#63 冥府機密省・特殊研究課
セントラピスラズリが冥府機密省・処理肆課を襲撃した。
その事件はしばらく広く知られることがなかった。機密省の情報は良くも悪くも外に出ることがないのだ。しかしその事件は確かに起こったのであり、壁が壊され、死砂がフロア一面に散らばり、加えて土ぼこりも舞う中で、処理肆課にはグロリアただ一人が残された。
死神禁忌を取り扱う処理肆課は、その禁忌を犯した者の末路である転生―――この転生は、悪い意味での”転生”なのだが―――を行うため、同じ機密省の特殊研究課、通称トッケンと提携している。そのトッケンの一員である【ツララ】は、セントラピスラズリがそこを去ったタイミングで処理肆課を訪ねてきた。彼らに”死んだ者への配慮”はないと、グロリアは感じた。
死んだ者は生きていない。
生きていないのであれば、もはやそれは生物ではない。
『その昔生物であった』物質でしかない。
そのあたりに散らばっていた誰のものとも分からない死砂を、【ツララ】は無造作に壺につめた。それはグロリアにとって、堪え難いことだった。処理肆課があまり外部の人に褒められるようなことをしていないのは十分分かっていた。求めているのはそこではない。だがグロリアにとって、それらはかつて一緒にご飯を食べたり、仕事が片付かず夜遅くまで一緒に残ったり、多くの時間を過ごした思いの強い同僚たちの死砂だ。むげに扱われるのは許せなかった。
グロリアは立ち上がり、同僚たちの机を見て回る。多くの机が倒れていた。それでも侵入者に立ち向かったのか、死砂は1つのデスクの周りに集中していた。
自分が昼休憩のために外に出るなどしていなければ、もしかするとこうはならなかったかもしれない。
最期に見たのがセントラピスラズリの圧倒的な、立ち向かいようのない攻撃であっただろう彼らのことを思いつつ、それぞれのデスクの前に手で砂を集めてゆく。
同僚たちの砂を集めるのを、彼女は夜になってもやっていた。
夜はそれ自身が存在するだけで、感傷や寂しさを引き起こす。
グロリアの頬には、いつしか熱い水が伝っていた。それは床に落ち、同僚たちを濡らしてゆく。
濡れれば本当にそれがただの砂になってしまって、彼らと自分をつないでいた何かが消えてしまうことは分かっていた。分かっているが、涙が止まってくれることはなかった。
やがて彼女の涙は枯れ、その部屋には嗚咽だけが響いた。嗚咽『だけ』だと、彼女が分かったとき、
―――プツン。
何かが切れる音が、彼女の心の中でした。
体の力がふっ、と抜け、残った砂を下敷きにして、ぱたんっ、と支えを失った人形のごとく、彼女は倒れた。
そこにはもう、彼女の意識はなかった。
* * *
夜の機密省。
残業する者だけがまばらに残るその建物で、館内放送用のスピーカーからけたたましいサイレンの音が突然鳴った。
「なに......!?︎」
史纂弐課に所属する彼女―――ミュールとレイナの先輩も、そのサイレンを聞いた1人だった。
『省内にいる者に告ぐ!現在省内において侵入者を確認!不測の事態に備え、各課においては入口を封鎖し、侵入の防止をせよ!』
「火事は大丈夫なのかしら......?」
彼女のほかにも史纂弐課には残業している人がおり、その人たちも一ヶ所に集まった。
「今の放送、聞いたか。ウチは扱うのが機密書類ってほどでもないが、歴史的に重要な書物は山ほどある。だから原則この手の放送には従うことになってる。いいか、急いで閉めるぞ」
その中で一番年長の男がそう言って指揮をとり、史纂弐課の扉は閉められた。ひとまずは安全地帯となったその中で、彼女は言った。
「機密省に侵入者って......」
「ああ、珍しいことは確かだ。そもそも他の省に比べて特に侵入ができないつくりになっているからな。だが全くできないこともないんだろう。例えばこの冥界ではあまり広く認知されていない能力の持ち主が襲撃したとしたら、どうだ。知られていないということは当然それに対する対策もされていないということだから、そいつにとっちゃ防犯性は皆無と言ってもいいだろう」
「はあ......」
「今はいないが、レイナも確か、あまり認知されていない能力だったな。確か......」
「”はたと止まる、世界の時間”(ステップ・イントゥ・ザ・ギャップ・ワールド)です。空間干渉系で、所持者の前例もないとか」
「もしその能力だったとして、内部の構造さえ知っていれば、いくらでも時間を止めてロックを解除できる、ってわけだ」
「まあ、確かに」
