#56 Ketterasereiburg国地下道
逃げる男を追い、洞窟へ飛び込むシェド。都市丸ごとを城塞都市たらしめる、その洞窟の中とは。
暗い、寒い、じめじめしている。
洞窟のイメージと言えば、こんなところではないだろうか。もともと一時的に避難するとか、何かを置いておくために洞窟は使われることが多い。わざわざ自然の力でできたものや、あるいは掘ったところに住むケースは少ないのかもしれない。
その洞窟も、それらオーソドックスなイメージが見事に当てはまっていた。王国に敵が攻めてきた時ぐらいしか使わず、また手入れをするようなものでもないからなのだろう。髪の毛の間にさっきエニセイから受け取った蝶を挟んで、ウラナたちと簡易的な通信ができるようになったシェドは洞窟に飛び込んでいた。しかしあらかじめ聞いていたものの、こっちだと思った方に壁があったり、はしごと穴を見落として危うく一階層落ちそうになったりと、かなり苦戦していた。おまけにあのリーダー格と思われる男も含めてたくさんの兵士がこの洞窟に飛び込んだはずなのに、聞こえるのは自分の少々ぬかるんだ地面を踏む足音だけだった。
「こっちは......」
手を伸ばすと、しっかり押し返してくる感触があった。壁だ。
”迷路だって......ても、埋め立てがちょこちょこされ......から、まだマシになって......じゃない?”
「たぶん実際入ってないからそう言えるんだよ。俺は正直、迷子になる前に脱出したい」
洞窟の中だからか通信がうまく届かず、ウラナの言葉が時々途切れる。シェドも頭の中である程度補完しつつ、応答する。
”最悪壁なら......とかなるから、ひとまず下だけ気を......れば?落ちてケガしちゃ、戦う以前の......だわ”
「分かった」
あらかじめ持ってきておいた懐中電灯を照らしても視界が限られている中で、先ほどと同じように、シェドは壁に手を触れた。
その壁は、やけに柔らかかった。
―――キュウウゥゥゥン‼︎‼︎
突如サイレンのような音がした。シェドは反射で壁から手を離した。次の瞬間、
ビュンンン‼︎‼︎
風を切るような音とともに、さっきまで触れていた壁が無数の赤い光線で覆われた。懐中電灯の明かりしかない中でそれらは煌々と光り、不気味に目立つ。
「赤い光線......」
”さっきの音の話?”
「ああ、そうだ」
”......”仮想拘束光線”(イマジナリー・レイ)”
「......!それって......」
”ええ。エミーの能力と同じ。赤い光線と言えば、......しかないわ”
「おやおや、引っかかりませんでしたか、ケケケ」
「そんな大きな音出して引っかかるもんか」
「ケケケ、大きな、音?」
ヒュンッ、と小さな音がした気がした。だが音がした、と気づいた時には、右手に持っていた銃がずっしりと重くなっていた。突然の重量変化に手が追いつかず、足元にあった水たまりに銃を落としてしまう。
「ケケケ、水たまりに落としてしまえば、その銃はもう使えませんねえ。何でも銃の内部に水が入り込むと、とんでもない圧力がかかって、銃身ごと破裂することもあるらしいですからね、ケケケ‼︎」
おや、そう言えば、とその男は言った。
「せっかくですから改めて自己紹介を。ドレーク・ヴェルス、近衛軍副司令長を務めております。まあその反応からするとご存知かもしれませんが、能力は”仮想拘束光線”。便利ですよ、こいつは。光線が自在に形を変えられるなんて、滅多にお目にかかれない。ケケケ」
「......それだけか?」
「......何だと?」
「その程度か、って言ってんだよ。そんなの能力使いこなしてるうちに入らないぞ。新しいおもちゃ手に入れて、キャッキャって騒いでる子どもみたいにしか、俺は見えない」
「......ほう?」
バシュッ、っと音がした。音がするだけまだ救いだ。シェドもそれを合図に身構える。......が、身構える方向が違った。
ズバンッッ‼︎
衝撃は背中から来た。前に転びそうになるのを、足に力を入れて踏み止まる。
が、その踏み止まりも虚しかった。背中に金属を生成されたか、身体が重くなり、地面に膝をついてしまった。
「ケケケケケ」
再び不気味な笑い声が近づく。
「愉快ですねえ、ケケケ!さながら処刑を待つ従順な子犬のようだ」
今のシェドの格好を述べるならそれが一番ふさわしいだろう。背中の重みに逆らって、立ち上がることはできなかった。よほどの重金属なのか。
「ケケケ、残念ながらこの”仮想拘束光線”は、直接的な殺傷能力はありません。相手を即死に至らしめることは、不可能に近い。ですが死なせることは十分可能。どうすればいいか、お分かりですか?......ケケケ、生き埋めですよ。人体の周りを、全部金属で囲めばいいのです。金属の分厚い壁は、常人には破壊できない。武器をもってしても、です。それは今あなた自身が、ようく分かっているはずですよ、ケケケ‼︎」
