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現世【うつしよ】の鎮魂歌  作者: 奈良ひさぎ
Chapter16.四次元干渉ナイトメア・赤い悪魔 編
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#180 生きる決意

 ぐわぁぁん……と、鐘が鳴る音が遠くでした。

 都市の方に教会があり、そこの鐘が日没を知らせるために鳴る。当然季節によって日没の時間は異なるので、鐘が鳴る時間も違ってくる。七月ということも考えて、だいたい午後七時半か八時ぐらいか、とティエリは予想した。心なしか、空を見ているだけでもだんだん暗くなっていくのが分かった。

 そしていよいよ太陽の面影はなくなって、代わりに月が存在感を増していく。夜の依頼を受けたらしい人が起き出してきて、辺りが騒がしくなり始めた頃、ティエリはリナにそっと耳打ちをした。


「……行くぞ」

「分かった」


 リナは短くそれだけ言って、立ち上がった。


「普段通りいきましょ。あたしとティエリが一緒に行けば、普通の依頼をやりに行った、そう思ってくれるはずよ」

「そうしよう」


 走らないように、しかし早歩きで二人は区長の家へと向かった。


「今日はどういう依頼?」


 道すがらすれ違った人が、二人にそう尋ねた。普段話したことも、むしろ顔も覚えていない人だった。


「依頼です」


 リナは簡潔に答える。


「どういう依頼か、聞いてるんだよ」

「そんなのあなたに関係ありますか。しつこいですよ」


 普通は他人に依頼の内容を聞くことなど意味がないし、ルール違反だ。答える義務がないというよりは、答えてはいけないという方が正しい。


「あいにく横取りなんてする気はないんだ。俺たちのような大人ならともかく、子どもの依頼がいったいどんなものなのか、単純に興味があって」

「それでも言いません。あなたもこれからの依頼が何なのか、訊いても答えないでしょ? それと一緒です」

「……ふうん」


 多少しつこく尋ねてきた割にはその男はすんなり諦めて、二人のもとを離れていった。

 十分二人から距離が開いたと思われてから、リナはそっとティエリに耳打ちした。


「……バレたかしら」

「いや、大丈夫だと思う」


 もしバレていたとしても今さら遅い。ここまで来ればもう、ここから脱出するしか残された道はない。その男以外は特に人に出会うことなく、二人は区長の家にたどり着いた。


「こんなところなんだ、区長の家……」


 それまで依頼をもらうのをティエリに任せきりだったリナは初めて区長の家を見て、少し感嘆の声を漏らした。対するティエリは構うことなく裏口の方へ回っていく。リナも見とれるのをほどほどにして、ティエリの後を追った。

 中にいる区長と二人にだけ聞こえるように、ティエリが慎重に裏口のドアを叩いた。あらかじめその時間帯に来ることを区長とティエリで示し合わせていたのか、すぐにゆっくりと扉が開いた。その向こうには、大きな箱のようなものを抱えたおじいさんが待っていた。


「ありがとうございます」

「……無事を祈る」


 ティエリの感謝の言葉に対して区長が返したのは、その一言だけだった。ティエリもそれで会話が終わることは分かっていたようで、ティエリはリナを促し、区長の家を後にした。


「都市部まで、だ。そこまで逃げ切れば」


 それからティエリはつぶやいた。二人がいる第二特別区から都市部までは、それほど距離はない。そして都市部に入ってしまえば中央政府の管理がしっかり行き届いている区域のため、スラム街の人たちが攻撃を続けるようであればたちまち騒動になって警察なり大魔導師なりが出てくる。すっっかり安心というわけではないが、安全になることには間違いなかった。


「おれはこの重い荷物で、周りを見る余裕がちょっとないんだ。悪いけどリナ、様子を……」


 ティエリがリナに、そう頼もうとした瞬間だった。



「いたぞ! 追いかけろ!!」



 明らかに二人を指差して、他の者たちに呼びかける男がいた。その声を合図にするように、二人は走り出した。


「どうして! どうしてこんなに早く……!?」

「……知って、たんだ。知ってて、みんな様子を見てたのかもしれない」

「……!!」


 言われてみればそうだった。区長の家に向かう時、一人男に会ったのを除いては誰とも会うことがなかった。だが運がいいとばかり二人は思っていた。その男でさえ二人がスラム街から脱出しようとしていることを確かめるための陽動だったのかもしれない。リナもティエリも、無意識のうちに唇を噛んでいた。


