第6話
翌日の正午、頼子は恭平の言葉通りに聖光女子大の校門前にやって来た。今度は恭平が既に来ていて、まるでデートの待ち合わせをしている恋人のように爽やかな笑顔で頼子に手を振ってきた。
「ちょっ……何恥ずかしい事してるんですか!?」
頼子は慌てて駆け寄り、恭平の腕を掴んだ。大学はちょうど昼休みに入ったところで、もうすでに何人もの女学生達が2人の側をクスクス笑いながら校門を出て行った。
「いやぁ、待ちくたびれちゃったよ。もう先に入ってようかとも思ったんだけど、あの人達が入れてくれなくてね」
顔を真っ赤にして抗議する頼子に対して、特に悪びれた様子も無く恭平は校門脇に設置された守衛室を指さした。ガラス窓の向こうから明らかに不審者を警戒するような目つきでこちらを睨んでいる守衛と眼が合って、頼子はより一層恥ずかしい気持ちになった。
「さあ、彼らに僕を中に入れるよう言ってくれないか」
そんな頼子の気持ちを知ってか知らずか――いや、間違いなく知ってのことだろう――恭平は屈託のない笑顔で頼子を促した。その笑顔が逆に頼子の神経を逆なですることも承知の上である。
とはいえ、いつまでもこの場に立ち尽くしているわけにもいかず、頼子は仕方なく守衛に警察手帳を見せて2人を中に入れるよう要請した。しかし頼子の警察手帳を見ても、守衛の男はしばらく疑わしげに恭平を睨んだままなかなか通してくれなかった。
「あなた、一体私が来る前に何をしたんですか?」
渋々といった表情でようやく守衛に通してもらってキャンパス内に入ったところで、頼子は呆れと怒りとが入り混じった表情で恭平を睨みつけた。しかし恭平は笑ってはぐらかすばかりであったが。
「あ、ちょうどいい。彼女達に話を聞かせてもらおう」
頼子が諦めて大きく溜息をついたのとほぼ同時に、恭平は10メートル程先のベンチに座って談笑している2人に眼を止めた。
恭平がこの大学へやって来たのは、もちろん池田照美について聞き込みを行うためだ。頼子から提供された捜査資料には、この大学での聞き込み情報が極端に少なかった。普通なら、被害者が通う大学こそ最も情報が得られやすい場所だろう。キャンパス内の友人、同じゼミの仲間や、大学3回生にもなれば親しい教授の1人や2人はいてもおかしくない。
「あまり期待しない方がいいですよ。ここの学生って、なんだかよそよそしいっていうか……とにかくあまり協力的じゃないんですよ」
その理由を頼子は端的に説明した。頼子自身もここで他の捜査員と共に聞き込みをしたのだが、誰一人としてまともに話を聞けなかった。まるで事件というよりも警察そのものに関わるのを嫌がっているかのように、こちらが話しかけてもすぐに逃げられてしまうのだ。学生達は頼子達に対して極端とも思えるほど壁を作り、結局他の捜査員も池田照美についての情報らしい情報は何も得られなかった。
「学生だけじゃなくて、教授にしても同様で……何よりここの理事長が――って、あれ、本庄さん?」
警察に対して非協力的な態度を示したのは学生だけではなかった。その事を続けて説明しようとした頼子だったが、気付けば恭平はすでに頼子の傍を離れて目の前の学生達に話しかけようとしてるところだった。
にこやかに話しかける恭平に対して、話しかけられた方の学生2人はあからさまに警戒感をむき出しにして身体を引いた。頼子はそんな3人の様子を離れたところで見ながら、「どうせ無駄だろう」と心の中で溜息をついた。
しかし、すぐに逃げられて終わりだと思っていた頼子の予想に反して、学生達は一向にその場を離れようとはしない。それどころか、最初は恭平に対して後ろに引かせていた上体がいつの間にか元通りになり、今では前のめりになって恭平と楽しげに会話をしている。
確かに恭平はすらりと背が高く、なかなかのハンサムだ。今時の若者達が言うところのイケメンというやつである。身なりもいいし物腰も穏やかで気品すら漂う。間違いなく女受けするタイプだろう。しかし、こうも簡単に女性の懐に入り込めるものなのだろうかと頼子は驚いた。
