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現世【うつしよ】の鎮魂歌  作者: 奈良ひさぎ
Chapter9.ル・シェドノワール・アラルクシェ・アルカロンド 編

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#82 『少年は、その少女のことをより知ることになる』

 次の日。パン屋さんはどうやら休みのようで、昨日の様子とは打って変わっておじさんは穏やかだった。


「あのボロボロの外套じゃおちおち外にも出れん。今日はお前の分の服を買いに行く。俺にも情ってもんぐらいはある、放り出すのはさすがにかわいそうだと思った」

「ふふっ、今日はお父さん、すごく素直」

「母さんみたいなことを言うな、お前は。ウチに置いてやるのは置いてやるがきっちり働いてもらう。制服もないからロゼのやつの予備でも着せてやろうと思ったが」

「えーっ⁉︎」

「......それもさすがにかわいそうだと思ったから、制服も仕立ててもらう。その代わりロゼ、お前はどうもこいつのことを気に入ってるらしいな」

「だって弟ができたみたいでかわいいもの」

「じゃあ決まりだ、店のことはお前が教えろ」

「私が?」

「俺にあいにくそんな暇はないからな。ロゼの方がちゃんと教えるのに向いてるはずだ」

「別に教えるのは歓迎だけど、そんなに慣れてないし、それに......」

「最近お前は手伝いに入ってないからな。だから勘取り戻してもらうためにきっちり入ってもらう。ジェムが昨日からインフルエンザにかかったらしくてな、ちょうど空きがある」

「ありゃりゃ」

「受験の年なら別だがあいにく1年後だからな。よろしく頼むぞ」


 その間アルは朝ごはんのスクランブルエッグをむぐむぐと食べていた。一応ロゼとおじさんの二人の会話は聞いていたが、そこまで真剣ではない。


「それでだロゼ、今日の買いもんにはお前も来てもらう。こいつにどんな服が合うかよく分からんからな」

「私も男の子の服なんてそんなに分からないよ」

「そんなにこだわる必要はないだろう、要はちゃんと清潔感のある服を着ておくのが重要だ、仮にも店で働くならな」

「でもね......そうだ、アルはどうするの?1人にするつもり?」

「何言ってんだ、連れて行くぞ」

「じゃあ今日着せる服は?」



* * *



「......。」

「えー......」


 まさかそう来るとは思わなかった、といった思いを乗せてロゼはため息をついた。

 ロゼは父親について、服屋の並ぶ商店街に来ていた。一言に服屋と言ってもそのターゲットは大人から子どもまで幅広く、若者からおじいちゃんやおばあちゃんまで、様々な人でごったがえしていた。その雰囲気が苦手なのか、アルはずっとロゼの服の裾をつかんで彼女の陰に隠れ、周りを慎重にうかがっていた。だが、問題なのはそこではない。


「......いくらなんでもこれは、どうなの」


 ロゼにはきょうだいはいない。母親はロゼが小さい頃に病気で亡くなってしまい、今は父親と2人暮らし。当然子どもの男の子に着せる服などない。父親の小さい頃の服などあるはずもなく、彼にぴったり合う服といえばそれこそ前の日に着ていたボロボロの服ぐらいだ。だがそれを理由に1人で家に置いておくのは何か違う気がする。そこで父親がとった策は、ロゼのお下がりをアルに着せるということ。彼はさすがにそう来るとは思っていなかったらしく、父親に呼ばれ、あれよあれよという間に服を着せられていた。そして残念なことに、特にそれ以上の細工をしなくても、アルが女の子に見えてしまっていた。ちょっとボーイッシュめか、あるいはそれより女の子らしいかといったところで、ロゼも驚きを隠しきれなかった。これならもしかして服買わなくても大丈夫かも、と思いかけた自分を慌てて否定した。アルが何も言わずにいることも大きかった。だが、


ぐいぐいっ


 不意にロゼの服の裾をアルが引っ張ったので、ロゼがアルの方を振り向いた。


「だいじょうぶ?」


 一瞬、自分がちゃんと女の子に見えているかどうか大丈夫?ということなのか、あるいはこのまま男の子用の服を買ってくれるよね、大丈夫?という意味なのかロゼは分かりかねたが、後者であることを祈って、


「うん、大丈夫。私が気をつける」


 そう答えた。それに安心したのかアルは微笑んで、かと思うとまた少しおびえたような顔に戻り、周りの様子をうかがい始めた。その微笑みはもう、完全に少女のそれだった。

 ちなみにロゼはこの近くではそこそこ有名な女の子だ。普段は街の普通のパン屋さんの娘であるだけだが、歌がうまく、街の合唱団に所属していたこともあった。そこでも歌がうまいと言われ、街を飛び出して全国のコンテストなんかにも出たりしている。それから数年経って店が忙しくなってしまって一度やめて、落ち着いた時にもう一度やろうとしたがブランクがあったのは大きく、みんなと同じくらいか、あるいはそれより下手なぐらいにまで実力が落ちていた。なのでそこで踏ん切りがついてやめて、今は学業に専念している。


