4.魔王の部下は愛人疑惑を否定したい
「じゃあ、魔族はこの島から出ると、だんだん弱っていくの?」
風を切る音に負けないように、声を張り上げる。私を抱き上げたセトくんは、この大きな荷物を気にした様子もなく軽々と上空を飛んでいた。
「もちろんしばらくは平気だよ。僕達みたいに魔力の強い魔族ならなおさら。魔王様なら、ずっと平気だって聞いたこともある。だけど、弱い魔族……特に子どもは、たぶん島の外では数か月が限界だ」
上空から見ると、この島は綺麗な円形をしている。商人用だと思われる、ふ頭の張り出しが際立って見えるほどに。この島は、他の地域と違って魔力が豊富であるらしい。島自体が魔力を集める性質を持っているらしく、圧倒的に魔力濃度が違うのだとか。その中でこそ魔族は健康に暮らすことができる。
「食事と魔力の両方が魔族には必要ってことか」
「そうだね。魔力だけで生きられるのは魔王様だけだよ」
つくづく、魔王と言う存在がやたらと特殊なのだと思う。まるで神様に愛された存在のよう。いや、そのわりには神様、聖女召喚に応じてるんだもんな。でも聖女寝返ってるしな……神様はどういうつもりなんだろうか。
「あの遠くに見えてる陸地が大陸なんだよね」
「そう。その中に人間の国が三つあるらしいよ」
「仲はいいのかな?」
「戦争の話は聞かないね」
ああ、共通の敵がいるせいか……
「それで、ユズハは商店に行きたいんだっけ?」
「正確には、農作物の収穫量を知りたいんだけど」
「収穫量か……すでに店に出回っているものも、個人の手に渡っているものもあるだろうから、数を把握するのは難しいと思うよ」
「そう……」
農協とかないもんなぁ。せめて一度収穫物を全て魔王城に集めてから分配とかしてくれればいいのに。
「そういえば、店があるってことは、ここにも貨幣文化はあるんでしょ?」
「いや。基本的に物々交換だよ」
「そうなの?じゃあ人間から買い取った物資はどうしてるの?」
「一度国として引き取った後、店をやってる魔族に物々交換とかで渡していくよ。その魔族がさらに店で売るんだ」
人の賑わう道路が見えた。歪に曲がりくねり、整備したというより自然にできたような道。その通り沿いに、露店がいくつも並んでいる。
「降りるよ」
人通りの邪魔にならないよう、路地裏にセトくんが降り立った。
「ほら、見て」
セトくんが指さした先。野菜や魚、食器類など、雑多なものを並べた露店に、茶色い髪の子どもがやって来た。小学校高学年くらいだろうか。羽を出していないし威圧感も無い、本当に人間と変わらないように見える。そんな子どもが、小さな荷車を引いている。
「荷車に乗ってるのって、野菜?」
遠目だけれど、カボチャや葉物野菜が乗せられているようだ。
「うん。たぶん本人か親が農業をやっているんだよ。自分の畑でとれたものを、露店で他のものと交換するんだ」
「農業をやってる魔族って結構いる?」
「どうかな……十人に一人いるかどうかくらいじゃないかな?」
「一割か……」
それなら、計画的に生産してもらえれば、それなりに魔族の食糧は賄えそうだけど。
「他の魔族は何してんの?」
「戦うのが好きな者は空や海の魔獣を狩ったり、物作りが好きな者も居るし……そういうの全部面倒で、必要な物は弱者から奪うことで生活してる奴もいるよ」
「野蛮……」
「はは、もちろん少数だよ。報復されることもあるしね。やりすぎれば大勢に取り囲まれて袋叩きにあう。大抵の魔族は、何かしら自分で糧を得てるよ」
「でも、聞いてる限りだと……好きなことやってる感じだね?」
「そうだね。好きじゃないことをやっても仕方ないでしょ?」
当然の顔で返された。なるほど、魔族はそういう文化らしい。
「じゃあ、親の後を継ぐとかもないんだ」
「親?親と子どものやりたいことが一致しない限りは、同じことをしたりはしないよね。同じ魔族でも、農業にハマった後、やっぱり狩りがしたいってなることもあるんだし」
……それは、生産が安定しないわ。
「もし親が狩りばっかやってて、その子どもが農業やりたくなったらどうすんだろ」
「どこかの畑を借りるか、適当な場所を更地にして畑にするかじゃない?」
「……それで、農業のやり方は誰から教わるの?」
「農業なんて種を撒いて水をかけるだなんだから、教わるほどのものでもないと思うけど」
そんなことは無いはずなんだけど……この世界では違うのだろうか。
「まぁ、たまに失敗して収穫にたどり着けない者もいるらしいから、向き不向きはあるのかもね」
「それだよ!」
絶対、水やりの具合とか、土壌とか、肥料とか、病気とか……そういう知識がないせいでやらかしてるんだよ!