一体何を話しているんだろうと頼子が不思議に思っていると、さらに他の学生達も寄ってきて、気付けばちょっとした人だかりが出来ていた。
あっという間に人の輪に呑まれて、頼子の居る場所からは恭平の姿が見えなくなってしまった。仕方なく頼子が人だかりの外縁まで近寄って背伸びしながら見ていると、恭平は学生達にちょっとしたマジックを披露している最中だった。
「じゃあ、次は君だ。さっき見せたコインは、今どっちの手の中にある?」
恭平はコインを一枚弾いて、誰にでも見える程はっきりとした動作でそれを右手でキャッチした。当然コインは右手の中にあるはずなのだが、指名された学生が恭平の右手を指さすと、恭平は空の右手を開き、学生を驚かせた。
「えー、すっごーい! さっきのコインはどこ行ったの?」
恭平を取り囲んだ学生達は皆楽しそうに驚きの声を上げている。そんな学生達の声に応えるように、恭平はふふんと思わせ振りに鼻で笑った後、ひらひらと右手を振ってから握った。再び開いた時には、コインは恭平の右手の中に収まっており、周囲から大歓声が巻き起こった。
「まだまだこんなものじゃないよ。実を言うとね、僕は霊と交信が出来るんだ」
囁くような恭平の言葉に、頼子は思わず頭を抱えた。若い女の子に囲まれて有頂天になった中年が、よせばいいのに調子に乗って大怪我する典型的なパターンだと思ったのだ。
「あれ、皆信じてないね?」
頼子の予想通り、それまできゃあきゃあと黄色い声を上げて恭平を持て囃していた学生達も、波が引いて行くように一気に白けた表情になった。しかし当の本人は全く気にもしていない様子で、笑みを浮かべたまま続けた。
「例えば……うん、そこの君。君はつい最近家族を亡くしているよね」
恭平は周りの学生達からまた1人を指さした。指名された学生は一瞬びくっと身体を震わせ、周りの眼が自分に集中しているのを感じながら小さく頷いた。
「やっぱりそうか。因みに、亡くなったのはお祖母さんだね」
驚きに満ちた表情でその学生がもう一度頷くと、周りが俄かにざわつき始めた。誰とはなしに自然と人だかりが割れ、その学生が恭平の目の前まで導かれるように押し出された。
「君は小さい頃からそのお祖母さんが大好きだったんだね。だから亡くなった時はとても悲しんだ」
初対面のはずなのに、まるで見てきたように語る恭平の言葉に、その学生だけでなく周りも引き込まれていく。
「お祖母さんも君を愛していると言っている」
学生は顔に手を当てて涙を浮かべた。恭平がその肩にそっと手を触れると、堪え切れなくなった涙が頬を伝い落ちた。
その後も恭平は他の学生が恋愛に悩んでいる事を言い当て、アドバイスしてみせた。いつの間にかかなりの人数に膨れ上がっていた人だかりは、皆が皆集団催眠に陥ったかのように恭平の一言一言に心酔してしまっている。
そんな異常な集団を、頼子は唖然とした表情で遠巻きから見ていた。頼子には一体何が起きているのか全く理解出来ない。恭平が何か得体の知れない生き物のように見えた。
「これは一体何の騒ぎですか!?」
しかしそんな不可思議な空気も、耳を劈くような大音声で突如かき消された。学生達の瞳が夢から覚めたように光を取り戻し、弾かれたように後ろを振り返る。そこには2人の男を従えた初老の女が立っていた。
学生達が一斉に左右に分かれ、初老の女と恭平の間には誰もいなくなった。周りを取り囲んでいた学生たちも皆怯えたように俯き、徐々に距離を取り始めている。
「理事長の大滝です。こんな所で一体何をやっているのですか?」
かつかつと足音を響かせながら、大滝と名乗った女は恭平に近づいていった。怒りに眼を釣り上げ、肩はわなわなと震えている。
「別に。ただ美しいお嬢さん達と楽しくお喋りしていただけさ」
