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ネナベが往くっ!  作者: 雪野メノウ
第1幕 銀のイーワン
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【009】「気に食わないんだよッ!」

前回のあらすじ。


邪教盗賊団、強襲。

 闇に響いた甲高い金属音。

 その音を聞いて初めてファイは我に返った。遅れて、まばたきの間に動いたイーワンを見て、何が起こったかを察する。ファイに向かって放たれた矢をイーワンが咄嗟に弾いたのだ。

 イーワンの銀棍(ぎんこん)によって弾かれた矢がファイの足元に落ちた。焚き火に照らされた矢じりにはぬらりとした液体が塗られている。


――毒だ。


 致命的なものかは分からないが、少なくても当たった時にひどい目に遭うのは確かだった。


「ファイちゃん。下がってて」


 イーワンは銀棍を構え、じっと闇を見据えたままにファイの前に歩み出た。


「ちゃん付けすんなって言ってんだろ! カッコつけてる――」


 場合か、と続けようとしてファイは思わず息を飲む。

 別に容姿が大きく変わったわけではない。整った顔立ちも、美しい銀髪もそのままだ。だがファイにはまるで、別人のように見えた。

 イーワンの武具が超一級品であることはファイも承知している。しかしイーワン自身の強さには懐疑的で、侮りがあったことを痛感した。

 目の前にいる少年は文字通り、人が変わったようだった。

 何が違うのか。

 もしもそう問われればファイはしばし迷った後に目だと答えだろう。

 先程までの軟派なだらしない笑みの少年はそこにいなかった。何かが決定的に違う。まるで身体に宿る魂が別物になったかのような瞳。それは思わず見惚れてしまうほどに澄んでいたが、空虚だ。

 その虚ろさに精巧な人形をファイは連想する。


 ぞっとした。


 自分が今まで会話をしていたのはなんなのかが分からなくなってしまった。

 そんなファイの恐怖を知ってか知らずか、イーワンはちらりと視線を投げかけ形だけの笑みを浮かべる。


「オレがやる。大丈夫、これくらい何ともないさ」


 口調だって変わらない。それなのに、いや。『だからこそ』ファイの感じた違和感は肥大化する。


――コイツはいったい『なんだ』?


 不意にイーワンの身体が揺れる。

 金属音が耳に届いてからようやくファイはイーワンが先程と同じように矢を弾いたことを知覚した。この濃い闇の中で、不意に飛来した矢を的確に弾き落とすなど並みの力量ではありえない。

 自分が狙われたことをファイはようやく気付き、そしてイーワンに庇われたことを知る。

 最初に感じたのは罰の悪さ。そして次に感じたのは自分に対する怒りだった。

 庇われたのだ。

 昨日出会ったばかりの少年に庇われたのだ。

 呼吸を忘れるほどの羞恥にイーワンを侮り、格下においていた事を自覚した。そして何よりも助けられてほっとした自分に腹が立つ。


「うっさい! 足手まとい扱いするんじゃないよッ!」


 怯えた自分を叱咤するようにファイは声を張り上げる。

 どんなに得体が知れなくても、少なくても今のイーワンは味方だ。自分の人物眼をファイは信じる。

 何よりも。


「このアタシがッ! 守られてばかりってのが、気に食わないんだよッ!」


 何よりも、このままで守られてばかりなんてことはファイのプライドが許さない。

 腰のホルダーからファイは1冊の本を取り出す。小さいが分厚い。その本は鈍色に輝いている。当然だ。表紙から中の1(ページ)に至るまでその全てが鉄で出来ているのだから。

 これがファイの武器。魔術発動に必要な触媒である鉄書だ。

 故郷の山にいた頃、ファイが自らの手で打った代物である。まだ父との関係が良好だった頃の名残だ。この鉄書があれば、ファイは戦えた。

魔鉱(まこう)』と呼ばれる技術がある。

 様々な鉱石を加工する過程で魔力との親和性を高め、魔力の通りを良くする特殊技術だ。魔術武具(マジックウェポン)の作成やファイの鉄書のような魔術触媒を作成する際に、この技術で鍛えられた素材があるかどうかは完成品の質に大きく関わってくる。

