#52 脱獄!
ごーん。
間の抜けたような音が、処刑場の建物の中まで響いた。
「今の何?」
「ん?今の鐘の音か?あれは時計がなくとも分かるように、夕方6時になれば鳴るんだ。もうそんな時間か」
「ねえ」
「何だ」
「あたしはそんなに余裕がないと考える。だから長々説明なんてしてると、成功はしない。きっと雑な指令になるけど、聞いて、一発で理解してほしいの」
「誰に向かって言っている。私は元連合国軍でこの年で大佐にまでなっていたんだ。どれだけの命令を聞き、どれだけ戦場で災厄をかわしてきたと思っている」
「けどあたしが命令するのは、たぶんこの現世で生きてる限りじゃ、不可解極まりないもののはずよ。それでも大丈夫?」
「分かった。任せろ」
「お二方~、夕食の時間でございますよ、ケケケ」
「またあんた?その笑い方、ある意味モスキート音より不快なんだけど」
「おい!人の笑い方を何て言い草だ!」
「だからさっさとご飯置いて出ていきなさいっつってんのよ」
「てめえ......いいぞ、これから楽しいショーが始まるって言うのに.........ケケケケケ!!」
「ショー、ね。見世物になるのはどっちかしらね」
「ケケッ、ほざいておけ」
朝のような簡素な食事を置いて、ドレークと名乗っていた男は去っていった。
”待たせた。お前の姿を確認した。いつでもお前の手元に出られるが”
「8時よ。暗闇に乗じて、ここを出るわ。あんたは10分前に」
”了解だ”
「いやはや君たち、獄中生活は楽しめているかねえ?」
聞きなれた耳障りな声。サー・グラーツだ。
「残念だがそんな楽しい暮らしも終わりだ。ショーが始まるんだ、来てくれたまえ」
おつきの兵がシャルロッテとウラナの檻を開けた。
「よっ、......予定変更!ガーネット、急だけど、出られる!?」
”了解だ、その準備さえもできている!”
その声とともに、ウラナの右手に、暗闇でも紅く輝く刀が現れた。
「『囲』っっっ!!」
シャルロッテを囲むので一つ、ウラナ自身を囲むので一つ、さらに、
処刑場丸ごとを囲むのでもう一つ。
「シャルロッテ!あたしが叫び終わったら、あたしの手をつかめ!!いい!?」
「了解!!」
「あたしをタコ殴りにして気絶させた罰よ!コンクリもろとも吹っ飛べ!!『破』!!」
シャルロッテの前におぞましい光景が広がる。
ウラナが叫んだ瞬間、ガソリンをあらかじめ撒いていたかのように辺りに炎が広がる。だが頑丈な結界がウラナとシャルロッテを炎から守り、ガラス越しに燃え広がるのを見ているような状態だった。
「やっ!やめろっっ!!死ぬ死ぬっ、焼け死ぬーーーっっ......!!」
「あんたはその辺でいいわ!死ぬような思いしたんならね!本当に死にかけてほしいのはあのクソオヤジ、許せん......!」
ドサッ、ゴゴゴゴッ、ドドドドド......