大滝に鋭い眼つきで睨まれながら、しかし恭平はいつもと全く変わらない様子で微笑んだ。その態度がより一層彼女の機嫌を損ねたようだ。
「守衛から連絡がありました。一応警察手帳を見せられたので中に通したようですが、貴方は警察の方ですか?」
口調は穏やかさを保ってはいるが、怒りを精一杯抑えているのがよく分かる。頼子には大滝の顔が視線で人を石に変えるというギリシャ神話の怪物のように見えた。
「僕は違うけどね。こっちは本物の刑事だよ」
知らず知らずのうちに恭平の傍まで寄っていた頼子は、突然話の矛先を向けられてぎょっとした。それに合わせて大滝もぎろりと鋭い視線を頼子に向ける。まるで蛇に睨まれた蛙のように、頼子は動けなくなってしまった。
「池田照美さんの事件ですね。警察の捜査にはもちろん協力いたしますわ。しかし無闇矢鱈に学生達を巻き込まないでいただけますか」
警察の人間ではないと白状した恭平の身許には触れず、大滝は暗に学生達に近づくなと釘を刺してきた。理事長として学生達を守るというには少々異常なほど、鬼気迫る表情である。
「おや、警察が関わると何か都合の悪いことでもあるのかい?」
大滝がどれほど気迫を漲らせても、恭平は全く気圧される様子がない。むしろ相手がむきになればなるほど、恭平の思う壺に思えた。
「私は学生達の精神状態を心配しているのです。表面上は普通に見えても、事件にショックを受けている子は大勢いるんです。それを貴方がたに無神経にかき回されると、立ち直れない程の傷を心に負う可能性だってあるんですよ!」
言っていることは理に適っているように聞こえなくもないが、やはりどこか違和感を覚える。頼子はそう思ったが、恭平とは違って大滝の気迫に怖気づいてしまって何も言えなかった。
「う~ん……違うなぁ」
恭平は大滝の言葉に対し、腕を組んで大袈裟に思い悩んでいるようなポーズをとった。頼子は、自分と同様に恭平も大滝の言葉に疑問を感じたのだと思った。
「な、何が違うというのです!?」
大滝はますます語気を強めて詰問した。後ろに控えている男2人が心配そうにおろおろしている姿がやや滑稽に見える。
「やっぱりさ、語尾を『ざます』にしたらいいんじゃない?」
「は?」
全くの予想外、というより意味不明な恭平の言葉に、大滝だけでなく隣で聞いていた頼子も一瞬頭が真っ白になった。
「ほら、漫画とかによく登場するでしょ、『~~ざます』って喋るおばさん。そんなキャラがあなたにはぴったりだと思って」
髪を頭の上部で束ね、チェーンの付いた三角形の眼鏡にスーツという大滝の出で立ちは、確かにそんなキャラクターを彷彿とさせる。頼子は堪え切れずに噴き出してしまった。周りにまだ残っていた数人の学生達も、同様にクスクスと押し殺したような笑い声を上げている。
「なっ……ぶ、無礼にも程がありますっ! 貴方がたの事は厳重に抗議しますからね!」
厚化粧の上からでもはっきりと分かるくらい顔を真っ赤に染め、大滝が声を荒らげた。先程笑っていた学生達も大滝の金切り声で逃げ去って、この場には相変わらず笑みを絶やさない恭平と逃げ場のない頼子、怒髪天を突く勢いの大滝に2人の部下の男の5人だけになった。
「僕は別に警察の人間じゃないから別にいいけど……まぁ、考え直してもらえると助かるかな」
大滝の言う抗議とは、間違いなく警察の上層部に対するものだろう。私立大学の理事長ともなれば、そういう人脈もあったって不思議ではない。刑事でもない恭平には何の関係も無いことだが、頼子にとっては大問題だ。
「なら、先程の無礼な発言を謝罪しなさい。そして、二度と我が学園に足を踏み入れないで」
大滝の言葉に、頼子は縋るような眼つきで恭平を見た。元々権力に屈するような性格ではないが、今回の事は明らかに恭平が悪い。ここは自分の為にも素直に謝って欲しいと切に願った。
