#72 能力がどれだけ便利で、どれだけ危険か
「ミュール君、ちょっと来てくれるか」
「はい?」
それはミュールが処理参課に重複所属するようになって、やっと慣れてきたかという時であった。特に身に覚えはないのに、突然処理参課のトップ―――今でいう、「ボス」に呼び出されたのだ。
ボスの公務室に入ると、すでにほかに数人がボスのデスクの前に立ち、待機していた。直接ミュールを呼びに出たボスの帰りを待っていた。
「これから『例のあれ』の視察に向かってもらう。......目的はウチの仕事の本質を、このたび新たに入ってきたミュール君に分かってもらうためだ」
「やっぱりそうかー、『あれ』かーっ」
「まあでも、『あれ』を見ておかないと覚悟が、ね」
「たぶん現行のメンツでは『あれ』を見たことないやつはいないだろうな、みんな『あれ』を心に刻んで仕事をやってるだろうし」
「......その『あれ』って、何なんですか?」
「慌てるな。すぐに分かる。......すまないが頼むぞ」
「「「了解」」」
何も知らされていない状態であるがゆえに、ミュールにはただついていくことしかできなかった。
一行は機密省を出て、あらかじめ用意されていた車に乗りこんだ。冥界においてどこかに行くのに車を使うのは、よほど遠いところとか、自分の足ではいけない場所に行く時だ。それはミュールも分かっていたので、悪い予感がしたのは確かだった。
車はどんどん冥界の外れの方へと向かい、ついに廃墟にたどり着いた。
冥界にも現世と同様、廃墟が存在する。現世の廃墟といえば感染症が大流行し、多くの人が亡くなり街としての機能を果たさなくなったところや、長崎の軍艦島のように炭鉱が閉山となり人が島を出ていなくなってしまったところなど、理由は様々だが、この冥界における廃墟は後者に近かった。すなわち、かつて冥界でも現世を模倣して工業が盛んになったが、奥地にあるという地理的な理由で中心部に工場が移り、誰にも必要とされなくなって廃墟となった。
誰にも必要とされなくなったということはこちらからわざわざ行く理由がないはずなのだが、今にも崩落しそうな廃工場の前で、一行の乗る車は止まった。
「降りるぞ、ミュール」
「は、はい」
ミュールの感じる言いようのない恐怖を共有したか、先輩たちがミュールを囲むようにして歩いていった。それでもその廃墟を覆う雰囲気とか、空気までもが不気味に感じられ、ミュールは気が気でなかった。
「ここだ、一応検査は入ってるけど年代物だ、足下には気をつけろ」
その恐怖に気をとられるあまり並ぶ建物がどんなものか、というのにはあまり意識がいっていなかったが、2、3階分ある周りより少し大きめの廃工場の前で先輩たちは立ち止まり、中に入っていった。もともと冥界が曇っていて暗いのもあるが、電気はもちろんついておらず、ミュールたちの視界はおのおのの持つ懐中電灯によって成り立っていると言ってよかった。突然動き出すこともなさそうなベルトコンベアを横目に奥に進むと、地下に続く鉄製のらせん階段があった。懐中電灯の光だけでもところどころさびているのが分かるほど古いものだった。
そんなところにある階段に時々検査が入っている理由が、ここまで来てもミュールにはよく分からなかった。
手すりと先輩の手を借りて何とか下りきり、また奥へ奥へと進む。だがここまで来て、ミュールはひときわ異常な様相を感じ取った。
「(鉄格子......)」
パノプティコン、という言葉を、ミュールは思い浮かべた。真ん中に看守塔があり、それを囲むように囚人たちの部屋が存在するような刑務所の一形態で、看守塔からは常に光が発せられ、看守側からは360度にわたって囚人を監視できる一方で、囚人の側からは看守が監視しているのか、それとも監視していないのかが分からず、常に監視されているような心理になるというものだ。
そのパノプティコンに、ミュールたちのいる空間が非常によく似ていた。と同時に、「棄てられた街」の一廃工場の地下にパノプティコンが存在すること自体が、むやみに恐怖を駆り立てた。
それもやはり先輩たちは思っていたらしく、「怖いとは思う。分かってるけど、俺たちがいるから大丈夫だ。我慢しよう」とミュールに耳打ちした。恐怖のあまり逃げ出そうとすればそれこそ一人になってより深い絶望に変わりそうで、ミュールにはうなずくことしかできなかった。
さらに一行は奥へ奥へと歩いていった。その時、
カチャッ
ミュールの足下で、突然そんな音がした。何かを踏んだような違和感は足で感じ取っていた。が、
「逃げろミュール!!」
先輩の声が響いた。とたん、
ズドドドドドドドッッッッ............!!!!!!
