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第7話

「あぁ、やっぱりあった」


 加藤翔子の部屋に入って十分も経たないうちに、恭平が何かを見つけて嬉しそうな声を上げた。


「何ですか、それ?」


 恭平が掲げたのは、PTPケースに入った錠剤だった。何かの薬のようだが、それが何の薬なのかは分からない。


「これは“アルプラゾラム”、ベンゾジアゼピン系の抗不安薬さ」


 そう言って恭平は、ポケットから同じPTPケースを取り出した。


「こっちは池田照美の部屋にあったもの。同じ物だろう?」


 恭平の言う通り、2つは同じ錠剤だった。それが何を意味するのか頼子には分からなかったが、それよりも前に引っ掛かる点に気付いた。


「池田照美の部屋にって、いつの間に……っていうか、一体どうやって入ったんですか!?」


「管理人さんに言ったら簡単に開けてくれたよ。まったく不用心だよねぇ」


 驚愕の声を上げる頼子に平然と答えながら、恭平はなおも部屋の中をあれこれと物色していった。


「なっ……! まさか警察って名乗ったんじゃないでしょうね!?」

「警察とは言ってないよ。警察の関係者(・・・)って言っただけさ。別に間違ってはいないだろう?」


 まるで詐欺師のような事を平気で口にしながら、恭平はタンスの引き出しを開けた。


「うわぁ、派手なパンツ。こっちのは随分と地味なのに」


「なっ、何をやってるんですか!?」


 その中から恭平が1枚のショーツを取り出すと、頼子がそれを慌てて奪い取って元に戻した。


「いい加減にして下さい! 一体本庄さんは何を考えてるんですか!? さっきの薬は何だったんですか!?」


 訳も分からず振り回されるのももう限界だった。恭平が何らかの意味と目的をもって行動している事は分かっているつもりだが、だからこそその理由が分からない自分が惨めに思えた。


「分かった、分かった。ちゃんと説明するから、とりあえず出ようか。もう見たいものは全部見たし」


 まるで癇癪を起した子供を宥めるように頼子の肩に軽く触れながら、恭平は優しく微笑んだ。どこかいつもと違う、人を魅了するような笑顔に、頼子は不覚にも一瞬心を奪われてしまい、それ以上は何も言わずに恭平に従って部屋を出た。


 2人はマンションの近くのカフェに入った。説明を求める頼子に対し、「どこか寛げる所で」と恭平が誘ったのだ。


「で、何から訊きたいんだっけ?」


 2人が注文したコーヒーが運ばれてきて、それを一口飲んだところで恭平が切り出した。頼子はじっと目の前のカップを見つめたまま、必死で頭の中を整理しているようだ。


「えっと、その……」


 訊きたいことは山ほどあるのだが、一体何から訊けばいいのか分からなくなった。恭平のことだから恐らく全てが繋がっているのだろうが、その発端がどこにあるのかを頼子は量りかねていたのだ。


「フフ、困った子だ。さっきはあれ程訊きたがっていたのに」


 そう言って恭平はポケットから先程の錠剤を取り出してテーブルに置いた。この薬こそが、頼子が必死になって考えている“事の発端”だと教えるように。


「そ、そうだ。この薬は……? 確か、何とか系の抗不安薬って……」


 恭平の意図を理解してか、頼子はすぐに目の前の錠剤に喰い付いた。


「ベンゾジアゼピン系の抗不安薬ね。精神科や心療内科の病院で処方される精神安定剤の一種さ」


 池田照美が精神科や心療内科といった病院に通っていたという証拠である。


「池田照美は何か精神を患っていたということですか?」


「まぁ、そこまで言うと大袈裟に聞こえるけどね。何か大きなストレスを抱えていたことは事実だろうね」


「それが、大滝理事長の斡旋による売春と関係しているって言うんですか? っていうかそれ以前に、大滝理事長が売春の斡旋をしているってどうして分かったんです?」


 1つ1つ訊いていこうと思っていたのに、思わず質問が2つになってしまったと気付いて、頼子は恥ずかしくなって俯いてしまった。恭平はそんな頼子を微笑ましく思ったのか、優しく笑みを浮かべて言葉を続けた。