「知識の継承がされないのは痛い……せめて書物にノウハウを残せないのか……」
「書物なんて残しても仕方ないよ。大体の魔族は文字を読めないんだから」
教育の壁……!
「職人はどうしてるのかな?」
「職人かぁ……教わりたいっていうなら教えを乞うこともあるだろうけど、教えることが好きな職人がどれだけいるかな。だいたい物づくりをしたがる魔族って言うのは、自分で黙々と作業をすることを好むからね。見よう見まねで技術を高めていくんじゃないかな」
「………そう」
そういう文化なのだ。ここをすぐに変えるのはたぶん難しい。
「セトくんは、このあたりをもう少し改善したいなって思ったりはしない?」
「改善?どこを?」
「もっと収穫量を増やしたり、道具の生産量も増えたりしたら、人間の国を襲わなくて良くなるかもしれないと思わない?」
「うーん……」
私の言葉に、セトくんは露店に視線を移しながら首をひねった。そしてしばらく考えた後、私の顔を覗き込む。
「ユズハは人間だもんね。やっぱり、人間を襲う魔族は嫌?」
「魔族が襲われるのも嫌だよ」
こうして眺める魔族の生活は、文化こそ違うけど平和な日常そのもので。子どもは無邪気に笑っているし、大人たちの振る舞いにはルールがある。問題だらけだったとしても、魔族自体が悪なわけじゃない。
やり方だ。これまでのやり方、知っているやり方。それが良くない。
だから、戦争をすることで魔族が傷つくのだって、私は見たくない。
「ユズハは、魔族が好きなの?」
「好きっていうか……誰かが傷つくのは、普通に避けたいでしょ」
「そうなんだ……」
珍しいものを見るような目をされた。このへんは、魔族にとっては異質な感覚のようだ。
「……ユズハは、魔王様が傷つくのも嫌?」
「そりゃ……そうでしょ」
魔王が悪い奴じゃないことは知ってる。先代は戦争を起こしてきたけれど、彼はまだやっていない。それならその手を染める前に、止められるなら止めてあげたい。せめて違う選択肢を見つけてあげたいと思う。ほんの少しだけど、年長者としてはね。
「そうか。うん。ユズハが魔王様のためになることをしようとしてるなら、僕は応援するよ」
逆光の中、セトくんの柔らかな微笑みを見上げる。……こうしてみると、どっちかっていうと天使なんだよな、セトくん。
「セトくんって、本当に魔王様が好きだね?」
「そうだね。魔族はみんな歴代の魔王様を敬愛していると思うけど、僕はあの方のことを特に慕っているよ」
ああ、やっぱりそうなんだ。
「セトくん、魔王様への愛重めだもんね」
「はは、そうかな?」
理由は知らないけど、まぁ過去になんかあったんでしょう。
「聞きたい?理由」
「長くなりそうだから、今はいいかな」
不満げなセトくんから目をそらし、しばし考える。
とりあえず、必要なのは物資。収入を得るには、どうしたって人間との交流が必要になる。今の関係は酷いものだし、魔族達に何ができるのかを知らない以上、収入源を考えるのは難しい。ひとまず私が提案できそうなのは、支出を削ること。
「海産資源をもう少し活用したいね」
「海産資源?」
「魔族がこの島から出られない以上、農地をこれ以上広げたりは出来ないでしょ」
「そうだね。もう空き地らしい空き地は無いんじゃないかな」
その一言に、ハッとした。
「待って。これ以上人口増えたらどうするの!?」
「人口?」
「魔族の数!」
「魔族の数なんてそうそう増えないよ」
「え、そうなの?」
「この島で、もう一万年くらいは住んでると思うけど、ずっとこのままみたいだし。そもそも魔族はそんなに子どもをつくらない。事故で死ぬことも少なくないし、たぶんずっとこれくらいの数なんじゃないかな」