地響きがして、ミュールの足が浮いた。いとも簡単に弾き飛ばされ、さっきまでミュールのいた場所には大きな氷山が生えた。あれをまともに受けて生き残れる死神はまずいないと、能力学を専攻していたミュールは感じた。
そう呑気に構えている暇もなく次々にこちらを狙って攻撃が飛んでくる。氷山の次は業火、続いて刺すような突風。起爆剤のない大爆発。途中ミュールは精神干渉系とみられる能力の攻撃を受け、頭の中の記憶をかき回されるような、錯乱状態に陥った。
「しっかりつかまってろ!一度撤退する!!」
男の先輩がミュールを抱えて走って逃げた。足には切り傷を負い、それに覆いかぶさるように頭をちらちらと有象無象の記憶が飛び交い散らばってゆく。やがて状況把握能力を奪われ、自分の存在が否定され消えていくような感覚を「身体で」感じ取り、訳も分からずただむせび泣くことしかできなくなっていった。
―――死神も死ぬよ?もちろんね
―――能力の起源を知ってる?これはとある有名な教授が
―――その分類は多岐に及んでね
―――未知の能力の研究をするのが能力学の本質で
―――唯一存在が分かっていて機能に多様性があるのが”連携どshvjぽkふぉjpjぎおrうぇjpふぉpfけえwjヴぃrfdgこwpgじふいfgfじおvwfjヴあいdsdfjをいfjdじおfkぢjをgrこgじfvをぎrふぃえお
―――いいですか?空間干渉系の最高峰と、dvじおhsffじょいぐぇぢふh称されるのが”はたと止まる、drこpっどfpkれろkwpじぇf
* * *
「ミュール?ミュール!!!!」
次にうっすらと目を開けたときには、自分は仰向けになってどこかへ運ばれていた。どこへ行くかは分からなかったし、それを考える気力もなかったが、自分の名前がミュール・ブレメリアで、それを機密省入省以来の親友であるレイナに呼ばれたことは分かった。そして何より、あの廃墟のような絶望的な暗さや重たい雰囲気がそこになく、光が照らしていたことにミュールは一番安堵した。意識があるのを確認できたことに喜ぶレイナの顔を見て、ミュールは再び目を閉じた。
”精神干渉系”
という能力の分類が、能力学上存在する。その意味は文字通りで、死神・人間を問わず脳内から深層心理まで直接干渉して、影響を及ぼすものだ。これまで出てきた能力の中で精神干渉系のものは、マドルテの持つ”巻戻し再生”(プレイバック)、アルタイルの持つ”神の操り人形”(マッド・マリオネット)、そして”西の国”の対外的に首相を務めているアーリア・ストラスブールがコピーした”現実と歪みの境界線”(ディストピア・ディストーション)の3つが挙げられる。実際は前2つは明確に精神干渉系と定義されているが、最後の能力はランダムに他人をテレポートさせるものであるため、物理干渉系に入るのではないかという能力学者もいる。
その物理干渉系として凶悪な”冥界大炎上”(デス・マグマ)や”冥界大粉砕”(デス・デストロイ)が存在するのと同じように、精神干渉系にも悪影響を及ぼす能力がある。そして凶悪な能力のたいていは、存在こそ知られているがそれが発動しないようにするのにみな頭を抱えている、という状態なのだ。
ミュールが受けた能力攻撃も、”反転世界と並行世界”(メリーゴーラウンド)という、人の精神や脳内の記憶を破壊したり錯乱させる、”連携強化”並に危険な能力として知られていた。
「ミュール......」
「だいじょうぶ、だよ」
幸い身体の傷自体は重傷ではなかったので、回復は早かった。ただ記憶力や思考力など、脳に関係するものの回復は予測はされていたが、遅かった。根幹に残るような大事な記憶は何とか無事だったようだが、感情は追いついてこなかった。目を覚ましたと聞いてレイナがまず一番に飛んで行った時も、あらかじめ心配される言葉をかけられても「大丈夫だよ」と返すように医者から言われていたから、そうしたまでのことだった。嘘をつくようで悪いという感情も出てこないし、レイナもミュールの口からその言葉が聞けて安心すると、医者は踏んでいた。