「どのみち人がいるところは全部閉鎖するだろうし、エレベーターも止まるだろうから、あとは通路をしらみつぶしに探せば見つかる。解除されるのも時間の問題だろうから、のんびり待っていよう。......そうだ、コーヒーでも淹れるか。あとは、確か冷蔵庫にサンドイッチがあったと思うんだが」
「あ、それ私が買ってきたやつです。......なんで知ってるんですか?」
「偶然だ、偶然。ちょいとたまごサンドが旨そうだし、早めに消費した方がいいと思って......」
「食べたんですか!?」
「つまんだだけだ、がっついてない」
「食べたんじゃないですか!?よりにもよってたまごサンドを!楽しみにしてたのに......!!」
「分かった分かった、すまなかった‼︎......ああほら、追加でポテトチップスなんてどうだ?気になる新味を見つけてきたんだが......ダメか?ダメなのか、あああああっっっ!!!!」
* * *
静かだった。
よく、あまりにも静かだとしん、という音が聞こえてきそうだというが、まさにそれだった。そして不気味でもあった。機密省の近くには迷い犬を預かる施設があり、残業していると彼らの遠吠えが聞こえてきたりするのだが、それさえも聞こえない。
目が覚めたのにそんな不気味な空気の中にいながら目を閉じていると、急な変化に対応できないと感じ、彼女は目を開けた。
「......?」
目を開けても、世界は変わらなかった。
そういえば、目の辺りに何かあるのを感じる。なんだそのせいかと、手を伸ばしそれを取り去ろうとした。
「......!?︎」
手は両方とも、身体の後ろできつく縛られていた。明らかに、自分は拘束されている。
そのことに気づくと、急に焦りを覚える。頬を変な汗が滑ってゆく。
「......お気づきか?」
頭上でガンッ、と響く、男の野太い声がした。
バタンッ!
おそらく、照明のつく音だ。そして同時にはらりと、目を覆うものが取れた。
高級かつ古くから存在するのだろう様式。
人1人が入るためだけに作られた、狭い部屋。
そこに無造作に置かれたと思わしき、古ぼけた椅子。
その椅子に縛りつけられた、自分の身体。
上品なそのつくりを端から否定するように張り巡らされたガムテープ。
その様子は普段とは打って変わるものだが、彼女―――グロリアには、今自分がどこにいるのかはっきりと分かった。
「機密省の、エレベーター......?」
「そうだ。さすがの洞察力だな。君は今、1番エレベーターの中にいる。景観を壊すようで申し訳ないが、所属課コードを入力するための文字盤は、全てガムテープで覆わせてもらっている。......今君が、他に分かることは?」
「......あなたの名前は、【コブラ】」
「ほう、そう来るか。しかもそうそうにこちらの身元が割れるとは。そうだ、その通り、今君に語りかけているのは【コブラ】だ」
「どういう、こと?」
「何がだね?」
「私をこうしている、目的は?」
「考えてもみたまえ。君は処理肆課......おっと、もう『元』かもしれないが......そして我々は特殊研究課の所属だ。我々は協力関係に『あった』な?そのとき互いに、どのような条件を呑んだか」
「......。」
―――死神禁忌はその名の示す通り明らかに禁止されていることだが、残念ながら冥界の法により処罰されている件は少ない。一般の犯罪が多いあまりに、直接冥界には影響が及びにくい死神禁忌の罪は後回しにされている傾向がある。だがそれらが裁かれるべきものであることに変わりはない。我々はその問題の解決に寄与できる。”転生”だ。前世の記憶を本にせず残したまま、次の子へ植え付ける。前世の記憶は本来ありえないものだから、景色や人物に見覚えや聞き覚えがあるにもかかわらず思い出せない、あるいは理解者がいない、親さえも分かってくれないその事実を前にして、相当苦しむことになるだろう。そしてそれが”転生”によるものであることは、容易に分かる。そして死神禁忌を犯そうとするものは長期的に見ていなくなる。
―――これはあくまで実験段階のものだ。機密省の上の者に通しているわけではない。処理肆課と特殊研究課の間でのみ取り交わされる。
―――大殿が、”転生”の禁止令を出した。ますます外部に広まってはならないものとなったわけだ。
―――処理肆課と特殊研究課以外に”転生”の情報の詳細が漏洩した場合は、第一種機密漏洩に相当するとみなし、私刑を執り行う。
「......私刑」
「おお、原文ままの言葉を使っていただき、感謝するよ。そうだ、覚えていたか」
「......私が、漏洩を?」
「とぼけることはできない。立派かつ、明確なものだ」
「......まさか、『セントラピスラズリにバレた』から?」
「ああ、そうだ。君と話していると、細かい説明をする労力が省けていい。まさにその通りだ。我々は君を『秘密裏に処理する』権利を得た」