あっという間にいかにも熱い煙を上げ、フロアが崩れ落ちた。
「いい、シャルロッテ!?その結界もろとも真っ逆さまに落ちてくけど、重力には抗おうとしないで!これは急上昇、急降下を繰り返すアトラクションだとでも思いなさい!急上昇が上昇過ぎて、余裕ないかもだから、急降下を楽しみなさいよ!」
『囲』で作った結界は炎が包もうが、雷が落ちようが、洪水に呑まれようが爆風に巻き込まれようが壊れない。ただ一つ、作ったガーネット自身でぶった斬れば壊れる。
「さあ、行くわよ!!」
まず思いっきり振り回し、ウラナ自身の周りの結界を砕く。残像のように残る破片の隙を抜け、飛行を開始。シャルロッテの方へ平行移動する。
「脱出できたらあたしの手をつかみなさい!そのまま急上昇に入るわよ!」
「りょっ......了解っっ!」
急降下の時点で既に気分が悪くなっているのか、シャルロッテの返事は息絶え絶えだった。だがシャルロッテの返事も終わるか終わらないかといううちに、ウラナがぶった斬る。
「ぶほっ!!??」
「大丈夫よ、こんな風に、思いっきり斬ったって中身までは斬れないわ!それより出て!手をつかみなさい!」
「はいっ!!」
手に温かい、人の手独特の感触がした瞬間、ウラナは誰かに引っ張られないよう、追いつけないスピードで空へ向かい飛び上がる。
「やっ、やめっ、助けっ.........」
「酸素足りなさそうだったら対処するけど!?」
「いやっ、いいっ......大丈夫だ!」
「分かった、じゃあ王宮まで飛ぶわよ!」
「王宮!入口に!?」
「んなもん一発で捕まって終わりでしょうが。違うわよ、直接屋内に突っ込む!シャルロッテ、女王の部屋はどこ?」
「幸いそれは分かりやすい!いくつか塔のように出っ張っているオブジェがあるだろう!その中で一番大きな真ん中のやつの、真下にある!」
「了解、突っ込むわよ!よっぽどヘマしない限りケガはしないけど、衝撃には備えて!」
「衝撃を受ければケガするだろう!?」
「行くわよ、10数えたら突入!10!9!......」
数えだした途端、急に王宮の建物の近づくスピードが上がった気がした。襲撃も想定して頑丈に作られた王宮に生身の人間が突っ込んで、果たしてケガなしで済むのか。
「8、7、6…...!!」
今空を飛んでいる。通常はありえないことだ。たとえウラナというこの女が死神で、飛べるという特殊なことが出来るとして、それでもこうやって手をとるだけで一緒に飛べるとは。
「5、4、ちょっといい?バランスとって着地するために、.........3、2、一回転するわよ!!」
「おいちょっと!待て!空中で回転!?待てっ、心の準備がっ......!」
「1!せーーーーーのっっっ!!」
シャルロッテはウラナもろとも引っ張られ、天地がひっくり返る感覚に襲われた、かと思うと、
ズドンッ!!バリバリバリバリンンンッッ!!!
ウラナの着地した床は大きくへこみ、ウラナたちの突っ込んだ屋根が瓦礫と化して崩れ落ち、あまりの衝撃に辺りの窓ガラスは全て粉々に砕け散り、そのフレームも壁から引き剥がされた。
「レイナ!どこ!?あたしよ!!!」
「ウラナ!!」
奥の方から少し頼りない足取りで、レイナが歩いてきた。
「ウラナ、どこに......それに私、......!」
「話は後で聞くわ!それより王宮にも追っ手はは来るだろうから、さっさと逃げるわよ!!」
「まさか、また飛ぶのか......!」
「違う。あたしが飛べるって言ったって、限界はある!一度には1人しか運べないのよ!だからレイナ、あんたを運ぶことにして、シャルロッテはこれ使って、自分で出てきて!」
ウラナは手に持つ紅い刀を、紙切れでも裂くかのように2つに割った。すると元の刀と瓜二つの刀がもう一本、現れた。
「これは......」
「ガーネットの分刀よ!使い方はそいつに聞けば分かるから!」
「ちょっと待って、そんなのでは......」
「あんまりそいつをなめてかからない方がいいわよ!あんたの想像以上に、良い出来なんだから!」
そう言い残して、ウラナはクイーン・レイナに目くばせすると、クイーンの手を握り、先ほどと同じように上空に飛び上がっていった。
* * *
「ど、どうすれば......」
盛大に屋根に穴の開いた王宮で、シャルロッテは立ち尽くした。
”お初にお目にかかるな”
「刀がしゃべった!?」
”その通り。我は妖刀。お前の名前を教えてもらいたい”
「リンツ......シャルロッテ・リンツだ」
”よろしい、シャルロッテ。ウラナの指令だ、悪いが独断ででも、お前の身を守らせてもらうぞ”
「は、はあ......」
”早速ネズミ共がここまで来たようだ。シャルロッテ、ことが落ち着くまでは我の指示に従え”
「......了解」
”それでよい。では第一の質問だ。この新王宮とやらを、破壊したい願望はあるか?”
「なっ......!いきなり、何を.........!!」
”我が求めているのは、是か非だ”
「......将来的に”西の国”の国力削減につながるのであれば、ある」
”では第二の質問だ。察するに少なくとも二、三百の兵士に一人で立ち向かうこととなる。その覚悟はあるか?”
「もちろんだ」
ここまで来たのだ、シャルロッテにもうひるんでいられる余裕はなかった。
”なるほど。では最後、第三の質問だ。その向かってくるネズミ共を、お前は殺して、最後まで逃げようという意思があるか?”
