#83 『少年は、その日を境に家族になる』
本来なら次の日は普通にお店が開くので、アルは彼なりに仕事というものを教えてもらうつもりでいたのだが、どうやらロゼの言う「学校」が始まったようで、時間が取れなかった。かと言っておじさんは仕事を教えられる暇もなく、またロゼという保護者がいないと不安らしく、奥にいるようにアルに言った。
「アルもね、あといくらかしたら学校に行くのよ」
もちろん彼は学校など行く前に冥界を抜け出してきたので、どんなものか想像もつかなかった。そもそも自分の年齢も、現世で何歳に相当するかも分からないのだ。
5日学校に行くとその後の2日は学校がないらしく、「今日はお店できるね!」とその日ロゼは張り切っていた。インフルエンザでダウンしたジェムという人もその日から復帰するということだった。
「......でもお父さん?」
「何だ」
「アルにパンを作るのは難しいわ、きっと」
「ちょうどな、ぼちぼち復活させてもいいかと思っていたパンがあるんだ。俺は凝ってるやつの方が好きだから一旦やめたんだが、バターパンならちょっとやり方を覚えればできると思うぞ。とりあえずやり方を一通り教えてから、ジェムに交代だ。ロゼ、お前は久しぶりだし、呼び込みを主にやってほしい」
「オッケー、ジェムの方が手先器用だもんね」
「おはよーございまーす」
伸びた声が響き渡った。
「お、来たな、ジェム。ったく、インフルエンザなんかでぶっ倒れやがって」
「なんかじゃないっすよおじさん、めちゃくちゃしんどかったんすから」
「どうだった長い春休みはよ」
「最後のインフルエンザで台無しみたいなもんっすよ。正直今年1年分のしんどさ味わったっす」
「普段はお前、ぴんぴんしてるんだがな」
「さすがにインフルエンザには負けるっすよ」
アルに対して結構怖い顔をしていたおじさんは、そのジェムという人とはものすごく親しく話していた。かなりお気に入りのようだった。
「それでだジェム、早速だが仕事がある」
おじさんがそう言ってアルの肩をぽんぽん、と叩いた。
「こいつのしつけだ」
「......誰すかこの子?」
「ついこの間からうちに居候することになったアルだ。ほれ」
自分から自己紹介するようにアルは促されたが、「あう......」と口をついて出てきただけで何も言えなかった。しばらく沈黙が流れた後、おじさんがため息をついた。それをなだめるようにして、
「男の子っすか?でもそれにしちゃおとなしいっすね」
「そうだろ?これでこいつがその辺のわんぱく坊主と一緒だったらどうしようもなかったけどな。ロゼは呼び込みに回すから、お前に頼みたいんだ」
「了解っす」
* * *
ジェムはアルを連れてロッカーの前まで来て、自分が着替えるとともにアルを着替えさせた。
「おお!いっちょまえだ!お前、結構いい服買ってもらってるぞ」
もちろんアルにはそんなことは分からない。
「......で、具体的には何をするんすか」
「最初に1通りバターパンの作り方をロゼが教えるから、お前はアルを手伝ってやってくれ」
「なるほど」
早速3人は作業場に入った。
「シンプルって言っても、お父さんのパンと並べようと思うと結構時間かかると思うんだけどな......」
そう言いつつも、ロゼは作り方を丁寧に教えた。ジェムに向けて、という意味も込めている。最悪ジェムが理解すれば後の細かいところはジェムからアルに教えればいい話なので、ジェムが分かった、という顔をするとロゼは作業場を出て行った。
それからはジェムはアルと二人きりで生地の前に立ち、せっせとバターパンを作る時間になった。
「ふぐっ、......ふぐっ」
男の子とは言えまだアルはそこまで力は強くない。台の上に上ってパン生地をこねるのも一苦労だった。それに見かねたのか、
「あのな、パン生地ってのはもっとこうやって、思いっきり......」
ジェムが横から手を出して、パン生地をこねた。アルは突然横から手が伸びてきたことに少し驚いた様子を見せたが、しばらくジェムが頑張って力を入れている様子を見ていた。
