#24 レイナの記憶と、先生の記憶
「レイナちゃん、ギミックさんが呼んでるわ」
「おじいちゃんが?」
ついに来たか、と思った。
「まだ先生が亡くなってから、そんなに経ってないのに......」
もうちょっと持つと聞いていた。
だがその時が全く予想できていなかったのかと問われると、そういう訳でもない。
ギミックの“本”が現れて、既にだいぶページが出来ていた。
* * *
「......雑魚の数が多すぎる。倒しても倒しても減ってる実感がわかない」
通信機越しにギミックが緊迫した声でそう言った。
「本当に?こっちは向かってくる数が減ってるような気がするんだけど」
対するアルテミスはそこまでではない。それが落ち着いているということか、あるいは呑気なだけなのかというのはまた別の問題だが。
「それはそっちが人通りの少ない道だからだろ。こちとら担当は四冥通りだぞ」
「......それは来いってことかしら」
「シャンネはどうする気だ」
「そんなにシャンネちゃんが気になる?もうあの子は立派な大人よ」
「それはそうだが」
「まあ確かに女の子、って感じだものね。しぐさとかも」
「あんたはちが......」
「はい黙ってー?いいかなー?」
似なくていいのにギミックは成長するにつれマドルテに似てきていた。一緒にいると似てくるとはこの二人を言った言葉ではないだろうか。そうアルテミスは思った。
「それでもあいつを死なせるわけにはいかない」
「あら?惚れてるの?」
「あのなあ。そんなわけ......」
「声が上ずってるわよ?」
「気のせいだな。あんたの無駄なゴシップ好きのレーダーが誤作動したみたいだが」
「そんなこと言っちゃう?……まあいいわ、行けたら行く。もし無理だったら、シャンネちゃんをそっちに送る」
「分かった」
「ずいぶんと余裕だな」
「なっ……!」
振り向くより先に、ギミックの後頭部に何かが当たった。
そのまま同じところが、熱湯をかけられたがごとく熱くなる。いったんそれを感じると、もはや神経はそこばかりに集中し、それ以外に何も感じることが出来なくなった。
「せっかく前線で活躍していたところを悪いな」
「………!」
熱にまみれた首を動かさずとも、その姿は見えた。そこにいたのは、アレクサンドロその人だった。
「まあ君がこの辺りで死んでいた方が、こちらとしては好都合だからな。直接手を下させてもらったよ」
「カレン……!……シャンネ……アルテミス……!」
頭が回らない。かすかな声しか出ない。名前を呼ぶことも、苦しくなる。
「……どうしたの、ギミック!答えなさい!」
通信はまだ切れていなかった。状況の変化に勘付いたアルテミスが声をかける。
「やら……れ……」
「誰に!?」
「アレ……『業…』」
「……分かった!」
通信が切れた。しっかり伝えられたかははなはだ疑問だ。だがそれを考えられる余裕もなかった。
途端に周りの景色が黒く染まってゆく。
「これで………?」
息が苦しくなって、ギミックの意識は途絶えた。
* * *
「おじいちゃん!」
「カレンか。どうした」
ギミックは、カレンに会っていた。
「ほらこれ!五つ葉のクローバー!すごくない?」
「五つ葉か……」
「何よ!四つ葉がなかったの!アルが持ってっちゃったの!」
「誰だ、そのアル、って言うのは」
「友だち!男の子なんだよ!きれいなのが好きなんだって!」
「そうか……」
「とってもやさしいんだよ!私が困ってたら、すごく頑張って、助けようとしてくれるの!」
「いくつ?」
「えっと……たぶん、まだ5つか4つか」
「5つ!?」
「あまりしゃべらないけど、大事なのは気持ちよ、気持ち」
カレンはそう言って、胸を張って、えっへん、とポーズをとった。
するとドアを叩く音がした。「おねえちゃーん」と、レイナを呼ぶような声がする。
「あっ、アルだ!もっとクローバー、探しに行ってくるね!」
「おう、行ってらっしゃい」
「バイバーイ!」
……自分がいま、第三者の目線であることに、ふと気づいた。
得体の知れない恐怖が襲った。
死神でさえ、それを避けることはできない。
自らの人生を録す一冊の本を置いて、砂になってしまうことに対しての、恐怖。
人間は、せめて、形を残すことが出来る。それよりも一層つらいことだと、そう感じていた。
(死ぬ、……のか?カレンを、……まだあの幼いカレンを、残して……?)