「私の命が危機にさらされているという状況であるならば、やむを得ない」
”......了解だ。先程の回答をもとに、お前の意思に最も沿った指令を出すよう努める。まずはここにいては犬死にあるのみだ。爆破、脱出し、向かい来る兵士を散らす。シャルロッテ、『囲』を実行せよ”
「実行......?その方法を教えてくれ」
”なに、難いことではない。『囲』と、叫べばよい”
「りょ、......了解した。......『囲』!!」
ウラナが先ほどそのようにしていたのを思い出し、叫ぶ。
途端、はっきりではないが確かに、みるみるあちこちに結界のようなものが張り巡らされる。
”範囲の指定は完了した。『破』を実行し、すぐさま脱出せよ”
「......『破』!!」
ウラナはこの指令を受けず、すべて一人でやっていたのか。やはりそこが現世の人間と死神との違いなのだろうか。
シャルロッテには余裕がなかった。どう脱出すべきか聞けず、実行してしまった。
「............や、やむを得ん!!」
女王室にある窓から身を乗り出し、覚悟を決め飛び降りた。その瞬間、
ドン!ボンッ!ドッ、ボボボボボン!!!
花火でも上がるかのような音がして、王宮のあちこちが爆発し、爆ぜたところから崩れ落ちてゆく。
一方のシャルロッテは、一度覚悟を決めただけに、一切重力に逆らっていなかった。
”次だ。安全に着地するために、対象物のない『囲』を使用する。その硬さ、硬度は我が指定する”
「......『囲』!」
自分の落ちるだろう場所に、トランポリンのような柔らかいものが姿を現す。
”気をつけろ。我を振るとあの結界は壊れる。安全に着地したくば、我を上にかざせ”
何も言わず、言う通りにする。
「おい!逆賊の女だ!目の前にいる、捕らえろ!!」
兵士の一人が叫び、それを合図に大勢の兵士がシャルロッテの方へ迫ってくる。
”逃げろ”
「なっ......!?」
”先程二、三百の兵士と剣を交じえる、とは言った。が、それが明らかに数の上で不利であることはお前には分かっているはずだ。その選択肢が有効である限り、我は逃げることを提案する”
「......了解した」
”だが背後を狙う輩は多いはずだ、その対策はしておこう。シャルロッテ、先程までの時間でお前専用の機能の開発が間に合った。『囲』と『識』を同時に実行せよ”
「続けて唱えればいいのか?」
”そうだ”
「......『囲』、『識』!!」
飛び降り、ふんわり着地し、再び走り出す。シャルロッテの背中を、例の結界が覆う。
「『識』とは、いったい?」
”後ろを振り向けば分かる。リスクは高いがな”
「少し、なら!」
後ろの兵士は接近戦を不利と考えたのか、みな銃を持って構わず撃ち込んでいた。
”『囲』によって基本的に背後から来る攻撃に関しては防ぐ。さらに一応確率論にはなるが、『識』でその攻撃を跳ね返す”
「確率論?」
”開発にかける時間が短かったうえ、ウラナなしだったからだ。どちらの条件も満たされていれば確定で跳ね返せていた”
その間にも次々に銃弾が撃ち込まれる音がし、コンッ、という鈍い音やカンッ、という甲高い音、さらに跳ね返ったのであろう銃弾で被弾し兵士たちが声を上げるのが聞こえた。
”後ろは放っておけ、お前は前だけ注意して、”東の国”まで入れ!”