いいのか悪いのかは判断に困るけど、とりあえず人口増加の考慮は今のところ必要なさそうだ。
「海産物を食料として当てにできるなら、購入量を減らせると思うんだけど……漁とかはしてるの?」
「漁?」
「魚とか貝をとるの」
「ああ、海の魔獣と戦うついでに、魚を取ってくることはあるね」
「魔獣……」
そういえば、さっきも言ってたな。
「魔獣って、どういうの?」
「見たい?海に行こうか」
「えっ……」
気軽なテンションで、セトくんがまた私を抱き上げて飛ぶ。
「ま、魔獣って、人を食べたりしないよね?」
「するよ?」
するんかい。
「何せ大きいからね、口に入るなら人間でも魔族でも喜んで食べるよ」
この世界、人間の天敵多いな。
「それじゃあ……小舟で漁なんて無理だね」
「大きな船なら丸呑みされることはないだろうけど、小さい舟ならすぐにひっくり返されて食べられるだろうね」
間もなく、砂浜が見えてきた。白砂が美しい。浜辺の周辺にはヤシの木に似た、南国風の木が立ち並んでいる。ヤシの木じゃないと思うのは、ついている実が赤黒いせいだ。私の知っているヤシの実はあんな禍々しくない。それはさておいても、元の世界なら立派な観光地になったであろう絶景だ。人の姿は見えないので、プライベートビーチ感がある。
「今は狩りをしてる魔族はいなさそうだね。いたら見せてもらえたんだけど……僕、あんまり狩りは得意じゃないんだよね。まぁ、ちょっとやってみるよ」
私を下ろしたセト君は、そんなことを言いながら腕まくりをする。
「えっ!?待って、得意じゃないならやめときな!?」
「大丈夫大丈夫、ユズハは海に入らないで待っててね」
笑顔で手を振りながら、服のままザブザブと海に入っていき、そのまま潜った。追いかけるわけにもいかず、私は無人の砂浜に立ち尽くした。波の音がゆったりと響く。こんな状況でなければくつろげたかもしれないけど……
突然、子どもたちの笑い声が近付いてくるのに気付き、慌てて木の陰に隠れる。
よく考えると、私って人間なんだよね。一人で魔族と会った場合、どんな反応をされるのか分からない。ここは隠れてやり過ごそう。
「あれ?誰?」
速攻見つかった。男の子が二人。女の子が一人の三人組だ。人間なら十歳前後といったところだけど、魔族だといくつなんだろうな。先頭を歩いていた男の子が、バッチリ私と目を合わせてくる。いかにもこの三人の中のリーダーと言った雰囲気で、生意気そうな目が可愛らしい。
「えーっと……魔王様のところでお世話になってる、ユズハです」
スタンスを決めかねたまま、とりあえず真実を伝えた。いや、真実は魔王様に誘拐されてきたユズハなんですけども。
「魔王様!?」
「魔王様と一緒に住んでるの!?」
「えー、うそだぁ」
リーダーは驚き、大人しそうな男の子は目を輝かせ、女の子は疑わしげに私を見た。なるほど。そんな感じか。子どもたちの反応を見るだけでも、魔族にとっての魔王がどういう存在なのか、なんとなくわかる。
「嘘なのか?」
「だってこの女、魔力全然ないじゃない。人間じゃないの?」
「人間はあれだろ。なんかでっぷりした奴だろ」
「それ、船で来る人間のことでしょ。人間にもいろいろいるよ、たぶん」
どうやら人間の商人はでっぷりしているらしい。ははーん、相当儲けてるのかな。話しながらこちらに少し近付いてきた三人に、視線を合わせるように少し腰を落とした。
「ホントだよ。私にちょっと特殊な能力があるから、便利だってことで雇われてんだ」
