#161 心を開く
「君の最後の一撃が、決定打だった。助かったよ。……けど、まさか魔法攻撃じゃなくて、直接蹴って弱らせるとはね」
中央政府のその建物の中に突入するよう命令したのは、フェリクスだった。事前に信頼できる魔法審理官たちに、根回ししておいたらしい。イングレアはすぐに魔法審理官の男たちによって拘束され、街の警察に身柄を引き取られていった。
「警察もこの一件でずいぶん助かったみたいだ。イングレアにはどうやら、脱税の疑いがかかっていたみたいでね。ひそかに調べてはいたんだけど、やっぱり実際に身柄を拘束して、家宅捜索してみないと分からないこともあるらしい。イングレアはなんだかんだ、僕たちも歯が立たないような大魔導師だ。君たちが魔法じゃない、別の方法で戦っていたからこそ太刀打ちできたようなもので……」
「……イングレアは一体、どういう目的でこの街に入ってきたのか。それが結局、謎のままね」
「そうね、外部から入ってきたってことは、もとは魔法に適性があったってわけではないでしょうし……」
氷天の呈した疑問に、レイナが言った。
イングレアが待ち構えていたあの部屋は、ステンドグラスが至る所にあしらわれた、美しいと形容すべき部屋だった。フェリクスに聞くと、イングレアがこの街にやって来て魔法審理長官になるまでは、中央政府の建物の中にあった教会が、あの部屋らしい。そこを自分の部屋としていたということは、
「宗教を否定していた……」
「この時代に、珍しいわね、確かに」
「十字軍が活発だった時代が、今だとしたら?」
十字軍遠征とはその昔、十一世紀頃から始まった、キリスト教徒がイスラム教徒から聖地エルサレムを奪還しようとした一連の戦いのことだ。イングレアはこの街の外、フランスの都市部の生まれ育ちであるという話だが、実際はそれは嘘で、イングレアは十字軍に紛れてこちら側に来たイスラム教徒のスパイではないか。それなら万に一の確率で、大魔導師たる適性があったかもしれない、と氷天は言っているのだ。
「……それは、ないはずよ。そこまで古かったら、おばあさんの話すフランス語は、もっと違う形のはず」
「そうやってレイナは言うけれど、実際この時代が具体的にいつなのかは分かるのかしら」
氷天のその問いに、レイナは黙って首を振るしかなかった。
「現代よりある程度昔、ということしか分からない。おばあさんに聞けば、西暦ぐらいすぐに分かるものと思っていたわ。けど、この街の人たちはどうやら全く別の暦を作り出して、それをもとに生活しているみたいなの。並の人間とはもう関わりたくないっていう、ある種の意思表示なのでしょうね」
「別の暦……」
もちろん現代の現実世界で習う世界史でも、冥界で教えられている現世史でも、この街のことなど教えられない。おかしな話ではあるが、能力の存在は死神の誰もが信じて、そして目撃していても、魔法は存在しないと教えられ、そして思っているのだ。レイナや氷天も当然、例外ではなかった。
「結局これから先、私たちの身に何が起こっていくのかは、私たちでさえも分からない……」
氷天はそうぼやくことしか、できなかった。
「……」
レイナもそんな氷天に返す言葉が見つからず、黙っているしかなかった。
* * *
「(疲れた……)」
その日はレイナも氷天もおばあさんの家に戻り、しばらくゆっくり休むようにフェリクスにも言われた。後の処理は僕たちがしておくから、ここに来て間もない人がするのは違うから、と。その言葉に甘え、レイナも氷天も早く寝る準備をしていた。ミュールはすでに別の部屋をおばあさんに貸してもらっており、そこで早くも眠りについていた。こういう時は一人で寝ても平気らしい。レイナは何度もドレスを着、正装をした経験があるとはいえ、やはりその格好で緊迫した空気の中居続けたことはさすがにストレスだったらしい。ベッドに寝転ぶなり、レイナは早くもうとうとし始めていた。
「……ん!?」