* * *
「大丈夫?気分はどう?」
「い、......今は、何とか」
あれよあれよという間にレイナはウラナにお姫様抱っこされ、空高くを飛んでいた。お腹の中に赤ちゃんのいるレイナを気遣った格好だ。
「このまま”東の国”まで突っ込むことになるけど、問題ない?」
「お、おそらく」
「どうして、こんな?普通に手をつないで、飛んだ方が楽なのに」
「あんた、クロロホルムちょっと吸っただけにしては、体調崩すの長すぎだとは思わないの?」
「えっと、まあ、確かに......」
「普段人のウソはすぐ見破るくせに、自分のことには鈍いのね」
「え......?」
「お医者さんのシャルロッテによればあんた、お腹の中に赤ちゃん、いるらしいわよ」
「......本当に?」
「まあ確実じゃないらしいから何とも言えないけど。もしものことがあったらまずいから、あっちに着いたらもう安静にしておきなさい?」
「......うん、そうする」
「そんなに和んでもらっては困るねえ」
「.........出たな、クソオヤジ」
「クソオヤジとは失礼な。私を誰だと思っている?」
「他人のお腹、それもよりによって女のお腹バカスカ殴れるやつを名前では呼べないわね?」
「ほう。その憎まれ口も清々しいからしばらく聞いていたいものだが、こちらには生憎時間がない。君は利用価値のあるリンツ君とは違う。あれほどまでに我々の計画を総崩しにした輩は初めてなんだ、これを早めに始末しない手はないんだよ」
「あんたなんかにあたしが『始末』できんのか、しっかり見せてもらおうじゃないの......!」
「なるほど、......その余裕、早速叩き潰させてもらうぞ!!」
サー・グラーツは、ウラナが見下ろす地面に立っていた。だがすぐ後には、ウラナと同じ位置にまで飛んできていた。
「飛んだ!?」
「この能力は”使い勝手”がいいねえ」
「......翼まで出せるなんて、使いこなしすぎでしょ」
同じ位置にいる二人に有利、不利はない。容赦なく拳が飛んでくる。
レイナに。
「ちょっと......あんた!」
すんでのところでかわす。
「クイーン狙うなんて、見境なくしたのかしら?」
「君と共に逃げるということならば、仕方ないだろう?」
続けて反対の手で飛んでくる拳を避けきれず、レイナとともに回転して落ちる。
「おぶぶぶぶ......」
”ウラナ!レイナを『囲』め!”
「......なるほど!」
回転のタイミングを調整し、足から地面に着地する。
「『囲』!!」
レイナを下ろし、結界で二重に囲み、腰に収めていたガーネットを構える。
「言っとくけど、......あたしがこれ持ったら、あんたみたいなネズミ、どんなミンチになっても知らないわよ?」
「ほざけ」
「『囲』」
丸ごと結界で囲む。
「私にそのような小細工は通用しないぞ?」
ジャケットのポケットから出た黒い瘴気のようなものが男を覆い、ウラナの作った結界は溶けていった。
「”邪魔者を絶対的に消し去りたい”理想......?」
「悪いがこいつにばかり頼っていては勝ち目がないと思ってな」
グラーツも抜刀する。
「あんたにそんなたいそうなもんは要らないのよ!」
「どうかね?君は強がるのが好みのようだが」
斬り合いになるのなら使うべきものがある。
「『録』」
それだけ唱えて、むしろウラナの方から突っ込んでゆく。臣下の中では最高位の位である総統とは言え、やはり研究者が本業なのか、人間のような単純な斬り合いではウラナが優勢だった。ウラナが叩き込むのをグラーツは受け止めるので必死な様子だった。
「それだけでらちが明かないということは、とうに分かっているはずだろう?」
「ええ、もちろん。『施』!」
グラーツの頭上で閃光が弾け、高威力の5斬撃が一つとなって襲う。
シュパッ、と切れる音がする。
「......チッ」
『施』を初めから使うつもりでいたので、単調にならないよう様々な方向から切り込んでおいた。グラーツのジャケットはあちこちに切れ目が入り、破れていた。
「さて、あんたがさっきのをもう一発食らって、生きて帰れるでしょうか?」
「この......小娘のぶ」
「『施』」
一度『録』で記憶させておけば、限界はあるものの『施』を何度も使用できる。理想や希望が何でも通る世界に干渉する能力が相手なら、もう行動前に策を潰していくほかないと思ったのだ。もはやセリフもまともに言わせない。
実際男がジャケットを元通りにする暇はなく、ジャケットの切れ目からさらに奥を斬られたグラーツの身体からは、ところどころ血がにじんでいた。
「あんまり何回も同じ手使うのも味気ないし、ちょっと趣向、変えてみましょっか」
ウラナは右腕の傷口をかばうグラーツに、笑いかけた。
「『囲』『気』―――其は、水の起源」
ウラナとグラーツの二人に、シュー......という、戦場には似合わぬある種不気味な音が聞こえる。
「どうした、突然?」
「あんたに使える『囲』の容量は限られてるから、今のうちに片づけておこうと思ってね。まあすぐに分かるわ......『破』」
シュー、というその音にとってかわったのは、
ポォォォォォンンンンッッ!!