「ほんとー?能力ってなに?」
三人とも、ちょっとの疑いと、大きな期待で目をキラキラさせている。……この目には弱いんだ。
仕方ない。
「うーん。ねぇ、三人はここで遊ぼうと思ってきたの?」
「そうだよ」
「海には入っちゃダメだけど。砂浜とか岩場ならいいって」
「なるほど。それなら……」
子どもたちに遊ばせてあげたくて、手を組んで強く願うと、目の前に大きなウォーターガンが三つ降って来た。
「うわ、何だこれ!」
カラフルなプラスチック製のおもちゃなど、この世界にはあるまい。腕に抱える感じで持つ、大型のものだ。
「これね、おもちゃ。ウォーターガンって言うんだ。水鉄砲。知ってる?」
「なにそれ、知らない」
興味津々で、水鉄砲をペタペタ触る子ども達。一つのウォーターガンを手に、砂浜の近くにある岩場へと足を向けた。思った通り、大きな潮だまりがある。後をついてきた子どもたちに見せるようにしながら、給水口を水に沈めてレバーを引く。
「こうして中に水を貯めて。こっちの引き金を引くと……」
勢いよく水が噴き出した。子ども達から歓声が上がる。
「当たっても痛くはないけど、誰かに当てて遊ぶなら、これを持ってる者同士でやること。遊ぶ場所はこの砂浜だけ。夢中になって海に入らないように注意。これ、守れるならあげる」
「守る守る!」
言うが早いか、三人ともウォーターガンに群がった。うんうん、この手の奴はやっぱ食いつきいいよねー。プラスチック製品をこっちの世界に持ち込んでいいのかっていう葛藤はあるけど、まあ、少しだけなら。
甲高い声をあげながら大騒ぎでお互いに撃ち合う姿を、木陰で見守る。やっぱり、魔族って言っても人間と変わらないんだよなぁ。その平和な光景を眺めて、何十分経っただろうか。たぶん三時間くらいは経っている。
……セトくん、大丈夫なんかな?ちゃんと息してる?心配だけど、私一人ではどうしようもない。
途中でお腹もすいたし喉も乾いたので、昼食やら水やらを召喚した。子どもたちは海水をガンに補給しながら延々と遊び続けている。元気だな。ちょっと心配になったので、一度呼び寄せて水分補給をさせた。スポーツドリンクは大好評だ。
また遊びに戻っていく子どもたちを木陰で見送っていると、不意に濃い影が落ちた。木とは違う、もっと大きな何かが頭上に……
「ここにいたか」
「あれ、魔王」
魔王の影だったらしい。大きな羽を閉じながら、こちらへ降り立った。少し離れたところで遊んでいた子どもたちが、こちらに気付いて動きを止めている。ああ、たぶん魔王ってそんなに城下に降りてくる感じじゃないんだな。
魔王は子どもたちの様子を気にも留めず、私と海を順番にゆっくりと眺めて口を開いた。
「海には魔獣がいる」
「ん?うん」
「お前ではすぐに殺される。運よく見つからなかったとしても、見たところ体力の低いお前では大陸まで泳ぐことは到底……」
「待って、そんな無謀な逃亡しようとしてる人間だと思われてんの?」
言い聞かすように諭されてるのが余計に居た堪れないわ。
「違うよ、セトくん待ってるだけ」
「あれはどこに行った?」
「海の中」
「何故だ」
「いや、魔獣をね」
そう説明している途中で、子どもたちがそろりそろりとこちらに近づいてきていることに気付いた。何か言いたげに口をモゴモゴさせている。その視線が魔王に吸い寄せられていることに気付いて、思わず笑ってしまう。
「セトくんを待ってる間、この子どもたちにちょっと遊んでもらったんですよ」
そう言って魔王に彼らを紹介する。赤い瞳が子どもたちをゆっくり撫でると、彼らの体が緊張に硬くなった。
