6.人間は人間に接触する
「つまり、まとめますと?」
・力いっぱい暴力を振るいたい
・手ごたえのある抵抗をしてほしい
・知性があって悲鳴をあげる生き物を相手にしたい
・狩りは何か違う
・強さを誇示して褒めたたえられたい
「……ってことですね?」
だいぶマイルドな表現に変えたけど、まあまあ酷い文言が並んだな……
深海ドボン事件から一夜明けた今日。いつもの会議室。
私の右前にヴェンス課長。左前にセト君。テーブルの真向かい、三メートルくらい離れた先に、縛り上げられたままのセレンさん。
私の真横に魔王様。ええ、なんか私、魔王の横に座らされてます。席が急遽設けられました。これは魔王の次点の上座にあたると思われる。提案された時は正気を疑った。だけどセレンさんとの話し合いをするなら、このポジションでないと許可しないと言い切られてしまったのだ。守るために近くでないといけないと。最初は膝の上に乗せるなんていう、とち狂った案まで出されていたのだから、だいぶ常識的な範囲で落ち着いた。ヴェンス課長、そんな目で見ないで。私は必死に抵抗したんです。
ちなみに、この場に連れてこられたセレンさんは一言目にひどい暴言を吐いたようで、すぐさま魔王に口を封じられた。正直、声が大きすぎて私には何も聞き取れなかった。その後は小声でしか話せないように魔法で制限され、彼女が話をするたびにセトくんがわざわざ聞きに行ってはこちらに伝えるという、面倒な伝書鳩役をやってくれたのだ。まともな意見を聞きだすのに三十分かかった。いや、これらの意見がまともかと言うと、ちょっとあれなんだけど。
「……一番最後の要求は、英雄志向と捉えられなくも無いんですが……」
とくに前三つがなぁ。
しばらく思案する。彼女はたぶん、凶暴性を捨てられない。説き伏せたって無駄だろう。そういう生物的個性なのだ。もし敵が攻めてくるような時代背景なら、本当に英雄として讃えられる資質だったはずだ。この個性を一概に批判はできない。少なくとも身内には牙をむかないという理性があるし、この欲求の発散場所が無いだけなのだ。できることなら、そういう人材が活躍できる場も提供してあげたい。
何か、やっつけても構わないような敵がいればいいんだけど、狩りは何か違うということだし。結局人間を襲いたい、と言っているに等しい。
「やはり、こういう気質の者は消すか?」
「トップがそういうことすぐに言うのはやめませんか。あなたが守るべき魔族には、彼女たちも含まれるはずです」
そう言いながら気付いた。そう、彼女たち。複数いるのだ。
「セレンさんは、強い相手と戦いたいんですよね」
前を向いてそう言う。彼女は私の方を訝しげに見るだけで、何も反応しない。
「複数の魔族に取り囲まれて、それを相手取るのはどうですか?」
金色の瞳が見開かれ、心なしか輝いている。
「定期的に、強い相手と真剣勝負ができる、そして勝者は称えられるというのは?」
キラッキラしてる。
うん……これしかないんじゃないだろうか。
「魔王様、ご提案が」
「聞こう」
隣の魔王に顔を向ける。
「武闘大会を開催してはいかがでしょう?」
「武闘大会?」
「はい。魔王様主催のもと執り行われる、武勇を競う大会です。開催頻度は要検討ですが……参戦者を募り、試合会場を用意して、そこで戦ってもらいます。初回の成績を見てランク付けしても良いですね。二回目以降は実力の近いもの同士をぶつければ、手ごたえのある試合ができるでしょう」
セレンさんが何か言っている。聞こえない。セトくんが近付いて聞き取ってくれた。
「参加者全員ぶっ殺していいのか、って言ってまーす」
「………」
返事をしにくい。私の感情は、ダメだと言っている。ルールを作って、その範囲で実力を競い合う。そんな風にしてほしい。つまりは、スポーツ。だけど、そのルール内で本当に彼女は納得してくれるだろうか。そんなルールを、部外者である私が作る権利はあるんだろうか。
