#45 『クイーン』
「......。」
「......。」
「......。」
まさか、レイナが連れ去られるとは。しかもウラナとともに。
2人連れ去られるところを目の当たりにしたシェドたちができるのは、この後どうするのか、考えることだけだった。
「シェド、落ち込むな。あれは、......俺たちにはどうしようもなかった。銃で撃たれれば、現世にいる死神の俺たちも等しく死ぬかもしれない。......そのことを思って、足が止まったんだろう?」
エニセイが落ち込むシェドを元気付けようとした。
「でも、......もっと早く、気づいていれば......」
「今更悔やんでも遅い。それに気づけなかったことは変わりはしない」
「それに気づけたとしても、何か対策ができたでしょうか?後ろから忍び寄り、布をあてがって気絶させ、抱えて連れ去る。無駄のない挙動でした。おそらく前々から計画していたのでしょう。ならば我々が割り込む隙があったでしょうか?」
「......。」
おそらく一番落ち着いていたのは、霜晶だった。
「今は、どうすれば2人が無事戻ってこられるか、考える方がいい」
「......!じゃ、じゃあ、ガーネットを!」
「ガーネット?あれか、ウラナの持ってる刀か。それをどうする?」
「俺が冥界に戻って、マドルテさんに転送してもらうよう言ってきます」
「......時間がかかることは、計算に入れたか?」
「......。」
「そのガーネットというものを使えば、どうにかなるのですか?」
「おそらくな。詳しくは分からないが、大きな打開策になるのには違いないだろう」
「でしたら、行った方がよろしいかと。あの方たちに何かあってからでは遅いです」
「分かった、じゃあ俺が行く」
「......。」
「やっぱり俺が早く気づいていれば、何かは違ったはずだ。俺が責任持って、2人を無事に助けたい。......いいよな、エニセイさん」
「ああ、そこまで言うなら」
エニセイの言葉もあまり聞き終わらないうちに、シェドは部屋を出て行った。
「......私たちは、どうしますか」
「助けに行く、と言いたいところだがな。”西の国”の中といっても、どこにいるのかは分からないだろう?それに下手に向こうを刺激して、始末するなんてことになっても困る。むずがゆいのは承知だ。......事態の変化を待とう」
* * *
「案外簡単だったな」
「さすがにクスリ嗅がせりゃ落ちるわな」
「まあ俺らプロに任せりゃ、こんなもんよ。素人が倒せるぐらいじゃあ、かないっこねえっての」
男二人の会話が聞こえる。自分たちを気絶させて、もう勝ったとでも思っているようだ。うっすら目を開けて、隣の男に担がれているレイナの方を見た。
「(......眠ってる)」
お腹が少し膨らんだりへこんだりしているから、息はある。大丈夫だ。
「(”西の国”のどこか、が問題よね......)」
誰かが助けに来てくれる、とは考えない方がいいかもしれない。素人があっさりやられると分かった”西の国”の本拠地にのこのこ乗り込むのは、自殺行為だ。
ふと、男たちの足が止まった。乱暴にドアを開ける音がし、狭い空間に押し込まれる。
再びドアの音がして、ゴトゴトと身体が揺れ始めた。
ウラナがもう一度うっすら目を開けると、真っ暗だった。窓もない。
「(トラックの荷台......?だとしたら、余計に厄介ね......)」
ウラナにもどこに行くか分からないとなると、残ったのはやはり、どこに連れていかれてしまうのか、という不安だった。
「(ガーネット......)」
あれがあったなら。今更ながら、それを思った。数日前のあの時は本当にいらなかったが、まさか自分がこうなるとは思っていなかった。
ガーネットさえあれば、何とかなったはずだ。トラックごと斬り伏せて、レイナを抱え込んで飛べば窮地は脱する。
目を開けていても周りが見えない中で、ウラナは唇を噛んだ。
* * *
「ん......?」
あまりにも身体じゅうに響くような、ズキズキとした頭痛に目を覚ました。
「ここ、は......」
自分は簡易的な、硬いベッドの上に寝かされていた。
「......!ウラナっ......!」
隣にいたはずのウラナがいないことに気づき、慌てて起き上が......