「……そうか」
すぐに興味を失ったように、視線がそらされる。子どもたちの肩が弛緩する。紹介しない方がよかっただろうか。
「あ、あの……本当に、この人間は魔王様のところにいるんですか」
女の子が、勇気を出したように口を開いた。男の子二人が、ギョッとした顔をしている。しかしこの魔王はそんなことで気を悪くしたりはしない。こともなげに頷いた。
「ああ」
「に、人間なのに、魔王様の幹部なんですか!」
どうやら魔王のところにいるイコール幹部になるらしい。確かに城の中でも、コボルト以外は幹部三人しか見ないもんな。私とキリーちゃんが特殊なだけで。
しかし幹部というわけでもない。だからだろうか。魔王は少し悩むように沈黙して……そして口を開いた。
「これは俺の愛人だ」
「おおおおい!子どもにどういう冗談かましてんだよおおお!」
たぶんこの世界に来て一番の大声が出た。
ほらもう子ども達、口開けちゃってんじゃん!意味が分かってないことを祈る!
「なんでなの!?金庫番補佐でいいじゃん!どうして急にふざけてみた!?」
「ふざけたわけではない」
思わず服の裾をがっしり掴んで揺さぶるも、特にこたえた様子もなく、魔王は淡々としている。
「お前につけたコボルトに言われた」
「トトラ?」
「変な役職をつけるのではなく、きちんと愛人として迎えてやってほしいと」
「トトラ!?」
「お前は素直になれないタイプだから、俺がリードしてやるべきらしい」
「トトラぁぁ!」
そんなアシストはいらん!私しっかり否定したよね!?なんで愛人にさせようとしてる!?
「あのね!?落ち着いてください、魔王様!」
「俺は落ち着いている。お前が落ち着け」
それもそう。
ふー、と深呼吸をした。とりあえず、子どもたちに向き直る。
「今、魔王様が言ってたのは冗談だから。嘘だからね。信じちゃダメ」
そう言うも、リーダー格の男の子はまっすぐ私を見た。
「魔王様は嘘なんかつかないんだぞ」
「そうだよ、魔王様は正しいんだよ」
「魔王様の方を信じるよ」
くそう、魔王のネームバリューが強い!
「魔王様!訂正して!」
「我が民からの信頼には応えるべきかと思うが」
「王のプライドを発揮する場はここじゃない!」
愛人宣言を高尚なものにしようとすな。
「トトラは何か誤解してるみたいですけど!私は魔王様の愛人にはなりたくありません」
きっぱりとそう告げた。魔王の目が、わずかに見開かれる。
「何故だ」
何故ときた。
「魔王様の愛人なんて、みんなが憧れるのよ!」
慌てたような女の子の言葉で納得する。なるほど、全魔族女子の憧れポジションなわけだ。そして、愛人って言う言葉は普通に通じちゃってるのか……
「私はなりたくないんです。魔王様のこと、そういう意味で好きではないですし」
女の子は信じられないという顔をしている。こんな幼い女の子にとっても愛人が憧れなのかと思うと、やるせない気分になるな。
「……俺の愛人は嫌なのか」
「そう言ってるじゃないですか。お忘れみたいですけど、私はいつか元の世界に戻るつもりでいますからね」
念のため、もう一度言っておく。額を押さえながらそう言ったけれど、その手を魔王に掴まれた。
「ちょ、痛……」
「許さん」
「は?」
「お前を手放す気は無い」
「無い、とか言われてもな……」
知らんがな、としか。
「あの、お酒はちょっとずつ召喚して貯めておくんで。魔王様が一生かけて楽しめるくらいの量出せたら、勘弁してもらえません?」
魔王が今度は明らかに大きく目を見開いた。
どうだ、これは揺れるか?