「まあ、ちょっと力いるから、お前には無理かもな。......んー、何ができるんだろう」
とジェムは言うだけ言って、すぐにあ、とつぶやいた。
「1個ずつにちぎって丸めるのならできそうだよな。やってみるか」
うんうん、とアルはうなずいた。
本来なら売り物なのでサイズをそろえないといけないのだが、あいにく作り方を先ほど教えてもらったばかりのアルにそんな余裕はなかった。
そしてこれはジェムの若干の遊び心で、全て丸にしなくても好きな形を作っていい、とアルに言ったので、その時ぱっと思いついた形を作って、楽しみながらアルはパンを作っていた。
「そういえばさ」
不意にジェムがアルに言った。
「......?」
「お前確か、居候って言ってたよな」
「いそうろう?」
「ああ、要するにロゼちゃんとかおじさんと血がつながってないってことだよ。......あ、なんかこれでも分かりづらい気がしてきた」
「ロゼは......」
「おいおい、もうそんな仲なの?」
「ロゼは、すごい」
「すごい?」
「うみ、みせてくれたんだ」
「海?ああ、ちょっと歩いたところにある?確かにあれはきれいだな。オレもこの街に来て最初に見たのが海だったから」
「どこから、きたの?」
「どこから、って......まあ、近くもなく遠くもないってところかな。オレ、大学生でさ。この街にある大学に通うために一人で来たんだ」
「だいがくせい?」
「ロゼよりもお兄ちゃんだ」
「お兄ちゃん?ジェム、お兄ちゃん」
「おお、なんかくすぐったい感じ。でもやっぱりいいな、気分」
「......?」
「あ、そう、オレ、大学卒業したら保育士さんになりたいな、って思ってるんだ。子どもと戯れるのが楽しくてさ。この辺りに住んでる子たちはわんぱくな子が多くておじさんは嫌がってるけど、わんぱくな子の面倒を見るのも楽しくて。だからせっかくならそれが活かせる仕事にしたいな、って思って」
ジェムが夢中で自分の話をしていた。アルが聞いたこともないような難しい言葉が出てきた。
「ほいくし」
「そう、保育士。オレの中では、一番誇れる仕事。みんな子どもが好きで、自分の子どもがたくさんいるような気分になって、すごく楽しんで仕事ができるって、オレは思ってる」
「へえ......」
そのジェムという人は、本当に子どもが好き、というのが伝わった。この時その感情をなんと表すのかはアルには分からなかった。だが、大人がやりがちなように上からものを言うのではなく、同じ目線になってみることが大事だと、常日頃からジェムは思っていた。
「それで、できればこの街から離れたくない。親も昔は地元に残れ、って言ってたけど、この街はちょっと反則過ぎる。この街で暮らし始めてもう3年くらいになるけど、こんなに綺麗な街並みと暮らしやすさがあるところって、オレは他に知らない。保育士になるのも、ここでなってここで暮らしていたい」
ロゼと同じようなことを言ってるんだな、とアルはなんとなく感じた。自分の暮らしている街にはよほどのことがない限り愛着がある、という人は多いだろう。だがこれだけ堂々とその愛着が語られるような街は、きっとものすごくいいところで、誇らしいところなのだ。
それに対してアルはどうだろうか。彼にはまだしっかりと、家の外で一緒に遊んでくれていた女の子のことが記憶にあった。でもその記憶は彼のまだ少ない記憶の中の、ほんの一部分でしかなかった。彼の記憶のほとんどは、戦争から守るためだとかなんとか言って、子どもである彼がもともと牢屋として使われていたところに放り込まれ、退屈な日々を強要されたことだった。その期間さえ戦争の続いていた時間からすればほんの短いものだったのに、それが彼にはとても長く感じられた。いつも時計を見て、戦いが少し落ち着く夜になるのを待ち遠しくしていたのを覚えている。