このまま寝るんだな、とレイナはぼんやり思っていたが、ふとごく小さな、部屋のドアの開く音がして、寝転んだまま耳を澄ませた。誰かが入ってきていた。その人はゆっくりとレイナに近付く。近くに置いていた杖を握るレイナの手の力が、自然と強くなる。いつ襲ってくるのか。その時を静かにレイナが待っていると、
「……!?」
その人は何を思ったのか、レイナの横にごそごそと入ってきた。その感触で、何となく誰か分かった。
「……氷天」
「……起きてたの」
「なんだか、気付いた方が悪いみたいな空気じゃない。一緒に寝たいなら、最初からそう言えばいいのに」
「一緒に寝ようとすることは、別に構わないの」
「それは気にしないわ。私も子どもの頃よく、夜一人で寝るのが怖くてウラナと一緒に寝ていたから。ただ、大人になってすることになるとは、思ってなかった」
「……ふふふ」
「どうしたの?」
氷天がこれほど心底愉快そうに笑うのも、珍しいのではないか。レイナが尋ねると、ひそひそ、と氷天が答えた。
「……私たちには、リオンという共通する友人がいる。私は”ナイトメア”の人格にすべてを支配されそうになるのを何とか踏みとどまらせてくれた、命の恩人でもある。レイナにとっては、大事な幼馴染。どうして私たちが本当にごく最近まで、出会わなかったのか」
「そんなこと、気にしてたの?」
「そんなこと、って」
氷天は思わずそう言い返していた。
「そう言われれば、私は誰に会って、そのことが偶然だとか必然だとか、あんまり思ってない気がするの。確かに偶然や必然が存在しないわけじゃなくて、確かにどちらかはあるんだろうけど、分かったっていつどこで誰に会うか、私たちには予測できない。未来予知系の能力者でも難しいだろうし、そもそもそんなことに能力を使おうとしない。私と氷天が今この世界で会っていることが、この先偶然だったか必然だったか、分かるのはまだ先だと思う。だけど偶然か必然か分かったところで、やることは一緒。そうは思わない?」
「……」
どうしてレイナはこんなことを、とっさに口に出して言えるのだろうか。氷天の頭の中ではレイナの言葉の意味を解釈しようとするのと同時に、そんな疑問が渦巻いていた。
「どうして私たちが今この世界にいるのかは知らないけど、私と氷天は、協力しなきゃいけない立場にある。もちろん、ミュールも。だから私はできる限り心を開く。例えずっと怖いって聞かされてきた氷天、あなたが相手でも。だから氷天、あなたの方も私にできる限り、心を開いてくれるとすごく嬉しい」
レイナは言い終えると、にこり、と氷天に笑いかけてみせた。それは暗闇の中でも氷天に伝わったようで、氷天が再び口を開いた。
「……私が、ずっと気を付け続けていることが一つある」
「気を付けてること?」
「私は冤罪を作らない。冤罪を作るという行為は、愚かな人間のすること」
「……」
「私は冤罪だけは作らないように、ずっと生きてきた」
「……ミュールのお父さんとお母さんの時も、その信念は貫いた、ってこと?」
「……そう」
「……そっか」
レイナは少し息をついて、言った。
「私も、よく分かってはいるつもりよ。人間はやっぱりどこかで、どうしても自分の愚かなところを意図せずしてさらけ出してしまうってことが。冤罪を作ってしまって、罪のない人の貴重な時間を奪ってしまったお詫びをお金で解決するしかない人間が、やっぱり愚かだってことは分かってる。でもそれは、人間という存在を離れた、死神の意見でしかないってことも。人間がそういうところで愚かであるのと同じように、きっと死神も人間に愚かだって言われるところはある。傷の舐め合いをしようってことじゃなくて、いろんな視点から理解はすべきってこと。人間は地球上で何万年も繁栄し続けて来れた分、ずっと理解するのには複雑になってるって、私は思うわ」
「……」
氷天が何も言わず、レイナの話を聞いているのを確認して、レイナは続けた。
