後編=3-1-2
百年前。村は、それは酷い有様だったらしい。
絶えない近隣の村との戦争、飢饉、伝染病。考えられる限りの不幸が、村に降りかかっていた。
それらから守護する神が居ない中、フェルスは生まれた。
この世界では稀に、魔法を使える人間が生まれる。
その人間を人々は魔法使いと呼んだ。魔法使いは、通常一種類の魔法しか使えない。
フェルスもまた、一種類の魔法を持って生まれてきた。
食べた人間の魔法を吸収する、という魔法を。
その力を使いさえすれば、複数の魔法を使うことも可能となる。
人々は、フェルスに魔法使いを食べさせ、魔法を次々に吸収させた。
魔法使いを手当たり次第に。フェルスの村人、隣の村の人間、極稀に訪れる旅人全て。
「で、ある程度食事を――魔法を吸収したら、俺は村を復興させた。
病気を治し、土地を癒し、豊作をもたらし、周囲の村を吸収してフェルス村を大きくした」
フェルスの力により、村は平和を取り戻した。
しかし、食事はそれ以降も続いた。正真正銘の神が、村を囲う山々に居たからだ。
力があるだけの人間でしかないフェルスでは、到底立ち向かえないほど強い神々が。
村人達は、神々がいつ気まぐれで村を滅ぼさないか危惧していた。
将来起こるか分からない危機の為に、フェルスは食事を続けた。
「で、お前達はその俺の食事っていう訳だ」
そう告げるフェルスは、やはり何の感情も感じさせない。
その姿は、ただひたすらに痛々しい。
「隔離されてるのは、下手に感情移入してしまわないようにするためだ。
いざ食事の時に、邪魔をする者が現れないようにするための処置でもある。
以上が、お前達の置かれている状況だ」
「じゃあ、多くの犠牲の上で村人はぬくぬくと暮らしている訳か。
いいご身分だな」
マオは、そう感想を述べた。言葉に棘があり、怒っているのは間違いない。
ランカもその気持ちを理解することは出来たが、抱いた感想はまったく別の物だった。
ほんの少しだけ、ランカはほっとしたのだ。
ランカは、自分が何のために生まれてきたのか少しだけ悩んでいた。
家から出ることなく、ただ死んでいくだけの人生。そこに何の意味があるのかと。
それが、今はっきりしたのだ。村の生贄としての役目をランカは生まれながらに与えられていた。
なら、ランカは果たそうと思った。
そこまで考えて、ふとランカの頭に疑問が浮かぶ。そして、それを口にした。
「効率を重んじるなら、生まれてすぐに食べた方が楽なんじゃ?」
生まれて成長するまで、面倒見たところでなんの得もしない。
いっそ生まれてすぐに食事を行った方が、その後の手間が省かれる。
ランカの問いに、そうだな、とフェルスは同意した。
「お前達も俺が守るべき村人だからな。ちゃんと一生を過ごして欲しいんだよ。それが幸せかどうかまでは保障しないけどな。
要するに、俺のわがままだ。だから、俺がお前達の面倒も見ている」
「なんで、お前はこれを普通に受けいれられるんだ。お前だって被害者だろう」
マオが少し怒った様子で、フェルスに言った。
その言葉には、フェルスに対する心配も多く含まれていた。
「私は、加害者だろう」
とぼけた風に、フェルスが答える。
それが本心でないことは、ランカとマオには簡単に見通せる。
「あんな感情を殺したみたいな喋り方。無理して平静を装うとしてるのが、バレバレじゃないか」
それは、フェルスが存在を知りながら、隠そうとした事実。
突きつけられ、フェルスは声を上げて笑った。ひとしきり笑った後、肯定する。
「ああ、そうだよ。だが、俺が何を思っていようが関係はないんだ。
俺は役目を放棄すれば誰にも必要とされなくなるし、生贄達の死も俺は無駄にしてしまうことになる。
なら、村人達の望むよう踊るしかないじゃないか」
ランカは、再びフェルスを人形のようだと思った。
先程のような感情がないという意味ではなく、操り人形という意味で。
村の望むように踊り、踊らされる、操り人形。
「お前達が生贄になるのは大分後だ、それまでは今まで通り暮らそう。
夕飯何がいい?」
いつも通りの雰囲気で、フェルスは二人に訪ねる。
事件が起こったのは、それから十年後の事だ。
フェルスは魔法を上手く操ることができなくなって、度々暴走させてしまっていた。
常に魔法を行使していたのだ。疲労が目に見える形で現れたのだろう。
結果として、地震が起き、豪雨が続き、疫病が流行り始めた。
その事態を終結させる方法として、村はランカの食事を決定した。
ランカの魔法は、周囲の人間の魔法を操るもの。
それを吸収し、他の魔法使いの力を操ることで、フェルスにかかる負担を軽減させようというのだ。
「本当は、食事はもっと後だったんだけどね」
申し訳なさそうに、フェルスは謝罪した。
ランカは、別にいいよ、と答える。
「それが、私の役目だからね」
そう言ってほほ笑むランカに、フェルスはどこか安心したような表情を浮かべた。