だが夜はそう長くは続かない。夜には寝ている時間も含まれる。だから結局楽しいな、まだマシだな、と思える時間は少なくて、そうなると牢屋の中にいる時間そのものがつまらないように感じる。
だから、出てきた。彼には自由に人を洗脳できる能力を持つ友達がいたから、出てくるのは簡単だった。でも理由はそれだけだ。そんなたいそうな理由があったんじゃなくて、ただつまらないから、だった。それだけにみんなが暮らせてよかった、と言っている街にたどり着けて、彼は幸せなのかもしれない。
「お前もそのうちそう思うようになるさ。どうせここにずっとお世話になるんだろ?オレはそのうち大学を卒業して、このパン屋さんもやめることになるだろうけど、お前は少なくともこの先何年も、ここに居続ける」
「うん」
「......そうだ、こんな独創的な形のパンを次から次へと作るお前の名前を聞いとかなきゃな」
確かにジェムは丸い形のパンを作る必要はない、と言ったが、アルの作ったものは正直焼くと崩れて意味がなくなるんじゃないか、といった変な形のパンだった。アルぐらいの年の子でそんなことを言えばそうなるのはうすうす分かっていたが、それにしても独創的過ぎた。
「......アル」
「そっかアルな。本名は言わないんだな」
「その......」
「覚えてないんだって。私が聞いた時も、あんまり聞き取れなくて、その『アル』っていうのだけがちゃんと聞き取れたから、そう呼ぶことにしたの」
「へえ......まあ、いい名前だしいいや。よろしくな、アル」
ジェムが手を差し出し、アルに握手を求めた。何だかよく分からなかったが、反射でその手を握った。そこにちょっと用があったのか作業場に入ってきていたロゼが手を重ねて、
「ようしそれじゃ、みんなでもっと、人気のパン屋さんにするわよ!」
と叫んだのでアルもジェムも黙っているわけにはいかず、
「お、おぉーっ!!」
と呼応して、
「せーの!」
ロゼが思い切り手を上にあげたので、慌てて2人も数秒遅れて手を高く上げた。
「......もしかしてそういうことじゃなかった?」
「違った」
「そっか......でもいいや、とりあえずこれからもアル、よろしくってことで」
おいロゼ!店番をさぼるな!!というおじさんの怒鳴り声が聞こえたので、ロゼはそう言って急いで表の方へ戻っていった。
「......まあとりあえず焼いてみよう、出せたらそれでいいし、出せなくてもオレたちが食えばいい話だし」
ニコッ、とジェムがアルに笑いかけた。ロゼのような、人を安心させるような笑顔だった。
* * *
「......まあ、味はいいから、とりあえずよしとするか」
結局形がバラバラなのはいいとしても、小さくて商品にできないものが多すぎて、今回はひとまず保留になった。
「おいしい」
味自体には何の問題もなく、アル自身もそのバターパンの味を気に入った。
「まあ、悪くないな。あとはうまいこと形が出来ればいいんだが」
「オレがここを卒業するまでの商品化を目指します」
「長い!?」
「まあオレが卒業してもふらっと来たりすると思うし。何より、こいつ―――アルの成長がすごく楽しみ」
「ジェムもそう思うの?」
「まあな。......というか、これをきっかけにオレにちゃんとですますつけたら?どっちが年上かとか分からなくなるだろうし」
「いや。というより無理」
「無理じゃねえよ、何とかしろよ」
「何とかならないよ、ずっとジェムとこうやって話してきたのに。それに最初にくすぐったいからやめて、って言ったのはジェムだし」
「うっ......」
「まあいいじゃねえか、俺にとっちゃロゼはもちろん、ジェムもアルもすっかり家族だよ。アルはもうちょっとしゃんとしてもらわねえと困るけどな。家族でですます使うのは王様だけで十分だ」
「ほら、お父さんも言ってるし!」
「......しゃーねーな」
それはみんな、アルも含めて笑ってたわいもない話をしている場面だった。アルの記憶にも、確実に『楽しい記憶』として、刻まれていった。