「フフ、あの理事長が売春の斡旋をしていたっていうのは単なる当て推量さ。事件があってまだ間もないのに、警察もマスコミもキャンパスにはいなかった。警察はともかく、普通ならもう少しマスコミ関係者が取材していてもおかしくないんじゃない?」


 そういえば、と頼子は思った。頼子達警察も一応は大学での聞き込みを行ったが、この事件を連続無差別殺人の線が濃厚だと考えていたし、学生達の非協力的な態度やあの理事長の圧力もあって、あまり熱心には行わなかった。しかしマスコミはこのショッキングな事件をもっと大々的に取材して報道してもおかしくはない。


「もしかしてマスコミも大滝理事長が締め出した?」


 頼子はそう結論付けた。それならば合点がいくし、恭平がそれを「何かある」と考えたのも何とか理解出来なくはなかった。


「そう、それでちょっとカマをかけただけさ。それ程過敏になっている人間なら、キャンパスでちょっとした騒ぎでもあればすぐに飛んで来るだろうって思ったしね」


 キャンパスで女子大生達に囲まれていたのも実は計算だったのだと恭平は語った。その割には随分と楽しそうだったと、頼子は何とも言いようのない苛立ちを覚えたが、それは口に出さずに先を促した。


「それじゃ、理事長を怒らせたのもわざとなんですか?」


「まあね。人が一番正直になるのはどんな時か知ってるかい?」


「え……?」


「それはね、“怒っている時”だよ。人は怒っている時に嘘は付けないものなんだ」


 そう言って薄く笑った恭平に、頼子はぞくりと背筋が冷たくなるのを感じた。以前にも何度か同じ感じになったと思った時、初めてその感覚を味わった時の恭平の言葉が脳裏に甦ってくる。


 ――怒りは相手に付け込まれる


 恭平はまさにその“怒り”を利用して相手から本音を引き出すのだ。人の心を巧みに読み、操る恭平に、頼子は改めて空恐ろしいものを感じた。


「そ、それで大滝理事長に何かやましいことがあるんじゃないかって疑ったのは分かりました。でも、池田照美がそれに関わっていたというのはどうして分かったんですか?」


 恭平への言い知れない恐怖を胸の奥に押し込んで、頼子が話を先へと促す。恭平が得体の知れない人物だという事は以前から分かっていたことだ。それよりも今は事件の解決が最優先だと自分に言い聞かせた。


「それは池田照美が毎週火曜日に帰りが遅くなっているからさ」


「え?」


 さも当然のことを言っているような恭平の口調に、頼子は戸惑った。『帰りが遅い=売春に関わっている』というのは、飛躍どころの話ではない。


「池田照美の履修状況とかちゃんと調べた? 火曜はゼミもないし、午後5時には講義が終わっているはずなんだよ。真っ直ぐ家に帰ればあんな時間に帰宅するようなことはないし、かといってその日に他所でアルバイトをしている形跡もない。毎週火曜に必ず遊びに行くような友達もいなければ、デートする彼氏もいない。おかしいだろ?」


 そう言われると確かにそんな気がしてくる。しかしそれでも頼子にはどこか釈然としない思いもあった。


「病院に通う程の過度のストレス、そして空白の数時間。そこに理事長の態度を繋ぎ合わせて、僕なりに仮説を立ててみただけさ」


 池田照美は大滝理事長の斡旋で売春行為を行っていた。裏社会が関わる風俗街で働くよりも、大滝の紹介による金持ちを相手にしている方が割もいいし安全なのかもしれない。最初は池田照美本人もそう考えて安易に売春行為を行っていたのだろう。しかし最近になって、それを思い悩み始めていた。現時点で証拠と呼べる証拠は何も無いが、恭平はこの仮説に確信を持っていた。


「私には何だか飛躍し過ぎな気がしますけど……それに、だからといって大滝理事長が池田照美を殺したっていうのは、いくらなんでも筋が通らないんじゃないですか?」


 恭平は当初、大滝を池田照美殺しの犯人だと疑っていた。今ではもうその考えを捨てているようだが、そもそもそう疑うこと自体、頼子には理解出来なかった。


 確かに恭平の言うように大滝が金の必要な学生達に売春の斡旋を行い、池田照美がそれに関わったことを最近になって苦にしているとなれば、大滝にとっては秘密の露呈に繋がる爆弾になりかねない。いっそ消してしまいたいと思っても不思議ではないだろう。