「いやいや、困るのは僕達じゃなくてあなたの方だって言いたかったんだよ」
しかし恭平は謝罪するどころか、さらに大滝を挑発するようなことを言った。一旦は落ち着きを取り戻そうとした大滝だったが、その発言でまた更にいきり立った。
「ど、どういう事ですかそれは!?」
今にも卒倒するんじゃないかと思えるほど、大滝は怒り狂っている。しかし頼子の眼にも、大滝がどこか動揺しているように見えた。
「裏口入学――じゃないなぁ。それじゃ、麻薬や覚せい剤? それも違う……」
恭平はいくつかの単語を並べてはそれを自分で否定していった。頼子には全く何をしているのか分からなかったが、その思いは大滝の方が強いだろう。
「売春の斡旋――それだ!」
恭平は一つ言葉を発する度に大滝の表情を読んでいた。そして幾度目かのキーワードを口にした時、恭平は彼にしか分からない大滝の表情の変化を見破った。
「ば、売春?」
大滝よりも先に驚愕の声を上げたのは頼子だった。その声でタイミングを逸したのか、大滝は唖然と口を開けたまま言葉を発さなかった。
「なっ……何を言っているのですか!?」
しばらく沈黙が続いた後、ようやく我に返った大滝が金切り声を上げた。ほぼ半狂乱状態で、動揺しているのが誰の目にも明らかだ。
「池田照美は悩んでたんじゃないかな?」
ほとんど言葉にならない悲鳴のような声で抗議し続ける大滝を無視するように、恭平は頼子に話しかけた。
「悩んでた……? 一体何をですか?」
耳元の騒音にも似た大滝の声に顔をしかめながら、頼子は大きな声で問い返した。
「池田照美はこの理事長の斡旋で売春を行っていた。多分それを悩んでたんだろう。ということは、斡旋している理事長にとっても脅威になるんじゃないかな」
それはまるで、この大滝が池田照美を殺した犯人ではないかと言っているように聞こえた。それに気付いて頼子は更に驚くと共に、しかし頭の中で小首を傾げた。
「私が池田照美さんを殺したとでも言うんですか!? 全くもって馬鹿馬鹿しいっ! 今すぐこのキャンパスから出て行きなさい!」
今にも掴みかかってきそうな大滝の形相に、頼子はこれ以上は本当にまずいと思った。無理やりにでもこの場から連れ出さねばと思った頼子が恭平の裾を掴もうとした時、恭平はあっけないほど素直に踵を返した。
「オーケー、オーケー。僕ももうあなたに用は無いし。お暇させてもらうよ」
まるで突然興味を失ったかのように、恭平はそれ以上何も言わずにさっさと立ち去ってしまった。毎度のごとくその後を頼子が慌てて追いかける。
「何がどうなってるんですか? あの理事長が売春を斡旋って……それに、池田照美を殺したのも理事長なんですか?」
校門を出たところで、すたすたと早足で歩く恭平の背中に頼子が矢継ぎ早に質問を投げかけた。いつもながら頼子には恭平の思考回路が理解出来ない。
「う~ん……残念だけど、あのおばさんは犯人じゃないね。売春の方は間違いないと思うけど」
恭平は歩く速度を緩めて頼子の質問に答えた。やはり大滝が池田照美を殺した犯人ではないかと疑っていたようだ。恭平の中でその疑いは晴れたようだが、頼子には何故大滝を犯人だと疑ったのか、そして何故その可能性が無くなったのかが分からなかった。
「そうだねぇ……話せば長くなるし、その前にちょっと加藤翔子のマンションに行ってみない?」
頼子は更に詳しい説明を求めたが、恭平はそれには答えず第一の被害者、加藤翔子のマンションの捜索を提案した。
「加藤翔子の? 一体そこで何をする気ですか?」
恭平が説明を拒んだことに不満そうに口を尖らせて、頼子がまた訊いた。
「ちょっと気になることがあってね。その後でちゃんと説明するからさ」
またもや頼子の質問をあいまいにはぐらかして、恭平は近くに停めてあった車に乗り込んだ。仕方なく頼子も助手席に乗ったが、昨夜の事を思い出して、「危険な運転はするな」と視線できつく釘を刺した――
≪続く≫