#36 血の大殿前演説事件
冥界――悪魔のいない限り決して銃声などするはずのないこの冥界で、その音がした。
その場は一瞬で混乱に陥った。
逃げようとする人々、その場にうずくまってしまう人々、腰が抜け逃げようにも逃げられぬ人々。
戸惑う民衆の群れの中に、演説台の上から男がまっすぐに倒れていった。
「だっ……誰か、警察と救急を!」
「分かった!」
何とか落ち着きを保っていた者たちが、助けを呼ぶ。
だがその倒れこんだ男は、既に息を引き取ろうとしていたのだった。
* * *
「次に起こったのが、『血の大殿前演説事件』ですよね」
血の四冥通り事件に続き、別の日エミーはギミックからその次に起こった冥府革命集団関連の事件について聞いていた。
「そうだ。先の事件で主死神アレクサンドロと、四冥神のトップだったお袋、それから2番目だったハデスさんの抹殺をいったん断念した集団は、他の重職に手を出した。基本的に各省は得た情報の中で民衆に発表してもよいと許可されたものは、その省の前や大会議室などで行われる。偶然同じ日に機密省、警察省、総務省、そして大殿でそのような発表があったが、それぞれの発表の代表を務めた4人がすべて殺された。しかも冥界に存在するべきではない銃で、たった一発ずつでな。特に総務省の発表の代表は十聖士、大殿の方に至っては四冥神の4番目だった」
「同じ殺し方が4件も起きたことが、冥府革命集団の関与が疑われるきっかけになった」
「4件も一度に起これば、むしろ気づいてほしいと言わんばかりだな。そしてもう一つ重大なのは、この事件では誰も逮捕者が出なかったことだ。銃を集団が使ったことも大きい。当時はセントガーネットが銃殺されていたことは分かっていなかったからな。戦争後アレクサンドロを拘束した後に分かったことだ。当然悪魔の仕業だ、退治してくれと、民衆が騒ぎ、苦情が殺到した。直訴した相手が悪魔だとは知らずにな。」
「それなのによくアレクサンドロは事件に対応しましたね」
「確かに悪魔の仕業だと当時言われた事件に、本物の悪魔が解決しようと取り組んだのは疑問かもしれないが、ゆくゆく冥界を混乱させる計画をしていたアレクサンドロにとって、死神の反乱者は邪魔だったのかもしれないな。特にセントガーネットは自分を殺そうとしている」
「一人でも身元が割れれば、違ってくると思うんですけどね……」
「やはりセントルビーは、何も吐いていないか」
「ええ。例の事件で逮捕されて以来、組織のことに関しては自分のこと以外、一切しゃべっていません。今もなお」
冥府革命集団のメンバーは、いかなることをしても白状しないように訓練されていたのか、セントルビーは顔こそ苦悶の表情を浮かべていたものの、他のメンバーの情報は決してしゃべることはなかった。てっきりある程度の情報は得られると警察省が踏んでいたこともあって、捜査が難航している。
「今日も、ありがとうございました」
「こちらこそ」
もちろん、ギミックさんから聞く話の中には、知っている情報はたくさんある。ただ、より密接な形で一連の事件に関わったギミックさんの話を聞くことが、何かにつながるのではないか、そうクルーヴは考えていた。
―――特に、1日で、2人の盟友を亡くしたギミックさんの話だから。
* * *
その日ギミックは、非番だった。家にいてもすることがないと感じた彼は、ついでだから、と大殿に出向いた。彼が成人し、働き始めたころから面倒をよく見てくれたその人がせっかく表に出るのだから、ということである。
その人は人前にしゃしゃり出て、大きなことを語るだけ語るような、傲慢なタイプの男ではない。謙虚であるとも言い難かったが、みなその人の言うことを聞いていると賛同せずにはいられなくなるような、絶対的な話術を持ち合わせた男ではあった。
その人の前まで行き、声をかけると、
「おお、元気かギミック。来てくれたのか」
「ああ、今日は非番で暇だからな。お前の話を聞きに来てやった」
