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第9話

 頼子は警視庁に戻ってきた。


「おう、鏑木。お前どこ行ってたんだよ?」


 取り調べ室へと向かう頼子に、いかにも現場一筋といった感じの厳つい風貌の刑事が声を掛ける。


「それと、誰だ、その男は?」


 声を掛けてきた刑事は、すぐに頼子の後ろに立つ恭平の姿に目を止めた。


「えっと……その、彼は目撃者です。事件の夜、現場近くで走り去る男を見たというので、面通しに……」


 先程の恭平のお願いとは、「響孝介に会わせてほしい」というものだった。以前「自分が取り調べを行えば、容疑者がクロかシロか確実に分かる」とは言っていたが、実際にそんなことが許されるはずもない。当然頼子は拒否したが、どんな形でもいいからと強く迫られ、仕方なく目撃者と偽って連れてくることにしたのだ。


 そこへたまたま宮田が通りかかり、恭平の顔を見て驚愕した。どうしてここに、と思わず叫びそうになるのを必死に堪え、何とか周りに気取られないように自然体を装い、そのまま頼子と恭平を響孝介のいる取り調べ室の隣の部屋へと導いた。


「一体どういうつもりだ!? こんな所まで来るなんて、気は確かか!?」


 ドアを閉め、3人だけになったのを確認してから、宮田は恭平に詰め寄った。恭平の奇天烈な言動には慣れていた宮田だが、警視庁にまで乗り込んできたというのは初めてのことだ。


 しかし恭平はそんな宮田の言葉を無視して、マジックミラー越しに隣の取調室を食い入るように見つめている。


 部屋の奥の椅子に座り、憔悴し切った表情を浮かべて頭を抱えているのが響孝介だろう。取調官が声を荒らげて詰問しているが、響はずっと押し黙ったままだ。


「最近はずっとあの調子だ。最初は犯行を否認し続けていたが、今ではウンともスンとも言わなくなった」


 宮田は諦めたように溜息をつくと、響の顔を見つめている恭平に現在の状況を説明した。その言葉すら、恭平には届いていないようだったが。


「これじゃよく分からないねぇ。何でもいいから喋らせてみてよ」


 マジックミラーから目を離した恭平は、宮田に向かって響孝介の言葉が聞きたいと要求した。


「何かだと? 一体何を喋らせろと言うんだ?」


 宮田は恭平の身勝手な要求に眉を(ひそ)めた。


「何でもいいよ。でも、出来るだけ感情がストレートに出た方がいいね。そうだ、脅して怯えさせるのもいいかもしれない」


 恭平は相手の心を見抜く時、わざと相手を挑発して怒らせるという手段をよく用いる。今回もその手が使えればベストだったが、堅物の宮田にそこまでは無理だと分かっていた。


「俺に暴力的な取り調べをしろと言うのか? 昔の刑事ドラマじゃないんだぞ」


 ぶつぶつと文句を言いながらも、宮田は頼子が驚くほどあっさりと恭平の要求に従って部屋を出ていった。そしてすぐに隣の取調室に入ると、取調べをしていた刑事と何か言葉を交わして、その刑事と交代する。


 それまで取調べをしていた刑事が部屋を出ていくのを待って、宮田は突然目の前の机を思い切り叩いた。バンという大きな音が狭い取調室に響き渡り、隣の部屋にいた頼子までもがびくっと身体を強張らせる。


 それからの宮田の行動は、まさに昔のサスペンスドラマに出てくる暴力刑事のようだった。響を大声で怒鳴りつけ、胸倉を掴んで無理やり引っ張る。机の淵が腹にめり込んで苦悶の表情を浮かべる響に、なおも宮田は怒鳴り続けた。


 それだけでは飽き足らず、今度は直接響の傍まで来て同じように胸倉を掴んで無理やり立たせると、その背中をコンクリートの冷たい壁面に叩きつけた。


「ちょ、ちょっと係長、やり過ぎ……」


 隣の部屋で見ていた頼子ですら、その迫力に恐怖を感じてしまった。宮田が演技でやっていると知っている頼子ですらそうなのだから、何も知らない響の恐怖は一際だろう。響は誰の目から見てもはっきりと分かるほど怯えた表情をしている。調書を取っていた書記官が堪え切れずに宮田を羽交い絞めにして引き離した後も、しばらくその場で小さくなって震えていた。


 宮田はマジックミラーの方を見て、向こうから見ているであろう頼子達に「外に出よう」顔で合図してから取り調べ室を出た。











「……彼は犯人じゃない」


 警視庁を出た3人は、すぐ側の公園に入った。1人ベンチに腰掛けた恭平は、立ったまま自分を見つめる頼子と宮田に、静かに、しかし確信に満ちた声で言った。


「今すぐ彼を釈放するんだ。取り返しのつかないことになるよ」


「取り返しのつかないこと?」


 響孝介が犯人じゃないとする恭平の考え自体、俄かには信じられないことだが、仮にそうだとしても、犯人じゃないから釈放しろというのは分かるが、そうでなければ取り返しのつかないことになるというのは全く分からなかった。