 しかしこれは連続殺人事件である。犯人は同じ手口で2人の人間を殺している。犯人が大滝ならば第一の被害者、加藤翔子を殺す理由が見つからない。


「う~ん、そこなんだけどねぇ……まぁ、あのおばさんが犯人じゃないってもう分かったし、その話はいいか」


 恭平は頼子の当然とも思える疑問に対し、どこか言いにくそうに言葉を濁した。しかし大滝を犯人だと疑った経緯はともかく、先程の本人の反応を見て犯人ではないと確信を持ったらしい。


「顔を見て本当に犯人かどうか分かるんだったら、警察なんていらないじゃないですか」


 頼子は少々呆れ気味に溜息をついた。恭平が人一倍人の表情を読み取ることに長けていることは重々承知だが、まるでそれを絶対だと信じているかのような恭平の態度にはげんなりしている。


「そうだねぇ。もし僕に全ての容疑者の取り調べをさせてもらえるなら、クロかシロかすぐに分かるんだけどね」


 それでも恭平は臆面もなく堂々と言い切った。頼子は今度こそ呆れ果ててしまって何も言わなかった。


「はぁ、もういいです。でも、本当に大滝理事長が売春の斡旋なんかやっているのだとしたら、警察として放っておくわけにはいきません」


「まぁ、それは他所に任せておけばいいさ。僕達はこの連続殺人犯に集中しなきゃね」


 確かに売春は保安課の管轄である。頼子達捜査一課の人間が目くじら立てて追いかける事案ではなかった。


「むぅ、確かにそれはそうですけど……」


 頭では理解出来ても感情的にはどこか納得のいかないものを感じながら、頼子は渋々引き下がった。同じ女として、女性が巻き込まれる事件には人一倍過敏になるようだ。


「話を続けるよ。とにかく、あのおばさんが犯人じゃない以上、犯人は別にいるんだ」


「そんなの当たり前じゃないですか。で、その犯人は一体どこの誰なんですか?」


 どこかふてくされたような表情で、投げやりに頼子が言った。犯人がどこの誰かなんて、恭平にしても分かっているわけがないのは百も承知だ。


「やれやれ……犯人は分からないけど、とりあえず手掛かりになるかもしれない物は見つけたよ」


 苦笑交じりに言った恭平の言葉に、頼子がぴくりと眉を動かした。


「え、手掛かりが見つかったんですか?」


 それまでの態度とは打って変わって、突然頼子が期待に眼を輝かせ始めた。子供のようにコロコロと表情を変える頼子に、恭平はもう一度苦笑した。


「犯人に繋がるかどうかは分からないけど、こいつさ」


 恭平は先程テーブルに置いた錠剤を指さした。恭平が言うには、この薬は精神安定剤だという。


「これって、池田照美の部屋にあったっていう薬――あっ、そう言えばさっきの加藤翔子の部屋にも同じ物が……」


 2つ重なったPTPシートを見て、頼子は先程の加藤翔子の部屋での恭平とのやりとりを思い出した。加藤翔子もまた、池田照美と同様に精神科の病院に通っていたということだろうか。


「加藤翔子と池田照美には何の共通点も見つかっていないんだったね? だけど、僕はこの2人には必ず共通点があると思っていた。いや正確には言えば、そう確信したのはあの理事長が犯人じゃないって分かった時だけどね」


「どういうことですか? 犯人は無差別に被害者を選んだわけじゃないんですか?」


「昨日も言ったけど、この犯人は徹底的にリスクを排除して犯行に及んでいる。そんな犯人が、1人ならともかく2人も行き当たりばったりで殺すとは思えない。恐らく犯人はあの時間、あの場所を被害者が1人で通ることを知っていたのさ」


 いくら人通りのない場所を選んだとしても、思った通りの時間に若い女性が1人で通るという保証はどこにもない。誰かに見られるリスクを極力減らすなら、被害者が通る時間帯にぴったりと合わせて待ち伏せするに限る。それには、犯人が被害者の行動パターンを正確に把握しておく必要があるだろう。