「聞いたか?今日はめったにない日だ。会見日が、上位三省と大殿、すべて重なっているらしい」
「本当か」
「疑うなら行ってみればいい。……だがそのおかげで、ここに来ている民衆はいくらか少ないようにも見えるが」
「どのみち虜にするなら変わらないだろう」
そうこうしていると、彼の時間が始まった。
毎回のように、聞く人を夢中にさせる。
その話が、次の段階に入ったと思われた、その時だった。
その場に似合わぬ乾いた音が、遠くでした。
現世なら、また子供が風船でも割ったのだな、と言って済まされてしまいそうな、遠くからの小さな音だった。だがギミックにはその時だけなぜか、スローモーションのように見えた。
光線のように飛んできた銃弾が、演説台の上に立つ彼の脇腹に刺さり、勢い衰えぬまま身体を貫いていったのを。
彼の身体はバランスを崩し、群衆の方へ倒れこんでいく。
皆一斉に混乱に陥る。
ほどなくして大殿に一番近い警察省でも悲鳴が上がり、総務省の方角から青ざめた人がこちらへ逃げてき、機密省の方からけたたましいアラート音が聞こえた。
逃げ惑う群衆の中で、妙にギミックは落ち着いていた。
そうだ。
今まで会見日がこんなに重なることなど、一度もなかった。
彼からその情報を聞いた時点で、何かあると疑うべきだったのか。
「……ギミ……ック…」
その声で、ふいに現実に戻された。
彼は砂がこぼれ落ちる目で、まっすぐギミックを見つめていた。
「何が……何が、起こったんだ……?」
「……撃たれた」
「……?」
「撃たれたんだよ!!」
声を荒げてしまった。瀕死の盟友を前にして。そうやって怒りをぶつけても、意味などないことは分かっていたのに。
「何でだよ…何でお前が……意味が分かんないよ…」
「……ギミック」
彼は撃たれてもなお、落ち着いていた。
「……なあ、ギミック…俺、死ぬのか……?」
そんなに砂をこぼして、まだ死なない、大丈夫だと、希望を持たせたくなかった。
ただの絶望より、希望を味わってからの絶望は、より残酷だ。
「……そうかもしれない」
「……悔いは、ないよ」
「嘘言うなよ!?」
「嘘じゃない。なんかさ、死ぬ覚悟が出来たよ」
そうやって思わねえと、俺は報われる気がしねえ。
その言葉を、ギミックは一度たりとも忘れることがなかった。
その言葉を胸に、生きてきた。
警察省の一員として、この事件の犯人を絶対に捕まえなければならない。
その頑なな決意は、戦争で揺らいだ。傷を負って、いつ死ぬか分からない状況に立たされたからだ。
そしてもう、その目的が果たされないまま、自分も死のうとしている。
その願いが果たされるのなら、とクルーヴに自然と期待しているのかもしれない。
当時は例の組織が事件を起こしたという事など、分かっていなかった。今も、そのメンバーの多くは分かっていない。だが、冥府革命集団というものが存在し、その組織の関与があったというところまでは分かった。
「冥界の負の遺産」を、早く消してほしい―――。
* * *
冥府機密省の2階には、警察省の手の出せない、重要案件に関する被告を収容する監獄がある。通称、“監獄のフロア”。処理課の管理する、一度入れば自力で抜け出すのは機密省の建物全体が吹き飛んでも不可能な監獄がズラリと並ぶ、殺風景な階だ。
そのフロアには処理課からしか行けないようになっており、そのためのエレベーターを動かすためのカギは、処理課でも数人しか持っていない。たとえ脱獄できても、機密省の建物、いや2階からも逃れられないということだ。
その階の最も奥、窓も時計もない部屋に、『血の四冥通り事件』で逮捕された幹部の一人、セントルビーがいる。彼は逮捕以来、百数十の拷問、尋問を受けてきたが、自分の本名以外、一切口を割っていない。
彼の本名は、モルガ・ド・ルゴール。彼自身は、どこか有名な家の出とか、そういうわけではなかった。
彼はここ最近よく聞く、“監獄のフロア”に似つかわしくない音を聞いた。
―――バタン!