しかし、その目は次第に冷たく細められる。
「駄目だ」
「お酒係としては、それで十分でしょう?あっちの世界のお酒気に入ってくれたのはいいですけど、もともとは無くても生活できてたんだから。少しは我慢してくださいよ」
「……お前は、金庫番補佐の仕事もあるだろう」
「私ができることなんて知れてます。ある程度情報を集めて、やり方を共有したらヴェンス課長だけで十分回りますって」
コボルトは読み書きできる子多いみたいだし、そういう子に手伝ってもらえる仕組みを作った方が、よっぽど健全な組織だろう。
私の腕をつかむ魔王の力が強くなって、思わず顔をしかめた。
「ちょ、マジで痛いんですけど!」
「お前は俺の物だ」
「は?私は物じゃありませんが?」
イラッとして見上げたけれど、赤い瞳も苛立ったようにこちらを見下ろしている。
この魔王は、何でも自分の物だと思ってんのか。魔族はそれを受け入れるのかもしれないが、私は違う。
ピリピリした空気を打ち破ったのは、呑気に間延びした声だった。
「ごめーん。やっぱり僕じゃ捕まえられなかった!」
バシャバシャと水しぶきを立てながら海から上がってくるセト君は、魔王の姿に気付くやいなや、その場に跪いた。
「魔王様」
「……何をしていた?」
「海の魔獣をユズハが見たがっていたので」
いや、見たがったわけじゃないんだよ。どんなのか言葉で教えてくれるのでも良かったんだよ。
魔王の手の力がわずかに緩む。再び、赤い瞳がこちらを見た。
「俺に頼めばいいだろう。これは頑丈だが、魔獣を仕留める決定打を持たん」
「いや、セトくんにも頼んだつもりは無かったんですけどね?」
魔王は海をしばらくジッと見た後、私を見下ろしていった。
「魔獣を取って来てやるから、帰るのは諦めろ」
「はぁ?」
なんで駄々をこねてる子どもを相手にしてるトーンなんだ。
「魔獣いらないんで帰してほしい……いや聞け!」
私の返事などお構いなしに、魔王は翼を広げて飛び上がったかと思えば、あっという間に小さくなった。夕日をバックに、魔王のシルエットが映る。眩しくて見難い。ていうかリゾートビーチと魔王って恐ろしく似合わんな。
沖合の海面でホバリングしている魔王の手が海面に向けられると、ぐわっと波が立ち上がった。魔王をのみこみそうな勢いで立ち上がった海水は、踊るように天に伸び、同時に一つの影を海中から引きずり出す。
毛の生えたクジラ。そして額に一本の角。たぶん、五メートルくらいある。そんな感じの生き物が、見えない何かに縛り付けられているかのように、身動きできずに空中へと上がっていった。
魔王がこちらへ戻ってくる。毛のあるクジラは、その後を追うように空中を滑って走る。
「ほら」
砂浜に、鈍い音を立てて魔獣が打ち上げられた。舞う白砂。痙攣する巨体を、唖然としながら見つめるしかない。近くで見ると、毛も角も真っ白だった。しかし、大きい。
「さすがは魔王様です!」
「魔王様すっげー!」
セトくんと子どもたちは歓声を上げて大喜びだ。魔王が心なしがドヤ顔でこっちを見ている。はいはい、凄い凄い。
「これ、なんていう魔獣なんですか?」
「セツゲイだ」
「せつげい……この魔獣が獲れた場合、魔族達はどうしてるんですか?」
「……おい、嬉しくないのか」
魔獣をよく観察しながら、活用方法を必死に考えているのに、魔王はなんかソワソワしている。
「あのね、これ、ステーキにするとおいしいんだよ!」
「ステーキ」
子どもが教えてくれた。もしかして、夕食に出てきたことがあるステーキもこれだろうか。
「毛皮や角とか骨は?」
「食べれないよ?」
「いや、食べる以外の使い道。毛皮は防寒具とか、角や骨は道具に加工したりとか」
「知ってる?」
「知らない」
子どもたちは知らないらしい。
