#129 相見える
「……くそっ!」
三十分、一時間、一時間半。時間だけが刻々と過ぎていったが、システムの主導権奪還はできていなかった。自分が慌ててしまうのが一番いけないと思い直し、マドルテはひとまず敵が接近した段階でサイレンだけは鳴るよう、設定を確認した。
「また面倒なウイルスこさえたな、葬儀死神も……!」
現世でいうコンピューターウイルスがその異常事態を引き起こしていることまでは、マドルテは突き止めた。だがそこからどうやってそのウイルスを除去するのか、その方法が分からないでいた。
「僕は別に、そういうのを現世で勉強したわけじゃないんだ……」
マドルテにしてみれば、現世におけるコンピューターの普及は『つい最近のこと』という認識だった。だから実際普及して、いよいよスキルを身につけないといけないとなった時に、独学でその技術を習得した。現世の大学で専門的に勉強することも考えたが、当時すでに四冥神になっていたマドルテに、そんな時間はなかった。独学かつ急いでいたこともあって、かいつまんで勉強した記憶があり、その方面の知識や技術が完璧であるとは言えなかった。
「でも今は、そんなので言い訳してる場合じゃない」
マドルテのキーボードを打つ速度は、落ちない。
「冥界全体に一度で緊急事態を知らせられるシステムは、これしかない。僕は僕にできることを、やるしかない」
* * *
「……ん?」
マドルテが画面の前で必死に戦っていたのと同じ頃、もう一人異様な雰囲気を感じ取ったものがいた。
「どうした、風樹」
悪魔の風樹だった。前の悪魔戦争で風樹はエニセイと戦い、負けを認めて捕虜となったが、逃げ出したりする恐れがないことから釈放され、エニセイの元に引き取られ共に暮らしていた。風樹は悪魔らしからぬ思いやりのある男で、子どもにも好かれやすいとエニセイにはずっと言っており、それならちょうどいい、と身寄りのいなくなったシナノの世話を任せていた。ラプラタが逮捕されてしまい、また父親もいないことからそうなったわけだが、年齢にそぐわずシナノはしっかり者で家事もテキパキとこなす女の子だったためむしろ風樹の役割がなくなってしまい、すっかりエニセイの家ではお母さんの役割を果たすようになっていた。そこに間もなく卒業で大殿の寮を出て行かざるを得ず、ちょうどいいとエニセイの家に居候を始めたラインも加わり、四人で過ごすことが多くなっていた。
風樹が少し眉をひそめたのを見逃さなかったエニセイが、風樹に尋ねた。風樹は一度頷いて、
「何か異変を感じ取った。これは悪魔だから、ということではなくて、単に虫の知らせ、とでも言うべきなのだろうが……この冥界に何か大きな事件が起こるのを、感じ取った気がしてな」
と言った。
「……それは聞き捨てならないな」
「本当かどうか、その保証はできない。ただ嫌な風を感じたというか、悪魔の国にいた時も、この風を感じた時は殺しやら強盗やら、ろくでもない事件が起こった。それと同じ風を、今もふと感じ取った」
「それは過去に、何度ほどあった?」
「さすがにはっきりとは覚えていないが……十回はあった、というところか」
「全く信憑性がないわけではない、というところか……」
「どうしたの、セー兄?」
シナノと一緒に食器を洗っていたラインが、台所からひょっこりと顔を出した。それに合わせてシナノも顔を出してじっとエニセイの方を見た。
「いや、風樹の話では、もうすぐにでも冥界に、事件が起こるらしいということだ」
「そんなだいたいな話されてもなぁ」
ラインもその時のエニセイと同様、口をへの字に曲げて困ったなあ、といった顔をした。
その時、玄関のドアが激しく叩かれた。よほど急いでいるのか、ドンドン、と鳴った後ほとんど間を空けずにまたドンドン、と鳴った。
「インターホンがあるのが見えないのか」
ため息交じりにエニセイがそう言い、ドアを開けた。飛び込むように入って来たのは天蘭だった。
「天蘭!?」
「葬儀死神が!冥界を、攻めに……」
「落ち着け」
ラインがひょこひょこと出て来て、コップに麦茶を注いで天蘭に手渡した。一瞬目を丸くした天蘭だったがすぐにそれを飲み干し、感謝の意を伝えた。
「……どういうことだ、言葉を付け足して説明してくれ」
「葬儀死神が、冥界に攻めて来るわ。もう間もなく、こっちに来て、ね。非常放送のシステムがクラッキングされて稼働できなくなっているから、サイレンしか鳴らない。となると訓練か何か、少なくとも本当の非常事態ではないとみんなが勘違いして、被害が大きくなる可能性が高い。だから、私が手当たり次第伝えて回っているの」
「……なるほど、風樹が言ったのが現実になったというわけだ。しかし、葬儀死神が?」
「葬儀死神が攻めて来ても勝ち目なんてないことは分かってる。目的は未練死神の制圧で間違いないでしょうけど、どうして今になって突然こうしたのか分からない」
「とにかく、覚悟を決めておけということだな」
エニセイがそう言った途端、
ウォンウォンウォン!!!!