―――俺は捨て子だから。拾われて育てられた身だから。
本当の親の気持ちなんてわからない。
あんなにも純真無垢で、それでいて賢い孫の成長を、見られないまま。
死神の寿命が長いから、もはや孫の成長が見届けられるのは当たり前という、この時代で。
* * *
「カナリヤ、って鳥を知ってるかの」
「いえ……」
ある時ペルセフォネがギミックに、そんな話をした。
「小さな、それでいて可愛い姿で鳴く鳥じゃ。昔見たことがある」
「俺は、……見たことないですね」
「小さいものは、何でも可愛いものだ。そうは思わないかの、ギミック」
「……まあ、確かに」
その時、決めた。
女の子が孫に生まれたら、カナリヤのような、かわいい子に育ってほしいと願うことを。
息子夫婦は了承してくれた。
彼女のミドルネームには、カナリヤが入っている。
* * *
「……起きろ、ギミック。起きろと言うとるに」
「騒ぐな、ペルセフォネ。それに揺り起こそうとするな」
「だって……」
「ギミックは死なない。人間ならば即死の傷だが、死神であったことが何とか功を奏したと、医者も言っている」
「でも私は聞いたわ」
「何を」
「ギミックは生還する。けれど、老衰で死を迎えるのは不可能だ、って。立ち話を聞いたの」
「本当か」
「ええ。それを、単純に、いいことってとらえていいのか……」
「……死ななかっただけでも、十分と思え。そうでなければ、こいつが報われない」
みんながギミックの意識が戻るのを、幾日も幾日も待ち続けていた。最も心配していたのはペルセフォネとハデスだった。
その時、ギミックの目が、ゆっくりと開いた。
「……ペル……さん、ハデス……さん……」
「よかったぁギミック!」
「うわ……!」
途端に満面の笑みを浮かべたペルセフォネが飛びつく。
「やめろと言っただろ」
「私は心配じゃったぞギミック!お前が死んだら私はただのぐーたらになっておったところじゃった!」
「その類のセリフをまずは俺に言っていただきたかったものだな」
「戦争は……?」
「ん?終わったぞ」
「終わった……」
「そうじゃ、ギミックが寝ている間にな。もしもっと早く起きていたら、こんな風にみんなで目覚めを待つなんて、出来なかったかもしれんの」
「と言っても、まだ終わって間もない。アレクサンドロも、まだ拘留中だ」
「もうすぐ刑の執行じゃな。ギミックはしばらくはゆっくり休んでおれ。進んで見るようなものでもないしな」
「言われなくとも」
「じゃあ私たちは立ち会わねばならないからな。邪魔したの」
その後、その様子を人づてに聞いた。
全く反省する様子もなく、アレクサンドロは終始不気味な笑顔をしていたという。
死んだ後もその顔のまま、砂となって崩れ去ったと、聞いた。
* * *
「ずいぶん回想、長いのね」
レイナがギミックの病室に着いてからギミックが目を覚ますまで、それなりの時間があった。
「俺はペルさん……母さんとは違って、いつ死ぬか分からないからな」
「先生もおじいちゃんを、四冥神から外していたわ」
「俺が死ぬのを隠していても、いずれは分かることだからな。……それよりレイナ、仕事はいいのか?」
「先生の件もようやく落ち着いてきたし、ちょっとくらい抜けても大丈夫よ」
「よくやるよな、機密省なんて」
レイナと話がしたい。
ギミックがそう言ってレイナを呼んだ。直接俺の口から、レイナに話しておきたいことがいろいろある、とギミックはレイナに言った。それはギミックの記憶を”本”に写し取る作業の、一環でもあった。
「……また、回想?」
「すまんな」
「いいよ、落ち着いて、じっくり思い出して」
* * *
「勉強の面倒を見る、私のあれも再開するぞ」
「やるんですか」
アレクサンドロの戦争が終わって少しした頃。破壊された冥界の建物もだいぶ復興が進んで、徐々に戦争前の生活が戻りつつある頃だった。
「確か、ギミックの孫にいたじゃろう、女の子が」
「ええ」
「スカウトじゃ、スカウト」
「……もしかしてまた、女の子ばかりやるんじゃないんでしょうね」
「当たりじゃ」
「……」
「自分好みの女の子に育てる。これほどいいことはないじゃろ」
「そんな嗜好あったんですか」
「勘違いするなギミック。私がやるのは、ちゃんといいお嫁さんになるための教育じゃからな」
「本当かな、それ」
「私には実績があるぞ?エミーとかエリーとか」
「……まあそりゃ、頼みますけど」
「そう言えばいいんじゃ、最初から」
「おじいちゃん、今日はね、1位だったんだよ」
レイナは学校が終わると寮に戻る前に、いつも祖父である自分のところにその日の勉強のことを嬉しそうに報告しに来ていた。
