#35 ”東の国”
帰ってくるときも泥がはねて大変だったが、今も苦労している。 エニセイもウラナも、少し足を浮かせるような歩き方をしていた。
「……行くタイミングを間違えたか?」
「そうね……もうちょっと地面が乾いてからの方がよかった」
「冥界の中にいるだけじゃ、現世が雨か晴れかなんて分からないからな……」
「あれ?そういえば風樹はどうしたの?」
「リオグランデに預けた。あちらの方が何か変なことでもしたら凍らせる、と脅しもできる」
「ご苦労様ね……」
「まあ、あいつのことだからこっちを裏切るようなことはしないだろう。その確信はある」
「そんなに信用が置けるの?」
「ああ。悪魔軍のトップに向かって『お前に命令されるなんて反吐が出る』と言った奴だ。だからこそ俺はその時、“ゼネラル”には気をつけろ、と言った」
「そんな事情、知らなかったら普通に斬ってたものね…」
「しかも俺と競り合って俺がギリギリ勝つぐらいだ。“ゼネラル”のウラナにしてみれば……」
「割と簡単に仕留めた、でしょうね」
「俺はお前が怖いよ……」
そうやって二人が話をしていると、やがて深い樹海を抜けた。
「さあ、ここからどうするの?飛ぶ?」
「ずっと飛び続けるとどれくらいかかる」
「目的地まで結構遠いのよね……だいたいの話だけど、数時間はかかるわ」
「分かった。とりあえずその国まで飛ぼう。どこかに落ち着くのが一番安全だ」
「今例の国は、かつての王宮を含めた、国土の65%を占める“東の国”と、残りのところを領有する“西の国”に分かれているらしいわ」
「確か、もめているんだろう?」
「ええ、だから“東の国”の方が一応有利、ということかしら。その“東の国”の住民は、共和制を切望してる」
「逆に“西の国”の方は、王政復活を主張している、と」
「そう。そして、“西の国”の方では、“東の国”の人をさらったりとか、手荒な真似もやってるみたい」
「どちらが安全だ?今の話を聞く限りでは、“東の国”へ行く方が安全だということになるが」
“ええ。その判断で合ってるわ。”東の国“へ行って。私の同僚がそこで待ってるわ”
「天蘭!?」
外套のポケットに忍ばせていた通信機から突然、天蘭の声がした。
“現世にいると、冥界にいる死神と連絡が取れなくて、いろいろ不便でしょう?だからあなたの通信機だけは切らないでおいたの。……”東の国“から、仕事を始めて。話は私の同僚に通しているから、大丈夫なはずよ。恐らくあなたたちは東の国の強力な助っ人として、かなりの歓迎を受けると思うわ”
「歓迎ね……」
事前に目を通した書類には、実際にはシェドがその王子を殺したのではなく、シェドに憑かれたアルバが生きていると思い動揺し、自分で自分の喉を撃ち抜いた、とあった。
王はいなくなり、“東の国”と“西の国”のにらみ合いだけでなく、東の国の中とか、西の国の中でも揉め事が起きているという。
「……ちょっと、一回降りていい?」
「なぜ」
「雷が近いみたい。あの黒い雲の近くには、行かない方がいいの」
「そうか。地上を歩いていくと、あとどれくらいかかりそうだ?」
「うーん……そんなにはかからないと思うんだけど……」
ポツッ。
「わっ、降りだした!とにかくどこかで雨宿りを!」
結局周りに人のいない場所に降り立ち、屋根の大きい家を見つけるまでには、十分二人は濡れていた。
「くしゅっ!……うーっ、雨に濡れたら一気に体が冷えるわね……」
「……北の方だから、雨が降っても気温は低いままということか……」
そう言うエニセイも、外套だけでなく中の服まで濡れてしまったらしく、少し震えている。
「例の刀―――ガーネットに、身体を温める能力ってないか?」
「……あるかもしれないけど、置いてきた。魂の回収をするだけ、長引いても人間絡みなのに、あの刀を使うのは得策じゃないし―――へくっ!くしゅっ!」
「…かわいいくしゃみだな」
「……ま、前置きもなしに褒めるのね」
「ふと、そう思ったからな。いけなかったか」
「とんでもない」
「そこのお二人さん。そこに立ってないで、入ったらどうだい」
振り向くと、おばあさんがドアを開けて、出てきていた。
「いいんですか?」
「ええ、いいですとも。中は暖かくしてるから」
中はまさに「お屋敷」と呼ぶにふさわしい様子だった。たくさんの部屋があり、何のための部屋か想像もつかない。
「お入り、お入り」
案内されたのはダイニングだった。真ん中に大きな暖炉がある。
「少しかもしれないけど冷えただろうから、温かいものをお食べ」
「えっ!いえ、さすがにそれはちょっと……」
「遠慮しなくていいよ。目的地はこの町じゃないだろう?」
「え…ええ、そうですけど」
「徴兵かい?」
「徴兵……?」
「おや、“西の国”じゃないんだね」
「…ご存知なんですか」
