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第4話

 警視庁に戻る道すがら、頼子は先程の違和感について思いを巡らせてみた。頼子は恭平について何も知らない。はじめて恭平と出会った日も、第一印象が最悪だったために、宮田に何も訊こうとはしなかった。そもそも、どうして恭平が警察に協力しているのか。単なる金の問題ではないような気はしていたが、その理由も頼子は知らない――











 頼子は警視庁に戻って来た。庁舎内の大会議室の入口には大きく『大田区内連続殺人事件捜査本部』と戒名――警察の隠語で殺人事件名のこと――の書かれた紙が張り出されていた。


 2件の事件はどちらも大田区大森警察署管内で発生したものだが、今後発生範囲が拡大する可能性や事件の特殊性を考えて、警視庁は大森署ではなく本庁に特別捜査本部を設置することを決めた。現場にトランプのカードを残すという行為を自分達への挑発だと受け取った警察の、絶対に捕まえるという本気度の表れでもあった。


 会議室に入った頼子は、たまたま一人でホワイトボードを睨んでいた宮田を捕まえて恭平の事を尋ねてみた。


「係長、本庄さんって結局何者なんですか? どうして警察の捜査に協力してるんです?」


 宮田に連れられて初めて恭平と会った時、恭平は自分のことをコンサルタントだと名乗った。しかしよくよく考えてみれば、巧くはぐらかされただけのような気もするのだ。


「言っただろ。奴はコンサルタントだ。我々の捜査にアドバイスをし、その報酬を得る」


 宮田から帰ってきた答えは、以前と同じものだった。しかし頼子が知りたいのはそんなことではない。


「報酬って、本当にお金を払ってるんですか?」


 恭平の身なりはかなり上等で、頼子の見る限り裕福な生活を送っているように思える。とても宮田個人のポケットマネーからそんな生活が送れるほどの報酬が支払われているとは考えられなかった。


「いや、あいつに金なんか必要ないさ。その気になれば俺達の年収の何倍もの金を一晩で稼ぎ出せるだろうしな」


 後半部分にはかなり驚いたが、やはり頼子の思った通りだった。恭平が警察――というより宮田に協力しているのは金の為ではない。それなら一体、宮田が恭平に支払っている報酬とは何なのであろうか。


「お前が知る必要はない。どうしても気になるなら、直接本人に訊くんだな」


 なんとなく予想はしていたが、やはり宮田は答えてくれなかった。ちょうど他の捜査員が宮田に報告に来たので、頼子もそれ以上話を続けることが出来ずにその場は引き下がることにした。












 宮田と別れた直後、頼子の携帯電話が短く鳴った。通話ではなくメールの着信音だ。液晶に表示されたアドレスは見覚えのないものだったが、文面を読んだ頼子は思わず目を見開いた――











 その日の夜、頼子は2件目の殺人事件が起きた現場にやって来た。元々人通りの少ない道ではあるが、事件の影響で人の気配は全く無い。


「やあ、待たせてしまったかな?」


 時刻は午後9時を回ったところだ。頼子が現場に到着してから何分もしないうちに、真っ赤なオープンカーに乗った恭平が現れた。


「こんな時間に呼び出して、一体何の用ですか?」


 警視庁で頼子が受け取ったメールは恭平からのものだった。恐らく宮田が事前にアドレスを伝えていたのだろう。メールにはこの時間にこの場所に来るようにと書かれてあり、頼子は恭平が何を考えているかも分からないまま、とりあえず指示通りにやって来たのだ。


「何って、君達警察が言うところの現場検証ってやつさ」


 車から降りてきた恭平は、まるで「何故訊くのか分からない」とでも言いたげな様子で両手を広げてみせた。


「現場検証って……ここで何を探すって言うんですか?」


 相変わらずな恭平の態度に内心苛立ちながら、頼子は未だに掴み切れない恭平の真意を確かめた。


「別に何かを探そうと思ってるわけじゃないさ。これが安っぽいサスペンスドラマなら、犯人に繋がるような決定的な証拠が見つかったりするんだけどね」


 そう言って恭平は、被害者が倒れていたまさにその場所に立ち、辺りをぐるりと見渡した。


「それじゃあ、ここで何をするつもりですか?」


 何度質問をぶつけてみても、一向に恭平の魂胆が見えてこない。頼子はどんどん苛立ちを募らせていった。


「ふむ。よし、じゃあ次へ行こうか」


 しばらくその場で辺りを見回したり、数十メートルほど行ったり来たりしていた恭平だったが、不意に頼子に声をかけて車に乗り込んだ。


「え、ちょっ……どこへ行くんですか!?」


 恭平が「ほら、早く」と、頼子も助手席に乗るように促した。未だに恭平の意図が分からない頼子は、ただただ困惑するだけであった。


「1件目の現場に決まってるじゃないか。こっちの方が君を拾いやすいから先にしただけだよ」


 頼子が乗り込むのを待たずに、恭平がエンジンを掛ける。頼子を追い立てるような爆音が、人気のない閑散とした路上でけたたましく鳴り響いた。


「ちょ、ちょっと! 近所迷惑ですよっ」


 恭平が何を考えているのか詮索する暇もなく、頼子は慌てて恭平の車に乗り込んだ。シートベルトを装着するよりも先に恭平が急発進したので、頼子の身体が半身の体勢でシートに押し付けられる。


