断罪だけが復讐じゃなくってよ
十数年前。王立学院の卒業パーティーで“それ”は行われた。
「ルイーズ・プルシャンブルー!!俺は貴様との婚約を破棄する!!」
パーティー開始直後に叫ばれたその宣言に、周囲は驚かなかった。卒業パーティーの際に婚約破棄を叫ぶのはよくあることなのだ。だから教師や家から再三注意喚起がなされる。と言っても大抵の貴族令息、令嬢ならば公の場で婚約破棄など叫ばない。それがどれだけ自分にとって不利なのか理解しているからだ。
それを理解できない者が叫ぶ。ある種の卒業試験だ。
その年の"理解できない愚か者"は…ファビアン・ブルマルマーニ伯爵令息だった。
ブルアルマーニ伯爵家の次男で、プルシャンブルー子爵令嬢、ルイーズの婚約者だ。プルシャンブルー子爵家は二人姉妹のため、長女であるルイーズが婿をとり、跡を継ぐ予定だった。妹は同じ子爵家令息と婚約中である。
次男で、継ぐ爵位がなく、平民になるしかないファビアンのために組まれた縁談。それをファビアンは壊した。
「婚約破棄…ですか。わたくしとの婚約を破棄して、そこのオパラン男爵令嬢とご結婚なさるおつもりで?」
エロディー・オパラン男爵令嬢。ファビアンが想いを寄せ、口説いていた令嬢だ。ファビアンは当主教育を受けているルイーズを可愛げがないと思っていた。ルイーズは普通の令嬢のように、茶会を開き、情報収集という名の噂話に身を投じるだけではいられない。女の身で領地を守らねばならない。多少の令嬢らしさは捨てざるを得なかった。
だから庶子であり、淑女教育の途中だったオパラン男爵令嬢が新鮮だったのだろう。コロコロと変わる表情。貴族らしからぬ距離感。無邪気といえば聞こえはいいけれど、貴族としてはただのマナー違反でしかない。なのに…。
「そうだ!そしてプルシャンブルー子爵家は俺たちで継ぐ!急に住処を奪われるのはお前も困るだろう。下働きならさせてやってもいいぞ!」
この発言である。プルシャルブルー子爵家を継げるのは血縁であるルイーズだけ。
もしルイーズが継げなくなったとしても、妹が継ぐ。ルイーズと結婚すればファビアンが形式上の当主になるが、事実上は違う。血縁はルイーズ。ファビアンもオパラン男爵令嬢も、子爵家に血縁は持っていない。乗っ取り発言以前の愚かさっぷりである。
愚かな発言が重なり、ファビアン有責で婚約破棄が決まった。慰謝料問題に、乗っ取り発言も相まって後処理は長引いた。
家同士の処理は長引いたものの、ルイーズ本人はファビアンに何も望まなかった。婚約破棄ではブルアルマーニ領の領民が苦労するからと、婚約解消ということにして、表向きは穏便に済ませよう。廃嫡も望まない。
ルイーズが新たに婚約を結んだときにはファビアンの婚姻も望んだ。
あんな発言までした貴族の末路としては甘い。
その甘さが裏を読まれ、恐れられた。誰に命じられたわけでもなく、“あの事件”と言い、言葉を濁すようになった。口に出したらいけないような気がして…。
そして以降、二度と卒業パーティーでの婚約破棄は行われなくなった。
「…なんてこともあったのに、今やお前が二児の父親とはなぁ」
ファビアンはその日、当時学院で親しかった者たちと数人で飲みを交わしていた。その時ひとりが懐かしむように声をあげた。その声で当時を思い出したらしい。話題は政治から学院時代の思い出へと移った。
「“あの事件”な」
「おい、やめろよ。口にするのも恐ろしいんだから」
「プルシャンブルー子爵令嬢…いや、今は子爵か。彼女が温厚だったおかげだな」
各々好き勝手なことを言い出す。ファビアンとしては思い出したくない黒歴史のため、すぐに話題を移したかった。けれど友人たちは止まらない。貴族間で“あの事件”は暗黙の了解で口にしてはならないはずだけど…。どうも酒の進んだ友人たちは止まらなかった。
ファビアンはあの日の黒歴史と向き合うことになった。
あの日、あの婚約破棄宣言の後。
ファビアンとルイーズは両家合同の親族会議の場にいた。元々卒業祝いと顔合わせを兼ねたディナーの予約がされていたから。集まるのは容易だった。
祝いの場とされていたはずのレストランが地獄のような空気を生み出す中…ファビアンはどこか他人事でいた。
親たちが謝罪や慰謝料の話をする中、兄ふたりから事の重大さを教えられていた。
子爵家を乗っ取ろうとしていたと思われた。あの発言でブルアルマーニ伯爵家は一族諸々職も、地位も、家族も、命さえも失いかねなかった。兄ふたりに言われるまで、分かっていなかった。理解したところでもう遅いのだけれど。
慰謝料や罰の重さはルイーズが決めていい。
そう言われたルイーズが望んだことは誰も予想しなかったことだった。
「慰謝料も罰も望みません。婚約は解消としましょう。両家合意の解消であれば慰謝料の義務はありません。彼を平民にすることも望みません。両家が疎遠になることもです。子どものトラブルで害を受ける領民はたまったものじゃありませんもの。私は何も望みません」