「殺すな。真の実力者ならば加減はできる」
魔王が気だるげに頬杖をつきながらそう言った。セレンさんの顔がまた不満げに歪む。
「その代わり、優勝者は俺が相手をしてやろう。どんな攻撃も許す。全力を全てさばいてやる」
キラッキラが戻って来た。おお、と感心していると、魔王がこちらを見ていることに気付いた。
「……これでいいか」
ぐ、と息を呑んだ。
「ありがとうございます」
私の案を通すために、わざわざ自分が出張ることを提案してくれた。なんだか、甘やかされている気がしてむず痒い。とてもありがたい、ありがたいけれど……
おずおずと小声で尋ねた。
「あの、魔王様なら楽勝って考えて、大丈夫なんですよね?怪我とか……」
全力を出されて全部受け止めるなんて、いくら魔王が強いとは言っても、本当に平気なのか。ましてやそれを定期開催となると……
意外そうな目で見られた。しかし、すぐに表情が緩んでいく。フッと思わずこぼれたというようなその笑い方は、初めて見た。
「案ずるな」
「そうですか」
なら、いい。
ひとまずの結論が出たので、会議は終了。会場の建設や開催時期については、後日改めて相談する。
魔王は、セレンさんをどこかへ連れて行った。なにがしかのお仕置きをするらしい。詳しくは聞かなかった。あまり酷いことはしないでほしいという希望は伝えてあるけれど、魔族の文化は私には分からない。魔族のルールに則った裁きが必要な場合もある。立ち入りすぎるのは良くないだろう。
「課長」
「なんだ」
部屋を出ようとする背中を呼び止めた。魔王がいない、今のうちだ。
「もうすぐ人間の商人が来る時期ですよね。滞在先などはどうしているんですか?」
この城に迎え入れて歓待するんだろうか。
「滞在先?来て荷を置いたら、すぐに帰って行く。滞在などはしない」
「そ、そんなとんぼ返りなんですか?翌日には出て行くの?少しくらいどこかでゆっくりしたりとか」
驚く私に、ヴェンス課長の方が目を丸くした後、何かに気付いたように『ああ』と声を上げた。
「そういえば、お前も聖女召喚で呼ばれた女なのだったか。腐っても聖女なのだな」
「は?」
違うが?
「普通の人間は、この島には長居できない。魔力が高すぎて、具合を悪くするらしい」
「え」
初耳。
「人間の商人も船はつけるが上陸はしない。荷下ろしをするのはコボルトだ。交渉の際は、私が船に赴いてやっている」
「そう、なんですか……」
「昼前に到着すれば日暮れまでに、遅くとも翌朝には出航している。これでもギリギリだというようなことを言っていたはずだ」
「……人間が魔族の地に攻め入れない理由の一つはそれなんですね」
「そんなものが無くとも、我らが負けるはずもないが」
「……」
本当に、そうだろうか。
いや、いい。そこはひとまず忘れよう。それより……思ったより、チャンスは短い。なんとか人間の商人に接触して、船に乗せてもらわなければ。
「補給なども行わないんですか?」
「あの商人は隠れて動くために迂回ルートを通って入るらしいが、それでもせいぜい片道一日の航路だと聞いている。先代の魔王様が、風の魔法陣を渡してからずいぶん時間が短縮したらしい。補給が必要なほどの船旅にはならんのだろう」
一日か……最悪、貨物室に忍び込んで密航と言う手もあるだろうか。心配すべきは、私がいないことに気付いた魔王が追ってくることだ。どうすれば振り切れるだろう。
「……もういいか?」
「はい、有難うございました」
一か八か。勝負に出ることも必要そうだ。
◇
魔王は、その日の夕方に帰って来た、会議が終わったのは昼前だというのに、長時間何をしていたのだろうか。
「おかえり……?」
「ああ」
私の部屋の椅子にドカッと座りこむ。心なしか疲れが見えた。体と言うより心労だろうか。
「大丈夫?」
向かいの席に座ったまま、そう声をかければ、赤い瞳がチラリとこちらを見る。流し目が似合うな。
「……しばらくは、暴れる気力も起きんだろう」