「ここは年中暖かいから、防寒具はいらないと思うよ」
そう教えてくれたのはセトくんだ。確かにここに来てから寒いと思ったことはない。春だからとか言うわけではなく、年中温暖な地域らしい。ここは南国かぁ。魔王ってどっちかっていうと雪国の方が似合いそうなのにね。
「人間は使わないのかな。売れそうな気もするんだけど」
「人間の商人が処分してくれるからって言って、頼んでるのは見たことあるよ!」
子どもの発言にめまいがした。これは……
「まさか、タダであげてるの!?」
「だってゴミだよ」
「たぶん人間にとってはそうじゃない!」
貴重な収入源じゃないか。
「魔王様、魔族の収入源が見つかったかもしれません!」
思わず興奮して魔王の方を見たけれど、ものすごく不機嫌な顔に迎えられた。
「………魔王様?」
「………」
うわぁ、拗ねてる。私の反応がドライすぎたらしい。ごめんて。
「魔獣、取ってきてくれてありがとうございました」
「………」
「やっぱり魔王様って強いんですね。いやー憧れちゃうなぁ」
「………」
「……めんどくせぇな」
思わずそんな言葉が口に出たけれど、セトくんが真顔でこっちを見たので、慌ててお口をチャックした。
「魔王様、もしかしたら戦争しなくても金貨が手に入るかもしれないんで。機嫌直してください」
「……お前が」
私が?
しかし、続きを待ってもいっこうに魔王の声が続かない。また処理落ちしてる?
全員の視線が魔王に集中している。数十秒経っても、沈黙は破られない。
「……セトくん、とりあえず帰ろっか?」
「ユズハ?」
魔王様を放置する気か、という圧のある笑顔を向けられた。いや待って、私悪くなくない?
少し魔王から距離を置き、セトくんをチョイチョイと手招きで呼んで耳を貸してもらう。
「あのさ、魔王様たぶん、私みたいなやつと会うの初めてなんだと思うのね」
「ユズハみたいなのは大抵の魔族が初めてだと思うよ」
ただでさえ人間と魔族は価値観が違いそうなのに、私は異世界から来てるもんな。それは仕方ない。
「で、なんか珍しいおもちゃか何かだと思ってるっぽいわけ。このままじゃ私のこと愛人にしようとしちゃうからさ。セトくん的にもそれは回避したいよね?」
「なんで?」
まっすぐな瞳で、なんでと言われた。
「え、いや……私だよ?人間だよ?」
「ユズハが魔王様のために動いてくれるなら、人間でも別にいいよ」
理解を示すな。
説得すべく再度セトくんの耳に顔を寄せたところで、体がぐわっと浮遊感に襲われた。
「わあああ!?」
「帰るぞ」
魔王に持ち上げられていた。いつの間にかみんなが足元に見えるくらい上昇していた。
ああもう、この魔王はまた腹を持つ!苦しさを和らげるために、必死で魔王の服を掴んで体勢を整える。
「もう!今度は何!?」
「帰る」
「帰るのに私を連れてく必要あった!?」
「ある」
理由を言え理由を!
「お前の酒が飲みたい」
また酒かい。
「言ってくれたら、あの場で出したんだけど!」
「お前も付き合え」
寂しんぼか。
「魔王、平気で朝まで飲むじゃん……」
付き合えねーわ。
「お前は寝ていい」
「また私の部屋で朝まで飲む気なの!?」
「少しは寝る」
さいですか。
「とりあえず、私はまず夕飯食べたいし、お風呂も入りたいんで」
「分かってる」
あと、帰ったら今日得た情報をまとめたい。明日ヴェンス課長に収入源について相談してみよう。また嫌な顔されそうだけど。
「……何を考えてる?」
「ヴェンス課長にどう話そうかと……いだだだ!力加減!腹の肉掴んでるから!」
ギャーギャーわめきながら飛ぶ私と魔王の姿はこの日、多くの魔族の目に留まることになった。
Q. 寝返るような聖女を連れてくるのは神官が気の毒では?
A. 神「乙女心まで考慮しとらん」
ご覧いただきありがとうございます。