「ここ最近ずっと1位じゃないのか」
「たまにウラナちゃんに負けるから、2位もちらほら」
「さすがはカレンだな」
「えへへ」
「よくやっておるな、カレンは。私のところを首席で卒業するのも、まず間違いないじゃろう」
レイナの成績のよさは、ペルセフォネも文句なし、と認めるほどだった。ギミックはそれを聞いて、笑顔を浮かべた。
「……そう言えば、ウラナって子は?」
「うーん、まあ数学やら理科やらはカレンを圧倒しておるんじゃが、……次席かの」
「卒業後は? やはり、現世の大学ですか」
「二人はとりあえずそうじゃな。カレンは日本、ウラナはイギリスの大学を所望しておる」
「日本か。まあいいところですしね」
「持ち帰った成績も加味して、所属する省が決まる」
後に、日本のトップの大学を首席で出たと聞いた。
「嘘でしょ!?主席?」
それはかつてレイナのすぐ下の成績だったウラナでさえ驚愕するものだった。
「見る? ウラナ」
「……うわ、本当に……あれ? 名前、変えた?」
「あ、うん。日本にいたときに、日本の女の子みたいな名前を、友達が考えてくれたから。これからはレイナ・カナリヤ・レインシュタインってことで、よろしく」
ペルセフォネのところと大学、ともに首席で卒業したレイナは、ストレートで機密省に入った。入るものがエリート集団なうえ、それでもぎりぎり引っかかったものが入ってくる機密省の中で、レイナは異色の存在だった。
* * *
「……今どの辺り?」
「まだ戦争が終わってない」
「……本当に?」
「嘘だ。お前が機密省に入ったところまでは、もう来てる」
平然とした顔で嘘を吐いた割にはあっさりと白状して、ギミックはレイナに笑いかけた。
「うーん……おじいちゃんとアルだけは、隠し事してるかしてないか、分かんないんだよね……」
レイナはよく他人のウソを見抜いてみせる。自分の孫ながら、その類まれなる洞察力には感服させられるばかりである。
「じゃあだいぶ、回想は終わりに近いんだね」
妙に“死”に対するレイナの考え方が、浅薄な感じがするのは、気のせいだろうか。それはギミックの娘にも、そのさらに娘であるレイナにも何となく、昔から感じていたことだった。
「……レイナ」
「なに?」
「お前だから、単刀直入に言うが……死について、どう考えている?俺には、お前の考えていることが分からない」
「そりゃあ、悲しいよ。もしもひいおばあちゃんだって分かってなくても、先生の死は悲しいことだし、おじいちゃんもそれは同じ。でも、仕事柄なのかも。史纂課って、そういう情報を扱うことも多くて、意識が薄れてるのかもしれない。あの地下へ案内するのは儀式だし、自分とかかわりのない人の死まで悲しんでたら、きりがないでしょ?だから割り切って、悲しまないことにしたの。それが仕事だから」
「……そうか」
「でもやっぱり、おじいちゃんだから、……涙、流れてきちゃった」
レイナがポケットからハンカチを出して、目を押さえた。ウラナからのプレゼントで、もらったものらしい。ギミックがその昔、レイナに合うハンカチを、と思って買ったものは、もうボロボロになってしまったと聞いた。
やがてプレゼントをもらう相手は、友達から恋人に、変わっていくのだろう。
「シェドはどうしているんだ?」
あの戦争が終わった後で初めて、レイナの言っていた“アル”と、冥界を脱走した“ル・シェドノワール・アラルクシェ・アルカロンド”が同じなのだと知った。
「アルなら……どこか研修に行ってるかも」
「研修?」
「将来的に省に入らせるんだって。エミー的には警察をすごく推してるらしいんだけど。でもアルが警察っていうのも、どうかな……」
「不似合いってことか?」
「まあ…エミーがトップだし、ラインも一緒に警察に入るみたいだし、エリザベスさんも……あ」
「どうした?」
「エリザベスさんって、アルのお母さんだよね」
「そうだな」
「アルは、知ってると思う?自分が、悪魔の血を引いてること」
「銃の装填をしただろ、覚えてるんじゃないのか」
「ここに戻ってきたとき、私のことも覚えてなかった。少ししてやっと思い出したぐらいだから、分かんないよ」
「なら、教えた方がいいだろうな。自分で銃を作り出せることも含めて」
自分がここまでシェドを引っ張ってきたのだ、これからもいろんなことを教えて、引っ張り続けるしかない。そうレイナは感じていた。
* * *
「シェドさん、これ、しまっといてください」
「おう」
「あ、その前に、こっち片づけていいですか」
「……どうぞ」