マジで何してきたんだ。
「暴力的な衝動を持つ奴は、暴力で御するのが一番容易い。体が痛めば、暴れる気力も失せるからな」
「あ、いいです。詳しくは聞きたくないです」
首を勢いよく振ると、顔をそらされた。
「知っている。お前はこういうことが好きではないんだろう」
「……すみません」
私のことで怒ってくれたことは理解している。それなのに嫌がる私は、不義理だろうか。
視線をテーブルに落としていると、不意に視界に影が落ちた。顔を上げてみれば、いつの間にかすぐ近くに魔王が立っている。
「まだ仕事のつもりか?」
「いや……」
頬に触れてくる手は温かい。魔王って、普通に体温あるんだよなぁ。なんか、なんとなく冷たいイメージだったのに。この世界に来て出会った魔王は、何かと想像外だった。
「お酒、今夜は何がいい?」
「……お前の好きな酒でいい」
「わかった」
手を組み祈ることにも随分慣れた。私がいつもどんな思いをかけて酒を呼び出しているのか、この魔王は知っているだろうか。
「ワインか。お前はこれが好きなのか」
「うん……一番気に入ってる」
どこか懐かしい、けれどこの世界に来てからすっかり見慣れたラベルを指で撫でた。オープナーでコルク栓を抜いている間に、魔王がグラスを取り出す。二つのグラスに濃い赤の液体が注がれていく。軽くグラスを合わせる乾杯を教えたのはいつだっけ。たぶんもう、三週間くらい前。
「明日は、何をするつもりだ?」
「この前できなかった、養殖場をやってくれそうな候補者に会いに行こうかな」
「俺が」
「魔王はお留守番ね。街の人達がびっくりするからね。必要なら呼ぶから」
「………」
拗ねるな拗ねるな。
魔王がいない時間は、正直なところ貴重だ。できれば、埠頭までのルートを確認しておきたい。そんな思考が、透けていたわけではないだろう。だけど……
「お前は、まだ元の世界に帰りたいのか」
前置き無く寄越された言葉に、動揺してしまった。飲み込み損ねたワインが気管に入る。首を横に向け、ゲホゲホむせた。
「誤嚥か」
淡々と言うな。教えるんじゃなかったな。
咳で時間を稼ぎながら、考える。どう返事をするのか。いや、考えるまでも無い。
「………帰りたいよ」
嘘はつけなくて、そう言った。魔王の方へと顔の向きを戻す。蝋燭の明かりに照らされて、魔王の目に光がちらつく。その視線が珍しく、床に落ちていた。
「行くな」
小さい声だった。
「そう言われても」
苦笑気味に返す。いつものやり取りだ。そのはずなのに、声がかすれている気がする。
「行かないでほしい」
グラスを持つ手が震えた。魔王の顔を見ようとして、けれどテーブルから視線が剝がせない。
「なに……」
「俺の側にいてくれ」
ゆっくり、顔を上げた。赤い瞳がこちらを見ている。
「……酔ってる?」
行くな、とは。許さない、とは。何度も聞いてきた。知るか、って思ってきた。だけど。
はく、と口が動いて、それなのに声は出なくて。
返事が、できなかった。
◇
「うぁー……ったま痛ぁい……」
最悪の寝起きだった。瞼が重い。これは確実にむくんでいる。頭を持ち上げようとすればガンガンと痛んだ。あ、これは無理かもしれん。とりあえず、水。
枕元の水差しすら遠く感じる。これはもう、召喚するしかない。必死すぎる祈りのおかげで迅速に水とラムネが出てきた。二日酔いにはこれに限る。
ラムネを口に放り込み、水で流し込んだ。起き上がるのがつらい。ゆっくり上体を起こして、テーブルの方を見た。魔王はいない。ホッと息をつく。
昨夜のことを掘り返されるのが怖い。無理やりワインを煽りまくって前後不覚になることで、全てを有耶無耶にした。最低な記憶だ。テーブルの上に置かれたままの、空のワインボトルは五本。意識混濁したのは、次々と無理に召喚して体に負荷がかかったせいもあっただろう。私の記憶では三本までしか開けていなかったんだけど、記憶が無いうちにあけたのか、もしくは追加で魔王が飲み干したのか。