前の悪魔戦争の時にも冥界中に響き渡ったサイレンが、けたたましく鳴った。天蘭はそれを聞いて、青い顔をした。
「間に、合わなかった……」
「……落ち着け。俺たちもみんなにその情報が行き渡るよう協力する。葬儀死神と対峙し次第戦う。お前は自分の身の安全と、その情報を伝えて回ることだけを考えろ」
「……了解!」
* * *
サイレンだけしか鳴らなかったとは言え、どうせ訓練だ、と安心して逃げなかった者は比較的少なかった。訓練だろうと外に出ることには変わりなく、誰かしら慌てて逃げる死神に出くわして事情を聞き、ついて行って避難した死神がほとんどだった。
「ベガ、お前は後ろからみんなを守ってくれ。俺は最前線で安全な場所までみんなを連れていくから」
「分かった。死ぬなよな兄貴」
「誰に向かって言ってる」
サイレンの音を聞いたアルタイル、ベガ兄妹は外に出て来た者たちにすぐに逃げるように伝えて回っていた。放送がなかったからどんな異常事態なのかは分からないが、とにかく逃げておくに越したことはない。
「(思ってたより多いな……)」
サイレンを聞いたはいいものの本物かどうかを判断しかねた者が多かったらしく、二人ではとても誘導できる人数ではなかった。それでも連絡を取ってヘルプを求める余裕さえない以上、二人でやるしかなかった。
その、避難所に向かう途中だった。
「おやおや、何ですかねぇ、この大名行列は?」
間延びした声が、一番後ろを行くベガの背後から聞こえてきた。
「誰だ。邪魔だ、逃げるなら逃げるでさっさと列に加われよ」
「おやおや、いぃんですか?」
そう言うとその男は列に加わり、
最後尾の死神の頭をつかんだ!