両家の両親はそれでいいのか何度も問うた。それでも彼女の気持ちは変わらなかった。
婚約の解消を公表し、貴族籍からファビアンは抜かれなかったが、けじめとしてブルアルマーニ家使用人として働くことになった。両家の縁は切れないまま、ファビアンとルイーズの別れだけが残り…。最初、ブルアルマーニ家はファビアンを結婚させる気がなく、一生使用人として働かせるつもりだった。しかしそれもルイーズは拒否した。
「私は私で結婚いたしました。ファビアンもいい歳ですわ。ご縁があれば結んだ方がいいでしょう」
その言葉でファビアンの縁談が結ばれることになった。離婚歴のある男爵家出身の、年上の女だ。決して給料がいいわけじゃないけれど、伯爵家で住み込みで働くファビアンについてきてくれ、同じく伯爵家でメイドとして働いてくれている女性。子宝にも恵まれ、ふたりの娘と共に幸せを感じる日々。
あんな事件を起こした男の末路とは思えない結末だ。
「にしても、プルシャンブルー子爵は心の広い方だよな。俺なら平民になることを願うよ」
「俺もだな。相手の令嬢は修道院に送るし」
「そのどれも望まないのだからすごいよな」
「でもさ、皆忘れてない?」
「プルシャンブルー子爵といえば女性なのがもったいないくらいの優秀な当主だよ?何もないなんておかしくないか?」
友人の言葉に全員が息を飲む。
爵位を継いだもの。婿入りしたもの。肩書きはどうあれ貴族として、当主として、税を納めるものたちだ。優秀な当主の話などいくらでも耳に入る。情報に疎いものから淘汰されていくから。だからルイーズの当主としての能力や子爵領の話はよく知っている。社交の場に出れば注目の的だから。
誰もが知るルイーズ・プルシャンブルーは手段を問わない。それでいて失敗もしない。ファビアンの黒歴史を笑うばかりに集中していて、誰もが忘れていた。あのルイーズ・プルシャンブルーならば自分の望む未来を作れたはず。それなのに何もしないどころか、貴族籍からの除籍すら望まないなんて。
「…温厚、だから…」
「そ、そうだよ…きっと女神のように優しいんだ…」
「その女神が復讐を考えていたら怖いけどね」
「っ!!悪い、俺、仕事を残していたんだった…!」
「お、俺もっ」
「すまない、用事が…」
何かに怯えるようにファビアンとひとりの友人以外が立て続けに席を立った。ファビアンも席を立ちたかったけど、足がすくんで動けなかった。
もし、もしも。彼女がまだファビアンを許していなかったら…。考えこんでいる間に、最後の席を立つ音が聞こえる。
「みんな急用らしいから、今日のところは解散しようか。また近い内に集まろう」
「あ、あぁ…」
執事に馬車を頼んでいる友人に目を向ける。トリスタン・ヴィオレット。今日はトリスタンの一声で集まることになった。ファビアンはもう表向きには貴族ではないから、社交の場に呼ばれることはない。しかしトリスタンの呼びかけで集まる会に、立場が変わろうと友人だからと招待されたのだ。それを伝えたのは別の友人だったけど。
そういえば、ルイーズの結婚した相手は…。
トリスタンは確か、婿入りを…。
「またね、ファビアン」
店の外に見える家紋は…プルシャンブルー家のものだった。
「機嫌よさそうだね」
「えぇ、とっても」
これ、見てちょうだい。ルイーズが指差すのは新聞だ。
<"あの事件" 本伯爵家次男・自死か>
表の紙面を飾るのはそんなタイトルで。元貴族の男が亡くなったニュースだった。丁寧に当時の事件のことまで書かれていた。
「ルイーズ、お疲れ様」
「ありがとう。こんなに早く終わったのはトリスタンのおかげだわ」
「そんなことない。君が頑張ったからだよ」
トリスタンはルイーズの頬に触れるだけのキスを落とす。お返しと言わんばかりのハグを返し、2人は幸せを感じた。
「それにしても3ヶ月か。持たなかったな」
「あの人、本当は気が弱いのよ」
事の真相はこうだ。
ルイーズが浮気され、公の場で婚約破棄を言い渡された。恥をかかされた復讐をしたい。そう願ったルイーズはファビアンに罰を求めなかった。家を乗っ取られかねない発言をされてまで平民に落とさなかったわけ。それは…。
「罰を与えないことが罰だなんて。皮肉だね」
「あの人は弱いもの。普通の暮らしを手にして、過去を過去として思えるようになって、酒の場で誰かが口にしてしまうくらいの時間が経ってからその怖さを指摘すれば、勝手に疑心暗鬼になるわ。むしろ3ヶ月も持つとは思わなかった」
ファビアンは元来大人しい人間だった。それが恋をして、あそこまで大きくなってしまった。それは愚かな選択をしてしまうほどに。
「小説だったら断罪のひとつもするものでしょうけどね。ただ断罪したってしょうがないと思うのよ」
「断罪だけが復讐じゃなくってよ」
そう笑ったルイーズの顔は、恐ろしく綺麗だった。