「待てクソガキども……!!!!」


 怒号が夜のスラム街に響く。それと同時に刃先の鋭い剣や鉄の棒、尖った石の塊など投げられうるありとあらゆるものが二人に向かって飛んでくる。ティエリはそれらを器用にかわしつつ、リナの手を決して離すことなく逃げ続ける。


「リナ! 絶対、手、離すなよ……!!」

”今のお前がティエリとはぐれるのは得策ではない、絶対にな!”


 ティエリにもガーネットにも同じことを言われ、リナはゆっくりとうなずく。


「ひ弱なガキのくせに、いっちょ前に金だけ持っていきやがって!」

「あぁ!? だーれがひ弱ですって!?」


 大人たちのくだらない挑発にリナが答え、ガーネットを振りかざして身体一つで襲いかかってくる男を『気』でずっと向こうへ吹き飛ばす。その飛距離に驚いて半分ほどの大人が怯えて距離を置いたところを、さらに追い打ちで吹き飛ばす。それでも何人もの男や女が二人に襲いかかってきていた。


「もう少し早く逃げられないの!?」

「見て分かんだろ……!!」



「……なあティエリ。そんな大金、まだ十いくつのガキが持つもんじゃないぜ」



 リナが追っ手を威嚇し吹き飛ばすことに集中していた、まさにその時だった。それまで二人の背後からばかり迫っていた男たちとは違い、正面から真っ直ぐに、近付いてきた男が一人いた。


「どうした? お前は他人の恩ってのを、そう簡単に忘れるのか?」

「……!!」


 その男はぬっ、とティエリに近付き、そして目の前で止まった。ティエリの頭の上にぽん、と手を乗せ、月明かりに照らされつつにたり、と笑った。リナも背後の人たちの対処が終わった後、突如歩みを止めたティエリの方を見た。そして、その男をにらみつけた。


「おっちゃん……?」

「これまでどれだけ、俺がサービスしていろいろ食べ物をあげたと思ってんだ。そのことをきれいさっぱり忘れちまったのかって、そう訊いてるんだよ」


 いつもティエリに気さくに話してくれる、食べ物屋を営むおっちゃんその人だった。おっちゃんが立派な武器を持って、ティエリの前に立ちはだかっていた。物理的にも精神的にも、ティエリはそこから動けなくなってしまっていた。口を開けつつも何も言えずにいたティエリの代わりに、リナが叫んだ。


「はあん。あんたいい大人のくせにそんなこと平気で言うような、とんだクズなのね」

「……なに?」

「この際だから正直に言うけど、あたしはティエリからたくさん、あんたの話を聞いてたわ。それもいい話ばっかりよ。でも残念ながら、話を聞くだけじゃ人の考えてることなんてこれっぽっちも分からないってことが、あんたを見てよく分かったわ」

「……クソガキのくせに、生意気なことばかり言いやがって」

「生意気ついでにいいこと教えたげる。……あたしたちにこれ以上何かする気なら、こっちだってもう容赦はしないわよ。一瞬先には白目ひん剝いて死んでるかもね」

「こんの……舐めやがって」


 ティエリの話からは想像もできないほど凶暴な顔をして、襲いかかってきた。太い鉄パイプを振り回し、殴り殺そうとしてくる。それなら容赦はしない。その殴打を全てやすやすとガーネットで受け止め、『録』の機能でそれらの斬撃をため込む。そして、


「鉄拳制裁の時間よ。大人しく全部、受け止めてみせなさい……『施』!!」


 最大の五発まで溜め切った斬撃を、一気に解放する。リナの宣言した通り彼は五発全てを全身を使って受け、血を噴き出して倒れた。その派手な負傷の仕方は他の人たちにもはっきりと見えたのか、大人たちは先ほどよりも明らかに怯えてリナたちと距離を置いた。