 そんな彼女が妹ほどに幼い女の子(に見える子)を連れて街を歩いていれば、注目を浴びるのは必至だった。幸い同級生に出くわすことはなく聞かれることはなかったが。

 あともう一つ困ることがあった。男の子の服など分からない、というのもそうだが、男の子の服を売っているところに入ること自体に勇気が要った。逆のパターン、つまり男の子が女の子の服屋さんに入るのよりはいくらかマシだろうが、それでも「ここにいてはいけない感」がすごかった。


「何着ぐらい買うつもりなの?」

「まあ1週間分ってところか。どうせ長いんだろう、ならいずれ学校にも行かせてやらんとな。そしたら1週間分ぐらいはないと困るだろ」

「なんだかんだ言って、お父さんも嬉しいんじゃない?にぎやかになって」

「誰がだ、お前だけで十分すぎるくらいだぞ」

「でも私が遠くの大学に行ったりしたら、お父さん1人になるのよ?」

「......。」

「ごめんごめん、でもアルはこの歳の男の子にしたら、おとなしい方だと思うんだけど」

「それは、そうだな。近くのガキどもを見てる限り、もっと騒がしいもんだと思っていたが」


 まあとにかく助かった助かった、とおじさんは言って、さっさと服を買い込んでしまった。さすがにその辺の男の子と同じような服ばかりだったので、ロゼはほっ、と息をついた。



* * *



 世間的には休日ではないこの日に休みを取っている時、どこに行ってどうするかは人によるだろうが、おじさんは仕事熱心でさっさと家に帰りたがっていた。家族でこうして出かけるのが久しぶりで、気恥ずかしさとかがあったのかもしれない。昼食を食べ終わって、ロゼはどうしても、アルを連れて行きたいところがあるから、先に帰っていてほしいと言った。


「別に構わないが暗くなる前に帰ってこい。あと数日もしたら学校が始まるんだろう?」

「うん、気をつける」


 それをきっかけにロゼはアルの手を引き、おじさんとは反対方向に歩き始めた。


「どこいくの?」


 まだ女の子の格好をしているアルが尋ねた。


「ないしょ。でも変なところじゃないから安心して」


 それだけ言って、ロゼはどんどん進んでゆく。おじさんが行った方向はアルのやってきた森と同じ方向だった。それと反対の方向にはたくさんのお店が並びにぎやかだったが、そこも抜けて、やがて人気(ひとけ)のないところまで来た。それでもロゼは足を止めることはなく、ついには舗装された道もなくなった。


 そうしてアルの目の前に広がったのは、真っ白い砂浜だった。白いところが時々なくなると思ってよく見ると、青く澄み切った海が広がっていた。誰もいないその場所には、風の音だけがしていた。

 もちろん冥界に、海はない。絵本で見たことはあったような気がしたが、実物を見るのはもちろん初めてだった。


「......きれいでしょ?」


 ロゼがアルを抱えて、その光景を見せ、そう言った。アルはその見たことのない景色を、ずっと見ていた。


「私ね、」


 またロゼが言った。


「この街が好き。こんなにきれいな海があるところは、そんなにないんだって。今はまだ寒いし泳ごうとする人なんていないけど、暑くなったらもっといっぱい人が来るの。この海は守らなきゃいけない海だってみんな知ってるから、ゴミを捨てたりする人なんていない。この海もこの街も、私たちが大事にしなきゃいけないって、私思うんだ」


 アルには、まだ難しいことは分からない。だが、この今目の前にある海が、とてもきれいで、ロゼの大切なものだということは分かった。


「私ね、アルがどこから来たのとか、そんなのは今はいいと思う。でもアルが大きくなったら、この街で暮らせてよかった、って、思えるようになってほしいし、そうなるように私たちも頑張りたい。お父さんも言ったりはしないけど、心のどこかでそう思ってるはずだから」


 それからロゼはアルの手を引いて、その砂浜を歩いた。まだ海辺を散歩するには寒くてアルともどもロゼは震えていたが、アルがはしゃいでいたのでロゼも楽しそうにアルと遊んでいた。きれいな海だけでなくて砂浜も有名で、踏むときゅっきゅっ、と音がするものだった。本当はそんな砂は珍しいのだが、アルは楽しそうに踏み鳴らしては笑っていた。


「あ、暗くなってきちゃった。そろそろ帰ろっか」


 行きにそれなりに時間がかかったので、早く出発しないと暗くなって危なかった。アルは片手にロゼが持ってきた小さなビンに砂を詰めたものを大事そうに握りしめ、もう片手はぎゅっとロゼの手を握って、帰り道を急いだ。夕日が2人を照らしてできた長い影を追いかけるように、アルは歩いた。

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