「今度はスピード出し過ぎぃ!」


 ほとんど悲鳴のような頼子の叫び声は、猛スピードで疾走する車の爆音と風切り音にかき消されてしまった。











 ほんの数分程度のドライブだったが、第一の現場近くに車を停めた時には、頼子はぐったりとしていた。


「おやおや、だらしないなぁ」


 隣でずっと頼子の悲鳴を聞き続けていた恭平は、実に楽しそうに笑みを浮かべた。頼子が怖がるのが面白くて、恭平はわざと危険な運転をしたのだ。もちろん、それでも絶対に事故を起こさないという自信があってのことだったが。


「ど、道交法……違反で、逮捕……します……っ!」


 ()()うの(てい)で恭平の車から飛び降りた頼子が、運転席側に回り込んで恭平の右手首を握り上げた。


()たた……あれ、もしかして怒ってる?」


 頼子に思い切り手首をねじり上げられ顔を(しか)めた恭平だったが、口調には随分と余裕があった。


「あなたという人は……っ! もう我慢出来ません!」


 色々溜まっていたものがついに爆発したようだ。頼子はこのまま恭平の腕を捻じり上げて、車から引きずり出してやりたい衝動に駆られた。


「痛い痛い! それ以上引っ張ると腕が抜けちゃうよぉ」


 本気で痛がっているのか、それともふざけているのか分からないような悲鳴を上げて、恭平がより一層苦悶の表情を浮かべた。頼子も少しは気が晴れたのか、もうそろそろ許してやってもいいかと思った瞬間――


「ひゃっ!?」


 突然頼子が悲鳴を上げて後ろへよろめいた。大きく振り上げられた右手には、先程まで握り上げていた恭平の右手首がそのまま握られている。


「えっ、ちょっ……嘘……っ!?」


 本当に手が抜けてしまったのかと、頼子はパニック状態に陥った。もちろんそんなはずはなく、恭平が事前に仕掛けておいたトリックなのだが、しばらく頼子はそのまま蒼ざめた顔で作り物の手首を凝視していた。


「さあ、行くよ頼子君」


 何が起きたのか理解出来ずに困惑する頼子を尻目に、恭平は何事も無かったかのように目の前の公園に向かって歩いて行った。それを見てようやく嵌められたことに気付き、頼子は恥ずかしさと怒りで顔を真っ赤にした。間違いなく満面の笑みを浮かべているのであろう恭平の背中に向かってその作り物の手首を投げ付けたが、恭平は後ろも見ずにヒョイと躱してしまった。


「ふむふむ、やっぱりそうか」


 頼子がようやく追いついた時には、恭平は先程と同じように殺害現場に立って周囲を見渡し、一人で納得したように頷いていた。


「……一体何が分かったっていうんです?」


 今すぐにでもその首を絞め倒してやりたい気持ちを精一杯抑え、頼子が尋ねた。未だに頼子には恭平が何をしているのか分からない。


「犯人がどうやって被害者を殺害したのか確認してたんだよ」


「どうやってって……後ろから心臓を一突きにしたって検死報告書にも書いてあったじゃないですか」


 頼子は宮田に言われて、捜査資料の全てを恭平に渡してある。当然そこには現場写真や検死報告書といった類も含まれていた。


 2人の被害者は共に背中から心臓に達する深い刺し傷による失血死と診断された。現場には争った形跡もなく着衣の乱れもないことから、警察は犯人が被害者の背後から近付いていきなり刺したものと判断した。


「足元をよく見てごらん」


 警察の見解を語る頼子の言葉を興味なさそうに聞き流した後、恭平は人差し指を下に向けて頼子の視線を足元に向けさせた。


「足元……?」


 恭平に促されて地面を見た頼子だったが、特に何が落ちているわけでもない。


「ここは公園内の遊歩道だね。地面はコンクリートで舗装されていて、よほど慎重に歩かない限り足音が響く」


 そういって恭平は2歩3歩と歩いてみせた。確かにコンクリートの地面を恭平が履いているような革靴で歩けば、カツカツという足音がはっきりと聞こえる。これだけ人気のない静かな公園内では、たとえスニーカーのような靴を履いていたとしても足音を完全に消し去ることは困難だろう。