「ティエリ! 今のうちに……!!」


 リナがティエリを促し、逃げようとした。―――だが。


「……あ、ああ」


 ティエリはリナのことをしっかりと見ながら、でも立ち上がらなかった。どうしたんだと思いリナが立ち上がらせるも、リナが手を離すとへろへろ、と力が抜けてティエリはへたり込んでしまう。


「……ははは」


 ティエリは、乾いた笑い声を上げた。


「ティエリ……?」

「ごめん、リナ」

「どういうこと……?」

「おれのことはいいからさ、一人で、行ってくれよ」


 ティエリの目からは、涙が一筋流れていた。顔が笑っているにもかかわらずティエリの声はくぐもっていて、そして洟をすすった。


「どうして……どうしてよ!」


 言ったじゃないか。

 二人でスラム街を出るんだ。きっと自分たちのことを大切に育ててくれる優しい人が見つかって、明日生きるのに困るか困らないか、そんな生活から抜け出すことができるんだ。何も難しく考えなくたって、当たり前のようにご飯が食べられて、当たり前のように学校に行けて、当たり前のように魔法が使えるようになって、当たり前のように誰かのために、役に立つように働けるようになるんだ。明日も明後日も、一年後も十年後も、ずっと幸せに生きていけるような、そんな生活が待っているだろうし、そんな生活ができるようになるんだ。そう、約束したはずだった。

 だが今、リナの目の前にいるティエリはそんなの無理なんじゃないかと、諦めが顔に現れていた。どうして、急に。


「おれ、さ……腰が抜けちまった、みたいなんだよ……おれだって今すぐ立ち上がって、リナと一緒に逃げたいよ。逃げたいけど、立ち上がりたいけど、無理なんだよ。できないんだ……おれ、おっちゃんを、ずっと信じてたんだ。心のどっかで、信じてたんだよ。リナが一番で、リナの次くらいには、信じてた……けどそのおっちゃんでさえ、こうしておれたちがスラム街を出ようとしたら裏切って、襲いかかってきた……おれはもう、誰も信じられなくなったんだよ。結局ここにいる人たちは仲間なんかじゃない。みんな、敵だったんだ……」


 おれはもう逃げられない。お前にも迷惑はかけられない。だから、一人で逃げてくれ。


 ティエリはリナにお金の入った箱を託して、繰り返しそう言った。


「……なに、言ってんのよ」


 男たちの雄叫びが聞こえる中、二人の間でだけ、ほんの一瞬静寂が訪れた。それをリナの言葉が破った。


「ティエリ……あんたがいなかったら、あたしはどうやって、生きてけばいいのよ……あんた、前に言ったじゃない。二人でここを出るんだって。それを今さら曲げて、どうすんのよ……!!」


 ティエリは何も言わなかった。


「あんたにとっちゃあたしが一人でも逃げ切れればそれでいい、自分が最悪ここでのたれ死ぬことになってもいいって思ってるかもしれない。でも違う。……少なくともあたしにとっちゃ、あんたはもっとずっと、……隣にいてほしい人なのよ! あたしにとってあんたは、もっと、必要なのよ!」


 リナは歯ぎしりをして、玉のような涙を流してそう訴えていた。ティエリの目にもその光景はしっかりと焼き付いていた。


「ティエリ!! 最後に聞かせて……あんたはここで死ぬのが本望なのか、そうじゃないのか……あたしと一緒に生き延びて、幸せに暮らすのか!?」


 ティエリはごくり、と何も言わずつばを飲み込んだ。そして口から漏れ出すほどの小さな声で、言った。


「……生きたい。おれは……っ」

「……最初っからその答えしか、ないでしょうが!!」


 ティエリの返事をほとんど聞くことなく、リナは立ち上がれなくなってしまったティエリを背負い、『囲』で柔らかい結界を作り出して自身の身体とティエリとを結んで固定した。お金を抱え、ガーネットを腰に固定する。