が。
「......嘘、だよね」
「......?」
「嘘だよ。そんなはずない。記憶の中身をかき回されるようなことをされて、平気でいられるわけがないもの......!!」
レイナがまくし立てるのにも、ミュールは反応できない。自分は言われたとおりにやっているだけなのに、レイナが怒っている理由が分からないのだ。
「......うそ」
「え?」
「......うそ、うそ」
「やっぱり、そうなんだ」
「......ミュールを、責めないでやってくれ」
病室のドアのそばに、男が立っていた。
「今回のことは処理参課のボス、ひいてはミュールを連れていくのをあまり考えることもなく了承した俺たちの責任だ。......どうか、ミュールを責めるのはやめてほしい」
「ミュールを、どうしたんですか」
「あれは、俺たちも予想外だった。罠が仕掛けられて、引っかかって能力攻撃を受けるなんて」
「どうしてそんなことをしたのかって、訊いてるんですよ......!!!!」
「......すまなかった」
ミュールの先輩たちには謝ることしかできないと分かっているのに、レイナだって当たるように責めることしかできなかった。これでミュールの記憶が戻らなかったらどうするのか。記憶喪失とは違い記憶錯乱なので回復の見込みは十分ある、と保護者としてレイナが説明を聞いたが、後遺症の残る可能性もまた十分あると言われた。それはトラウマや被害妄想、幻覚という形かもしれないし、記憶がごっそり抜け落ちたまま戻らないかもしれない、と。
廃墟の中にあるひときわ目立つ廃工場の地下に存在するパノプティコンは、凶悪な能力におぼれ、また冒されて無差別殺人を行った死神たち、とりわけ元人間たちが収容される地下牢だった。「能力は生まれながらにして、あるいは後から授かるもの」という概念があって、事件の存在を知っていても能力をはく奪することに反対する死神もいるし、実際はく奪する方法が確立されていない。ミュールが襲われたこの事件は百数十年経った今でも未解決で、犯人の特定はできていない。
「......おいしいよ、これ。ありがとうね」
「いえいえ、どういたしまして。おいしそうに食べてくれて、こっちもうれしい」
半年ほど経ってようやく、ミュールの記憶が回復する様子を見せた。具体的には自分が機密省の史纂弐課と処理参課所属で、冥府革命集団についての捜査を進めているというような、自分に関する基本的な情報すべてが、淀みなく答えられるようになった。また一部の感情も取り戻し、単純な喜怒哀楽は理解できるようになった。
ミュールが自分のことが分からず、生きている意味を失うという最悪の状態は避けられたので、レイナもこの頃にはだいぶ落ち着いていた。あとはレイナとの記憶とか、あまり深くは記憶に残っていなかった可能性の高いものが回復すればベストだった。
「......あれ?今日ミュール休みか?処理参課からも連絡来てねえし、レイナ、どうしたか知ってるか」
「今日は病院の日です」
「なるほどな、そうだ、確かそろそろだったな」
結局今に至るまで、完全回復は叶っていない。後遺症は避けられなかった。それは当然と言えば当然だった。”反転世界と並行世界”という能力による事件が起こった時、犠牲者のほとんどは記憶をめちゃくちゃにされ、また常識的な判断力も消し飛ばされて、凄惨な殺し合いの場と化したのだ。ミュールは一部のいわゆる思い出が抜けたり、複雑すぎる感情を理解できなかったり、理解できても相当の時間を要するようになったが、これでも後遺症の中では軽い部類だと、医者が結論付けた。今でも異常がないか、ストレスによって影響が出ることもあるらしいので病院に通っている。
そして仕事を伝えるためにあの時初めて会ったボスは、積極的にミュールのことを気遣い、心配してくれるようになった。
* * *
「......確か、411号室だったはず」
「きれいだね、ここ。日本は景色がいい国だって聞いたけど」
