#164 本国での調査
「いよいよ、ね」
「そうだね……」
「……そんなに改まって言うほどのことでもないはず」
フランス本国にレイナたち三人が行く日がやって来た。その日は早朝に転移魔法を使用して本国に到着し、その日の内から調査を開始してほしい、ということだった。
用意が整った三人を、フェリクスが迎えに来てくれた。
「まあ前の食事会で一度見かけた程度の魔法審理官が迎えに来ても、不安しかないと思って。僕が来た方がまだ、心強い気がしてね」
フェリクスは爽やかな笑みとともにそう言った。
「はい、ありがとうございます。助かります」
レイナがそう言ったのに、ミュールも氷天もうなずいた。
「じゃあ、行こうか。一応他の人を巻き込むといろいろややこしいことになるから、人目につかない場所まで移動するよ。ついてきて」
「……中央政府では行わないんですか?」
氷天が尋ねた。
「うん、中央政府にはあいにく、そういうスペースが今用意できなくてね。それにヴィオレーヌ様が昨日から公用で中央政府を空けていて、滞在先に近い場所の方が都合がいいから。ちなみに今回、転移魔法を使って君たちを本国まで送り届けるのは僕の仕事になった。よろしく」
「「「よろしくお願いします」」」
「フェリクスさんなら安心だね、そう思わない?」
「ミュールはすぐ信じるのね」
「そう言うレイナはどうなの? そりゃこの間言ってた不安は残るけど」
道中、レイナとミュールはやはりそのことを話していた。ちなみに今の服装は三人とも、本国に行った時に魔法の国から来たと疑われないよう、本国の一般市民に近いものになっている。レイナやミュールは特にこれといった反応を示さなかったが、氷天がまたドレスを着なければいけないかもしれないという不安を抱えていたらしく、天使のような安堵した顔をしていた。一目見て安心しきっているのがすぐ分かる。レイナとミュールの話も耳に入っていなかった。
レイナたちの話が聞こえていたのか、フェリクスがにこやかに答えた。
「心配はないよ。昔こそ転移魔法の失敗例もいくつかあって、服だけ転移先に行ってしまったりとか、上半身だけ向こうに行ってしまって死んでしまったとか、重大な事故は遭ったけど、今は絶対ないと言い切ってもいい。何より何重にも転移する人を保護する魔法をかけておいて、万が一のことに備えて何人もの魔法審理官が立ち会うことが厳格に決められてるからね。向こうに着いてから起こる危険については、三人によく気を付けてもらわないといけないんだけど」
「やっぱりそうなんですね……」
レイナは一番強く責任感を感じているのか、真摯にフェリクスの話を聞いていた。一方、
「ねえ、氷天ちゃん! 氷天ちゃん、聞いてる!?」
「……!! あ、なに」
「なに、じゃないよもう!」
レイナからすればこれからやらなければならないことの重大性が分かっているのか、と叱責の一つでもしたくなるほどお気楽なのが、ミュールと氷天である。ミュールがそうなっているのはまだ分かる。そして少し注意すればレイナの言うことだから、とちゃんと真面目になって聞く。だが氷天がこの間の真剣さとは打って変わってぼうっとしてばかりいた。大丈夫なのか、これで。レイナにはそういう不安も募っていた。
そうこうしているうちに、フェリクスが足を止めた。
「ここだよ、到着だ。ほら、みんな待っててくれてる。少しでも安心できれば」
そのまま手を引かれ、三人はすでに用意された魔法陣らしき円の中に入る。そこで、がたいのいい魔法審理官が三人に言った。
「君たちがこれから転移する先自体は、安心だ。本国にも少数だが魔法を使える者がいて、本国の情勢の報告に役立ってくれている。そのうちの一人の住まいを転移先に指定している。いいかい?」
「「「はい、分かりました」」」
「では早速だが、転移魔法を……」
男が三人に向かって杖を振ると、途端に三人はまばゆい光に包まれた。と同時に、防御魔法らしき青い光もクモの糸のように三人を囲んだ。
三人が一番最後に見たのは、子どもらしく無邪気に手を振るヴィオレーヌの姿だった。
* * *
「起きろよ……ったく、起きろっての」
中途半端に高い声が、レイナの耳に届いた。
「ん……」
レイナが目を開け辺りを見渡すと、彼女と同じようにミュールと氷天の二人もぐっすりと眠っていた。そして、
「……やっと起きやがった。ったく、着いていきなり二時間も寝るとか、油断しすぎだろ」
少々口の悪い少年が一人、三人の近くに立っていた。少年と言ってもレイナが何となくそう感じただけで、顔も体つきもかなり中性的で、ほんの少しだけ女の子にはない声の低さがなければ、普通に少女だと判断してしまいそうだった。
少年はためらっている様子だったが、やがて勇気を出したのかミュールと氷天も揺さぶって起こした。事態をややこしくしたのが「うーん……ちょっとやめてよ、くすぐったいよう……」という、ミュールの寝言だった。どこからそんな声が出るのかとレイナが思うほどのそのなまめかしい声は少年が腰を抜かすには十分だったらしく、
「うわああっ!! ……なんだ、寝言かよ、紛らわしい……」
と少年は言った。その大声で、ミュールと氷天も目を覚ました。
「ふにゅ……」
「……」
一番普段通りに戻っていたレイナが尋ねた。