「あたしたちの力は、こんなもんじゃない……!!」


 リナは足元に力を入れて、膝に神経を集中させてから、思い切り跳躍した。リナの身体は重力に逆らって飛び上がり滞空した。


「ティエリ! しっかりしなさい!」

「うん……」


 チラチラと家々から漏れる明かりを頼りに都市部の方向を見定め、リナは家の屋根を飛び移ってゆく。


「(結局自分で生きていかなきゃいけないとか、お金に余裕さえできれば普通の地域で普通の暮らしができるとかもっともらしいことを言ってるけど、それは違う。スラム街の人たちは結局、足の引っ張り合いしかしてない。ちっとも外に出ようって、努力をしてない……!!)」


 リナは悔し涙を流し、唇を噛んだ。スラム街の人たちを信じて生きてきた今までが全て無駄になった、そんな気分だった。背中が濡れる感触があった。ティエリもまた同じ事を考えて、泣いているのだろう。あるいは信じていた人たちに裏切られて、非力になってしまった自分を嘆いているのかもしれない。散々理想をばらまいておきながらその理想を現実にしようとは決してしないスラム街の人たちの愚かさ。そんな人たちを信じていた自分たちが馬鹿だったと、悔やむことしかできなかった。


 背後からの遠隔攻撃が激しくなってゆく。石や鉄の棒などでは飽き足らず、魔法攻撃も飛んできていた。そして聞き慣れない甲高い音とともに、冷たい金属の塊が二人に向かって飛んでくる。


「行け! その攻撃は万能だ! 狙いさえ定めれば、確実にあの二人を殺せるぞ!」


 誰かの叫びでさらに雄叫びの声が上がり、二人により一層攻撃が集中する。


「もう少し、もう、少しで……!!」


 都市部はまだ夜に入ったばかりでとびきり明かりがついていた。その地面に降り立ちさえすれば。


「ティエリ……!!」


 呼びかけるが、返事はなかった。


「まずい! 都市に入るぞ、それまでに殺せ……!!」

「うるせえええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇっっっっっ!!!!」


 リナが腹の底から叫んだ。それに呼応してほんの一瞬滞空したガーネットが大気を圧縮して並みを作り出し、追っ手の男や女どもを一斉になぎ払った。ある者は家々に何度も激突して死に、ある者はドミノ倒しのように他の死体や生きている人間に押しつぶされて死に、スラム街の建物は全て基礎から剝がされてがれきを作り出して竜巻を起こした。さらにガーネットがその竜巻の中に炎を吹き込み、第二特別区そのものを燃やし尽くしてゆく。ガーネットがひたすら走り続けるリナの腰に再び収まる頃には空高くからでも分かるほどの大きな炎が街を包み、辺りを煌々と照らしていた。


”見えるかリナ! 三軒先を見ろ!”


 汗か涙か血か、色々なものが混ざったものでまみれた顔を必死の形相にしつつ走っていたリナに、ガーネットが呼びかけた。正面を見ると、おばあさんがリナの方に向かって手招きをしていた。他の者たちが壮絶なその様子に対して傍観を決め込む中、そのおばあさんただ一人がリナを救おうとしていた。

 おばあさんとほとんど距離がないところまでリナは突っ込み、そのまま家の中に入った。扉はすぐさま閉められ、次に覗いた時には逃げてきた大通りに大量の警察官と大魔導師が出動し、潜り抜けてきたスラム街の者たちを取り押さえ、魔法で気絶させたりしていた。


「ティエリ……!!」


 リナは転がり込むようにその家に入った後『囲』を解いてティエリを寝かせてやった。ティエリが起きる様子はなかった。もっと柔らかいところに寝かせてやろうと、リナがティエリを抱える。


べちゃ


 リナの手に、嫌な感触が伝わる。おそるおそるその手を覗き込む。真っ赤だった。次にティエリを見る。


「ティエリ!! ティエリ……!!!!」


 上半身からも、下半身からも血は溢れ出ていた。


 ティエリに先ほどまであったはずの右腕と左足が、なくなっていた。

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