「このまま火曜を迎えれば、犯人逮捕の可能性はゼロになるってことさ」


 恭平の言葉は、2人にとって衝撃的なものだった。間違いなく犯人だと思っていた男が無実だった上に、真犯人を逮捕することが不可能になるというのだ。


「とても信じられない……いや、信じたくない話だな」


 宮田は片手で顔を覆い、目の前の現実から逃げだしたい衝動を必死に抑え込んでいた。


「ちょっと待って下さいよ! いくらなんでも無茶過ぎます。ちゃんと説明して下さい」


 宮田と違って恭平の言うことをそのまま受け入れられない頼子が、困惑した表情で説明を求めた。


「この写真さ」


 説明が欲しいのは実は宮田も同様だった。恭平はそんな2人の求めに応じ、ポケットから1枚の写真を取り出した。


「これは……3件目の被害者、大谷雅代の殺害現場写真ですね。これがどうしたっていうんですか?」


 頼子の言う通り、恭平が持っていたのは3件目の殺人が起きた現場を写したものだった。他2件の被害者と同様、背中を一突きにされた大谷雅代の遺体がうつ伏せに倒れている。


「これは他の2件とは決定的に違うところがある」


 恭平は片手で持った写真をもう片一方の手で指さしながら言った。


「前の2件と何が違うって言うんだ? 俺には全く分からないが……」


 宮田は恭平の持つ写真をまじまじと見つめたが、恭平の言う“違い”とやらは分からなかった。もちろん、それは頼子も同様だ。


「分からないかい? この殺害現場にだけ、犯人は“感情”を残している」


 以前、恭平は「この犯人には感情が無い」と言った。それを思い出した頼子は、もう一度写真をじっと見て、その“感情”の断片を探そうと試みた。


「これ……もしかして、ちょっと振り向こうとしてます?」


 しばらく写真を見つめて、頼子は1つの違和に気が付いた。ほとんど分からないような差ではあるが、確かに大谷雅代は前2件の被害者に比べると、僅かに身体を捻った状態で倒れているように見える。


「その通りだよ、頼子君。検死報告書を見ても、前の2件は刺し傷が真っ直ぐ心臓に達しているのに対して、この遺体だけは少しだけ斜めに刃が入っている。刺される瞬間、被害者は犯人の存在に気付いて振り向こうとしたんだ」


 恭平は身振り手振りを交えて、その瞬間の出来事を表現した。


「それが一体何だって言うんだ? いくら犯人が慎重にやったって、被害者がその気配に勘付くことだってあるだろう」


 宮田は頼子伝いに恭平が考えた犯人の殺害方法を聞いていた。その手口は確かに見事の一言に尽きるが、毎回毎回被害者が無防備のまま殺されるとは限らないだろう。


「その可能性も無いとは言えないけどね。だけど僕の考えは違う。犯人は今回に限り、それまでやっていた方法を変えた――いや、変えざるを得なかったんだ」


「どういうことだ?」


「もし犯人が大谷雅代と顔見知りだったとしたら? 無関心を装ってすれ違いざまに刺すというのは不可能だ。物陰にでも身を隠して、いきなり後ろから刺すしかない」


 加藤翔子も池田照美も、すれ違った瞬間を狙われた。これなら刺されるまで犯人の存在に気付かなくても不思議ではない。しかし最初から背後より近付くとなると、大抵の場合は刺される直前までには気付くだろう。さすがにそこから凶刃を躱すまでは出来なくとも、咄嗟に身体を捻るぐらいはするはずだ。


「待て、待て待て待て。ということは何か? 犯人は大谷雅代の知り合いだって言うのか? それじゃあまるで――」


「そう、犯人の真の狙いは大谷雅代ただ1人。前の2人は連続殺人に見せかけるために殺されただけだったんだ」


 恭平の考えを察した宮田は、明らかに狼狽の色を見せた。その宮田の言葉を引き継ぐ形で、恭平が衝撃の事実を口にした。


「そ、そんな……っ! そんなことって……」


 頼子にとって、到底信じられる話ではなかった。いくら捜査を攪乱するためとはいえ、全く無関係な人間を2人も殺すなんて正気の沙汰ではない。そんなに簡単に人間の命を奪える人間がいるものか。


「確かに狂っている。でも人殺しなんて、大なり小なり狂った人間がするものだろ?」


 恭平の言うことはもっともだが、やはり通常の殺人犯の尺度を大幅に超えている。頼子は改めてある種の人間の抱える闇というものに恐怖した。


「お前の考えは分かった。しかしまだよく分からないのは、どうして今すぐ響孝介を釈放する必要があるんだ? お前の言う通りなら、大谷雅代の周辺を調べれば犯人は自ずと見つかるんじゃないのか?」


 もし仮に恭平の言う通りだとしたら、犯人は大谷雅代を殺す動機のある人物ということになる。そこまで分かれば、犯人逮捕は時間の問題だろう。響の釈放はその後からでも遅くないように思えた。