倉庫に積まれた火薬に一気に火が付いたような、大規模な爆発を想像させる音だった。
「.........っっっ!!!???」
グラーツがそれに合わせ、派手に吹っ飛び、近くのビルの壁に激突する。近くでそれほどの音を出しうるような爆発が見当たらないにも関わらず。
あまりの威力だったのか、そのビルは衝突した場所が砕け、粉砕したコンクリートにグラーツの身体は若干埋まってさえいた。
ウラナがゆっくりとした足取りで、ボロボロになった最低な男に歩み寄る。
「き、......み......これは、どういった能力で......」
「能力も何も。あたし自体に能力はないから、ちょっと工夫させてもらっただけ。簡単に言えば、例の結界に『水の起源』―――水素を詰めて、ポンッ、と爆発させた。それ自体でのケガはないでしょ?......まあ最も、その後思いっきりコンクリートに激突しちゃ、ケガなしでは済まないとは思うけど」
「水素......ね......面白い、だが、私の能力を使えばっ......」
「だから無理だってば」
「は.........?」
「あんたは今その目で、どこかが爆発するのを目撃したわけ?あんたが死んでないから、まさか自分の身体じゃあるまいしね」
「君は......今の爆発音が、爆風が、人一人を吹き飛ばし、コンクリートの破壊を引き起こす威力が、......すべて、ハッタリだと?そう言うのかね?」
「ばーか。ハッタリじゃないわよ。......正解出ないみたいだから言うわ。あたしが破壊したのは、あんたの能力、そのものよ」
「能力、そのもの......?馬鹿な、あるはずがない、そもそも理想が叶う世界に”干渉”するのがこの能力なのであって......」
「あたしがさっき言ったこと、覚えてる?あたしに刃向かうなら、どんな形でミンチになっても知りませんよ、って。手始めにあんたのしょぼくれた希望、なんてのをミンチにしてみたんだけど。どうかしらね?あんたの持つ『理想世界』そのものをこっぱみじんにされた気分は」
グラーツのジャケットは先ほどの爆発でもはや原型をとどめていなかった。もちろん試験管を次々取りだしていたポケットなど、影も形もない。
「......ふふっ」
グラーツの口元が、ほころんだ。
「そうか、そうか。私をこのようにして、総統である私をここまで追い込んで、もう勝った気分か?あともう一歩で殺せるから呑気に構えていて、大丈夫だということか?」
「......あんた、今のあたしがそんなに余裕ぶちかましてるように見える?確かに向かって来れば即座に反撃する準備はしているけど、そんなに余裕を見せているつもりはないんだけど」
「人に流れる感情には、種類があるんだ。もちろん自分で制御可能なものはたくさんある。だけどね、そうじゃない、気づかぬうちに”匂わせてしまう”感情だってあるんだ。君の『余裕』はそれだ。君がそうじゃないといくら否定しても、自然とにじみ出ているんだ。だからね......」
―――隙しかないんだよ!!
そう聞こえる言葉を発し、男がウラナに迫ってくる。
「だから、あたしにそんな余裕が、どこにあるって言うの」
相手が自分を殺しにかかってきているとはいえ、死神がむやみに現世の人間を殺す、すなわち過度の干渉はご法度だ。よほどのことがない限り、死神禁忌に引っかかると言っても過言ではない。だから、
「......あいにく、あたしにあんたを殺す気はないの。だから大人しく、そこで座っておきなさい......『囲』」
飛びかかる男を丸ごと包む結界が、地面から徐々に、
形成されなかった。
「なっ......!!」
”ウラナ、結界切れだ。監獄爆破で大方使いきったんだろう。あの男を包めるほどのものは無理だ”
「じゃ、じゃあ......」
”落ち着け”
男の拳がすんでのところまで迫っていた。
考えろ。あの男を拘束できて、殺さずに済んで、かつ残りの結界で作れる程度の大きさ......
