第1話
どうも皆さん。Eoliaと申しますm(__)m
ラブコメ・ファンタジーに続き、今回はミステリー小説に挑戦です。
どうぞよろしくお願いしますm(__)m
東京都新宿――
繁華街に程近い裏通りの一角に建つ古びたビルを見上げながら、警視庁捜査一課刑事・鏑木頼子は首を傾げた。
「ここ、どこですか係長?」
頼子はビルを見上げたまま、すぐ前にいるであろう上司に問いかけた。
「いいから来い、鏑木」
声を背中に受けた頼子の上司――宮田雅彦警部はすでにビルの上階へと昇る階段に足を掛けていた。
「代々木の殺人事件の捜査じゃないんですか?」
答えにならない答えをぶっきら棒に返してきた宮田に、頼子はなおも質問を重ねる。今度は宮田も答えなかった。
代々木の殺人事件とは、現在頼子達が抱えている案件である。一週間前、区議会議員を務める本田正臣の妻、圭子が何者かに殺害された。夫である本田正臣に真っ先に容疑がかかったが、彼には完璧なアリバイがあった。本田正臣は若く人気があり、近く国政に進出するとの噂が立っている程の人物である。強引な捜査も出来ず、と言って他に容疑者らしい人物も浮上せず、捜査は早々に暗礁に乗り上げてしまったのだ。
頼子はまだ捜査一課に配属されて日が浅く、これが初めての殺人事件の捜査だった。さらには検挙率が群を抜いて高く、一課のホープと呼び声高い宮田警部に連れ出されたので、自分の実力を宮田に認めてもらうチャンスだと思っていた。だがやって来たのは事件とは関係のなさそうな、古臭い5階建ての鉄筋コンクリートのビルである。頼子でなくても首を傾げたくなるのは当然だろう。
その後も頼子の質問攻めは続いたが、宮田はそれらを全て無視して階段を上って行った。仕方なく頼子もそれに従う。
宮田は3階の事務所のドアの前で足を止めた。この階には他に入口がなく、ドアには何の表札も掛かっていなかった。
「俺だ」
宮田はドアの横のカメラ付きインターホンのボタンを押すと、返事も待たずにマイクに向かって短く来訪を告げた。インターホンから返事はなく、数秒の間があってドアの鍵がカチャリと音を立てて開けられた。部屋の主が出てくるのかと思ったが、宮田はすぐにノブに手を掛け、躊躇なくドアを開けた。何が何だか分からないまま、頼子も慌てて宮田に続いて中に入る。
小さなビルではあるがワンフロア丸々使った事務所内はそれなりに広かった。しかし受付らしき所もなく、人の気配も無い。中央に大きな革張りのソファとテーブル、それと大きなテレビがある他は特にこれといった調度品もない殺風景な部屋だ。
「やあ、そろそろ来る頃だと思ったよ」
頼子が不思議そうに辺りを見回していると、奥から1人の男が現れた。すらりと背が高く、顔立ちは理知的で若々しい。一目でブランド物と分かる上下のスーツが、よりスマートさを強調していた。左手首に着けている腕時計も明らかに高級そうだが、厭らしさは少しも感じない。
「用件なら分かっているよ。代々木の事件だろう?」
男はそう言って妖しく微笑んだ。まるで全てを見透かすかのような瞳に見つめられ、頼子はぞくりと背筋が冷たくなるのを感じた。
「……下らん芝居はやめろ。さっきそう連絡しておいただろうが」
呆れたように溜息をつきながら、宮田は男の瞳に魅入られそうになっていた頼子の頭に手を置いた。
「やれやれ、相変わらず洒落の通じない男だね君は。ちょっとした演出じゃないか。こちらの麗しいお嬢さんの為のね」
あっさりとネタをばらした宮田に少々不満そうに両手を広げて抗議した後、男は再び微笑を湛えながら頼子にウィンクして見せた。会って1分も経たないうちに、頼子はすっかり男のペースに嵌ってしまっていた。
「ところでお嬢さんのお名前は?」
呆然としている頼子に右手を差し出しながら、男がにこやかに尋ねる。
「あ、えと……鏑木頼子……です」
「本庄恭平だ。これからよろしくね」
自然と握手に応じてしまった頼子が戸惑いながら名乗ると、男もしっかりとその手を握り返して意味深な言葉と共に名乗った。
「んんっ、済まないが先に本題の方を片付けたいのだが」
恭平の言葉に違和感を覚え口を開きかけた頼子だったが、それよりも早く宮田が咳払いと共に話題を先程の殺人事件の話に向けた。