英語が書かれたラベル。それは、二十歳の誕生日プレゼントとして買ったものだった。『初心者にいきなりワインかよ』と苦笑いしていた顔が浮かぶ。
「………遠琉」
シーツの上に、かすれた声が落ちる。
「とーる?人の名前ですか?」
「うん……」
「男の人ですか?」
「うん……ん?」
俯いていた顔を上げる。ベッド脇にトトラが立っていた。目を丸く見開いている。ショックを受けたような顔だ。
「どしたの」
「ゆ、ゆ、ユズハ!その男の人は、魔王様より魅力的なのでしょうか!僕より可愛いのでしょうか!」
「落ち着けトトラ。大丈夫。トトラの可愛さは世界一だから。とりあえず声もうちょい小さくして……」
そうですよね、僕の方が可愛いですよね、僕って可愛いから生まれてますもんね!可愛さの権化と言っても過言ではありません!……なんてはしゃぐ声に苦笑する。はいはい、可愛いよ。
「ユズハ、体が辛いですか?」
「ちょっと、ワイン飲みすぎて……」
「ふつかよい、ですね。ごはんはスープだけにします。まだ横になっていていいですよ」
「ありがと」
とはいえ、横になると頭痛が酷くなる。ベッドの上で体を起こしたまま、水を飲み続けた。トトラが水差しを近くに寄せてくれたので、とりあえずひたすら水を飲む。スープも、行儀が悪いけどベッドで飲む。トトラから許可が出た。
「飲みすぎは駄目ですよ」
「はは、そうだよね。ごめん」
正論すぎて小さくなるしかない。冷やしたタオルを額に当てると、わずかに頭痛が和らいで気持ちよかった。
「どうした?」
そうこうしている間に、隣の部屋から魔王が入ってくる。いつもと様子が違うことに気付いたらしい。魔王は私より飲んでいたはずなのに、顔色も態度もいつも通りだ。
「く、肝臓お化け……」
「よく分からんが、褒めてはいなさそうだな。……病か?俺の魔法は病には効かんからな」
「ただの二日酔いです」
「ああ……いつだったかもそうなっていたな。聖女に叱られたやつだろう」
「うぐ……」
この世界に来てから二日酔いに悩まされるのは三回目だ。ちょっと前にも結構酷い状態になって、キリーちゃんからお説教を受けた。それ以降、飲み方には気を付けてたんだけど……
「コボルト、聖女を呼んでやれ」
「え、いや呼ばなくていい!呼ばないで……」
思わず大声を出したけれど、喉と頭が痛んでしりすぼみになっていく。
キリーちゃんに頼めば症状は楽になる。間違いない。でもこれ、また怒られる。
「……大人しく叱られろ」
「うわあああ……」
頭を抱えた。十分後、ヴェンス課長がキリーちゃんを連れてやって来た。運搬役に抜擢されてしまったようだ。酷い顔色をしているであろう私を見て、キリーちゃんはまなじりを吊り上げ、課長は出来の悪い部下を蔑む目をした。つらい。
◇
数日後。
「どう?」
「たぶん、活着はしてると思うが」
覗き込んだ先には、黒い岩が沈んでいる。その先に小さな海藻がユラユラと揺れていた。丸太のような手足をもつ、マッチョな魔族が石組みを少し変えながら首をかしげている。
「海藻の畑を作るなんざ、考えたことも無かったな」
「初の試みだね。先駆者になった気分はどう?」
「悪かねぇ」
ガハハ、と笑う魔族の名はジャランド。ひげの生えた大男だ。角が生えてたら鬼か何かだと思っただろう。最初にセトくんに紹介してもらった時は怖い印象だったけど、話してみれば案外ほがらかな人物だった。ナギクサの養殖に興味を示してくれたので、今は彼と試行錯誤中だ。
「ユズハ、闘技場の管理者に呼ばれてるから、しばらく離れてもいいかな?」
コボルトと何か話していたセトくんが、私にそう声をかける。
「うん、いいよ」
「任せとけ、こいつは俺が守る」
「はは。まぁ、魔王様の守護があるから、よっぽど大丈夫だと思うけどね」
