#20 運命の人
「ギリギリかも......!」
寝坊してしまったことで慌てていた。
ウラナは家を飛び出す。
「普段こんなことなかなかないのに......!」
行く道の途中で、荷物が転がっているのも、なかなかないことだった。
「もう!何これ!?」
ウラナは中身を確認した。
「これは......レイナ?」
かわいらしい服がこれほどスーツケースに詰まっている死神を、レイナ以外に見たことがなかった。
「しかも、これ......置いてるわけじゃなくて?」
辺りを見渡す。
「......何、あれ」
二人ほど、誰かが倒れている。
「は?こら、レイナ、シェド!」
返事がない。二人とも気絶していた。
「先生!四冥通りで、レイナとシェドが倒れてます」
無意識に連絡したのはペルセフォネ。そこそこ危篤のはずのペルセフォネにそんな連絡をするとは、相手間違いもいいところだ。
「へ?意味が......」
ペルセフォネが少々まぬけにそう返してしまったのは、状況理解ができなかったのもあった。
「どうしましょう」
「そういえばウラナ、もう出勤の時間じゃ......」
「ああーっ、忘れてた!!じゃ、じゃああたし行きます!先生、あとは任せました!」
「ああっ、ウラナ......!」
「......本当に倒れておるのう」
「どういうことだ、これは」
「分からん......とにかくレイナの家が近い、そこまで運ぼう」
「俺が運ぶ、お前はあまりはしゃぐな」
* * *
「......ん?何してたんだ、俺」
「あれ?ここは......どこ?」
隣を見ると、黒髪の男の顔が。
隣を見ると、金髪の女の顔が。
「「ギャ――――――……ッ!!」」
「な、何だ……アルか……」
「ん?誰?」
「えっ!? 覚えてない?」
「ああ」
「よーく、見て。よーく」
言われたとおり、シェドがじっと顔を見つめる。
「やだ……恥ずかしい」
「俺がだ!!」
「本当に、覚えてない?」
レイナがすごく悲しそうな顔をしている。
「待て待て待て、今思い出す!」
確かにいたような、気がする。
はるか昔、一緒にいたのは......
「......カレン?」
「アルーっ!!!!」
むぎゅっ。レイナがシェドに抱きつく。とても柔らかい体だった。
「苦しい苦しい苦しい!!」
「あ、ごめん」
「......あれ?そう言えば何でカレン、じゃないの?」
シェドが疑問を口にした。
「あ、知らないんだったね。アルがいない間に、名前変えたの。レイナにね」
「そうなんだ......」
「アルは荷物、どこへやったの」
「そこのクローゼットの中」
「じゃ、一緒に入れるね」
当然のようにレイナがそう言った。
「ストップ」
「なに?」
「男物と女物の服一緒に入れるってどういうことだよ。それに、俺ここ出ていくし。新しい家探さなきゃいけないから」
「出ていかなくていいよ」
「……?」
「いや、出ていかないで」
「ん?意味が分からん」
シェドの脳内は混乱を極めた。
「分かった、落ち着きます。......結婚しましょう」
「全然落ち着いてねえ!」
「だってアル、大きくなったら結婚しよう、って言ってたじゃない」
ああ、そう言えば。
230年前も、こんなムチャクチャだったような。
生まれたばっかりの自分がそんなことを言ってても、不思議じゃない。シェドはレイナの言葉を聞きながら、何となくそう昔の記憶を掘り起こしていた。
「うそついたの?」
レイナが目をのぞき込む。有無を言わせてくれそうにない。
「だ、だいたい、あんな幼かったのに、そんな約束......!!」
「......うそついたの?」
「うそじゃない!あんた…レイナが230年も覚えてるなんて、思わないだろ?」
「......うそ、ついたのね」
「ああ、もう!」
どんどん勝手に話がこじれてゆく。
「本当に言ったのか、それ」
「言った!本当はボイスレコーダーとかでしっかり記録しておきたかったけど、私はその時感動してそんなことする余裕がなかったの!」
「あっても怖いわ!」
「……ほんとは昔から好きだったくせに」
「……?」
「冥界の外に脱走したって聞いたときは夜も眠れなかった!子どもたちが何も心配しなくていいようにわざわざいい環境で保護されていたのに、そこを出ていくなんて!」
「......退屈だったし」
シェドとしてはそう答えるしかなかった。
「子どもか!」
「子どもだよ!」
「でも現世を旅してるって聞いて安心した。どこにいたの?」
「ヨーロッパ辺り」
「結構近場だったのね......」
冥界はヨーロッパのとある国から森に入るのが一番近道なのだ。ちなみに死神という存在は人間には知られていないが、いわば都市伝説的にその国には死神の言い伝えがある。
