで何もおかしいことはなかった。

 今日は違ったの。この手紙を書く少し前のことです。ちょうど、アルとシーナちゃんが来てくれたすぐ後のこと。アルは、私の目の色、見てくれてるのかな。自分でもきれいだな、って思うくらいの紫色なんだけど、それが鏡を見たら、違っていたの。緑色だった。緑色って言っても透き通ったものからいろんな色が混ざった緑までいろいろあると思うけど、私の目の緑は、灰色が混ざったような、とてもきれいって言えない緑だった。それだけじゃなくて、私の手が何だか痛くなって、気がつけば私が今まで大事にしてたもの全て、アルに作ってもらった粘土の象も、私がずっと小さい頃から大事にしてきたぬいぐるみも、むちゃくちゃに壊してた。ふと気づいたの。このままじゃ、アルもこうやって、傷つけちゃうんじゃないかって。そんなことになる保証はもちろんなかったけど、その時はそういう気がしてならなかった。アルが私のせいで、ひどい目にあうのだけは耐えられなかった。だから、そうなる前に、ここを出て行くことにしました。お父さんにも、何も言っていません。だからもしお父さんが何か言ったら、このことを話してください。本当に、ごめんなさい。



 そして、私を探してください




* * *




 その手紙のそばには、いくつも牛乳びんが転がっていた。どれもロゼが飲み干した後のようだった。それも、普段のロゼからすればおかしいことだった。ロゼは牛乳があまり好きではなかった。全くもって嫌いというわけではないのだが、必ず何か、ココアなどをたくさん入れないと飲めなかった。それがその場には、何かを入れたという跡が一切なかった。さらにあちこちに乱雑に牛乳びんは転がっていた。床に当たったのか割れて、破片が飛び散っているものさえあった。いつものロゼがそんなことをする、あるいはそうなってそのまま放っておくはずがなかった。


「............。」

「......アル」

「......うん」


 シーナに言われなくても、分かっていた。

 アルもシーナも家を飛び出し、あてもなく街中を探し始めた。あのすれ違った人を振り向かせるような、見とれるほどにきれいな紫色の髪を目印に。

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