「もちろん、氷天がどれだけ悪魔や”ナイトメア”のことを憎んで、どれだけ徹底的に調べ上げて、そしてどれだけ慎重に事を運んで来たか、その努力は理解できる。あなたを見ているだけで、それがにじみ出ているのが分かるから。それを頭ごなしに否定するつもりは、私にはないわ。でも氷天、一つ覚えていてほしいの。氷天が、すごく根がいい女の子だってことは、この数日間だけでもよく分かった。必死になって、『よく』生きようとしてることも。だからこそ、今の氷天には分かるはず。氷天が今までたくさんの人を殺してきた、その行為が、必ずしも正しいわけじゃないってことが」
「……」
そこまで言い終えて、氷天が何か言うのを静かにレイナは待った。じっくりその言葉を咀嚼していたのだろう、しばらく沈黙が訪れたがしばらくして氷天がそっとレイナの手を握り、口を開いた。
「……時間は、かかる」
「うん」
「私がそう思えるようになるまでは、おそらく時間がかかる。小さい頃から、ずっとその思いを胸に生きてきたから……」
「時間がかかっても、いいよ。今はね。私も、兄さんを敵として見るのに、時間がかかってるから」
「……レイナ」
「なあに?」
「私が昔、例の集団にいた時……その時は、リオンがいつも私のことを心配して、二人で一緒に寝るよう言ってくれた……その時私は、どこかがむずがゆいような、でも他のことでは得られない、安心感を得られた。大人になって、同じことはしてはいけない、はずがない」
「やっぱり素直じゃないのね、氷天は」
「え?」
「さっきも言ったでしょ、一緒に寝たいなら、最初からそう言えばいいのに。少し狭苦しいけど、どうぞ」
レイナがベッドの端に寄り、氷天のためのスペースを開けた。暗闇でレイナに伝わるはずもなかったが、氷天は一瞬だけはっとした顔になり、それから言った。
「……ありがとう」
* * *
「王女から、招集された?」
それから何日か後のことだった。フェリクスが再びおばあさんの家にやって来て、レイナたちにそう言ったのだった。もちろん召集の対象にはミュールも入っていた。
「中央政府の建物、ずいぶん派手に壊れたって話聞いたけど、大丈夫なの?」
ミュールの疑問ももっともだったが、フェリクスがそれに対して笑顔で答えた。
「それは大丈夫、僕ら魔法審理官が何人もいれば、魔法で修復することは簡単だからね。まあ、一番苦労したのはそれこそ、僕ら自身が粉々にしてしまったステンドグラスだったんだけどね」
教会にはよくあしらわれている、ものによっては息をのむほど美しいステンドグラス。もちろん設計図にどのような模様なのか記載はあったらしいが、そこまで緻密な造形を魔法でしようと思えば、相当な時間と体力を消費してしまう。そういうものなのだそうだ。
「どうしたんだい、少しばかり顔色がよくないけど」
フェリクスが次はレイナの方を見てそう言った。
「あ、いえ、何でもありません。大丈夫です」
レイナは早口でそう言って、その場を去ってしまった。
「待ってよレイナ! 大丈夫じゃないって!」
ミュールがその後を追いかけた。残ったのはおばあさんとフェリクス、そして氷天。
「君は行かないのかい?」
フェリクスが氷天にそう言ったが、氷天は静かに首を横に振り、代わりにフェリクスに尋ねた。
「この街の政治のトップは、魔法審理長官ではないの?」
「違うよ、僕らは確かに魔法の専門家ではあるけど、そこまでお偉いさんってわけでもないからね。ついこの間この街に来た、これまでで一番の大魔導師だってことが分かった少女がいて、彼女が今この国の王様でかつトップということになってる」
「過去最高の大魔導師、ついこの間……」
「うん、そうだ。どうやらこの街の事情にもある程度詳しいらしくて、魔法審理官の全員に信任された。……そうだ、彼女自身は肖像画を描かれるのを別に嫌がっていないから、似顔絵ならたくさんあるんだ。見るかい?」
「……ええ」
氷天が言うと、フェリクスが空中で杖を軽く振り、魔導書ほどの大きさの肖像画を出した。紙の大きさで言えば、A4というところか。
「これは僕の家にある、魔法審理官なら持ってるものなんだけど……」
氷天が肖像画をのぞき込む。その瞬間、氷天の顔は驚愕で満たされた。
「これは……!!」