「ああ、代々木の事件ね」
恭平は頼子から宮田へ視線を移し、意味ありげな含み笑いを見せた後、部屋中央のソファに2人を促した。
「そうだ、先日美味いコーヒーが手に入ったんだ」
2人を座らせておいて、恭平は再び奥に引っ込んだ。恭平の姿が見えなくなったところで、頼子は隣に座る宮田に顔を向けた。
「係長、あの人は一体誰なんですか? 係長とはどういう関係なんですか?」
頼子の疑問は当然だったが、宮田は難しい顔をしたまま答えなかった。答えたくないというよりは、どう答えればいいのか悩んでいるといった感じだ。
「お待たせ。おや、どうしたんだい?」
そうこうしているうちに恭平がトレイに3人分のコーヒーカップを載せて戻ってきて、眉間に皺を寄せて考え込んでいる宮田を見て小首を傾げた。しかし訝しんでいる様子はない。
「お前は一体何者なのかと訊かれたよ。どう答えたらいい?」
恭平から差し出されたカップを口に運びながら、宮田は取り繕うことなくずばりと言い放った。隣で頼子が明らかに動揺を見せているが、宮田も恭平も気にはしていないようだ。
「う~ん、確かに難しい問題だね。ま、一言で言うならコンサルタントかな」
頼子の疑問を予想していたのだろう。恭平は特に考えることもなく笑顔のまま答えた。
「コンサルタント?」
恭平の答えに、頼子は頓狂な声を上げた。せいぜい私立探偵くらいだろうと思っていたところに、全く予想外の答えが返ってきたからだ。とてもコンサルタントという言葉から頼子が連想するイメージとはかけ離れている。もっとも、私立探偵にしては身なりが良過ぎる。服装だけを見るなら、確かに一流企業のコンサルタントでも通用するだろう。
「そう、彼からの相談を受けて、僕が事件解決の為のアドバイスをする。立派なコンサルティング業だろう?」
頼子の表情に満足そうに頷きながら、恭平は大きく両手を広げて見せた。海外にでも住んでいたのだろうか、いちいちボディアクションが大きい気がする。
「それじゃあ早速仕事をしてもらおうか。代々木の事件、お前は区議が犯人だと思うか?」
恭平が頼子に身分を明かしたところで、宮田は例の殺人事件の話を切り出した。
「殺された本田圭子と、夫で渋谷区議会議員を務める本田正臣との関係は表向きは良好だが、実際は冷めきっている仮面夫婦だという噂もある。一課は当然正臣を重要参考人として捜査したが、奴には犯行当時都内の料亭で後援会の人間と会食をしていたというアリバイがある。だが――」
「他にこれといった容疑者も浮かばない、だろ?」
ソファに深く腰掛けて眼を閉じていた恭平が、宮田の言葉の最後を引き取って意味ありげに笑みを浮かべた。
「……その通りだ。それでお前の意見を聞きたい。もし本当に正臣がホシなら、奴のアリバイを何としても崩さねばならん」
恭平の態度に気付かなかったのか敢えて無視したのか、宮田は構わず話を続けた。
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
驚愕のあまり言葉を失っていた頼子が、ここでようやく話に追いついてきた。
「民間人に捜査情報を流すなんて! 問題ですよ、こんなの!」
それまで驚きの連続で翻弄されっぱなしだった反動からか、頼子はやや過剰なぐらい興奮していた。しかし言っていることは正論である。情報屋というものは昔から存在しているが、こちらから捜査情報を流すなんてことはあり得ない。
「そんなに問題かな? FBIとかではよくやってることだよ」
頼子の反応を予想していたのか、恭平は顔色一つ変えずに言ってのけた。宮田は頼子の隣で苦笑いを浮かべている。宮田の方はさすがにこれが問題のある行為だということは重々承知しているようだ。
「ここは日本です! っていうか、これって上は承知しているんですか!?」
興奮に顔を紅潮させたまま、頼子は恭平の軽口に激しく突っ込んだ。そして横に向き直ると、困ったように苦笑いを浮かべている宮田にも噛み付いた。
「もちろん上には秘密の付き合いだ。告発するか?」
宮田は取り繕うことなく答え、頼子に問い返した。もちろん頼子がこの秘密を知ったところで上層部に密告するような人間でないことは分かっていた。