「レイナこそ、どこに?」
「日本」
即答。
「日本か......」
「嫌い?」
「いちいち並ばなきゃ何もできないのが嫌」
シェドがため息交じりにそう言った。
「まあ一理あるんだけど…で、でも、いいところもあるよ!今度連れていってあげる!」
「連れていく?帰ってきたばっかりなのに?」
「私あくまで現世の大学、休んでるだけだから。一緒に行こ。先生からも現世の大学に行くように言われてるでしょ?」
「何でそれを?」
「今の先生、女の子の面倒しか見てないもの。……昔からだけど」
そして当時からレイナは、聡明な女の子だった。
その長所はペルセフォネに教えを乞うたことで、さらに強化された。
「......でも、しばらくは出られそうにないわね、ここ」
「なんで」
「もう年じゃ、って笑ってたけど、私にはもう長くないってことくらい分かる」
「ペルさんが?」
「うん、せめて先生と最後の時間を過ごしたい」
”さいご”にアクセントはなかった。
「そっか......」
「実はね」
不意にレイナがシェドの手を握った。
「先生が頭の片隅で考えてたこと、分かってたの」
「頭の片隅?」
「私たちの世代は、230年前の戦争の後、先生が主死神になってから初めて教わった、そんな世代なの。あの戦争は正体が悪魔だった、先代主死神の起こしたものだったの」
「そうなのか!」
「いつこの平和な冥界内で内乱が起こるか分からないの」
レイナは手をシェドにかざした。
「その指輪、何」
「私、五紋家の出身なの」
「五紋家......能力発動が何とか、っていうやつだっけ」
「そう。別にそれだけなんだけど、周りからは好奇の目で見られることが多くてね。相手を探すには苦労するかも、ってお母さんも言ってた」
「......。」
「でも私は、アルに出会った」
「......だから、結婚しろと?」
「そうじゃない。政略結婚でもない。私は、アルが好き。初めて会ったとき、じーっとお互い見つめ合ったこと、今でも覚えてるよ。何度もご飯だって一緒に食べた。一緒に食べよ、ってたくさん誘ってくれた。私がいじめられて泣いてた時、駆け寄って一生懸命慰めてくれたことも。ボイスレコーダーも、ビデオカメラも要らない。全部、全部覚えてる。男の子に慰められてる、なんてみじんだって思ってなかった。アルが言ってくれた言葉が、そのまま“おぼろげな記憶”として残ったまま死ぬのなんて嫌だ。嫌なの。だから、......せめて、お付き合いくらい、させてください」
目の前で大粒の涙をこぼすレイナ。
女の人の涙は必殺技だ。それは世間でよく言われているからそう思う、というのではなくて、シェドは身をもって、そのことを感じてきていた。
だから、レイナにここでそんなに泣かれてしまえば、......いや、一緒にここに運ばれた時点で、シェドの負けだったかもしれない。
「......はい」
そして、シェドの頬にも、それが伝った。
一緒に泣いていると思われるのが嫌で、壁の方を向いた。
その方向には、写真がある。黒髪の男の子と、金髪の女の子が仲良く手をつないで写った写真。
......ようやく誰か分かった。その男の子がまさか自分だとは、思いもしなかった。
「......アル、泣いてる」
「あの写真......」
「あそこにあったんだ!ずっとないないって探してたのに......」
「わざわざ置いてるわけじゃなかったんだな」
「違うよ。誰がここに住むか分からないのに。......そうだ、先生のところ、行かない?」
「片づけてからな」
......外に出て気付いた。
シェドはレイナよりも背が高かった。だがそれでも、レイナは現世の女の子よりは背が高かった。
「結構背、大きくないか?」
「死神って総じて背が高いから、何とも言えないけど」
それでも現世ではさぞかしもてはやされたことだろう。
「なにか現世で仕事してたの?」
「たくさん。先生もやったことあるし、ロックバンドのボーカルもやったことあるよ」
「ボーカル?」
「POLESTARって言って分かる?」
「......?いや、分からない」
「そっかあ......」
「そんなに有名?」
「え?ま、まあ、有名と言えば、有名かな」
「そうなんだ......POLESTARな、また後で見とこう」
「でもね、私は死神だから、しばらくして解散したの。みんなと一緒に老いぼれには、なれないから」
神はすべてを人に与えない、と言う。
彼女はその美貌を、頭脳を与えられた。与えられなかったのは、「人間であること」だった。