ドレークと名乗った男の語り方は、もう死ぬことの決まった相手に対して吐き捨てるようなものだった。しかし彼は違った。彼―――シェドは、そのドレークに向かって、笑顔を浮かべていた。
「......ああ、そうだな。たぶん終わりだよ。」
「ようやく理解していただけましたか、ケケッ......」
「......それが、普通の銃ならな」
覚悟は決まっていた。
水に浸かった銃を掴み、ドレークの方へ投げつける。ドレークの反応はそれを予測していたかのように、すぐさま起こった。光線で銃を貫き、真っ二つに破壊。それを見届けることもなく、シェドは新たな銃を生成。背中にある金属の感触を銃で確かめ、ほぼ迷うことなく引き金を引いた。
ズドンッッッ‼︎‼︎
銃弾1発が撃ち込まれたとは思えないほど鈍い音がして、同時に衝撃でシェドの身体が前に吹っ飛んだ。だが注目すべきはそこではない。シェドの背中に居座っていた重たい金属はその”炎”の一族の銃弾1発で一瞬で融解、さらに金属を貫いて地下空間の天井に突き刺さった。土やコンクリートで出来たその壁も、”炎”は燃やしてゆく。
ここまで来れば、形勢が傾いたのを感じたか。ドレークは「ケケ......」と言いつつ、顔を引きつらせていた。
「お前の”仮想拘束光線”はその金属でできた手から出てるんだろ」
シェドの声は落ち着いていた。
前に吹っ飛んだ拍子に、光の反射かドレークの右手は光って見えた。普通の手では考えられないような光の跳ね返し方だった。
「......なるほど、さすがの観察力です。ケケケ、そうですよ。この手は能力用に開発した、義手です。手から操作する方がやはり扱いやすいのでね。......で?それがどうしたというのです?」
シェドは何も言わず、ドレークに銃を向けた。ドレークの身体に向かってではない。その不気味な右手に向かってだ。
「ほう、その銃でこの手を撃ち抜こうと?......甘すぎるぞ‼︎」
「......‼︎」
ドレークの義手の指先から光線が発射されるとほぼ同時に、シェドも引き金を引く。その弾道は、正確。銃弾と光線とが、同じ軌道上に並び、正面衝突する。
『”仮想拘束光線”が金属化を始めるのは、具体的な物に当たった瞬間』
その生成速度は、銃弾の射出速度に劣っていた。結果光線は2つに割られ、その間を銃弾が縫うように進んでゆく。
シェドはしゃがんでその光線を避ける。軌道を逸らされた光線は左右の壁に擦るように当たり減速、金属生成を始め、シェドの周りにある壁は金属で覆われてゆく。
ドレークの方も馬鹿正直にその銃弾を受け止めることはない。右手だけを狙ったその銃弾をかわすことは容易い。右手を上か下にシフトさせればそれで済む。
ギギィィィッッ‼︎
金属同士の擦れるおぞましい音。
『”炎”の一族の持つ銃の弾が炎を出し始めるまでの時間は、個人の力に大きく依存する。殊に銃弾制限と炎上開始までにかかる時間は、おおよそ比例している。キャパシティが多ければ、その分時間がかかる』
シェドのキャパシティは、117発。生きるために最低限必要な体力を除いた全てを銃弾に変換した時の弾数がキャパシティだ。彼のこの弾数は、”炎”の一族の中でもトップクラス。彼の先祖である本物の悪魔、アレクサンドロ・フレアでさえ104発だったのを、上回っている。
すなわち今のシェドが銃を撃ち込んで命中させても、炎が上がるまでには少し時間を要する。だがその金属同士が擦れる耳障りな音は、自信に満ちていたドレークを怯えさせるのに十分であった。すんでのところで身体への命中は避けたが、避けられたと自覚した時には、
ゴオォォッッ......‼︎
金属同士の摩擦で発火までの時間は早められ、ドレークの右手に火がついた。普通金属に火がつくなどあり得ない。1000度を超える温度が維持できるものならまだしも、金属の融点には遥か及ばないからだ。だがその理論は今、通用しない。現に今、金属でできたドレークの義手は、ごうごう音を立てて燃えているのだ。
「ケ、......ケケ......」
ドレークの顔から引きつりがなくなることはなかった。反して行動は早い。すぐに右手を水たまりにつけて火を鎮め、復活した手で能力を使いシェドのさらなる攻撃をけん制しつつ、じりじりと後ろに下がって、近くにある穴へ飛び込む。一階層下に下がったのだ。シェドも迎え撃つように何発か撃ち、軌道の割れた光線を避けるが、それで精一杯だった。鎮火した瞬間に放たれたとは思えないほどの広範囲な光線だった。さらに今まで放った銃弾が壁に次々命中したことでその階層が炎に包まれようとしており、後を追うようにシェドも一階層下に降りた。