それから、提案する。
「ランカは外に出たいかい?」
「そうだね。最期に私が守る村は見てみたいかな」
そして、ランカとフェルスは村へと出た。
村人達の冷たい視線を受けながら、二人は村を歩いていく。
それにランカは何の感情も抱かなかった。守るものがなんだって、ランカは良かったのだから。
しばらく歩いて、ランカは神社へと戻ってきた。多くの村人達と共に。
緊張した面持ちで、ランカ達は本殿の地下へと入っていく。地下には、様々な調理器具と解体器具があった。
壁や床には血の跡がある。ランカは思わず息を飲んだ。
「心配しなくても痛くしないよ」
フェルスはそう言って、ランカに湯呑をさしだした。
苦しませることなく、人を死に至らしめる毒が入った水を。
ランカは躊躇いながらもそれを受け取る。そして、大きく息を吸って覚悟を決めた。
その時だった。地下に悲鳴が響き渡ったのは。
ランカはとっさに悲鳴のした方を見る。村人の一人が突然血飛沫を上げて、倒れていった。
混乱が広がり、他の村人達は逃げようとする。
その内の一人の背中に、突然刃物の切り傷刺し傷が現れる。傷はどんどん増えていき、やがてその村人は絶命した。
何もないのに、誰も居ないのに、斬られ刺され殺されていく村人達。
ランカは悲鳴を上げ、思わず湯呑を落とした。逃げようとしたが、体がまったく動かない。
助けを求めるようにフェルスを見ると、彼は穏やかな表情でその光景を眺めていた。
やがて全ての村人が死ぬと、何もない場所に向かってフェルスは語りかける。
「村を滅ぼすつもりか、マオ」
「ああ、そうだよ」
そう答えて、マオは姿を現した。
マオの魔法は、記憶や認識を操作するもの。その魔法で、マオは姿を消し、村人達を殺したのだ。
「お前には、感謝している。
だけどそれ以上に、俺はこんな村の為にランカを犠牲にしたくない。
だから俺は、お前を殺す」
マオは淡々とそう語り、血塗れたナイフを構えた。一切の感情を感じさせないその姿は、いつかのフェルスを彷彿させた。
再び、マオは姿を消す。フェルスは抵抗しなかった。
静かに、ナイフがフェルスの体を貫く。
フェルスの魔法が暴走し、村中に呪いがばら撒かれていく。
村中から悲鳴が聞こえ、地震が起きる。
村人が死んだのも、土や水が汚染されたのも、地盤が緩んで地震が多発するようになったのも、恐らくはこの時だろう。
ランカはとっさに魔法を使い、それを抑え込もうとした。けれど、ランカとマオを守るのが精一杯だった。
フェルスが微笑を浮かべ、マオが居るのであろう場所へと手を伸ばす。
「お前達は、もう死ぬ必要がない。だから、これからは自由に生きて幸せになれ。俺の分も含めて」
そんな願いを口にして、フェルスは絶命した。
それから何があったのか、ランカは知らない。力の使い過ぎで、気を失ってしまったからだ。
けれど、想像する事はできる。
村を囲む山の神は、汚染された村から山を守るために結界を張っているはずだ。
ランカとマオは、既に村の空気に汚染されてしまっている。
だから結界を通れず、村から出られない。
仕方なくマオは、ランカに真実を隠すために、そしてフェルスの最期の願いを叶える為に、幻覚を見せた。
けれど、いつまでも魔法は使い続けられない。
結果、ランカは全てを思い出してしまった。
「私はね、あのまま死んでも良かったんだよ」
全てを思い出したランカは、そう語りかける。
背後に立つ、マオに向かって。
ランカが振り返ると、マオは疲れた様子で家の壁に寄りかかっていた。
「俺は、お前に生きていて欲しかった。世界には四人しか居ない。
俺はお前とフェルスを天秤にかけて、お前を選んだんだ。
だけどお前も、こんなくだらないものを守ろうとしてたんだな」
声に疲れを見せながら、マオはそう言った。その顔には、不快感が浮かんでいる。
ランカは静かに首を横に振る。
「正直、村はどうでもいいんだ。私は、ただ生まれてきた意味を知りたかっただけ。
それがこの村の為に死ぬことなら、それはそれで構わないと思っていた。
フェルスやマオも守れたし」
そう言って笑うランカに、マオは困った顔をした。
「俺は結局、お前も守れず、不幸にしただけなんだな」
小さくマオは呟く。
激しい後悔と罪悪感が、今彼を襲っていることだろう。
ランカはマオの手を握る。マオは少し驚いて、ランカをマジマジと見た。
「今だって、そこまで悪くはないよ。
昔より少しだけ、私達は自由なのだから」
表情を曇らせるマオに、ランカは軽く微笑んだ。
「仕方ないから、マオの罪を一緒に背負ってあげるよ。
一緒に生きて、死んでいこう」
マオを独りにしない為に、生まれてきた。
ランカは、そう思う事にした。
結局のところ、ランカは生まれた意味がなんでもいいのだ。
ただ意味さえあれば、生きていていいと思える。
それだけで、幸せなのだ。