「ご存知も何も。隣国だよ。ここも昔は、人が溢れて活気づいたところだったんだけどね」
「見た限り……さびれてますよね」
「そう。男どもはみんな、徴兵という名の連行で、“西の国”へ行ってしまった。もう今も生きておるのか、死んでしまっているのかも分からん。戦死通知書さえ、ろくに届いておらんからな。男どものいなくなったこの町はほどなくして強盗に襲われ……ひどいありさまだったよ。奴らは好き放題、この町を荒らしていったよ…若い女どもは皆強盗に連れ去られ、泣きわめく子どもは捕まえて縛られ、辺りに放置され…残ったのは、わしと、他は十人ほど。外から来た人が廃墟と見まごうことがないように、わしらがなんとか家を補修したが、ここを出たらその辺りの家々のドアを叩いてごらん。中からは何も聞こえないよ」
「ひどい……」
「“西の国”はな、王に飢えておる」
「ええ、知ってます」
「そこらじゅうの国…“東の国”も含めて、たくさんの人を連れ去って、“王”にふさわしいかどうか確かめているそうな。ふさわしくなければ、兵士としてこき使われる。…出身はどこだか知らないが、もしもその国に行くなら、くれぐれも気をつけなされ。あの国に一度行けば、もう帰られんぞ」
「「分かりました」」
ごちそうになった後、二人は礼を言ってその家を後にした。既にだいぶ時間は経っていて、雨は止んでいた。
「……ホントに人気がないわね」
「この分だとこの町の者は皆、成仏はしていないだろうな」
「ええ。全て“東の国”にいるでしょうね」
“……着いたかしら”
「天蘭!…いいえ、まだよ。急に大雨が降りだしたから、近くの町で雨宿りをしてたの」
“あとどれぐらいで着く?”
「“西の国”が、今いるところの隣らしいわ。すぐに着きそうね」
“間違えないでね、”東の国“よ。たとえ死神だろうと、西の国に行けば帰れないと思って。現世では死神も人間扱いになるから、刺されるだけでも場所が悪いと死ぬわよ”
「分かってる」
「ここからは歩いていくのか」
「いいえ。この先は“西の国”でしょ?一度飛んで、確実に“東の国”だってところで降りるわ。その方がいいわよね?」
“ええ。とにかく確実に”東の国“に入って、私の同僚と落ち合ってほしいの”
「分かった。行くわよ」
「おう」
「せーのっ!」
「“東の国”には宮殿があるんだったな。大きいだろうから、目立つはずだな?」
「たぶん、そうだと思うけど……あれかしら」
ウラナはドームのついた建物を指差した。
「いや、少し離れたところに、物見やぐらのある建物があるだろう。あれじゃないか」
「……少し上すぎるわね。人間にギリギリ確認出来ない高さまで、下がりましょうか」
「現世の人間に対して姿を消すのじゃダメなのか?」
「それは飛びながらじゃできないし、ある程度経つと効果は解除されちゃうから、もし今いるのが“西の国”なんだったら、すぐにまた飛ばなきゃダメだけど」
「やってみよう。最悪、誰かに見つかっても飛べばいい」
「あなた、そんなにルーズな人だったっけ?」
「そう思うか?」
なるべく音を立てないよう、人目につかないところに着地した。
「……どう?」
「すぐそこに、見張りの兵士がいるな……どっちの国の兵士だ」
「しっ。誰か来るわ」
「貴様!何者だ」
「何モンでもいーだろーがよお、ちょっくら裕福な“東の国”さまをのぞき見してもよおっ……!!」
スキを見てその男は兵士を殴ろうとしたが、簡単に手で受け止められてしまった。
「不法侵入と暴力だ。文句なしの犯罪者だな」
その男はあっさり手錠をはめられ、もう一人の兵士が連れていった。
「どうやらあのもう一人の兵士の行った方向が、“東の国”だな」
「聞く限りでは、そうね。でももう一度飛ばないと」
「あの男の行く方向は俺が見ておく。俺とお前の2人分をあともう少し、見失わない程度の高さで飛ばすことに集中してくれ」
「オーケー。それじゃ、行くわよ」
連行された男はそのまま大きな建物の中に入っていってしまった。
「おい、あの入っていった建物、あれこそ宮殿じゃないのか?」
「ひとまず地上まで降りましょうか」
人目につかない場所で足をつけると、2人は通りへ出た。
そのとたん、急に沈黙が破られた。
道の端のあちこちで屋台が並び、大きな声で宣伝をしている。売っているものは帽子やジュース、果物や野菜、ヨーヨーと、多種多様であった。
「すごい活気」
「普段からこんなに賑やかなのか?」
「すみませーん」
「おう、お嬢ちゃん、どうだいこのオレンジ、でっかいだろう?でっかいが皮は薄い。果肉たっぷり、そこらのオレンジとは三味も違うもんだ。どうだい一つ、買わないかい」
「えー、……じゃあ、一ついいかしら」
「ようしまいどあり、今すぐにでも食べてほしい。新鮮なうちが一番だからね。皮をむくよ」
「ええ……」