「痛えっ、何すんだてめ……?」
「イヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ!!!!」
男が不気味で甲高い笑い声を上げ、何度かつかんだ頭を振り回した後、ぱっ、と離し、列から遠ざかった。
「申し遅れました、ぼくは琉電、まあ見りゃ分かるだろうけど葬儀死神だねぇ」
琉電、と名乗ったその男はベガに向かって、楽しそうにそう言った。だがその後の言葉の方が、おそらく未練死神にとっては衝撃的だっただろう。事実、一瞬ベガは驚いて固まってしまった。
「そしてぼくの能力は、”反転世界と並行世界”(メリーゴーラウンド)。どんなものかは、今に分かるよ……イヒヒヒヒヒヒ!!!!」
「”反転世界と並行世界”……!」
ベガが対処する間もなく、
「あああああぁぁぁぁぁあああ!!!!」
先ほど頭を鷲掴みにされた男が不可解な叫び声を上げ、前の方にいた逃げる死神に次々と襲いかかり始めた。
この琉電とやらが頭の中をどうしたのかは知らないが、錯乱状態になっていることは確実だった。そして放置しておけば仲間を見境なく襲い続け、やがて目が覚めた時に自分の犯したことに気づいて、自ら命を絶ってしまうことも。
「やめろ!」
ベガが男の背後から捕まえるが、それでもなお暴れようとした。
「もうぼくたちは怒ってるんだよ、未練死神と葬儀死神の、こんなにも進展しない関係のことをね。ならいっそのこと、滅ぼしちゃえばいぃじゃない?」
「黙れ……!」
ベガが暴走する男の対処に追われている間に、琉電が別の死神に能力を施そうとする。
「お前……!」
* * *
同じ不気味なサイレンを、病院の中で聞いた者もいた。
「……!!」
「父さん、これは……」
ギミック、グロリア、エリザベスの三人だった。以前と同じく、ギミックの病室に娘のグロリアと、グロリアも入院している身のためサポートとしてエリザベスがついている、という形だった。
「緊急事態を知らせるサイレンだな……放送が続けてくるはずだが」
しかし本来流れるのに必要な時間だけ待っても、放送が流れる気配はなかった。
「とにかく、いたずらにこのサイレンが鳴らされることはまずない。いずれにせよ、何かの異変が起きているのは間違いない」
「分かりました。ギミックさんとグロリアは、そのままいてください。私がいったん警察省に戻って、状況判断に努めます」
そう言うや否やエリザベスは病室を出て、警察省まで走り戻った。入口から入ったところで、
「お母さん!」
同じくサイレンを聞きひとまず母親に会おうと考えたのか、ライムがそこにいた。
「ライム!無事なのね、よかった……」
「それよりお母さん、このサイレンは……?」
「私も分からないわ。警察省の方で何か掴んでいるといいんだけど……」
間もなく上層階から次々に駆け下りてくる死神が押し寄せてきた。エリザベスは何が起きたのか尋ねたが、その事情を知っているものはいないらしかった。みなサイレンが鳴ったから逃げる、とすぐに判断しそうしているようだった。
「上にはまだ誰かいるの?」
そう聞くと、まだ階段にたどり着けていない死神以外は、いないと答えたものが多かった。
「エリザベスか!?」
エリザベスの通信機に連絡が入った。相手はジグだった。
「俺は今、逃げる警察省の死神の先導をしてる! 後ろにも護衛はつけてるから、どこで何が起きてるのかを調べて欲しい!」
「分かったわ」
エリザベスはライムを引き連れ、警察省の建物を出た。とたん、ライムがハッとした顔をした。
「お母さん危ない!!」
ライムがそう叫び終わるか終わらないかといううちに、上空で閃光が走り、隕石のようなものがエリザベスたちを襲った。エリザベスが何とか反応して銃を生成し、光った方に向けて撃ったことでそれらは燃え散り、ことなきを得た。
「早速、容赦はしないということね」
そう言うエリザベスたちを、今度は影が覆った。すかさずエリザベスも、ライムも銃を向ける。
「あらら、今のを、凌いだんですのね」
影はしかしエリザベスたちを襲うことなく、すぐそばに軽やかに着地した。
「……その顔、どこかで見たことがあるわ」
「……あらら、エリザベスじゃないです?」
ふふふ、とその女は顔を見せ笑った。
「今回の異変というのは、そういうことでいいのかしら?」
「いずれ分かります、こうしているのは、私だけではないんですから。……そこのお嬢さんに向けて説明しましょう。私は憐麦。葬儀死神の中では、高貴な方の家として、有名ですのよ?」
「まさかあなたとこうした形で会うことになるなんて。できれば避けたかったのだけど」
「でもこれも運命ということで、仕方ないんじゃないです?それに私は、」
エリザベスとライムを分断するように、横から隕石が襲い、地面に亀裂が入った。二人ともその直撃は何とか免れたが、その場所は脆くなり、合流が難しくなってしまった。
「私は本気ですのよ?エリザベスたちを、殺してしまうことに関して」