「......分かった」
まず冷静になる。周りの障害物がどの位置にあるか、もう一度見直す。
続いて鼻先目がけて飛んでくる殴打を身を翻して避ける。男が寸前で避けたことを予想できなかったか、少しバランスを崩す。そうなれば次の挙動はおのずと決まる。
「―――灯台下暗し......!」
少しよろめいた男の足をひっかける。見事にかかり、綺麗に転ぶ。
「くそっっ.........この、クソ女......!!ふざけるな死ねクソ......!!!」
すぐに立ち上がる。
「いいわよその調子!『気』―――其は、生物の根幹......!」
『囲』を使わずにこれを使うと、その気体による突風が起こる。今回は、酸素。それが渦を作り出し、男を再びコンクリートの山に吹き飛ばした。
「......ごぶおぉっっ!......」
ここまで来ればさすがに終わりだ。
「『囲』!!」
男を丸ごと覆うようなものではない、かけらのような小さな結界をたくさん作り、男がその場から自力で逃げられないよう所狭しと差す。2度も壁に激突し、男はほぼ気を失いかけていた。
「これで......いいのかしら」
”十分だ。よく冷静さを取り戻した。我を何百年と携えているだけある”
「でもあたしがあんなに血が上るなんて、まだまだね」
”レイナの結界には酸素はあまり多くは入っていない。今は兵士の追っ手もないから、レイナを連れ、逃げるぞ。もうほぼ使えない能力も多いから、これ以上連続して戦うのは避けるべきだ”
「オッケー。さっさとこんなところ、出ちゃいましょ」
ウラナは少し飛び上がってレイナのもとへ向かい、ガーネットを振りかぶってレイナを結界から出した。
「ウラナ!大丈夫?無事なの?」
「あたしは特に。それよりあんたは?酸素、大丈夫だった?」
「うん、それは。ちょっと体調も、よくなってきた」
「分かった。あと”東の国”までもうちょっとだから、そこまで一気に行くわよ」
再びウラナはレイナをお姫様抱っこし、飛び上がった。
飛び上がってしばらくした頃、レイナが少し首を動かして言った。
「あれは......」
その目線の先には大きな宮殿があった。
「”東の国”の元王宮よ。もう間もなく。面倒ごとにしたくないから、一回国境の手前で降りるわ」
「......貴様、何者だ」
名前と、”東の国”から連れ去られたことを伝えた。
「......ひとまず、王宮まで来てもらおう」
その言葉とともに、ウラナが緊張から解放されたのは確かだった。
* * *
「(追っ手が消えた......?)」
シャルロッテは前から来る敵だけをなぎ払い、ひたすら走り続けた。だが不意に喧騒が遠ざかった気がして振り返ると、兵士たちの姿はまばらだった。
「どうして?」
”ウラナがサー・グラーツとやらと交戦中だ。そちらに回ったのだろう。だがゼロではない、十分に気をつけろ”
「......分かっている!」
少し足を止めたが、再び走りだす。何も余計なことは考えない。ただ脱出することだけを考える。
”......提案、なのだが”
「何だ」
”今よりはるかにスピードを上げる策が存在する”
「それをもっと早くに」
”不可能だ。敵がいなければこそ実現する。背後の『囲』を解除する必要があるからな”
「......なるほど。了解だ。せっかく人間離れした貴様を使っていることだ、ありがたく使わせていただこう」
ガーネットが語りかけた通りに、シャルロッテは唱えた。
「......『気』―――其は、生物の根幹!」
まるで爆風の様だった。空気の渦が背中に発生し、急速にシャルロッテの身体を押す。
「うおおおおっっっ!!!」
驚いたのは民家も窓ガラスもコンクリートもお構いなしということだ。すべてシャルロッテの身体の前ではバラバラになり、横へ流れてゆく。
「すごい......」
”まあ、危険だから多用はお勧めできないな”
気づけばもう国境が近かった。
”ちょうどいいな。そろそろ効果が切れる”
国境の門番のところまであと数十歩というところで、爆走が止まった。
「ふう、ふう、......」
少し息を整え、ゆっくりと国境まで歩く。
「誰だ」
「シャルロッテ・リンツ。元連合国軍大佐」
「.........ほう?」
「帰還だ、ジョーゼフ・トゥールーズ少佐。迷惑をかけてしまい、すまなかった」
「たっ......大佐!ごっ......ご無事、だったのですか!!」
年甲斐もなく、ジョーゼフと呼ばれた男が上官のシャルロッテに飛び込む。
「待たせた、少佐。私はこの通り、無事だ。貴官は、私のいない間、うまくやれていたか」
「いえ、大佐には到底......!」
しばし同朋との再会を喜び合った後、シャルロッテは無事、『伝説のリンツ大佐』と認められ、”東の国”へ入国した。