ミュールとセントコバルトは熱海に到着し、ホテルの部屋で待っているというボスを探し始めた。本当はもう少しバカンスしたかったようだが、ミュールがメールで用件を書いて送ると慌ててそれを取り消した。
ミュールはいわゆる方向オンチではない。レイナほど記憶力がよくて、一回見た道は全て覚えている、というところまではさすがにいかないが、決してウラナのようでもない。つまりメールに添付されたホテルの外観さえ見て、それと照らし合わせていけば、ヘルプを求めなくても目的地までたどりつける。
目的の部屋を見つけられ、ドアをノックすると見覚えのある顔がのぞき、ミュールであることを確認して中に招き入れた。バカンスするのに飽き足らず温泉でも満喫していたのか、浴衣姿ではあったが。
「わざわざこちらまで来てくれて感謝するよ、あと数日メールを受け取るのが遅れていたら、冥界まで帰ってしまっていた」
「本当に帰る気でしたか?」
「ああ、そうだとも。まあ思っきしバカンスしていたのは認めるが、重要な用ができたのでね。これは言っていいだろう、......私は冥界に帰って、四冥神会議の開催を要請したいと考えている」
「四冥神会議......ですか?」
「そうだ、最有力に化けるかどうかは分からないが、かなり有力であることには間違いない情報を手に入れたのでね」
「どんな情報か聞いてもいいものですか」
「いや、ダメだな。詳しくは言えない、それでこそ四冥神会議だからな。ただ言っておくと、冥府革命集団関係だ」
「......すごいじゃないですか!」
「だろう?これだけヒントの少ないご時世に、この情報は大変貴重だ。普段は開催が渋られるが、今回は大丈夫だという自信がある」
冥界には四冥神会議というものが存在する。名前の通り、四冥神以上の重職にある死神が集まり、機密省にも準ずる重要事項を話し合う。開催には要請がされ、主死神によって承認されることが必要で、その要請者が十聖士以下であれば、絶対的な口外禁止を条件に参加が認められる。その重要な会議にかけなければならないほど、大きな情報だということだ。
「ところで、その少女は誰かね?まさか」
「私の娘とかレイナの娘とか、そんなのじゃないです」
「......どうして言いたいことが分かったのかね」
同じようなくだりがあったからに決まっている。
「この子はセントコバルト、現世の人間にして”連携強化”持ちの、冥府革命集団幹部の一人です」
「......この少女が?」
「ちなみに”連携強化”の方は弱変化タイプで、すでに攻撃性を持たないのでご安心ください」
「お姉さんがちょっと手荒な真似したからねっ」
「変身までして襲ってくるような子に言われたくないよ」
「それで、私が冥界に帰るついでに連れて行って、情報を引き出せということか」
「そうです、私はちょっとレイナの面倒を見なきゃいけなくて、離れられないので」
「だがこの子は現世の人間なんだろう?冥界でどれくらい事情聴取にかかるかは分からないから、間に合わないかもしれない」
「確かに......マドルテさんが来てくれれば助かるんですけどね」
「あの方を呼び出すのは厳しいな......それにこの子の記憶処理もしなければならない」
「そうでしたね。でももう一度利用される可能性もありますし......」
「分かった。いったん冥界に連れて帰って、早急に記憶を見てもらおう。前科のあるなしによってその後の処置を決める」
「分かりました、お願いします」
「いやいや、幹部を捕まえて来てくれたんだ、感謝する」
ボスはミュールにバカンスしまくっていたことをもうとがめられたくないのか、いそいそと出発の準備を始めた。が、
「温泉入る!せっかく来たのに!」
ここに来てセントコバルトがごねた。確かにミュールも日本有数の温泉地まで来たのに、とは思っていた。
「よし、分かった。ちょうどミュールもいることだし、一緒に入ってこい。お金は渡すし、そうだ、私もまだ行けていないところが......」
「ボスはもう十分でしょ⁉︎⁉︎」
ミュールとレイナサイドはこれで終わりです。次から冥界サイドになります。




