表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/12

第5話

「感情が……無い? それってどういうことですか?」


 相変わらず恭平の言葉は要領を得ない。頼子にしてみれば雲を掴むような話だ。


「この犯人は最も確実かつリスクの少ない方法で、極めて合理的に人を殺している。淡々と作業をこなすみたいにね。まるで仕事として人を殺す殺し屋のような犯人だ」


 恭平はこの事件の犯人を「殺し屋のようだ」と表現した。あくまでも比喩ではあるが、頼子にはその表現が強烈過ぎたのか、ますます困惑の度合いが深まった。


「人が人を殺すからにはね、必ず理由があるものさ。相手に対する恨みだったり、自分や誰かを守るためだったり……」


 より一層頼子が混乱しているのを察して、恭平は迷子を優しく導くようにゆっくりと説明するように言った。


「ええ、確かにそうですけど……」


 それは頼子にも理解出来た。殺人に限らず、犯罪には必ず動機が付きものだ。だから警察の捜査も、まずはその動機を持つ人間から当たっていくという手法を取る。しかし――


「最近じゃ動機の無い犯罪だって増えてますよ。ただムシャクシャしていたからだとか、誰でもいいから人を殺したかっただとか……」


 頼子の言う通り、近年不可解な動機による犯罪も増加の一途を辿っている。理由と呼べるような理由もなく犯罪に走る人間がどんどん増えているのだ。そういう意味では、恭平の言っている事は少々的外れのように思えた。


「たとえ一般人には理解出来なくても、彼らには彼らなりの理由があるのさ。そしてそれは必ず“感情”の痕跡を現場に残す」


 頼子の反論を全く意に介さず、恭平は淡々と続けた。


「恨みや憎しみはもちろんのこと、場合によっては快楽といった感情もね」


「快楽……?」


 頼子が少々間の抜けた声を上げる。快楽殺人なんて、映画や小説に出てくるだけのものだと思っていた。本当にただ人を殺すのが快感だというような人間がいるとは思えないし、また思いたくもなかった。


「純粋な快楽殺人者って奴もこの世にはいるものさ。そんな狂った奴ですら、いやそんな奴ならなおさらのこと、現場には強烈な感情を残していく。滅茶苦茶に遺体を切り刻んだり、被害者の身体や身に付けている物の一部を持ち去ったり……反吐が出るようなどす黒い感情がそこには渦巻いている」


 頼子はまた背中が冷たくなるのを感じた。これで3度目の違和感だった。口調も表情もいつもと変わらないのに、恭平の言葉が妙に冷たく感じる時がある。ただの気のせいだとも思えば思うほど、ある種のしこりのようなものが頼子の胸に重くのしかかった。


「それが……この犯人には無いって言うんですか?」


 胸の奥に蟠る思いを振り払うように、頼子が声を振り絞った。恭平に感じる違和はひとまず置いておいて、この事件に集中しようと自らに言い聞かせる。するとようやく頼子にも恭平の言わんとしていることが分かりかけてきた。恨みも憎しみも快楽すらも無い。それらの感情を一切持たず人を殺す犯人を、恭平は殺し屋のようだと表現したのだ。


「で、でも……この犯人は殺害現場にトランプのカードをわざと残して――あっ!」


 確かに、2件の現場には共にトランプの(エース)のカードが残されていた。それは明らかに犯人が置いていったものと思われるが、これは犯人からの何らかのメッセージではないか。それは紛れもなく“感情”の顕れであると考えられ、感情が無いという恭平の言葉とは矛盾する。そこまで考えたところで、頼子はようやく恭平が始めに言った“矛盾”という言葉の意味を理解した。


「そう。犯人が本当に殺し屋だったら、現場にこんなメッセージなんて残しやしない。放っておけば別々の事件として処理されるかもしれないのに、わざわざ自分から連続殺人を匂わせる必要なんかないからね」