「......うぐっ!!」
起き上がれなかった。今まで経験したことのない、ひどい吐き気が襲った。
これまでで、最悪の目覚めだった。
再びベッドに伏せって、見られる限り、周りの状況を確認する。
冷たいコンクリートで作られた、飾り気のない部屋。四方のうち一つは、金属の柵だった。
「檻......牢屋?」
今目の前に広がる光景を牢屋と呼ぶのなら、その特徴とかなりの部分が一致する。
「なんで......!」
「お目覚めになられましたか」
無骨な男の声がした。
「......誰?」
「侍従長のアレン・ザルツブルクと申します」
「侍従長......高貴な身分の方のそばにあるあなたが、なぜここに?」
「やはり現状をお分かりになられていないようだ、『クイーン・レイナ』」
「クイーン......?」
「今となっては無礼なことでございましたが、身辺調査をさせていただきました」
「身辺、調査」
「ええ。日本国最高峰と謳われる帝都医科大2年の首席、高崎礼奈様。間違いありませんね」
その通りだ。最後に現世にいた時ーーー先生の危篤を受けて戻る前に、使っていた名前だった。
「日本の現役学生の頂点とも言えるあなたがこの国ーーーKetterasereiburgにいるということ、そしてあなたを我々の陣営が引き入れられたこと。これらがどういうことを指すのか、もうお分かりでしょう」
「......王という国の指導者に私を据え、”東の国”を屈服させる足がかりとする......」
「よくお分かりでいらっしゃる。その先の目的も」
「いいわ。私が女王になることが、国民に望まれているのならね」
「それでは話が早い。では早速、王宮の方......」
「ただし」
「はい?」
「私が女王になるなら、条件の一つくらい、受け入れてもらえるわよね?」
「......もちろんです」
「ウラナ......私と一緒に捕らえられたはずの赤髪の子。私の友達を、私の側近にすること。問題ないでしょう?」
* * *
アレンは焦っていた。
もちろんクイーンの出した条件が、全く意表をついたものかと問われれば、そうではない。だがウラナという名前らしい”例の女”を側近にすることがどういうことか、熟練の兵士でもあるアレンにはよく分かった。
ーーークイーンの仰せのままに。
王政を主張する”西の国”のベテラン兵士として生きているアレンにとって、王の命令に逆らうことなど考えられない。逆らえば待つのは死だけである。例は悪いが以前の王、シャルル王をはじめとしたあの一族の王政の時は、逆らえば即謀反とみなされ、民衆が大勢集まる中で、磔刑に処された。
王の周りの兵士たちはみな、王に忠誠を誓いながらも、謀反の疑いをかけられることに常に怯えていた。
このまま条件を受け入れるべきか。あるいは形を変えて、提案するか。いずれにせよ、侍従長のアレンにさえ、その決定権はなかった。
「失礼します、......サー・グラーツ」
侍従長はかなり高官の扱いである。が、彼にも一人、上司がいた。かつての王国時代からその地位にある、総統のルシウス・グラーツである。政治の最高指導者である総統だが、やはり最終決定権は王にある。とはいえ、相当重職であることに変わりはない。
「......君か、ザルツブルク侍従長」
グラーツ総統は窓の外を眺めていた。
「伝達は上手くいったかね?」
「もちろん。女王の座を、快く引き受けていただけました」
「ほう、それはそれは」
世界中を飛び回り、様々なことに造詣の深いグラーツ総統こそ、女王の出自を明らかにした張本人である。
「......ですが、条件を提示されました」
「条件、と?」
「はい。”例の女”を側近にしろ、と」
「それだけか?」
「え?......はい、そうであります」
「君、もはやそれは条件ではないだろう」
「と、申しますと?」
「我々には”例の女”を従わせる手段など、いくらでもあることを忘れたか?」
「い、いえ......」
グラーツ総統が世界中を飛び回っていたのは、元研究者だったからである。かつては特に有名ではなかったが、人を催眠状態に陥れ、意のままに操ることのできるガスを開発し、その業績も含め総統に就任した。