 この鉄書はファイが行商人となる前、ファイが最後に魔鉱鍛冶として腕を振るった代物だった。これ以来、ファイは槌を振るった事はない。


 ファイはその鉄書を開く。薄い鉄で出来た頁、そこに彫られたのは古代の力ある言葉。それをファイは指でなぞる。

 ファイの魔力に反応し、頁に篭められた触媒が反応する。彫り込まれた古代文字(エンシェントワード)を軸にして魔力が編まれていく。


「指先に光よ、宿れ。指先に熱よ、宿れ。我は汝を使役する! <イリ=ケナズル=ソティス>!!」


 冷たい鉄の頁に熱が(はし)り、離したファイの指先に紅蓮の炎が宿る。

 炎の宿った右手を貫手に構え、息を吐くとファイの指先から炎弾が放たれた。

 それは煌々(こうこう)と緋色に輝き、闇を切り裂く。

 闇が裂け、そこに包まれていた賊の姿が露わになった。その一瞬でファイは見えた賊の位置を記憶する。そして、その場所へ同様の炎弾が3発叩き込んだ。

 放たれた炎弾が盗賊たちの粗末な衣服に燃え移り、肉を焼く。先ほどまで静謐だった夜に、盗賊たちの苦痛の叫びが響き渡った。


魔書術師(ブックキャスター)か。ドワーフの魔術師は久しぶりに見たよ」

「ハッ! 無駄口叩いているなんて余裕だね!」


 苦痛の声は最初こそ勢いがあったが、それも徐々に収まっていく。

 死んだからではない。ファイの魔力が弱く、焼き切る前に炎が尽きたからだ。

 ファイの使った<イリ=ケナズル=ソティス>は体内の魔力が指先に集め、炎へと変えて撃ち出す(イリ)級魔術だ。

 魔術で生み出した火は普通の火とは違い、込められた魔力の分しか燃えることはできない。例えそれが乾いた木片であっても、魔力量が少なければ魔術では燃やす事ができないのだ。

 <イリ=ケナズル=ソティス>は弾速と速射性に優れた魔術である。同級の魔術でこれほど使い勝手のいい魔術は少ない。しかしその代わりに威力は低く、1対1ならともかく多勢に無勢の今の状況ならば牽制にしかならないだろう。

 現にまともにファイの火を受けた盗賊たちもうめき声を上げながらではあるが、ふらふらと立ち上がってくるのが闇の中でも分かった。しかし、ファイとてそんなことは百も承知である。

 ファイの火を受けた盗賊たちの人相や傷は分からないが、かなりの火傷を負っているはずだ。戦えたとしても全力では無理だろう。それに火が与える痛みと恐怖は他の魔術と比べても群を抜いている。

 火に対する恐怖心は生物の本能に刻まれた機能だ。火を恐れないドワーフが例外なのである。


「今ので多少は相手も動揺したろうが……けどいつまで保つか……」


 光の届かない闇。そこから感じる気配は多い。

 大した訓練もしていないのだろう。耳を澄ませば興奮した息遣いや草木のこすれる音が聞こえる。しかしいかんせん数が多い。

 しばらくはファイの火を恐れ、前に出るのを躊躇(ちゅうちょ)するだろう。しかし数で劣っているファイたちが不利なのは自明の理だ。やがて痺れを切らせた盗賊たちが数に物を言わせ、均衡は崩れる。

 そうなればファイたちの負けである。


 ファイの顔が渋面に歪む。思わず舌打ちが漏れた。


――ついてない。


 ファイが火のあるうちに野営の用意をし始めたのはこういった事態を警戒してだった。

 夜の灯りはひどく目立つ。獣避けにはちょうどいいが、その灯りは人には通じない。むしろ誘蛾灯(ゆうがとう)の如く良からぬ輩を呼び寄せる要因になりかねない。

 もう数刻も遅ければ食事を終え、火も適当に消すことができたはずだ。1人ならば火を絶やせば、獣に襲われるのが怖いが2人なら交代で寝ずの番をすればいい。


 運が悪かったといえばそこまでだが、それで割り切るほどファイは殊勝(しゅしょう)な性格はしていない。諦める気は微塵も無かった。

 ファイに勝ち目があるとしたら、隣の少年。


「ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ……ダメだな、オレじゃ10人前後ってことしか分からない」