人間より長いスパンの時間を持ち、そばにいて老いてゆくことが出来ない死神に彼女をすることを、神は選んだのだ。
――ふとレイナが、シェドの手を握った。
そう言えば、こんな手だったかも。
遠い230年前の記憶が、やっと鮮やかになってきた。
「死神、か......」
「ごめん!変なこと言った?」
「いや、むしろ話してくれて良かった。レイナが悩んでいたことを、打ち明けてくれたから」
「あわわわわわわわ」
「ライン?」
少し離れたところに、ラインが立っていた。手をつなぐシェドとレイナを見て、少し混乱した様子を見せていた。
「シェドさんと、レイナさんが、手、つないでる......」
ラインが大慌てで大殿の方へ走っていった。
「あ......」
「別にいいだろ。こ......」
何気なく口に出そうとして、急にその口をつぐんだ。
何だこれ恥ずかしい。
「......恋人、だものね!」
あっさり続きを言い切ったレイナの顔は、少し赤くなっていた。
「シェド!レイナ!」
「先生!」
大殿で出迎えてくれたペルセフォネは、心なしか興奮した様子だった。
「結婚したそうじゃな!良かった!」
「え?いや、あの......」
「違うのかの?」
「少しストレートで結婚しようと思ってたのは本当だけど......」
「ラインが広めたか。尾ひれつけて」
「レイナ、もしや昔言っていた想い人と言うのは」
「そう、アルのことよ」
「そんな昔からいたなら、初めから言ってくれれば良かったのに」
「いつ言うべきか、迷っちゃって」
「まあ私が死ぬ前に、相手が見つかってよかった。レイナは五紋家出身で、一般の人には受け入れられにくいからの。シェド、レイナを頼むぞ」
「たぶんこっちの方がしっかりしてると思うけど」
「そうか。......そう言えばレイナ、“中の人間”には了承を取ったのか?」
思い出したようにペルセフォネがレイナに尋ねた。
「......とってない」
「知ってるの?」
「放浪してたアルが冥界に戻るなんて、何かよほどのきっかけがあって、呼び戻されるくらいしか考えられないわ。たぶん未練解消まで長そうな人間に憑いてしまって、しかもその姿であまり長く現世にはいられない事情があると見た」
「当たりだ......」
「誰に呼び戻されたと思う?」
「それはさすがに分かんない」
「ギミックだよ」
「......おじいちゃん?」
「えっ!?」
「......そうじゃったな、そう言えば」
「えっ、レイナのおじいちゃんが、ギミックなの?」
「そうじゃ。つまりギミックも元をただせば五紋家じゃった。レインシュタイン家の一員だったというわけじゃな。名前は確か......」
「ジェームズ・ギミック・レインシュタイン。とっくの昔に出ていっちゃった。でもお父さんとお母さんが成人した後の話だから、レインシュタイン本家は続いてるの。あれ?そう言えば、おじいちゃんを見ないけど......」
「入院しておる。頭をぶつけた、と言うてな」
「お見舞いに行っていい?」
「別に構わんが......」
* * *
そうと決まればレイナの行動は早かった。すぐさまレイナは病院に向かった。
「おじいちゃん?」
「おお、レイナか。......なぜこんな時間に?」
「裏ルートよ。ここには今、世界中のどこからでも自由に来れるようになってる」
「......異常だな。それなら気づくのもいるだろう?」
「特に各国の首都からの鉄道が多いみたい。私は東京から来たんだけど」
「......で?お前はどう思う」
「悪魔の襲来が近いわね」
「......ほう」
「前に日本人が2人、ここに来たのを知ってる?」
「俺の方がこっちにいたのに、何でお前が知ってるんだ......相変わらずだな」
「アルタイルの見張ってる正門では、そんな不審者の入国はできないはず。となれば、鉄道網を狂わせて、こっちに侵入してくる」
「だけど、......分かってるだろ、お前も」
「......残念ながら。仮に戦争が次にあったとしても、参加できない。そうよね?」
「そうだ」
「前の戦争の時に後頭部に受けた斬撃によって、その時は助かったけど、いずれ“その時”が来る。今が、“その時”、ってことね」
「お前のような若手がいて、だいぶ救いだと思う。それに仮に俺が生きながらえたとしても、歳が歳だから、あまり力にはなれなかっただろうしな」
ギミックがその時浮かべた笑顔は、果たして安心の笑みか。
帰り道を急ぐレイナに、親族を失うことの悲しさが表れていないのは、シェドの思い違いか。親族の記憶がないシェドに、そのことに思いをはせるのは、難儀なことなのかもしれない。