とある日の警察省。古くなった棚の入れ替え作業を手伝ってほしい、とクルーヴに言われ、シェドとラインの二人は棚から書類を引っ張り出す作業をしていた。上の列はそれなりに高いところにあり、シェドでも脚立がなければ全く届かなかった。ラインが脚立を持ってきて、よじ登る。
(こんなに小さいのに、よくやるよな……)
ラインの背丈はシェドより一回り小さいし、あどけなさも少し残っている気がする。
「えーっと、この段の右から……」
……シェドにはだいたい想像がついた。
脚立を動かせばいいものを、無理に腕を伸ばして、
「うわっ!」
バランスを崩して、落っこちることが。
「……無事か」
「……はい、平気です」
だから初めから、腰を支えておいてやった。
「ありがとうございます……」
目が合った。
途端にラインの目が泳ぎ始める。
「や、やっぱり見つめ合うとか無理……!」
「いつまで引きずってるんだよ」
初対面のシェドに対し、アドレス交換などで近づくのではなく、なぜかいきなり告白に踏み切ったラインの大失態の話である。
「あれ、友達にあおられただけなんだろ? 世の中にはもっといい男がいるだろうに」
「一言もシェドさんが好きとか言ってませんから!?」
「声おかしいぞ」
「別に!? 勘違いもほどほどにして下さいよ!?」
「どっちがだよ」
「シェドさんだって年上のレイナさんと一緒じゃないですか!」
そもそも同い年など、そうそういるものではないらしいのだが。
「だいたい冥界三大美女のひとりと『そういう関係』にあること自体、反則なんですよ!?」
「俺のせい!? そもそもそれ、公開情報だからな!?」
「どーせ今日も帰ったら、朝遅くまでイチャイチャするんでしょ!?」
「な……なんだその言い草!」
「シェドさんもレイナさんも、子ども好きそうですもんね。いい家族でよろしいこと!」
「……確かに子どもは絶対欲しいとか言ってたけど!」
「男の子?女の子?」
「女の子がいいって言ってたな」
「あんまりいい考え方じゃないですね」
「……ん?」
ラインが急に一段低い声でそう言った。
「先生が主に戦争が終わってから女の子しか教育しなかったせいで、女の子を産むといいんだっていうことで、男の子が生まれたら養子に出してしまう、っていう異常事態が発生してるんです。現在冥界内の男女比は3:7。探したくてもいい男、というかそもそも男がいないんです。これはもしや一夫多妻制の世に逆戻りか……? と私は思っています」
「個人の感想かよ!?」
「でも男が少ないのは事実です! 私でもシェドさんとくっつかないといけない時代が来るかもしれないんですよ!」
「そっ……そんなに俺が嫌いかよ!?」
「好きじゃないです」
「じゃあ普通って言えよ!?」
「……『なかよし』でお幸せなこと」
「ク、クルーヴさん……」
少し騒がしかったか、隣の部屋からクルーヴがひょっこりと顔を出した。
「エミーって呼んで。ママにそう言われるうちに慣れたから。イチャイチャするのはいいけど、ちゃんと仕事はしてよ?」
「ななっ……!?」
「イチャイチャじゃないですって!」
二人揃って反論の声を上げた。
「私からすれば職場でイチャつくバカップルにしか見えないんだけど」
「バ……バカップル!?」
「少なくともラインはシェドのこと、好きそうだし」
「好きじゃないですって!めんどくさいだけですって!!」
「嫌いだったらくだらないケンカなんてしないし」
「……確かに」
クルーヴは何も間違ったことを言っていない。とはいえ、ラインに好きになられても困惑するしかないのだが。
「納得しないでください!レイナさんだけでなく私まで毒沼付けにするつもりですか!?」
「訳分からねー表現するなよ!」
「そーやってまた純粋な女の子をたぶらかして!」
「あんたは人の神経を逆撫ですることしか言えねーのか!?そもそも一体お前のどこが純粋なんだよ!?」
その時。
「冥界内全体に通達する!正門および鉄道網からの悪魔軍の侵入を確認!その数莫大!正門では到底歯止めが利かない!直ちに各省の者、および十聖士、四冥神は戦闘態勢を調えろ!繰り返す!……」
「……これでシェドさんは今晩、レイナさんと至福のひと時を過ごせなくなったというわけですね」
ラインの少しおどけた言葉も、ただの独り言として、消えた。すかさずクルーヴが周りの死神たちに指示を出し始める。それはシェドとラインに対しても同様だった。
「ライン。あなたは私と組むわよ。シェドはひとまずレイナと組んでて」
「レイナは多分、ギミックの見舞いに……」
「それでもどこかで合流するはず。特に女の子を、一人で行動させないようにして」
あれから230年。
悪魔と死神の起こす惨事が、再び始まろうとしていた。