「はぁ……で、それが一体何だって言うんですか?」


 確かに恭平の言う通りなのだが、だからといってそれにどんな意味があるのか頼子には全く分からなかった。


「いいかい? 女性が人気のない夜道を歩いていて、後ろから近づいてくる足音が聞こえたら、普通は警戒するはずさ。だけど、被害者は2人とも全くの無防備の状態のまま死んでいる。きっと被害者は、刺される瞬間まで犯人の存在に気付かなかったんだろう」


 恭平はポケットから被害者2人の現場写真を取り出し、頼子に見せた。確かに無防備の状態で刺されたと言われればそのように思えるが、頼子には恭平ほどはっきりとその瞬間まで想像することは出来なかった。


「じゃあ、犯人は物陰にでも潜んでいて、被害者が通り過ぎた瞬間に刺したっていうんですか?」


「最初はそれも考えたけど、こことさっきの現場を実際に見てその可能性はないと確信したよ」


 辺りをぐるりと指で指し示しながら恭平が頼子の言葉を否定した。確かに周囲には人一人が身を隠せそうなものは無い。無理をすれどうにでも出来るのであろうが、それでは却って犯行は難しくなるだろう。


「だったら、犯人はどうやって被害者を刺したっていうんです?」


 恭平に倣って辺りを見回した頼子が、さらに恭平に質問を重ねた。


「君は質問が多いね。疑問を持つことはいいことだけど、少しは自分で考えなよ」


 矢継ぎ早に質問を浴びせてくる頼子を鼻で笑うように恭平が言った。しかし頼子がその言葉にかっとなって反論するより先に、恭平が言葉を続ける。


「さっきの現場もそうだったけど、ここも街灯がしっかりと設置してあって、夜でも明るいね。これなら、たとえ人通りが少なくても安心して歩けるんじゃないかな」


 周囲を明るく照らす街灯の1つを指さしながら、恭平が言った。頼子は口を挟むタイミングを完全に逸して、続きを促すように黙って聞いていた。


 確かに恭平の言う通り、2件の現場は人気こそないものの、暗い夜道というわけではなかった。街灯が周囲を明々と照らし、夜でも周囲がはっきりとよく見える。よく、明るくするだけで犯罪の抑止に繋がると聞くが、逆に言えば明るいというだけで人は安心し、警戒感も薄れるものだ。若い女性の被害者2人が、日常的に人気のない現場を1人で通っていたのも、そういう事情があったのだろうと頼子は思った。


「犯人はそんな被害者の心理を逆手に取ったのさ」


 一呼吸置いて恭平が続けた。先程恭平に馬鹿にされたのが余程堪えたのか、頼子は何も言わず、しかし眼で「だから、どうやって?」と訴えている。


「頼子君、ちょっと向こうからこっちへ歩いて来て」


 そんな頼子の視線にクスリと微笑を返して、恭平が頼子の背後を指さした。そして頼子が何か言う前に、恭平自身も反対の方向へと歩いて行った。


「僕が思うに、犯人は堂々と被害者の正面から近づいて行ったんだ」


 2人の距離が離れ、かろうじて声が聞きとれるぐらいになってから、頼子と恭平はお互いにゆっくりと近づいて行った。


「人は見えないものに恐怖を抱く。逆に言えば、最初から見えているものにはそれほど警戒しないものさ」


 そう言って恭平は、携帯電話を取り出して耳に当てた。


「もしかしたら犯人はこうやって携帯で話している振りをしていたかもしれない。自分の方をじっと見つめていれば警戒もしただろうが、こんな風に全く自分に関心を持っていないと思えば、被害者だって何も警戒することなくすれ違っただろう」


 2人の距離が徐々に近づいていき、携帯電話を手に持った恭平と頼子がついにすれ違った瞬間――


「あっ」


 突然、頼子の背中が軽く押された。咄嗟に振り返ると、すぐそばでこちらへ向き直っていた恭平と眼が合った。


「と、こんな感じで犯人はすれ違った瞬間に隠し持った凶器で被害者の背中を刺したんだ」


 異常に接近した2人の距離にたじろぐように後ずさりする頼子に笑いかけながら、恭平が両手を広げて言葉を締めくくった。


 なるほど、と頼子は思った。全て恭平の推測でしかないが、不思議と恭平が言うと何もかもがその通りなのではないかという錯覚を覚える。


「そ、それで犯人は……」


 頼子は問いの中に無意識の内に期待を込めていた。初めて会った日も、恭平はこんな風に驚くべき洞察力で事件の真相に迫ってみせた。もしかしたら、恭平にはすでに犯人の目星が付いているのではないか。


「残念だけど、それはまだ分からないよ。ただ、この犯人の行動は明らかに矛盾している」


 当然といえば当然だが、恭平もこの時点ではどこの誰が犯人なのかまでは分かるはずもない。しかし、それに繋がるかもしれない重大な事実を発見した。


「矛盾……?」


 分かってはいたものの、どこかがっかりしたような気持を覚えながら、頼子が恭平の言葉の意味を訊いた。


「ああ、この犯人には“感情”が無い」


≪続く≫

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