「”例の女”もさすがにクロロホルムには敵わなかった。ならばあのガスで十分に対応可能だ」
「......分かりました」
嘘だ。
アレン一人は、”例の女”がクロロホルムで気絶していなかったことを知っていた。戦場を渡り歩いてきたアレンは、敵の兵士が死んでいるか、あるいは気絶しているだけなのか見分けることができた。いや、そうしなければここまで生き残ってはいまい。
実行役の部下たちには、しっかり気絶させられるよう、多めにクロロホルムを持たせたのだ。それが効かないということは、つまりあっさりと従えられる望みも低いということだ。
が、事実はともかく、総統の許可も下りた。アレンはグラーツ総統の部屋を出て、クイーンのいる場所から少し離れたところにある牢屋へ向かった。
「あら、やっと来たわね。グズグズ何で揉めてるんだか心配だったけど」
「無駄口を叩くな。......貴様に用がある。クイーンの要望だ」
「クイーン?」
ウラナの部屋の檻が開いた。
「ずいぶん後で疲れるようなことやってくれるじゃないの。よりによってクロロホルムとはね」
「......嘘を吐くな」
「は?」
「貴様......気絶していなかっただろう」
「......!!」
「やはりか」
「......だとしたら、どうなの?」
「自分は長年戦地に赴き、実戦経験のある者が就く侍従長だ。貴様が運ばれてきた時、意識があることは自分の目には明らかだった」
「......なるほどね。で?あたしをどうするつもり?」
「どうするもこうするもない。このことに気づいているのは自分だけだという自信があるからな」
「ふうん。それを他の人に言ったりするつもりは?」
「ないな。言ったところで信じる者がいるかどうか。貴様らの拘束を命じたのは自分だが、使いようによっては常人が中毒死する量を渡した」
その男についていくと、自分がいたのと同じような牢屋に着いた。
「あの方だ、クイーンというのは。クイーンの座に就くことに承認いただけたから、間も無くそれ相応の部屋に移って頂くつもりだが」
硬そうなベッドの上に、金色の長い髪を花咲かせ横たわっている女がいた。
まぎれもない、レイナである。
「今日中には部屋を調えられるはずだから、申し訳ないがしばらくここにいるよう頼むぞ」
そう言って牢屋の鍵をかけ、男は去っていった。
「......レイナ?」
声をかけると、こちらを振り向いた。
「......ウラナ!」
「......ったく、何から言ったらいいか......」
「まさか現世に来て早々捕まるなんてね......」
「あれはあたしも油断してたわ。あんたは気絶してたでしょ?」
「うん、今も気分悪い」
「仕方ないわ、相当量のクロロホルムだったみたいよ」
「ウラナは大丈夫だったの?」
「なんとかね。直前で気づいたから、気絶せずに済んだわ」
「さすがウラナね......」
「ところであんた」
「はい?」
「”西の国”の女王になるって、正気?」
「あのね」
レイナが少し声を落とした。
「......何も考えずに、そんなこと言うと思う?」
「よかった、正気で」
「まああっちからすれば、私がそうなるのはほぼ確定だったみたいだけどね。とりあえず戦闘が得意じゃない私が、ウラナと一緒にいなきゃ、話にならないでしょ」
「得意じゃないって言ったって、十分チートだからね、その能力。相手がわざわざ止まってくれるなんて」
「でも代償が大きいから、足したらむしろマイナスじゃない?」
「それでも能力がないよりずっと戦闘向きよ。......エニセイさんなんか、ちゃんと能力なくても頑張ってるんだから」
「あ、ちょっとえこひいき入った」
「う、うるさい!」
「......準備が整いましたので、どうぞ」
また別の男がやってきてそう言い、再び牢屋の鍵が開いた。
「......いい?一応私が女王で、ウラナは『お付きの人』に過ぎないから、それらしく振る舞ってね」
兵士の男(さっきの侍従長ではない)には聞こえないほどの小さな声で、レイナが言った。
「分かってる」
