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0.プロローグ

「僕を――――と言うのなら、……僕の手で、君を殺してあげる……」


 ゆったりとした動作で、彼は日本刀らしきものを私の首筋に宛てがう。そのとき、少しかすれてしまったのだろう、ピリッとした痛みと共に、つうっと一筋の血が流れた。

 彼のその姿が様になっていて恐い。そもそも、彼はふざけてこういうことをする人ではない。彼は本気だ。本気で私を殺そうとしている。

 私がそう結論付けると、頭から一瞬で血の気が引いていった。 足がすくみ、床にへたりこみそうになるのを歯を食いしばって耐える。私の体はガタガタと震えだし、目尻には自然と涙がたまっていく。刃が少し食い込んでいるため、刃も一緒に震え、カタカタと音を出している。他に物音一つのしないこの空間に、その音は異様に空しく響き渡っていた。しかし、私の恐怖はそんな音よりも振動により彼にダイレクトに伝わっていることだろう。

 何の感情も表さずにただただ私の首に切っ先を向けてくる彼。

 こわい。こわいこわいこわい! いやだ、何で、どうして! 私が彼に何かした? わからない。私は何も思い当たらない。ねぇ、どうして彼は私を殺すというの? わからないわからないわからない。


「……あぁ、大丈夫。心配しないで? 君を殺して、君の血肉を食べ、君と"一緒"になったら、僕も君の後を追うから。……先に逝って、僕を待っていて?」


 私の震えをどう受け取ったらそういう結論にたどり着くのか、彼はこの場には似つかわしくない微笑みを浮かべながら、悠然とそんなことをほざいた。その微笑みはこんな状況でなければとても安心する笑みだった。その笑みに何度も助けられた覚えがある。だけど今はただ悪寒しか感じない。


「それじゃあ、また会おうね、……杏子」


 彼は独りで勝手に話は終わりだとばかりにそう言うと、私の首筋に当てていた日本刀に少しずつ力を入れ始めた。よく手入れがされていて切れ味がよく、特に抵抗もないようでスッと刃は私の喉の肉にどんどんめり込んでいく。

 耳鳴りがする。呼吸も徐々にしづらくなり、視界が赤黒く霞み始めた。恐怖と倦怠感で立っていることが辛く、とうとう床にへたりこんでしまう。

 それでも、私はまだ死んでいない。まだ思考することはできるし、かろうじて手を動かすこともできる。しかし、それも時間の問題だと言えるだろう。

 一瞬で逝かせてくれないあたり、彼の性格の悪さが滲み出ているような気がする。私はぶくぶくと膨れ上がるどす黒い怒りを瞳に宿し、彼を思い切り睨み付けた。

 このっ、鬼畜! 死んだら会えるわけないでしょう!? 人殺し! 明日は私の誕生日だったのにっ!!


 しかし、 私が抱いていたそんな怒りも彼の顔を見た瞬間、完全に霧散してしまった。私は、私が苦しんでいる様子を彼は楽しみながら眺めていると思っていた。だが彼は、先ほど浮かべていた安心させるような笑みを完全に無くし、むしろ、表に出そうになる感情を必死に隠そうと、無理矢理顔に笑みを貼り付けたような痛々しい表情で私を見つめていたのだ。それはなんとも滑稽な表情だ。自分の気持ちを押さえつけて、一体何になるのだろう。

 その時、ふと私はその表情に既視感を覚えた。

 何だろう。この感じ……。私はこれを知っている?


「ねぇ、どうして僕なんだろう。僕は望むことすらしてはいけないの?」

 ――ねぇ、どうして僕なんだろう。僕は望むことすらしてはいけないの?


 自分の吐いたセリフを聞いて余計に自覚したのか、彼は隠そうとした感情を抑えきることができずに、とうとう顔に貼り付けていた笑みは剥がれて顔が苦痛に歪む。


「何でだよ! 何で何で何でっ!」

 ――何でだよ! 何で何で何でっ!


 声を荒げて必死に何かを訴えてくる彼を見て、私はとても悲しくなった。彼に向かって手を伸ばす。もうそんなに力は残ってないのか、腕はプルプルとみっともなく震えているし、完全に肘を伸ばすことはできなかったけれど、少しでも彼に近づきたかった。彼の役に立ちたい。そんな場合ではないのについそう思ってしまうほど、彼は辛そうに泣き叫んでいた。


「僕はっ、僕はただっ!!」

 ――僕はっ、僕はただっ!!


 彼を助けたいと思う自分と、やっぱり私はこれを知っていると冷静に考えている自分がいる。

 既視感を持ってから今まで言われた彼のセリフは、一言一句間違うことなくタイミングもほぼ同時に全く同じセリフが私の脳内に響き渡っている。どうして私は彼のセリフを知っているのだろうか。激しさを増す耳鳴りの中、意識が遠退きそうになるのを耐え、何とか言葉の続きを拾おうと、耳に全神経を集中させた。


「僕はただっ、君に!」

 ――僕はただっ、君に!








 愛されたかった、だけなんだ……!




 この言葉を発したのは、目の前で私以上に苦しそうにしている彼なのか、それとも私の脳内で響いていた声なのか、もう私にはそれを判断するだけの力は残っていなかった。

 少し気掛かりな疑問を背に、私の意識は暗く冷たい闇に飲まれていった――――





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