ジャランドが請け負ってくれたけど、確かに私はめちゃくちゃ強いバリアのようなものを持っているらしい。あの日、髪をつかまれても火に包まれても海の中に落ちても平気だったのは、直前に魔王がかけてくれた魔法のおかげだったようだ。
「まさか魔王様が人間の愛人を迎えるとはなぁ……」
「ジャランド、何度も言ってるけど、私愛人じゃない」
「愛人じゃなけりゃ、そんな守護もらわんだろ」
魔族の中ではそういう認識らしいのだが、違う。
「キリーちゃん……私と一緒にきた聖女にも、この守護はかかってるから」
昨日、キリーちゃんと話した時に守護の話題になり、聞いたのだ。キリーちゃんはこの城に連れてこられたその日に、守護をもらっていたらしい。まぁそりゃ貴重な聖女は最優先に守るよね。
「ああ……守護をうけりゃ、魔王様に危害を加えることもできなくなるからな」
「そうなの?」
「そういう契約だ。でなけりゃ危なくて聖女なんて側に置けねぇだろ」
「それは……そうか」
キリーちゃんは魔王が好きだけど、そんな感情だけをよすがにするのは危険すぎる。心変わりをすれば魔族が全滅しかねないのだから、保険は必要だ。
「ま、その代わり、魔王様の力で守ってもらえる。羨ましいねぇ」
「なるほど。魔王の安全の為でもあるのか」
キリーちゃんはそれが無くても魔王を倒すのは難しいようなこと言ってたけど、魔王もちゃんと考えてたんだなぁ。納得していると、ジャランドが呆れたような視線を向けてきた。なんだ。
「聖女に関してはそうだろうが、テメェは違ぇだろ」
「え?」
「魔王様にとって脅威になる力でも持ってんのか」
……ないな。どんな道具を取り出したところで、私が魔王を倒せる気がしない。最新の科学兵器とかは効くかもしれないけど、出せないし出したくないし。
「なら、単にテメェを守る為のもんだろうが。一緒にしてんじゃねぇ」
「………」
ぐにぃっと口が曲がった。
「ガキか」
「……ジャランド、何歳だっけ」
「百十六だ」
「じいちゃん」
「うるせぇ、俺はまだ孫はいねぇよ」
子どもは居るっぽい。
陽が傾きだした。そろそろ十五時くらいだろうか。ちょっとお腹空いたな。
そんなことを考えながら海をぼんやり眺めていると、何かの影が近づいていることに気づいた。思わず立ち上がる。
突然の動きに気付いたジャランドが、何事かと私の視線を追った。
「ああ、船か」
「近い…」
「おお。たぶん、三十分もすりゃ接岸するだろうよ」
ナギクサの養殖場は、埠頭のすぐそばにした。人間の商人が来た時、目にしやすい場所にあった方が売り込みやすいと思う、なんてもっもとらしい理由をつけて。そのうちもっと適した栽培場所が見つかれば変わるかもしれないけれど、とりあえずこの日まで持てばよかったのだ。私が埠頭の近くにいる理由さえ確保できればいい。ものすごく、自分本位な理由で職権濫用した。
「私、ちょっと挨拶してくるね」
「おいおい、待て。勝手に動かれちゃ困る。セト様に俺が怒られるだろうが」
すかさず腕を掴まれた。大きな手のひらでガッチリ。たぶん魔王の守護がなければ痛かった。
「大丈夫、船の方にはヴェンス課長が来るから、一人にはならないよ」
「なら、その方の迎えを待て!」
ジャランドが想像以上に過保護だ。魔王の愛人認定されてるせいだろうか。不自由な。
「ジャランド」
「なんだ、わがままは聞かんぞ」
「たぶん私の腕掴んでるところ、魔王が見たら怒るよ」
パッと腕が離れた。その隙に走る。
「あ、こら!待て!」
すぐに追いつかれた。羽はずるい。しかし私に触れることをためらっているらしく、ただ伴走してくるだけだ。うーうー唸った後、大きなため息が聞こえた。
「仕方ねぇな……俺もついていくかぁ」
「過保護なじいちゃんは孫に嫌われるよ」
「テメェのじいさんじゃねぇよ!……孫ができたら気をつける」
魔族でも孫は可愛いようだ。
とりあえず止められることは無いようなので、このまま埠頭へ一直線。
「……ユズハよ、テメェまさかそれで走ってるつもりなのか」
「うっさい!」
体育は専門外だ!