「話を続けてもいいかな?」
宮田の言葉に頼子が黙ってしまったのを確認して、恭平が再び口を開いた。彼はこの状況をどこか楽しんでいるようである。
「結論から言わせてもらうと、彼は犯人じゃない。だけど犯人が誰かは知っているね」
頼子と宮田の視線を自分の方にしっかりと向けさせておいて、しかし口調はわざとそっけなく言った。
「……確かか?」
頼子は思わず「えっ?」と声を上げてしまったが、宮田は内心驚きながらも表には出さないように冷静を装った。本庄恭平という男は、こちらが驚いたり戸惑ったりするのが何よりも好きなのだということを宮田は知っていた。しかし、こうやって必死に冷静を装っているということ自体、恭平にはお見通しなのだろうということも分かっていた。
「これを見てごらん」
恭平はテーブルに置いてあったリモコンを手に取って立ち上がると、大きな液晶テレビの電源を入れた。映し出されたのは、妻を何者かによって殺害され、失意のどん底にある本田正臣が、自宅の前で報道陣に取り囲まれている映像だった。数日前のワイドショーの録画のようだ。
「これを見てどう思う? 頼子君」
突然話を向けられて、頼子はまた「えっ?」と声を上げた。
「別に……これといって不自然な点は……」
画面の中の本田正臣は、記者からの質問に時折涙を堪えながらも気丈に答えていた。妻を失った悲しみ、犯人への怒り、そういったものがありありと感じられる。しかし彼自身が妻を殺した犯人なのではないかという疑いを持って見ると、全てが嘘臭くも感じる。
「ふむ、宮田警部はどうかな?」
頼子の答えに別段リアクションを取ることなく、恭平は宮田にも同じ質問をした。
「もったいぶっていないで早く話を進めろ」
しかし宮田は答えなかった。宮田の見解も頼子と同じだったのだ。本当に悲しんでいるようにもみえるが、それだけで覆るほど本田正臣への嫌疑は軽くない。宮田が若干苛立ちを見せながら先を促すと、恭平はまた意味ありげに含み笑いを浮かべて肩を竦めた。
「少なくともこの涙は本物だ。妻を失った悲しみ、犯人への怒り、どちらも演技なんかじゃない」
そこで恭平は一旦言葉を切った。だが明らかに続きがありそうな雰囲気だったので、宮田も頼子も黙って次の言葉を待っていた。
「だけどもう一つあるね。この表情は“後悔”だ」
恭平は本田正臣の顔がアップになったところでリモコンの一時停止ボタンを押して画面をストップさせると、両手で円を描くようにその顔を囲んだ。
「後悔だと?」
画面の中の本田正臣の顔をじっと見つめながら、宮田はやや困惑した様子で問い返した。悲しみや怒りは読み取れるが、後悔という感情はこの表情からは見当もつかない。
「そう、彼は妻の死を自分のせいだと思っている。何故だろうね?」
ソファに座り直した恭平は、まるで試すように宮田と頼子を交互に見た。
「何故って……」
“後悔”という今まで考えもしなかったキーワードを処理するだけで、頼子の頭の中は既に一杯だった。その理由まで考える余裕はない。宮田はそんな頼子を横目に溜息をついた。
「本田正臣はかなり人気のある区議だ。近く国政にも打って出ると言われていることから、その辺りに敵がいないとも言えないがな」
そうは言いながらも、宮田は事件の真相がそんなところにあるとは思っていなかった。政治家の周辺で事件が起きたのだから、当然その辺りの捜査も徹底して行っている。確かに本田正臣は人気のある政治家だが、ほとんどはその外見から得ているもので、特にこれといった政策を掲げているわけではない。人気はあっても力があるわけでもないので、特定の企業・団体との黒い付き合いというのも存在しなかった。彼の失脚を望む政敵もいなければ、暴力に訴えてまで圧力をかけようとする団体も存在しないのだ。
「僕はもっと単純なことだと思うけどね。夫のせいで妻に危害が及ぶ一番の理由といえば、やっぱり不倫だよ」
宮田の言葉に大きく首を振りながら、恭平は言った。その言葉に宮田が顔を顰める。
「お前は本田正臣の不倫相手が犯人だと言うのか?」
宮田の言葉はやや怒気を含んでいた。散々もったいぶって出した結論が、そこいらの週刊誌のゴシップ記事と同レベルでは怒りたくなるのも無理はないだろう。