 自分の考えに頼子が迷いながらも付いて来ていることに、恭平は満足げな微笑を浮かべながら頷いた。


 犯行現場に謎めいたメッセージを残す。これは2つの事件を結び付けると同時に、警察に対する犯人からの挑戦状の役割も果たす。「無能な警察諸君、私を捕まえられるものなら捕まえてみるがいい」――そんな意味合いが、この手の遺留品には見え隠れする。


「殺害方法自体は極めて合理的で無機質なのに対して、メッセージを残すという行為は実に幼稚で人間臭い。こんなに矛盾した事件は初めてだ」


 事件の矛盾性には行き着いたものの、それが何を意味するのか、恭平もまだ量りかねていた。両手を大きく広げ、お手上げと言わんばかりに溜息をつく。


「本当にこの殺人には感情が無いんですか? だって……後ろから刺したり、相手を油断させるためにあれこれ工夫するのは当然のことのように思えるんですけど……」


 被害者が最後まで全く無抵抗のまま殺されたことについて、恭平は犯人が無感情ゆえに最も合理的な手段を用いたと判断したが、頼子は、むしろそうしなければならない理由があったからではないかと主張した。相手が少しでも抵抗したら殺害するのが困難なほど非力な人間が犯人なのではないかと。


「物事には全て理由がある。確かに君の考えはとても理に適っているね。でも、僕は違うと思う」


 頼子の考えを評価しながらも、やはり恭平は自分の考えを崩さなかった。


「例えば、犯行に使われた凶器」


 恭平は頼子の目の前に人差し指を立てて言った。


「凶器……?」


 頼子は首を傾げた。2件の犯行に使用された凶器はどちらも同じものであるということは分かっていたが、それが何なのかまではまだ断定出来ていない。細身の片刃で、傷の深さから察するに相当の刃渡りの長さを持つ刃物であると推測されている。


「恐らくこれは刺身包丁だ」


 恭平はきっぱりと断言した。あまりにもはっきりと言い切ったので、頼子はぽかんと口を開けたまま言葉が出なかった。


 確かに、傷の大きさ、形状、深さ、どれもが一般的な刺身包丁と一致する。しかし、殺人に刺身包丁を使うというのは聞いたことが無かった。


「理由は簡単さ。“たまたま家にあった”から」


 頼子の無言の質問に答えるように、恭平は凶器が刺身包丁だと断言した理由を語った。


「細身の刃物を使ったのは、少しでも返り血を浴びるリスクを減らすため。もちろん、多少の返り血が付いても目立たないような上着を着ていただろうけどね。そして確実に心臓まで一突きにするため、刃渡りの長い刃物が必要だった」


 話しながら、恭平はもう用事は済んだとでも言うように公園の出口に向かってゆっくりと歩いて行った。それを慌てて頼子が追いかける。


「で、でも……なんで刺身包丁なんですか? それに、たまたま家にあったからって……?」


 返り血を浴びないように細くて、心臓まで達するように深く刺せる凶器なら他にもあるだろう。その中でなぜ犯人が刺身包丁を選び、なぜ恭平がそれを見抜けたのか、頼子にはまだ分からなかった。


「言っただろ? この犯人は徹底的にリスクを避けて犯行に及んでいる。であるならば、わざわざ新しい凶器を買いに行くなんて真似は絶対にしないよ。万が一にもそこから足が付く可能性が無いとは言えないからね」


 確かにその通りだ、と頼子は思った。警察の鑑定技術を用いれば、遅かれ早かれ凶器は断定されるだろう。そうすれば、まず行うことはその刃物を最近購入した者がいないかどうかを調べる捜査だ。スーパー、デパート、金物店やインターネットに至るまで、同じ刃物を買った人間は一人残らずピックアップされる。徐々に空間的、時間的に範囲を広げていき、人海戦術で一人一人虱潰しに当たっていく。それで必ずしも当人に行き着くわけでもないが、犯人からすればそのリスクは確実に避けておきたいだろう。