「あいたたた……」
その次に電子音。
「もしもし?あの、また、やっちゃいました。34番です。はい、ごめんなさい……」
そしてセントルビーのもとに、その女はやって来た。
「お久しぶりです」
ミュール・ブレメリア。白い髪、白い瞳をしたこの女は、機密省にギリギリの成績で入省したチャレンジャー。もともとは史纂弐課だったが、数十年の時を経て、処理参課と兼任しているらしい。そしてこの“監獄のフロア”につながるエレベーターを動かすカギを持つ、数少ない一人でもある。
「…また転んだのか」
「そうです、こけた弾みで空いた部屋の檻を閉めてしまいまして」
一度閉めてしまえば簡単には開かないので、ヘルプを呼ぶ必要がある。
えへへ、と笑いながら、ミュールは続けた。
「最近どうですか、調子は?」
「お前が来るようになって、精神衛生的にはよくなったよ」
これは事実だ。これまで引っ張りまわされて拷問を受けてきたことを考えれば、今ミュールというこの女がこうやって話をする―――おそらく、ほころびを見つけて情報を引き出そうという魂胆なのだろうが―――そうすることで、何かが変わった気がするのだ。
「今日は何も情報、言ってくれないんですか」
「ぶはっ!?」
アイスティーを吹き出してしまった。と言っても、もともと温かい紅茶が放置され、冷めただけのものだが。
「……今日はえらく直接的に聞くな」
「これだけ私が来ていて、雑談をしに来ているとは思っていないでしょう?」
「確かにそうだが」
「なので揺さぶりを、と思いまして。残念ながら、」
「そんなもので動揺していては、幹部は務まらん。たとえ下級幹部でもな」
「……下級幹部?」
「…おっと、言っていない情報だな。忘れろ」
「いえいえ!?どういうことですか!」
「忘れろ」
「上の人を呼んで拷問にかけますよ」
「………。」
拷問よりも、“上の人”を呼んできて拷問するあたりが恐ろしい。誰かにもよるが、一人だけ、本当に苦しみ悶えた拷問をした奴がいた。
「どうしますか?今言えば、少なくともこれからの拷問はなくなりますよ」
有無を言わさない笑顔。
「……分かった」
「さっきも言った通り、俺は幹部は幹部でも、下級幹部だ。最高幹部はもちろん、普通の幹部とも全く扱いが異なる」
「そんな階級があったんですね……」
「俺は閣下以外、メンバーの名前を知らない。それどころかコードネームさえ分からない奴もいる」
「“閣下”はもう素性が割れてますからね」
フェルマー・カナリヤ・レインシュタイン、レイナの実の兄だ。だから処理参課と協力することの多い史纂弐課にレイナが来たとき、処理参課の面々は気まずそうな顔をしていたのだ。
「基本的に下級幹部である俺が、他の面々の正体を知ろうとすることは許されなかった。まるで機密省の情報管理のしかたのようだったな。……だが」
「おお!?」
「焦るな。……俺は一人だけ、その本名も含めて知っている奴がいる。普通の幹部だ。コードネームはセントサファイア」
「セントサファイアって、…『血の四冥通り事件』に出てきた……」
「そうだ。よく調べているようだな。奴の本名はガリレイ・ハイビスカス。そいつを調べてみるといい。何度も言うかもしれないが、俺の知る情報はこれぐらいだ。拷問されて何もしゃべらないのは、言うまいとしているのではなくて、言うことがないだけだ」
ミュールは気分がよかった。何せあのセントルビーが、1つ新しい情報を吐いたのだ。
「いい報告、できるかな?」
もともと長い間情報が得られなかったので、何か成果を得てこいと言われているわけではないのだが、やはりあるのとないのとでは違う。
エレベーターにカギを差し込み回すと、暗い“監獄のフロア”に、光が差す。
ミュールはエレベーターに乗り込み、処理参課へと戻った。
「……どうだった」
「新しい情報です」
「なにぃ!?」
上司の男の人―――入省前に怪しげな勧誘をしていた人だが―――が叫ぶと、たちまち処理参課全体にどよめきが伝わった。
「どういう情報だ」
「セントルビー自身は下級幹部で、ほとんどのメンツを知らないそうですが、1人だけコードネームと、本名も知っていました。セントサファイア、本名はガリレイ・ハイビスカス。この男について調べろ、と」
「調べろ、か……そう言ってたのか?」
「そうです。…どうかしましたか?」
「調べるということは、個人情報だろ」
「そうですね」
「機密課と交渉しないといけない」
心底いやそうな顔をしていた。
「機密課?」