息切れしながらたどり着いた埠頭。見上げた船影は夕暮れに染まりだした空に浮かんで、想像より大きく見えた。畳まれた帆には、赤いインクが見える。よく見えないが、広げたら魔法陣になっている気がした。これ、課長が言ってたやつかな。
「おや?」
甲板からこちらを覗き込む人影があった。四十代くらいの男性だ。赤茶色の髪と青い瞳。全体的にふくよかで、いかにも高そうな装飾品をジャラジャラと身につけている。ここ最近、しまった体の魔族ばかり見ていたせいで、その体型がやたらと太って見えた。身につけているものも、正直悪趣味だと感じる。
けれど反射的に覚えた忌避感を飲み込んで、私は笑顔を作る。
「新しい渉外担当の者です。梯子を下ろしていただけませんか?」
少し悩むような時間のあと、梯子が下ろされた。ついてこようとするジャランドを制する。
「だめ。人間が怖がるからジャランドは上がらないで」
「しかし……」
「大丈夫、これが仕事だし、私には魔王の守護があるんだから」
しぶしぶ引き下がったジャランドをその場に置いて、梯子を登って甲板に上がった。船長らしき男を除いて、船員は四人。
全員、こちらを警戒している雰囲気がある。
「ご安心ください。私は人間です」
時間がない。ヴェンス課長が来るまでに話をまとめないと。
「人間?」
「はい。人間の国が聖女召喚を行なったことはご存知ですか?その時呼び出され、しかし魔王に連れ去られたのです」
「お前が……いや、あなたが聖女だと?」
「この島で二ヶ月近く暮らしていた、と言えば信じていただけますか?」
嘘は言っていない。本当の聖女はキリーちゃんだけど、私もなんか不思議な力はあるし、魔力が平気っぽいし。ここはハッタリの使いどころ。
「証拠として、お近づきの印にこれを」
跪いて祈りを捧げ、目の前にガラスのコップを出して見せる。床に落ちる前になんとかキャッチできた。青い、江戸切子のグラスだ。この世界においても高価な工芸品として認めてもらえるのではと思ったんだけど、商人の目の輝きを見るに間違っていなかったらしい。
「それから、これを」
ポケットから紙を取り出し、グラスと共に握らせる。いつこんな機会があってもいいように、ずっとポケットに入れておいた紙はすっかりよれてしまったけれど、文字は問題なく読めるはずだ。
紙を広げようとする商人を制した。
「もうすぐ魔族の担当者が来ます。それは隠して。隠れて読んでください」
そう告げてすぐ、ヴェンス課長がこちらに飛んでくる姿が見えた。商人はすぐにグラスと紙を懐にしまい、部下に指示を出す。コボルトが荷物を運べるように準備をするようだ。
「小娘、なぜお前がここに」
甲板に降り立った課長は、メガネを直しながら私を訝しげに見た。
「せっかく来ていただいた商人さんにご挨拶しようと思って」
「……何を企んでいる?」
失礼な。
ヴェンス課長に近づいて、背伸びをして耳元に顔を近づける。のけぞろうとした肩をすかさず掴んだ。
「金貨の箱の件、装飾品や素材の買いたたきの件、新しい商品の売り込みの件……議題はたくさんあると思うんですけど、私のサポートはいりませんか?」
そう告げると、数秒の間のあと舌打ちが聞こえた。
「……同席を許す」
「ありがとうございます。課長」
能力を買ってもらえていることがわかって、素直に嬉しい。精一杯、魔族のために交渉をしよう。私が残せる、最後の仕事かもしれないから。
◇
船内の一室。ヴェンス課長の隣に座った私は、向かいの商人に満面の笑みを向けた。
「では、今回は大金貨五十枚でお品物をお譲りいただけるということで!ありがとうございます。良心的な商人さんでありがたいことですね、課長」
「ああ。今後も頼む」
「ええ……もちろんです」
商人は、交渉前と比べて心なしか顔まわりがほっそりとしていた。服は汗でぐっしょりだ。
ちょっとやりすぎたか?いやでも正当な抗議だよね。魔族がその気になれば商人さんは二度と陸地を踏まないのに、この商人はそこを忘れてちょっと調子に乗りすぎだった。