「因みに、現場に残されたトランプだって同じさ。どこにでも売ってるような普通のトランプだけど、購入者をいくら当たったところで犯人には届かないよ」


 それは正に現在警察が血眼になって行っている捜査だった。トランプのメーカーと品番は既に割り出している。恭平の言うようにどこにでも売っているようなありふれた物で、最近の購入者だけでも相当な数に上ったが、今のところこれしか手掛かりがないので、かなりの人手を割いてその捜査に当たらせていた。


「じゃあ、たとえ凶器が特定出来たとしても……」


 2人は公園を出て、停めてあった恭平の車の所まで戻っていた。


「犯人の特定は不可能だね。ここまで徹底的にリスクを避け、理性的に人を殺す人間はかなり特殊だ。とても君の言うような、ありきたりな犯人像だとは思えないね」


 もう一度頼子の考えをきっぱりと否定して、恭平が車に乗り込む。そしてその場でじっと立ったままの頼子を不思議そうに見上げて言った。


「乗らないの?」


「え? まだどこか行く所があるんですか?」


 とぼけているわけではなく、頼子は本気で恭平とはここで別れるつもりだったようだ。それが可笑しくて、恭平は声を上げて笑った。


「ハッハッハ、君って本当に面白いね」


 馬鹿にしているわけではなく、純粋にそう思っただけだったが、笑われた頼子は訳も分からず怒りに口を尖らせた。


「乗りなよ、送っていくからさ。こんな時間にこんな所でレディを放りだせるわけないだろ? これでも僕は紳士なんだ」


 そう言って恭平はウィンクした。その仕草に呆れながらも、レディと呼ばれたことがくすぐったくて、頼子は自分でも表現しようのない複雑な気分になった。


「……またさっきみたいな運転したら、今度こそ本当に逮捕しますからね」


 僅かな時間で激しく振り回された感情を落ち着かせるように、頼子は一度大きく深呼吸して助手席に乗り込んだ。元々感情の起伏が大きい方だとは自覚しているが、恭平には特に振り回されている気がする。しかも恭平はわざとやっている節があるので、頼子にはそれが一層腹立たしかった。


「フフ、了解」


 まるで小さな子供を愛でるかのように優しく微笑んだ恭平は、頼子がしっかりシートベルトを装着したのを確認してからゆっくりと車を発進させた。


「本庁へお願いします」


 しばらくして、頼子が行き先を告げた。家に帰るのではなく、警視庁に戻るという。


「これからまだ働くのかい? 大変だねぇ」


 時刻は10時をとうに回っていた。「一度帳場が立つ(捜査本部が設けられる)と捜査員は何日も家に帰れない」とよく言われるが、改めて恭平は末端の捜査員の苦労を思った。


「なんとしても3人目の犠牲者が出る前に犯人を逮捕するんです。こんな事、絶対続けさせるわけにはいきません!」


 被害者は共に自分と同じ若い女性だ。それだけに犯人を許せないと思う気持ちは人一倍強かった。


「そう。まぁ、ほどほどにね」


 頼子の熱い思いとは対照的に、恭平の言葉はそっけなかった。事件に対する温度差がかなりあることは昼間のやり取りですでに分かっていたので、頼子は苛立ちながらも何も言わなかった。


「あ、ここで降ろして下さい」


 さすがに警視庁にそのまま乗り込むのは気が引けたため、頼子は近くで降ろしてもらった。そして軽く礼を言って立ち去ろうとした時、恭平が後ろから声を掛けた。


「じゃあ、明日は『聖光女子大』に正午ね」


 2、3歩歩きだしていた頼子は、その言葉に驚いて振り返った。


「明日も付き合えっていうんですか? それに聖光って……確か池田照美さんが通っていた大学じゃないですか」


 2件目の被害者、池田照美は都内の女子大に通う三回生だった。その彼女が通っていた大学で、刑事でもない恭平が何をするつもりなのか、頼子は訝しげに眉を顰めた。しかし恭平は何も答えず、無言のまま走り去っていってしまった――


≪続く≫

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