「僕はそう思っているよ」
宮田の鋭い視線を意にも介さず、恭平はあっけらかんと言いきった。
「残念だが、その線はない。この一週間、本田正臣の周辺は徹底的に洗った。奴は確かにハンサムで女にもてるし、奴の周辺には女が多い。しかし不倫、ましてや相手の妻を殺すほどの深い関係になっているような女は浮かばなかった」
本田正臣は特に女性の人気が高い政治家だ。しかも秘書を含め事務所のスタッフはほとんどが女性で構成されている。一見すると女好きのプレイボーイという印象だが、不思議とそういう噂が聞こえてこない。もちろん、噂だけを当てにしているわけではなかったが、実際に調べてみても本田正臣と深い関係を持っていそうな女は見当たらなかったのだ。
「本当にちゃんと調べたのかい?」
宮田がはっきりと否定しても、恭平は全く引き下がらない。それどころか、容疑者が浮かばないのは宮田らの捜査が不十分だからだと暗に皮肉った。その態度に激昂したのは頼子だった。
「何ですかそれ!? ちゃんと調べてますよ! 本田正臣だけじゃなく、被害者の圭子の方だって調べました! 不倫絡みの線はあり得ないですよ!」
これまで以上に顔を真っ赤に紅潮させ、激しく捲し立てた。今までもどこか人を食ったような態度ではあったが、今回は完全に自分達の捜査そのものを馬鹿にされたようで許せなかったのだ。その間恭平はじっと眼を閉じて黙っていたが、口元は明らかに笑っていた。
「……男は調べた?」
頼子がようやく落ち着いたのを見計らって、恭平は笑顔を絶やさずに言った。
「だから調べたって――」
「男だと?」
恭平の言う“男”の意味を、頼子は被害者である本田圭子の不倫相手だと捉えた。しかし宮田は恭平の意図に気付いたようだ。再び恭平に抗議しようとした頼子を抑えると、しばらくそのままの体勢で考え込んでしまった。
「確かに……いや、しかし……そんな馬鹿な……」
口に手を当ててぶつぶつとうわ言のように呟く宮田に対して、頼子はまだ状況が飲み込めないでいた。答えを求めるように恭平の方に視線を移すと、またもや人を食ったように微笑を浮かべている恭平の視線とぶつかった。
「さすがに警部は気付いたようだね。一方、頼子君の方は……」
未だ思い悩んではいるものの宮田は既に自分の意図を理解したとみて満足そうに頷いた後、恭平はわざとらしく溜息交じりに首を振って見せた。
「一体何だって言うんです!?」
あからさまに馬鹿にされたと思い、頼子はまた怒りに頬を染めた。しかし宮田の気付いた事が自分には理解出来ていないのも事実で、恭平に対する怒りよりもその悔しさの方が勝っていた。
「彼はゲイだ」
恭平は驚くべきことを平然と言ってのけた。少なくとも頼子には今の今まで夢にも思わなかった考えだ。
「そんな……馬鹿な……」
大きく眼を見開いた頼子は宮田と同じ言葉を呟いた。普段だったら一笑に付してしまうような馬鹿げた話だが、どういうわけか恭平の言葉は自分でも信じられないほど頭の奥まで一気に突き抜けた。
「どうしてあり得ないって思うの?」
「どうしてって……そりゃ……」
「彼がゲイではないっていう証拠でもある?」
頭の中で必死に抵抗している頼子に、恭平が優しく、しかし鋭く畳みかける。
「あ、ありませんけど……でも、それを言うなら本田正臣がゲイだっていう証拠はあるんですか?」
確かに正論だ。しかし言葉とは裏腹に頼子はもう恭平の言葉に完全に囚われてしまっていた。それどころか、どうして今まで気付かなかったんだろうと自分を責めるような気持ちにさえなっている。
「行くぞ、鏑木」
その時、突然宮田が立ち上がった。急に呼ばれて驚いている頼子を顧みることなく、すぐさまドアに向かって足早に歩いていく。突然の行動に戸惑いながら、頼子も仕方なくその後を追った。
「あれ、帰るのかい? まだ頼子君の紹介が済んでないんだけど」
ドアノブに手を掛けた宮田の背中に恭平が問いかけると、「悪いな、それはまた今度だ」という答えと同時に宮田の姿はドアの向こうに消えてしまった。それを慌てて追いかけて行った頼子の姿も消えると、恭平は1人になった部屋で実に楽しそうに手を叩いて笑った。
≪続く≫