本当は今回は無償まで行けないかと粘ったんだけど、『魔獣対策に船のメンテナンスにも金がかかるのにあんまりだ』というような主張を遠回しにされて引き下がった。確かに、輸送費を馬鹿にしてはいけない。
脅しすぎて、今後来てくれなくなるのも困る。だから最後にもう一度餌の存在を思い出しておいてもらおう。
「さきほどお伝えした通り、今後、我が国では人間の国で価値を発揮する商品を色々とご提供できるでしょう。優先販売先はもちろんあなたに。ますますのご活躍を楽しみにしております」
「ええ……もちろんです」
商人の目に少しだけ光が戻った。大丈夫、真っ当な取引さえしてくれれば、ちゃんと美味しいところもあげるからさ。
彼の目は、私を探るようにしている。言いたいことはわかるよ。お前はどっちの立場なのかって話だよね。この部屋に来る前に手紙を読んでいたようだし、『ここから脱出したい』という文面と、今の私の態度がここまで乖離していれば戸惑うだろう。
迷うように商人の視線がさまよった。けれど、腹を決めたように息を吐いて、彼は部下から何かを受け取る。
「この品を、お嬢さんに」
「あら、何でしょう?」
商人が開けた箱には白いレースが収められていた。
「カザンランドの工芸品です。衣装のお仕立てにお使いください。本当はこの後の交易地で取引予定の品でしたが、お近づきの印にお贈りいたします」
「わ……」
ひろげてみたら、ものすごく細緻なレースだった。この世界に機械工場はあるだろうか?糸の始末がかなり綺麗なので、手作業に見える。だとすれば、これは相当高価な品なのでは。
待って、ここまですごいものくれとは言ってない。
商人に渡した手紙の最後には、『私の申し出を受け入れてくれるなら、何か友好を示してほしい』と書いてあった。握手を求めるとか、手紙を送ってくれるとか、それくらいを想定していたんだけど……
内心冷や汗をかきながら商人を見ると、にっこりと笑顔を向けられた。今度は圧をかけられているのは私の方か。なんとか笑顔を返してみせる。
「恐れ入ります。ありがたく頂戴いたします」
大丈夫、分かってるよ。悪いようにはしないって……
商人と別れの挨拶をしながら甲板に出た頃には、すっかり日が暮れていた。甲板では荷物を小分けにして抱えては姿を消すコボルトの姿がたくさんあった。なるほど、荷下ろしにコボルトはめちゃくちゃ便利だな?
それにしても、このやり方だと確かにあっという間に出港準備が整ってしまいそうだ。
若干の焦りを覚えながら梯子を下りると、ジャランドとセトくんが居た。セトくんが困ったように眉を下げている。
「ユズハ、待っててって言ったじゃないか」
「ごめんごめん、どうしても商人さんと直接話したくてさ」
ずっと待ってくれていたらしいジャランドにもお礼を言って、帰ってもらう。
「待たせてごめん。戻ろうか、セトくん」
「……ユズハ。少し歩こう」
抱きかかえてもらおうかと向き合ったところで、セトくんがそんなことを言う。その表情は真剣で、思わず息を呑んだ。
「付き合おう」
何故だか、隣にヴェンス課長まで立つ。二人に挟まれて、囚われた宇宙人のような気分になりながら足を進めた。
「な、何なんですか?」
明らかに二人がおかしい。
「ヴェンス。商人との話はどうだったの?」
「想定上に上手くいった。今回の取引額を押さえられた上に、今後の取引でもこれまでより値引きが期待できる。国庫枯渇の猶予はおそらく三年までは確実に伸びた」
「そう」
セトくんとヴェンス課長が、私越しにそんな言葉を交わす。
「ユズハのおかげだ」
「へ……」
思いがけない言葉に、思わず足が止まりかけた。けれど両側から二人の腕が伸びてきて、私の腕をがしっと掴み、強引に歩かされる。
「わ、わ、わ!」
「生意気だし気に食わんが」
「ヴェンス」
「……新たな知見をもたらしたことは評価する」
足をもつれさせながら歩む中、何とか声を聞き取った。なんだなんだ。もしかして……褒められてるのか?