少々、というかかなりグイグイくるおじさんに、さすがのウラナも戸惑っていた。
「はいどうぞ」
「……はむっ」
「またかわいい食べ方を」
「うむう……ふふあひのほ、はふはひひほいっははほへへひょ(うるさいのよ、まるかじりといったらこれでしょ?)」
「全く伝わらないな」
溢れる果汁でしばらく黙ってしまった。
「おいしいじゃないですか、これ」
「だろう?ありがとうな、お嬢ちゃん。俺の友達も他のところでやってるから、見て回ってやってくれ」
「はーい」
「……こっちの方がずっと年上なんだけどね」
「それを言うと一気にかわいげがなくなる」
「なんですって!?あなたの分のオレンジ買ってあげないわよ!?」
「分かった分かった。さっきの食べるところが良かったから、そんなもので帳消しにはならない」
「地味にけなしてるでしょ」
* * *
どうやら今日は、祭りの日らしい。
というのは、オレンジのおじさんの店から少し歩いたところにそのおじさんの友達のやっている屋台があり、そこの人が言っていたからである。
王の恐怖から解放され、以前に比べかりそめではなく本物の平穏が訪れた“東の国”。
“西の国”との問題や、政治体制が十分に整っていないなどの問題は残っているが、これまでより自由な形で祭りが行われている、と。
確かに売り手も客も、晴れ晴れとした笑顔をしている。
ウラナやエニセイがその雰囲気の中に飛び込み、一緒に楽しんで、気づけば数時間経っていたのだから、その雰囲気は本物の幸せから生まれるものなのだろう。
しかしウラナとエニセイが一瞬、本来の目的を忘れ、楽しんでいた時間もふいに終わった。
「そこの二人、少しこちらに来てくれませんか」
声をかけられついていくと、祭りの雰囲気とは程遠い、全く人気のないビルに入っていった。階段を上がり、突き当たりの部屋に入ると、彼はやっと腰を下ろし、2人にも椅子を勧めた。
「やっと見つけられた。はじめまして、私は霜晶、天蘭の同僚というのは私のことです」
「……!!」
背筋が伸びた。
「……祭と重なって非常に賑やかなので、その輪に交じって楽しんでもらうのは全然構わないんです。ですが、本来の目的を忘れてはいませんか」
「……もちろん。この国にさまよう魂の回収よね」
「そう。今“西の国”は徴兵と称して、様々な国から民間人を連行し、こちらの“東の国”に送り込む刺客としています。一方“東の国”はそれに対してプロの傭兵を雇っていますから、当然“西の国”の刺客が殺される。そうなると、どんどんさまよえる魂が、“東の国”に残っていくことになります。その彼らを、無事に送ってやってほしい。それと、可能ならば……“西の国”と本格的に戦争状態になれば、出来るだけ早期に終結するよう、尽力してほしいのです」
「そんなに危険なの?」
「“西の国”が王探しと称して多くの人をさらうようになって、もうかなり経ちます。王に適う人間が見つからないことにいらだっているでしょうから、どんな手に出てくるか分かりません。“東の国”に今本当の平穏が訪れているのは、さまよえる魂の影響を一切排除しているからなのです。試しに少しの間だけ、魂の影響を解放してみましょう」
霜晶はそう言うと、ぱちん、と指を鳴らした。
「外を見て下さい」
言われた通り2人が窓の外を覗くと、―――いた。
道をふさぐほどの人ごみの中の隙間をさらに埋める、おびただしい数の魂。
その隠しきれない暗い空気に、人々が驚いた顔で後ろを振り返る。何もないことを確認してまた歩き出すが、ちらちら後ろを見ようとする。
ぱちん。
再び霜晶が、指を鳴らした。
「これ以上続けると、危険です。人間の体に異常をきたす。腹痛で苦しむだけならまだいい方で、とり殺されることもあります」
「これだけの魂を、回収するの?」
「そうです。私もずっとやっていますが、とても追いつきません。細切れの時間で少しづつ、回収を行います。この国の人に怪しいことをしている、と勘付かれないように。“西の国”のスパイだとでも疑われれば終わりです」
「一人一人……いえ、魂だから一つ一つ、かしら……未練の内容を聞いていくのよね」
「ええ。ですが一つ安心していただきたいのは、連れ去られ、“西の国”のせいで命を落とした方は、ほとんどが一般人です。心のどこかには大きな野望があるかもしれませんが、それが未練にまでなることはありません。奥さんが元気な姿を見たいとか、励ましてやりたいとか、普段の生活の中では何気ないだろうことをしたいと言う方が多いです」
「……。」
例えウラナとエニセイが加わったとしても、はっきり言って途方にくれるしかない。それほど先ほど見えた魂は多かった。
「いいでしょうか。今日は着いたばかりですので、ゆっくりお休みになって下さい。明日からは、体力よりも精神を消耗する戦いになっていくと思いますので」