「ごめんなさい、ここは、あなたの家よね? 名前を教えていただけるかしら」
少年がため息交じりに言った。
「オレの名前はノア・トネール。トネールってのはフランス語で雷鳴、って意味だ。オレが雷の魔法を得意とするからだ。分かってるかもしれないけど、今回あんたたちの本国での拠点はこのオレの家だ。オレはこんな風に、」
そこまで言うとノアと名乗った少年はポケットから何やら粉末を取り出し、さらさらと辺りに撒いてみせた。すると少し煙を上げ、真っ白な猫がそこに現れた。猫はひょい、とノアの肩に乗っかった。
「……そっち側の人間だ。安心しろ」
「たくさん魔法が使えるということは、あなたも大魔導師なのね」
レイナが尋ねる。
「そうだよ。大魔導師ぐらい魔法に精通してないと、普通の人間の世界に紛れてスパイなんてできっこないからな。あとオレのことはもっと気軽に呼んでくれていいから。ノア、でいいよ。それから、猫が苦手なやつはいるか? こいつは一応オレの相棒だから、普段はこうやって家の中で放し飼いにしてる。いいよな?」
「もちろん。二人も大丈夫よね?」
レイナが確認を取ると、ミュールも氷天も黙ってうなずいた。それを見てノアはふーっ、と長い息をした後、
「さて、早速だけど、調査に入ってほしい。オレはここの市民に魔法使いだってバレてはないけど、どうしても大人しか入れないとこってのがあるだろ。それにオレの他に三人いることで、同じ意見でもいろんな見方が出てくる。たぶん向こうも、そういう目的であんたたちを寄越してきたんだと思うぜ」
「特に変装なんかは、しなくて大丈夫かしら?」
「問題ないだろ。あんたら本当は根っからのあっちの国出身じゃないんだろ?」
「……なぜそれを?」
「そりゃ、あっちの魔法審理官から報告受けてるからだよ。ここで預かるからには、それくらいの情報は持ってねえと。……とにかくどこの国からやって来たのかは分からねえけど、オレもオレなりに、あんたたちが元の国に戻れるよう努力はするよ」
「……こういうことって、あったりした? 突然どこからともなく人がやってきたっていう話」
「報告受けてる限りでは、ねえな。たぶんあんたたちが初めてだろ。……確認だけど、あんたらはオレたちの国に来たくて来たわけじゃないんだよな?」
「ええ、もちろん」
「じゃああんたたちをここまで飛ばした、犯人やらなにやらがいるってわけだ。そいつの特徴は?」
「えっと……」
レイナが言葉に詰まったのを見て、今度は氷天がそれに答えた。
「ちょうどノアぐらいの背丈の、二人組の少女よ。髪の色は紫と金。双子のようにそっくり」
「そこまで分かってんのかよ。何かそいつに恨み買うようなことでもしたのか?」
「まあしたと言えば、したのかもしれない。けれどそれはあっちの感じ方で、こっちとしてはそんなつもりは毛頭ない」
「……おいおい、それ完全に悪人の言い分じゃねえかよ、全く……分かった、オレはそんな奴見た覚えねえけど、もしかしたらここの人たちなら知ってるかもしれねえから、その聞き込みもすることだな。オレもそういう報告が入ったらすぐに言う」
ノアがそう締めくくった。レイナのありがとう、という返事を合図に、三人は外へ出た。
* * *
外に出ると、石畳が敷き詰められた地面に、道路の左右はひたすらオレンジ色の屋根の家が並んでいた。ヨーロッパの閑静な住宅街、と呼ぶにふさわしい光景だ。イングレアの前職がフランス本国での役人だったということはすでに明らかになっていたので、三人は中心部にある役所を目指していた。
この光景を見て、ミュールが思わず口にしていた。
「この光景……見たことあるよ」
「どこで?」
レイナが反応する。氷天は二人の会話の流れを見守ることに決めたらしい。
「ほら、『ファントムシティ』に私が行った時、同じような光景を『壁』の向こうで見たんだよ」
「じゃあ、ここは未来には『ファントムシティ』になってるってこと?」
「あ、でも、山がないや……山はさすがに、急にできたりはしないよね? ね、氷天ちゃん」
「え、……ああ、ええ、たぶんそう」
突然話を振られて少し氷天は動揺していた。
「でもそれにしても、この一致は何か関係がありそう……」
ミュールは首をかしげていた。
しばらく足を進めると、やがて閑静な住宅街が途切れて、大きな壁が見えた。城壁らしいその壁を抜けると、さらに奥へ進めるようになっていた。
「……」
ふと、あまり発言をせず黙って他の二人についてきていた氷天が足を止め、一つの建物の前に立って見つめていた。氷天がついてきていないことに気付いて、レイナが声をかけた。
「どうしたの?」
と言いつつ、レイナも氷天の目線を追って建物を見た。ミュールも考え事をするのをやめて、二人に倣った。
「これは……」
奥行きはちょうど冥界の警察省ほどに広く、中央省庁と言われてもおかしくないほど大きな建物だったが、あちらこちらにはまっている冷たそうな鉄格子が妙に目立って見えた。中央省庁にしては場所もあまりふさわしくないだろうし、なにより並の省庁の建物に鉄格子があるものとはとても思えない。それで、レイナがつぶやくように言った。
「ここは、……パリよ」
「え?」
ミュールの訊き返しを聞いていたのかそれとも聞いていなかったのか、レイナは続けた。
「間違いないわ。これは、バスティーユ牢獄……」