「……アンタ、この暗さで分かるのかい?」


 ファイも結構な数がいることは察している。があくまでそれは経験則や知識から来る予想に過ぎない。イーワンは違う。この少年がひどく常識外れなのは既知である。


「なんとなくはね。正確な場所とか数とかは分からないさ」


 本職じゃないし、と言って銀棍を構えるイーワンは自然体だ。

 適度な脱力。この状況で過度な緊張をせずに、狼狽えないというのはそれだけで余力のある証拠だ。命の危険を感じながら平常心を保つことが出来るのは並大抵のことではない。


「ま、ここはオレに任せてよ」

「アンタねぇ、この期に及んでまだカッコつける気かい!?」


 ファイは思わず怒鳴るが、イーワンは肩をすくめるだけでまるで相手にしようとはしなかった。そんな態度にファイの苛立ちは高まる。

 もう一度、怒鳴りつけてやろう。そう思って息を吸ったファイに先んじてイーワンが声をかけた。


「オレはこういうの、慣れてるからさ」


 わずかに硬質さを帯びたその声にファイの怒りは行き場を失う。

 当たり前のように話すイーワンはまるで世界からぽっかりと浮き出したようだった。目の前に、手を伸ばせば触れられる距離にいるのに、イーワンの存在感はひどく希薄だった。

 気配を消しているのではない。浮世離れしていた。そこにいるはずなのにまるで現実感がない。


「……アンタ、いったい何者なんだい」


 ぽつりと口から零れたのは疑問。

 カルハ村で何度も繰り返した問い。その度にイーワンはのらりくらりと誤魔化し、答えようとしなかった。

 そして、今も。

 イーワンは銀棍を構えて、腰を落とす。その所作に淀みは無く幾千、幾万回と繰り返しただろう積み重ねが見てとれた。

 ちらりとファイに投げられた視線はひどく申し訳なさそうな色があり、口元は苦笑の形に歪んでいる。


誓技(せいぎ):<殿(しんがり)栄誉(えいよ)>」


 その笑みはイーワンの明らかな拒絶だった。

 そして、イーワンがその言葉を口にした瞬間、戦況は一変した。


 盗賊たちは圧倒的な強者だったはずだ。

 状況は何も変わっていない。イーワンが銀棍を構えた、ただそれだけで。

 立場が逆転したのをファイは感じた。


「うぁ……! うわぁぁアアァッ!!」


 恐慌の叫びと共に物陰から盗賊の1人が飛び出す。

 その手には歪みだらけの粗悪な長剣が握られている。飛び出た盗賊の瞳はこの暗闇の中でも分かるほどに恐怖に揺れている。

 まるで、目の前の少年――イーワンを倒さなければ、殺さなければ殺されるのは自分だと言わんばかりの勢いだ。叫びは恐怖を意味する悲鳴であり、その剣には鬼気迫る迫力があった。

 恐慌状態の男に釣られて、周囲から続々と盗賊の仲間たちが続く。手にそれぞれの凶器を握りしめ、一斉にイーワンへ飛び掛かった。


「危なっ――」


 ファイの警告は間に合わない。

 言葉が意味を為す前に、イーワンが動いた。


 肉を打ち、骨が砕ける音が闇に響く。遅れて、


「腕、俺の腕がァァーっ!!」


 武器を持っていた手首を抑え、最初にイーワンに飛び掛かった男が崩れ落ちる。激痛によって手から落ちた長剣が地面に転がった。

 イーワンはその場から一歩も動いていない。しかし銀棍の位置は大きく変わっている。まるで振り抜かれたかのように。


「平均レベルは30……ないな。いいトコ、20台後半か。やれやれ……ウォーミングアップにもなりゃしない。白晶犀の方がマシだ」


 ひゅんと銀棍が風を切る音がした。 イーワンは倒れた盗賊たちには目もくれず、銀棍を構え直す。

 さぁ、早く来い。そう言わんばかりに。


 その場にいる誰もが息を呑む。

 ファイも、恐慌していた盗賊たちでさえ動きを止めた。言葉はなくても、誰もが理解したのだ。この場において、誰が一番強いのかという単純な事実を。


 イーワンがやった事は単純だ。 

 切りつけられる寸前、大上段に振り上げられた剣が振り下ろされる前に、それよりも早く銀棍の一撃が盗賊の手首を折り砕いたのだ。

 目にも止まらぬ一撃。

 イーワンが行ったのはまさにそれだ。一歩離れていたところから見ていたファイにさえ、目で追う事すらままならない。眼前で、それが振るわれたなら身じろぎ1つ出来やしないだろう。


「さて、さっさと終わらせよう。せっかくの夕飯が冷める」


 そういってイーワンは空いた手を虚空に伸ばす。目に見えない何かを掴むようにして、静かに囁いた声をファイは聞きとることが出来た。


誓技(せいぎ):<報復(ほうふく)縛鎖(ばくさ)>」


 イーワンが何かを投擲する。ガラガラと連なる金属音にファイはその正体を看破する。

 放たれたのは鎖だった。

 何も無かったはずの空間から鎖が伸び、それがイーワンの手によって宙を舞う。鎖は闇に透ける。金属の質感でありながら半透明なのだ。

 そしてイーワンの手を離れた鎖はまるで蛇のようにうねり、空中を這う。その数、11本。


「捕まえたぜ?」


 ぎしりと、鎖が響く音と共にイーワンは鎖を引き寄せる。すると鎖を胸元から生やした盗賊たちが各々潜んでいた場所から引きずり出される。その手には粗末な弓を持っており、この男たちがファイに向かって矢を放ったのであろうことは容易に察せられた。

 男たちの表情は恐怖に歪んでいる。ある者は胸から突如生えた半透明の鎖に戸惑い、なんとか外そうとするがその手は鎖をすり抜け、宙を切る。


「無駄だよ。コイツは実体がない。ただオレが攻撃を受けた相手を引き寄せるだけの(スキル)だ。STRが高ければ抵抗も出来るが……お前らじゃ無理だろうな」


 イーワンはそう言って再び片手で鎖を引き寄せた。それに伴い、鎖を受けた男たちがバランスを欠いて地面に転がる。

 男たちは怯えた表情で顔を上げ、鎖を見つめ、そしてその先にいるイーワンを見て、息を吐く。その吐息はひどく重く、まるで手放した希望が息と共に霧散してしまったかのようだ。

 イーワンは笑みを浮かべる。


「このオレの前で女に手を出そうとしたんだ。それ相応の覚悟は当然……あるんだよな?」


次回、「ただの女好き……じゃダメ?」

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