「個人情報の倉庫の番人だ。機密省の奴が行っても滅多に通してくれない。30分以内の交渉で押し通せるのは、せいぜい機密省のトップぐらいだ。たぶん処理参課のボスが行っても一日仕事だ」
「一日……」
「冥府革命集団関係だから通せと言って、何時間かかるか……」
「私が行きましょうか?」
「論外だ。お前だと恐らく入口のガードマンと面会さえできない」
「えーーー……」
「ひとまずボスにかけあってみる。用があればまた呼ぶから、史纂二課に戻っていてくれ」
「分かりました」
史纂二課と処理参課をつなぐエレベーターに乗り、着いてドアを開けると、金色の髪の女の子が腰に手を当てて立っていた。
「遅いよ、ミュール!」
「えへへ、ごめんごめん」
そういえば大事な作業の途中で、セントルビーに面会するよう処理参課から要請されたのだった。レイナに仕事を丸投げしてしまっていたことになる。
「なにしてたの?」
「今日も面会だよ。たまたま新しい情報を言ってくれて、それで長引いただけ」
「じょっ……情報!?」
「セントサファイアの本名を言ってくれただけ。それ以上は知らなくて、後は調べてくれ、だって」
「そっか……でも、すごいじゃない!今までほとんど何も分かってなかったのに」
「確かにね。半分脅しだったけど……そういえば、ギミックさんはどうなの?」
「元気みたいよ。エミーもお見舞いに行ってくれてて、例の集団について、実体験を聞いてるんだって」
その言い方をするということは、レイナには話していないのだろう。レインシュタイン家の者が関わっていた以上、話すことさえ禁忌なのかもしれない。
「……ほんとはね、私、兄さんのこと、あまり知らなくてさ……」
まるでミュールの心の中を読んだかのように、レイナが言った。
「そうなの?」
「うん。最後に会ったのは赤ちゃんの頃らしいわ。ギリギリ組織が活動し始める前で、だいぶ今では顔つきも変わってると思うけど。ロルはアレクサンドロの戦争の後の生まれだから、そもそも知らないし」
「そうなんだ……」
「でも優しそうだ、って思った気がするんだけどね。身元が特定されて、その顔がテレビに出回りはじめたときはショックだった」
ミュールは一人っ子だから、自分の兄が冥界の敵だと分かったときの気持ちは分からない。でも機密省でいろいろと世話を焼いてくれるレイナが何か悩んでいるのなら、力になってあげたいと思うのだ。
冥府革命集団の全貌を明らかにするのが、それにつながるのなら。
そう思って、レイナには事後承諾で、処理参課との兼任をはじめたのだった。
「そうだ!!」
「ええっ!?」
「レイナが来ればいいんだよ!」
「へ?へ?何が!?」
「ちょっと来て、レイナ!」
ミュールはレイナをグイグイ引っ張り、処理参課へ向かった。
「ちょっと!腕!腕抜けるって!!ミュール!?」
「んー、……どうだろうな、それ」
「ダメですか」
「ミュール、お前が行くのよりは手間がかからない。たぶん」
「そうですかーーー……」
「いや、私を引っ張り回しておいてその反応はないでしょう!?」
「レイナがいれば顔パスだ!って思ってたのに」
「いくらレイナでも顔パスはないな。さっきも言ったが、機密省の長官でも30分の交渉がいるんだぞ?」
「じゃあその現場を見たことがあるんですか!?機密省トップの人が30分直談判するところを!」
「…………………ない」
「ほらあ!」
「そこ勝ち誇るところじゃないと思うよ?」
「行ってみないと分かりませんよ!特に用件が用件だし!……そうだ!もう1人顔見知りを連れてきます!レイナ、行くよ!」
「えっ!?ちょっと!?もう……!!」
* * *
「……何、もう?夜勤明けなの、勘弁して」
声の主は毛布にくるまった。
「そう言わずに。あなたの力が必要なんです」
「何とかならない?」
「……分かった。行くわ。けど、2時間。あと2時間、寝かせて。いい?」
「了解!おやすみなさい」
「あのねミュール、いくら何でも……」
「分かってる。結構無茶かもしれない。でも、やるっきゃないわ!」
2時間後。
「おはようございます。お目覚めいかがですか」
「バッチリよ」
「ショートスリーパーなんですね」
「今は大丈夫なだけよ。たぶんまた眠たくなると思う。で、どうすればいいの?」
「地下から来て下さい。そちら側のエレベーターの前にて、お待ちしています」
さらに後ほど。
「例の人を、連れてきました」
「…………!!おい!大丈夫なのか?」
「夜勤明けだそうです」
「全然大丈夫じゃないだろ」
「少し拘束時間をいただくだけです。心配はいりません」
「確かに、だいぶ“上の人”ではあるが……警察省長官、クルーヴ・エミドラウンか……」




