#84 『少年は、もう一人の少女と出会う』
死神と人間の成長スピードは、似ているようで似ていない。言葉が分かり出す時期とか、歩けるようになる時期も違うが、ロゼやおじさん、ジェムが予想できなかったほどのスピードでアルは成長していった。もちろんその間にパンの作り方をどんどん学んで、さすがにロゼやジェムほどではないがそれなりにできるようになっていた。起きている時間はほとんどジェムがつきっきりになってバターパン作りの特訓をした結果、バターパンを作らせればアルのものが一番おいしい、というレベルになった。
アルが「物心ついた」のは、このおじさんのパン屋さんでだ、と言っても過言ではなかった。さすがに何年もいればロゼやジェムとも滑らかに話すことができるようになっていた。
「今日はバターパンの日にするんだって、できるだけたくさん作ってね?」
「分かった!」
このパン屋さんの新しい顔として、アルはすっかり常連のお客さんにも認識されていた。新規のお客さんの中にも、アルのバターパン目当てに遠くの街からやってくる人もいた。おじさんもその腕を認めて、月に何度か「バターパンの日」としてほぼアルが主役の日を作ったほどだった。
「このバターパンってそう言えば、誰が作ってるのかしらね」
少し遠くから来た、あまり事情を知らない人がそう言ったのを聞きつけると、アルはうれしそうに飛び出していって僕だよ僕だよ!と必死のアピールをした。そうするとロゼやジェム、さらにはおじさんのうちその場にいる人が「この子なんですよ」とうちの子自慢、といった具合で説明してみせる。こんなに小さな子がこんなにおいしいものを作っている、ということで新規のお客さんも他のパンも、と常連化する。アルのおかげで、すっかりパン屋さんは繁盛していた。
あまりにバターパンが人気なのでアルがどれだけ頑張っても売り切れ必至となってしまい、ロゼも手伝うようになっていた。といっても食べ慣れて舌の肥えた常連客は、「今日はロゼちゃんのだね」とまで見抜かれてしまっていたのだが。
ただロゼと一緒にバターパンを作れるようになったことは、単純にアルにとってうれしいことだった。確かにたくさん作らなければならないので忙しいのだが、黙々と一人作らなければいけなかった今までと比べて、ロゼと一緒におしゃべりしながら作ることができた。おまけにどこから考えつくのか、ロゼはたくさん面白い話をしてくれた。学校であった何気ない、落ち着いて聞けば何それ、となるような話も、ロゼがすれば面白おかしくて仕方なかった。そのことをロゼに話すと、「じゃあ私、噺家さんになろうかなあ」と言ったこともあった。まんざらでもなさそうだった。
「そういえばアル、もうすぐ学校だね」
「うん」
「楽しーよ、学校は!って言ったら怒る人ももちろんいるけど、そういう子とは付き合わなければ、大丈夫」
「あの子は?」
「あの子?」
基本的にバターパン目当てに来るのはおじさんほどの大人か、あるいは家族連れだった。だが毎週金曜日の夕方、決まってふらっと店にやってきて、バターパンを抱えるほどに買い込んで満足そうに帰っていく少女がいた。お父さんもお母さんも見たことがなく、いつも彼女1人だった。そしてアルは、もしかするとあの子はだいたい自分と同じくらいの年なのではないか、と思っていた。彼女自身が話しているのを見たことがないので分からないのだ。
「ああ、あの薄桃色の髪の子?」
「うすもも......うん、たぶんそう。ピンク色......」
「やっぱり。あの子、なんだか不思議な感じするよね。背丈的には確かに、アルと同じくらいの年かも。今度会ったら私が話しかけてみるね」
「うん」
次に来た金曜日も、その女の子はふらっとやって来た。もう大学生になっていたロゼは金曜日は早く帰ってこられるらしく、その少女を見ていつも気になっていたようだった。
「いらっしゃいませ、今日も一人でおつかい?えらいね~」
「......。」
「今日もバターパン?」
その子は何も言わず、こくりとうなずいた。このパン屋さんに来たばかりのアルのようだった。
「はい、いつもの分だけね。えっと、お会計は、......」
「今日これ」
初めてその女の子がしゃべって、ロゼに紙切れを手渡した。
「ああ、これね。ここの商店街のスタンプカード。えらいね、集めてるんだ。で、今日全部たまったから、ここで使ってくれるの?」
また女の子がこくりとうなずいた。
「ありがとう、じゃあちょっと値引きして......」
バターパン2、3個分の値段が引かれた。女の子が初めて、少し笑った。