「セレンのことも。本当なら、あそこで殺されててもおかしくなかった。彼女は少し扱いづらい魔族だけど、その能力は確かだし、慕う者は少なくない。ユズハが止めてくれなかったら、魔王様が余計な騒動に巻き込まれていた可能性もあった」
セトくんを見上げると、ブラウンの優しい瞳が微笑んでいる。
「ありがとう、ユズハ」
それはずるい。じわっと目頭が熱くなった気がして、慌てて視線をそらした。
「私は……そんな。別に……」
「そうだな。まだまだだ」
「ヴェンス!」
「お前はまだまだ、できることがあるんだろう。まだ使えそうだ」
素っ気ない声で素っ気ない言葉が、それでもこの一か月あまりの私の行動を評価してくれている。
「……どうしたんですか、二人とも」
はは、と短い笑いを混ぜて問いかけても、二人から返事は無い。舗装されていない、砂利道。周囲の建物から零れてくるランプのわずかな明かりを頼りに、歩く。不規則な石と砂の並びを、目で追いかけた。日が暮れてもなお温かい風。この島は、ずっと春のようだ。
ああ、向こうは今頃涼しくなってきているだろうか。あれは九月の終わりだった。きっと、もう十月だ。
「あ、そっか」
「ん?」
「私、二十四になったんだ」
そう呟くと、二人の足がピタリと止まった。
「わ、何?」
腕を掴まれたままだったので、自動的に私も止まる羽目になる。
「え、待って。年齢の話?」
「え?うん」
「日食はまだだよ?」
「日食?」
話を聞いてみたところ、どうやら魔族の年齢のカウントは数え年のような感じっぽい。年に一度起きる日食が一年の変わり目で、その日に年を取ることになるようだ。
再び歩みを再開しながら、話を続ける。
「私のいた国では違ったんだよ。自分の生まれた日付けに、ちゃんと年をとるの」
「いつだ」
「本当は十月十一日なんだけど……こっちだといつになるんだ?えっと……私が召喚されたのが確か九月二十一日で……だから、二十日後?」
「ヴェンス、分かる?」
「聖女と小娘が来たのが、青月の二十一日の夜だった。その二十日後なら、紫月の十一日だな」
「わかった。後で魔王様に伝えておく」
「いや、伝えなくていいよ」
何をする気だ。
「………」
どっちにしろ、私は……
不意に、二人がまた足を止めた。風を叩く音が聞こえて顔を上げる。
「魔王」
ゆっくりこちらに降り立つ魔王に合わせて、二人がそっと私から離れた。
「帰るぞ」
「……うん」
手を伸ばす動作も、それを受け入れる腕も、いつしかすっかり馴染んでしまった。必要に迫られて、仕方なく身に着いた習慣だ。それだけ。
ふわりと体が浮かび上がり、私を抱き上げた魔王が一瞬で上昇する。魔王にかかれば、城までの道行きは一瞬だ。
「あのさ、魔王」
「何だ」
「結構、お酒貯まったよ」
「………」
風を切る音だけが耳に響く。
「毎日、コツコツ貯めてたからさ」
お酒を呼び出すたびに、祈っていた。あと何本、いくつ出せば、私の役目は終わるだろうか。この一本一本が、私の帰り道に繋がると信じて、必死で祈った。
トトラに貸してもらった小さな倉庫室には、三百本以上のお酒が並んでいる。一日に十本以上出すと気分が悪くなるらしいと知ったのは、ずいぶん前のことだ。それでも、続けた。
「そうか、ならば」
ひと際大きな風が吹いた。噴き上げるその勢いにも負けずに、魔王はバルコニーへと降り立つ。一瞬、体が浮いた気がして、魔王の顔が近くなる。
「全部、飲み干す」
魔王なら、たぶんそう言うと思ってた。
ご覧いただきありがとうございます。