非常用か攪乱用か、その穴にはふたがついていたので、炎の進入を防ぐためにシェドはそれを閉めた。
* * *
水。
シェドがはしごも使わず半ば乱暴に降りたその先でまず初めに見たのは、ザーッ、と単調な言葉で表せそうなほどまっすぐ流れる水だった。くるぶしが浸かるほどのものだが、どこかからどっと水が押し寄せて、流されるのではないかという恐怖をあおられる。そしてそれは、単なる「流れる水」でもなかった。
―――キュヴゥン‼︎
同じような音がして、壁や地面のいたるところで金属が生成される。やはりあちらこちらに”仮想拘束光線”が仕掛けられていた。金属の生成を止めるべくシェドは同じように壁や地面に銃弾を撃ち込む。
ガガガガッッ、ボオォッ。
初めこそ摩擦が起こって擦れる音がするが、すぐにそれは銃弾が打ち勝ち、炎の出る音へと変わる。しかし、それはあくまで壁だけに起きた現象。金属をも融かし得る炎でも、さすがに水には勝てない。特にこれだけ水があればなおさらである。だからシェドの足を捕らえて動きを妨げる金属は、破壊され燃やされるどころか確実にシェドの太ももの方まで伸びてきていた。
ドドドドッッッ......‼︎
そして「それ」は、嫌というほど正確に、かつ最悪のタイミングで襲いかかってきた。
「鉄砲水」だ。下の階層への入り口は見つからない、上の階層は炎の海、極めつけは両足の拘束。水中で大きく減速した銃弾には勝った金属も、圧倒的な威力を持つ鉄砲水には劣るのか、抵抗できず金属ごとシェドは流される。
「(息をっ......‼︎)」
ドレークがどこに行ったのか、などと考えている余裕はない。わずかでも激流から顔を出して、息をすることだけ考えなければ、ドレークとまた見える前に自分が死んでしまう。
「......ぶはっっ‼︎」
流れに抗いつつやっとのことで顔を出すと、目の前にはトンネルの出口のようなものが見えた。そこから水の流れが変わっているようにも見える。
「......まさか」
それはすぐに訪れた。
水から解放されたと言えば、それは確かに聞こえがいい。が、それまでとは比べ物にならないほどの重力を、身体に感じた。そしてその重力は消えることがないまま、今度は身体全体に衝撃が走る。その痛みが頭を支配しても何とか水から顔を出すことを一番に考えられたが、先ほどよりずっと深かった。
息が続くか。
続かないかもしれない。
続かなかったら?
溺れ死ぬ。一番苦しい死に方だと言ってもいい。
「がっ......!はあっ、はあっ、......」
間に合った。
息を整える。整え切ってから、地面を探す。せっかく息ができても、水に浸かりすぎて体温が下がってしまっては意味がない。幸いほど近いところにあったので、水を吸って重くなった外套を引きずりつつ、たどりつく。ひとまずその外套を脱ぎ捨て、その下に着ていた服をしぼってから、外套のポケットを探る。
もとよりあの激流に揉まれたのだ、と何かが残っているとは思っていなかった。何も抜け落ちていなければ、ケースに入った簡易通信機の予備と、懐中電灯がある。
幸いどちらも残っていた。ただし通信機の方はケースが開いていて、通信機自体も水をかぶっていた。
「(使えるか......?)」
現世の通信機なら確実に壊れている。だがこれは普通じゃないから、と自分に言い聞かせ、一粒取り出して空に放った。
―――普通ではなかった。
すぐに蝶へとその姿を変え、ザザ、ザザッと音がする。通信がつながった。
「......ド?大じ.........なの?」
さっきより途切れ途切れだった。
「大丈夫、だ。何とか」
「ものす......ずの音が......たけど?」
ふとその言葉を聞いて思い出したシェドは、後頭部に触れる。やはりこちらの通信機はなかった。髪に巻き付いていたわけでもなし、流されて当然と言えば当然だ。
「......んた、今......にいる......?」
少し理解に時間を要したが、
「えっと......ちょっと、待ってくれ」
今度は外套から懐中電灯を取り出し、スイッチを入れる。
こちらはただの懐中電灯だから、水をかぶって壊れる寸前だった。うっすらとつく明かりを頼りに、周りを照らす。
筒。
わずかに見えたその光景に対してシェドが抱いたイメージは、それだった。さらに他の場所に照らしてゆくと、そこのだいたいの構造は把握できた。
シェドが落ちたそこは、もともと水を貯める場所。かつての王国の水道の中枢を担っていた、そして今も担う、地下空間に広がる巨大貯水槽であった。