「ありがとう、お姉さん」
「いえいえ、こちらこそ。また来てね?」
「うん」
それだけ言って、女の子はいつものように山ほどのバターパンを抱えて、少しふらつきながら店を出て行った。
「あ!」
慌ててロゼが店を出て、女の子を呼び止めた。
「......?」
「えっと、あと一つ聞こうと思って。あなたは小学生?」
そう聞くと、女の子はかぶりを振って、
「今度から」
と言った。
「そうなんだ、じゃあうちのアルと一緒だね」
「アル?」
女の子が少し驚いた顔をした。
「そう、私の自慢の弟!今度からあなたと一緒で、小学校に行くことになってるの」
「......学校に行く時、ここで待っててもいい」
「待つ?アルと一緒に行ってくれるの?」
「うん」
「そっか、ありがとう!これからもよろしくね!」
それから大きなバッグをロゼは手渡した。
「これに入れていったら、少しは楽だと思うよ?」
「......いいの?」
「うん。もらっていいよ。今度から持ってきてくれるとうれしいな」
たくさんのバターパンを移し替えて、今度こそその女の子は店を出て行った。
「ねえアル、聞いて!アルと同い年なんだって、あの子!」
「ほんとに?」
「ええ、私がこの耳で聞いたわ。よかったわね、一緒に行く子ができて!」
「......うん!」
* * *
それからいくらか経って、アルもおじさんとロゼの買ってくれたリュックサックを背負って学校に行く日がやって来た。そして、近くの子がぞろぞろ鞄を背負ってぞろぞろと出てくる頃には、その女の子はパン屋さんの前で待っていた。
「......お待たせ」
「えっと......」
話している所をめったに見ないがゆえに、アルは戸惑った。
「行こう」
そんなアルを、女の子は手を引っ張って連れて行った。
おじさんのパン屋さんは、商店街のちょうど真ん中ほどに位置する。小学校に行くには、朝から海産物で繁盛する商店街の中央通りを通ってゆく必要があった。バターパンが人気を博して以来、あまり商店街の他の店を見て回ることがなかったアルはその光景に見とれていたが、それにも興味を示さない様子で女の子は進んでいく。あまりに周りに興味がなさそうな女の子に対して少しでも気を引いて引き留めようと、アルは話しかけた。
「ねえ、名前はなんて言うの?」
「......シーナ」
「シーナ?」
「シーナ・バットゥータ。あなたは?」
「アル」
「本名は?」
「えっと......」
さすがに本名を言える年にはなっていたが、そもそも本名を覚えていない頃にこちらに来ているので、言えなかった。
「......そう。分からないの」
「うん、ごめん......」
「......あなたが謝ることじゃないわ」
名前を聞くということさえ、彼女にとっては引き留める要因にはならないようだった。アルは子どもながら、しゃべりにくいな、と思っていた。
彼女、シーナにはもう一つ、不思議な点があった。アルの知らない形の機械を持って、何やら独り言のようなことをしゃべっていた。
「......はい」「......了」「......調査を進めます」
それが何を意味するのかは分からなかった。触れてはいけないような気がした。実際何してるの、と一度聞いたのだが、にらまれてついに何も言われることがなかった。
とは言え、アルにとってシーナが、小学校でできた最初の友達であったことに変わりはなかった。他にもアルのバターパンの存在を知っている子が多く、アルが少し「あそぼ」と言えば、すぐに認識されて、輪の中に入れてもらえるほどの知名度だった。
対してシーナは登校中は毎日アルと一緒に行ってくれるものの、学校ではあまり関わってこようとはしなかった。1年生なのにあまり外で遊ぶのを好まず、教室で本を読んでみたり、例の機械をいじっていたり、およそ1年生らしくなかった。その様子はずっと続いて、友だちもあまりいなさそうであった。アルは少しはその様子を気にしていたが、次々に友達が遊ぼう!と誘ってくれるし、何より本人はそれで悲しそうにしているわけではなかった。学年が上がって、シーナと違うクラスになってしまったことも、気にしなくなったのを手伝った。
小学校の低学年ならもしかするとあまり成績を気にするような年頃ではないのかもしれないが、アルはまさに中間、可もなく不可もないというテストの点数だった。対してシーナは成績に関してはどの教科も申し分なかった。
アルとシーナとの距離は近づきながら離れていく。そんな感覚だった。
小学校生活も、半分を過ぎて少し経つ頃までは。