幹部たちには自分たちが単なる友達であるということは知れているのかもしれないが、何か疑われると厄介なので、そうした方がいいというのは、ウラナも思っていた。
牢屋を出て男についていくと、左右に薄暗い牢屋がいくつも並んでいた。
「私たち、こんなところにいたのね......」
「不快な思いをなされているのであれば、申し訳ございません。ここの建物は旧王国時代から使われております、重犯罪者の収容施設です。政治犯も反逆者も、階は違いますがここに収容されておりました」
「今は違うの?」
「今も現役です。この階はクイーンのために全て空けてありますが、他の階には収容されている者がいます。一般人にお姿を頻繁に見られてはなりませんので、ここの最も状態がよく、最も広い部屋を探しましたところ、あの部屋になった次第なのです」
「......やっぱり最初から、女王にする気だったみたいね」
レイナはまた、ウラナだけに聞こえる声でそう言った。
やがて下を見るとめまいがしそうなほどに急な、鉄筋のらせん階段までついた。怖いのでウラナの手を握りつつ降り切り、振り返ると、暗い雰囲気の立ち込める、不気味とも言える建物がそこにあった。
「いかにも収容所っていう感じね......」
「......お乗りください。ここから新王宮まではしばらくかかります」
リムジン、と聞いてすぐ思い浮かぶような姿そのものの車がそこにあった。
今度は丁寧な対応だった。もう捕虜ではない。
「......車内で申し訳ないのですが、クイーンには公務中、このリボンタイをつけていただきます。今後この機会は何度も訪れると思われますので、今行って頂きたいのです」
豪華な装飾の箱が、......ウラナに手渡された。
「あたし?」
「......ほら」
レイナが顔、ではなくのど元を近づけてきた。
「......そういうことか」
あまり慣れないことだったが、何とかレイナにリボンタイをつけられた。
「いいじゃない、これ」
どこか一国の統治者らしい雰囲気が漂っていた。
「それは代々、女王が身につけておられたものです。旧王国時代は女王があまりおりませんでしたから、使われていた時期はごく短いものですが」
窓の外には、ちらほら民衆が行き交っていた。......だがレイナの見る限り、”東の国”のように、皆が幸せそうな、楽しそうな顔をしているわけではなかった。”東の国”は少なくとも、暮らし向きが悪くないのだろう、ということが感じ取れた。国土が狭く資源に乏しいのか、こちらの国はそうではなさそうだった。
そんな民衆の様子に反して、目の前に現れた新王宮は豪勢に見えた。
「どうぞ」
入ってすぐのところにある、長いカーペットの敷かれたらせん階段を上ると、大きな部屋のドアが姿を見せた。これがクイーンの部屋らしい。
「ディナーの時間までしばらくありますので、ごゆっくりなさってください」
男はそう言ってドアを閉めた。
「ふう」
「......あんた」
「はい?」
「本当に正気?」
「どういうこと?」
「本来こんなはずじゃなかったでしょうが。完全に女王になった自分の現状で満足してるでしょ」
「そんなことないよ?」
「そんなことないなら、何でそんなに呑気でいられるわけ?」
「呑気でもない。......ウラナ、帝都医科大、なめてるでしょ」
「は?どういうこと?」
「前にウラナが先に帰った時、大学の手続きするから残る、って言ったよね。もし帝都医科大に通るのにそんなに苦労してなかったら、すぐにでも手続き終えて、ウラナと一緒に帰ろうとするから」
「......まさかあんた、」
「......一つの大学に入るのに3年かかるとは思ってなかったわ。でもまあむしろ、3年で入れた方が珍しいのかも」
「そうだったのね......」
「いい?私はいつも、何が起こるか、考えながら行動を起こしてるから。心配しなくても大丈夫」
だから、とレイナは言った。
「ひとまず私のために紅茶を淹れてくれないかしら?ミルクは少しでいいわ」
「やっぱ何も考えてないわね!?」
レイナの頭をぐりぐり。
「あいたたたっ!......もうっ、私は女王さまなのよーっ!?!?」