「いや、駄目だ。確かに大谷雅代を調べれば真犯人に辿り着ける公算が高い。でも多分証拠が見つからないだろう。前の2人がダミーで、本当の目的が大谷雅代ただ1人だったということも証明出来ない。目的を果たした真犯人は、次の火曜に犯行を犯す必要がないんだ。そうなれば響孝介の容疑は決定的なものになるだろうね」


 連続殺人が、その容疑者を逮捕した途端にパタリと止まる。これほど分かりやすい状況証拠はないだろう。そうなってしまえば、もう響孝介の容疑を覆すことは困難になる。


「そんな……それじゃ、どうすれば……」


 頼子は絶望感に包まれた。恭平の言葉を聞いていると、真犯人を捕まえることなど不可能であるように思えてきた。


「だからこそ響孝介を釈放するのさ。ここまで完璧に計算通り犯行を重ねてきた犯人の唯一の誤算は、君達が彼を逮捕したことだ」


「え……どういうことですか?」


 恭平の力強い口調に光明を見た思いの頼子だったが、その言葉の真意は掴み切れなかった。


「犯人は響孝介に罪を擦り付けるつもりだったんだろう。だから敢えて響孝介の過去と繋がる“火曜日”を犯行の日に選んだ。被害者の選定も含め、彼に疑惑の目が行くように仕向けたんだ」


 聞けば聞くほど、犯人の思惑は図に当たったと思わずにはいられない。宮田ら捜査本部は見事に犯人の掌の上で踊らされたのだ。


「しかし、それなら俺達が響孝介を逮捕したのは犯人の計算通りだったんじゃないか? どうしてそれが誤算になるんだ?」


 犯人が警察を欺いて響孝介を犯人に仕立てたいのなら、まさに今この状況こそ犯人の望んだものではないか。宮田は恭平の言葉に、眉を顰めて疑問を呈した。


「確かに最終的には響孝介が逮捕されるというのが犯人の筋書きさ。でも、タイミングが早過ぎたんだ」


 恭平がそこまで話したところで、不意に宮田の携帯電話が鳴り出した。


「ああ、俺だ。ああ……ああ、そうか。分かった、一旦戻ってくれ」


 宮田は電話に出て、二言三言相槌を打っただけで電話を切った。電話の相手は響孝介の自宅や病院を家宅捜索していた捜査員からだった。


「響孝介の自宅や病院をガサ入れしたが何も物証は出なかったそうだ。これでお前の言っていたことが真実味を帯びてきたな」


 もし凶器などの物証が出てきたら、たとえ恭平が何と言おうと響孝介の容疑は覆しようがなかっただろう。捜査員の声は落胆していたが、宮田は少しほっとした気持ちになった。


「やっぱりそうだ。もしこれが犯人の計画通りなら、もうとっくに病院か自宅に凶器が隠されていただろう。そうされていないのは、響孝介の逮捕が犯人の予想より遥かに早かったからさ」


 恭平の言葉は強い自信に満ちていた。宮田と頼子も、恭平の言うことが全て正しいのではないかと思い始めていた。


「ちょっと待て。ということは今、凶器は犯人が所持しているということだな? そいつを押さえることができれば文句なしに物証になるだろ」


「ああ、だけどそれは難しいだろうね。犯人はもう本当の目的は果たしたんだ。自分に捜査の目が向けられていると少しでも感じたら、迷わずその凶器を破棄するだろう。そうなったらもうお手上げだよ」


 恭平は大きく両手を広げ、わざとらしく首を振ってみせた。その態度はふざけているようにも見えるが、頼子も宮田もそれを咎める気にはなれなかった。


「それで、響孝介を釈放すれば全て解決するとでも言うのか?」


「ああ、それで犯人は必ず動き出す」


 今まで用心深く闇の中に潜んでいた犯人をこちら側へ引きずり出す算段は、すでに恭平の頭の中に描かれていた。その計画を聞いた時、宮田はそれに全てを懸けるしかないと腹を決めた。


「分かった。お前の言う通り、響孝介を釈放する」


 覚悟を決めた力強い眼差しで、宮田は恭平に約束した。


「本気ですか係長!? いくらなんでも上を説得出来ませんよ!」


「なぁに、首を2つも賭ければなんとかなるだろ」


 頼子の言葉に、宮田があっさりと自分どころか頼子の進退までを賭けると言ってのける。頼子は驚愕したが、その覚悟の強さを改めて知り、頼子もまた腹を決めるしかないなと覚悟するのだった。


「心配するな。もしクビになっても、こいつに面倒見てもらえばいいだろ」


 宮田は軽く笑みを浮かべて、強張った表情の頼子の背中を強く叩いた。


「ああ、それいいね」


 宮田の言葉に頷いて、恭平も頼子に笑いかけた。「面倒を見る」という言葉の意味をどう解釈したのか、頼子は顔を真っ赤にして背を向け、恭平と宮田は声を揃えて笑った――


≪続く≫

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