「で、でも……加藤翔子と池田照美には共通の知り合いもいないし、通勤、通学に使っている電車も全く違います。犯人は一体どうやってこの2人に目を付けたって言うんです?」


 被害者2人の共通点は、当然警察も最重要ポイントに上げて捜査している。恭平ほど深く考えてはいないものの、犯人がこの2人を選んだのには理由があるはずだと。しかし未だに2人に共通点は見つかっていない。今ではもう2人に特別な共通点は無く、ただ単に若い女性だというだけで無差別に狙われたのではないかという意見が大勢を占め始めていた。


「だからこの薬さ。もしかしたら2人は同じ病院に通っていたんじゃないかな。もし2人が同じ病院でカウンセリングでも受けていたのなら、その過程で毎日の行動パターンくらいは話していても不思議じゃない」


 恭平はテーブルに置かれた薬を持ち上げ、一度頼子の目の前で振ってみせてからポケットにしまった。相変わらず確証のない仮説ではあるが、頼子はすっかりその説に心を奪われた。


「それじゃ、その病院の医者か関係者が犯人なんですね!?」


「あくまでも可能性の1つだよ。それに、仮に2人が同じ病院に通っていたとしても、病院にも守秘義務があるだろうし、探し当てるのは難しいと思うよ。2人の部屋には診察券の類は置いてなかったからね」


 恭平は息巻く頼子を落ち着かせるように両手を上げて制した。全てが恭平の考え通りだったとしても、その病院を探し出すには相当の時間と人手を要するだろう。次の殺人が起きるまであと4日。果たしてそれまでに見つけ出せるかどうか――


「何としても見つけ出してみせます!」


 恭平の懸念を他所に頼子は勢いよく立ち上がると、そう叫ぶなり恭平が止める間もなく店を出て行ってしまった。


「ふぅ、やれやれ……」


 1人取り残された恭平は、苦笑いを浮かべて残ったコーヒーを飲み干した――











 次の日から、捜査本部内の宮田班は恭平の意見を受け入れて、加藤翔子と池田照美が通っていた病院の捜索に入った。本当はもっと大人数を動員したかったのだが、恭平の助言だけではさすがの宮田も自分の直属の部下以外を動員する許可が得られなかったのだ。


 宮田らは大田区内の精神科、心療内科、メンタルクリニックを虱潰しに当たった。被害者2人はどちらも大田区内に在住しており、目当ての病院も大田区内ではないか考えた。それならばこの人数でも探し出せるだろうと楽観視していたのだが、期待通りとはいかなかった。捜索を開始してから2日、3日と経過し、流石に頼子達にも焦りの色が見え始めていた。


「係長、私達本当にこんなことしていていいんですか!?」


 最初こそ恭平の言葉を信じて奔走していた頼子だったが、ついに耐えられなくなって宮田に直談判した。他の捜査員達からも無意味な捜査をしていると後ろ指を指されている。もっとも、他の班も未だに有力な手掛かりは何も得られてはいないのだが。


「本庄がそう言ったんだろう? なら俺達はそれを信じるだけだ。奴が読みを外したことは無い」


 宮田は恭平に全幅の信頼を置いているようだ。しかし頼子は、刻々と“タイムリミット”が近づいている中、どうしても焦ってしまう気持ちを抑えられなかった。


 あの日以来、恭平からは連絡が無い。頼子も病院の捜索に忙しくて恭平とは連絡を取っていなかった。宮田ほどの付き合いの無い頼子は、捜査が進展しない焦りから、次第に恭平に対する不信感を募らせていく。


 そしてついにその日がやって来た――


 宮田らは結局犯人を特定することが出来ずに火曜の夜を迎えた。捜査本部は捜査員を総動員して大田区内、特に大森署管内を厳重にパトロールするという苦肉の策に出た。仮にそれで犯人を逮捕出来なくとも、これだけの厳重体制を見て犯人が犯行を思い留まってくれれば時間が稼げると考えてのことだった。


 しかしそんな縋るような思いをあざ笑うかのように、第三の殺人は起きてしまった。


 現場はやはり大田区内、しかし今度は大森警察署管内ではなく隣の蒲田警察署管内だった。同じように背後から一突きにされた遺体には、前2件と同様トランプのカード――クローバーの(エース)が添えられていた。


≪続く≫

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