「......それで、エレベーターを落とすと?」
「まあ、そういうことだ。もっともこの案自体を考えたのは【サクラ】だがな。エレベーターを吊り上げるための鎖は、すでに断ち切る準備ができている。重力に逆らうことができないのは確認済みだ。そして、下に落ちきる直前の段階で君の今座っている床は開き、地下まで落ちることになっている。......君はかつて、機密省に地下二階が存在していたことを知っているかね。人の通っていたスペースは全て埋められてしまったが、エレベーターのスペースだけは、ぽっかりと空いている。なぜかは知らないが、非常用のはしごだけは取り外されているんだ。つまり高層階から落ち、万が一奇跡の生還を遂げたとしても、君には餓死が待っているというわけだ」
「......なるほど」
「おや、最後にジタバタはしないのか。ここまで詳細に聞いてしまえば、通常の死神や人間は生き延びたい本能から暴れるものだと聞いていたが」
「どうせ死ぬなら同じ。いつも死に関わる仕事をしていて、いざとなれば生き延びたいってもがくほど、私の覚悟は中途半端ではないわ。同僚も多く犠牲になったし、死が隣に待っていることは承知済みよ」
「......では、いつ”処刑”されてもいいと、そういうことだな」
ガリガリガリッ!
ガギンッ!!
ふわっと身体が浮く感覚に襲われた。決して言葉のごとく気持ちの良いものではない。落下中は床が抜けないようになっているのか、しっかり固定された椅子に張りついたまま落下していく。
その感覚を感じ取った瞬間―――すなわち、まだ自由落下によってそれほど速度が出ていない間に、グロリアは唱えた。
「”からくり仕掛けの仮想空間”(ノスタルジック・メカニクス)!!︎」
賭け、だった。
機械の制御を頭の中でできる彼女の能力だが、どれほどのものは制御できて、逆にどれほど複雑になれば手に負えないのか、その基準は曖昧で感覚的なのだ。その時の体調にもよる。だから古典力学の理論をマシンに応用したと言えるエレベーターはどれくらいのレベルに相当するのかも分からない。
だからこそ、使った。もしも制御できるのであればその場で停止し、脱出までの時間稼ぎができるようにしろ、と。
ガガガガガッ......
ズドンッ!!
ゴゴゴ......ゴゴ......
賭けに勝った。
勝ったとすればある程度は予想していたが、乗っている人に優しくスピードを落としつつ止まるものではなかった。本当に、ただ止まった。反動で手を縛っていた縄がほどけた。
「さすがね......やるじゃない、1番エレベーター」
1番エレベーターはエレベーターホールのど真ん中に構えるエレベーターだ。真ん中にあるということでどのエレベーターより使われる回数が多く、過剰な使用でよくトラブルを起こし、点検の入った回数が1番多い。
そして非常用の安全策として1番エレベーターと、その近くにある2~7番エレベーターには電磁石が導入されていた。非常時のみエレベーターの箱近隣に強力な電流が流れ、磁力でエレベーターの落下を引き止める。もちろん安全策は他のエレベーターにも万全になされているが、これらだけ試験的に導入されたと機密省内で告知されていた。
おそらく【コブラ】たちに落とされていたであろう非常用電源を能力で強制的に作動させるのに成功したのだ。
「......クソッ、あの女!!!!」
【コブラ】の怒号が響く。
「さて、どうやって脱出しようかしら?ちなみに非常用電源は能力で作動させているから、私を殺さない限り電源もエレベーターも落ちないわよ?」
「......そうやって余裕で構えていられるのはいつまでかね」
ブツン、と音がして、声が途絶えた。
「ひとまず箱の外へ......!」
椅子にのぼって天井のふたを開け、箱の上へよじ登った。ドア部分の左右にはしごがあるのを見つけてそれにつかまり、慎重かつなるべく早く下りてゆく。1階まで降りることさえできれば勝ちだ。......ったのだが。
「さーてっ、いっくよーっ♪」
まだあどけない少女の声がした。特殊研究課所属の中で最年少、【サクラ】の声だ。効率的な火薬、爆弾の製造や開発で冥界でも名高い彼女の本職は、この特殊研究課での”転生”なのだ。ということは、
「エレベーターの箱ごと、爆破......!?」
気づくなりグロリアは近くの階のエレベーターの扉を渾身の力を込めて蹴った。ベゴンッ!と大きな音がしてへこんだ。もう1度思い切り蹴って、扉を弾き飛ばす。そして覚悟を決めその階に飛び込んだ。
―――すうっ。
―――ズドドドドドドドッッッ............!!!!
凄まじい音がしてグロリアの飛び込んだ扉からも煙が噴出、風に舞うちりのごとくグロリアの体が吹き飛ばされた。これだけの音と威力なら、おそらく1番エレベーターは全焼全壊だ。
さらにその音のせいで、フロアの奥の方からたくさんの守衛たちが飛び出してきた。
「(今はこの人たちに、処理肆課だって説明しても意味がない......!)」
迷う暇はない。軋むような痛みを抱えつつグロリアは立ち上がり、エレベーターホールまで舞い戻る。1番に目に入った4番エレベーターのドアをまた蹴破り、はしごにつかまってまた降りる。
「あれえ?生き残った?でも逃がさないよ。今度は4番だね、了解♪」
「(まさか、エレベーター全てに爆弾を......?)」
「あ、2番と3番も行ってくれなかったから、ついでに潰しとくねー♪」
何階か降りたところのフロアに飛び込んだ。一拍遅れてさっきの3倍の爆音が響き渡る。次々にエレベーターが全壊していくと、思っていたのだが。
「4番が白い煙......催涙ガス!?」
4番エレベーターから噴き出る煙が目に入り、視界がかすんで気付いた。
「たっのしいお祭りの、はじまりはじまりーっ♪」
【サクラ】の狂気じみた声を合図に、遠くのエレベーターも近くのエレベーターもランダムに爆音を響かせ、煙を上げていった。
視界がはっきりしないまま、とにかく逃げるにはエレベーターを突き破るしかないと、煙のない近くのエレベーターを探し出し、また蹴って飛び込む。
「いいよいいよっ、いっぱいもがこう♪その無駄な悪あがきの観察、だいすきっ♪」
「......!!!!」
「クライマックス、いっくよーっ♪」
その時点で爆発していないエレベーターに取り付けられた、全ての爆弾が作動した。
当然グロリアのいるレーンも例外ではない。
すすにまみれ、視界もかすれ、精神の極限状態にあった彼女に、最悪のケースは起こった。
―――ズルッ。
はしごをつかむ手が滑り、グロリアの体がはしごから離れた。
爆弾が作動したのはそれとほぼ同時だった。
彼女の体は確かに吹き飛ばされた。
だがそれが重力によるものなのか、爆風によるものなのか分からなかった。分かるだけの判断力に回せるだけの体力を、彼女はもう持ち合わせていなかった。
数瞬ののち、体が何か硬いものに叩きつけられた。先程からの軋むような激痛に加え、鈍い痛みもあちこち襲い、普通なら悲鳴を上げていた。普通なら。悲鳴を上げれば最後想像を絶する痛みを体が自覚して、もう生きては帰れない気がした。それは判断力によるものではなく、彼女自身の生存本能がそう告げていた。
当然そこから自力で動くような体力は彼女になかった。
彼女にかろうじて残っていたのは、聴力だった。
―――スタッ。
それは何かが着地する音にも聞こえた。
「......ほォ。こりゃァひでェザマだ」
その声に聞き覚えがないとは、グロリアの本能が言わせなかった。
「セント............ラズリ」
「......機密省も人っ子1人殺すだけだってのに、ずいぶン手間をかけやがるなァ」
「......け、て」
「あ?」
「た......す、て!」
「オイオイ、元凶に助け求めるか?気でも狂ったかァ、お前?」
「......す、て」
「なァ、グロリアよォ。お前にいい言葉を教えてやる。―――生殺与奪、だァ」
「............」
「ここでお前を生かすも殺すも、こっちの自由ってわけだよなァ」
「............」
「残念だなァ。......あいにく、死にかけの奴を殺すほど、趣味は悪くねェ」
「......。」
「持ってるぜェ、お前はよォ」
彼女の意識はそこまで聞き終わって、完全に途絶えた。
つまり彼女の記憶も、その先はない。
しかしグロリアの血の跡は機密省1階のエレベーターホール前で見つかり、実際に彼女が発見された警察省入口までの道中には一切見つけられなかった。加えて空を飛べないはずの彼女の服には、意識的に空を飛んだ時にしかつかないとされる跡が、残っていたという。




