3.金庫番補佐のお仕事
『ゆず、飲み過ぎ。そろそろ自分のキャパ覚えろよ』
呆れた声。冷たい視線。けれど信頼に裏打ちされた、砕けた口調。慣れ親しんだ空気感がそこにある……そんな夢を見た。
◇
ズキズキ痛む頭を押さえつつ、なんとか朝の準備を整えた朝。トトラが用意してくれた日中用の着替えは、黒いブラウスとマキシ丈の巻きスカートだった。下着と靴下、靴も用意してくれたのは有難い。有難いけどなんで全部真っ黒?葬式か?悪の組織の一員か?後者だな。今の私、魔王の手下だもんな。
そんなことを思いながら緩慢な動作で着替えをし、最後のボタンを留めたタイミングで、見計らったかのように魔王が部屋に入って来た。
「今日は何をする気なんだ」
「魔王様って暇なんですか?」
「部下からの報告を聞きはするが……俺が忙しくなるのは、戦の時だ」
「ああ……」
まぁ、下の人間がきちんと仕事をしていれば、それでもいいとは思うけど。
「なんか、暇な王様なら女の人はべらせて、ふんぞりかえってそうなのに」
昨日今日と、私の様子を見に来るあたり、案外真面目と言うかなんというか。
「女?……ふむ。お前は俺の側にはべりたいのか?」
意地の悪い笑みを向けてくる魔王に、鼻で笑って返した。
「魔王様の側にはべってても、腹の足しにならなそうなんでやめときます」
「違いない」
少し笑った?気のせいかな。
廊下に出ながら、魔王を見上げる。
「今日は書類整理の仕事しますけど、その前にキリーちゃんに会いに行きたいんです」
「なぜだ?」
「昨日会えてませんし。ちゃんと元気にしてるか知りたいんです」
「……そうか。好きにしろ」
今の私の部屋は魔王の部屋の隣。最上階の八階にあたる。キリーちゃんの部屋があるのは、隣の棟の五階だ。ちなみに羽が無い人間は一度一階まで降りてから隣の棟に向かい、五階まで登るしかない。羽さえあれば一瞬なんだけど。まあ、登り降りにしても階段が無いから、この時点で詰んでいる。
「魔王様」
「なんだ」
「そこの吹き抜けに、梯子か何か設置してもいいですか?」
「梯子?」
「私、羽が無いので一人じゃ降りれませんから」
「俺が運ぶからいらんだろう」
魔王がそう言って、私を抱きかかえようとするのを慌てて制止した。急に動くと頭痛が酷くなるから慌てさせないでほしいものだ。
「待ってください!セトくん!セトくんを呼びましょう!」
「何故だ」
「魔王様のお手を煩わせたとバレるのが怖いからです」
緊急時とか、魔王様が好きで連れまわしているならまだ言い訳もきく。けど、私の用事に付き合わせた挙句、足に使ったなんて知れたら……
「この程度で煩ったとは思わん。あれにできることが、俺にできんわけがないだろう」
「そういう対抗心要らないんだよなぁ」
しかし、もう私が何を言っても聞く気がないらしい魔王様は、とっとと私を抱き上げた。
◇
「魔王様!……ユズハ!おはようございます」
キリーちゃんは眩しい笑顔で出迎えてくれた。天使だ。天使がいる。魔王だけじゃなくて、私にも笑顔を向けてくれて嬉しい。
「おはよう。体調はどう?」
「問題ありません。神聖力はすっかり回復しておりますわ」
「ご飯は?ちゃんともらってる?」
「ええ。コボルトのフエロが世話をしてくれています」
「良かった」
こちらにもコボルトがついているらしい。肌ツヤも悪くないし、本当にちゃんと生活できているようだ。
「ユズハは顔色が悪いですね」
「……ちょっと二日酔いで」
「お酒ですか?」
仕方のない人、とばかりに微笑んで、キリーちゃんが私の手を取る。体の中を、暖かい波がふんわりと通り抜けて行くとともに、体の重さや頭痛が一瞬で消えた。
「え……!?治った!」
「解毒と治癒です。飲みすぎてはいけませんよ」
「ありがとう……キリーちゃんマジ天使」
「わたくしは天の御使いではございません」
苦笑して、キリーちゃんは魔王に向き直る。
「魔王様、今日はどうなさいました?豊穣の祈りが必要ですか?」
「いや、お前の力はしばらく良い。今は城下も収穫に追われている」
「左様でございますか。ではしばらくは神に祈りをささげ、この身を清めることといたします」
わぁ、聖女。だけど、なんか距離が遠いな?この二人、全然関係深まってなさそう。まだ三日くらいしか経っていないとはいえ……ちょっと交流する機会が少ないんだろうか。ここは何か起爆剤がほしいところ。
「そういえばキリーちゃん、魔王の名前のこと聞いた?」
「魔王様のお名前ですか?」
「魔王には名前が無いんだって」
「そうですの」
そして落ちる沈黙。
……あれ?『では、こう呼ばせていただいても?』とかって何か名前をつける流れじゃないの?
「名前、ないと不便だなとか思わない?」
「魔王様とお呼びすれば伝わりますし」
キョトンとされた。
「ユズハは魔王様にお名前を差し上げたいのですか?」
ブンブン首を振った。そのフラグをこっちに立てる必要はない。断じてない。全力拒否する私に、魔王とキリーちゃんから、何なんだ…という空気を感じる。違うんだ、そうじゃないんだ。
「……出直すね」
「はぁ……」
首をかしげるキリーちゃんに見送られて部屋を出た。
「お前は何がしたかったんだ?」
「……もうちょっと、二人が仲良くならんもんかと……」
「聖女と魔王を親しくさせてどうする」
聖女を攫ってきて活用している魔王が言うことかなぁ。というか、魔王がちょっと淡白すぎるんだよね。
「キリーちゃんの事、可愛いと思いませんか?」
「可愛い?」
「……すごく綺麗な顔立ちだな、とか。懐いてきて愛らしいな、みたいな」
「………」
魔王が黙り込んだ。思い出しているのだろうか。胸キュンシーンを?
「………」
長いな。どんだけ反芻してるんだ。
「無いな」
「無いんかい」
めちゃくちゃ記憶をたどってみても無かったらしい。
「嘘でしょ……あんなに可愛いのに」
「お前が聖女の外見を好ましく思っていることは伝わってきたが。俺はあまり美醜に関心が無い」
「ええ」
「俺以外の生き物はあっという間に老いる」
そういえば、魔王は飛びぬけて寿命が長いんだったな……
「寂しくは無いですか?」
「寂しい?」
「周りが次々、年取ってちゃうんですよね」
「……先代たちは、そういう感情を持っていたのかもしれないが」
そう言えば、この魔王はまだ若いんだった。
「その者が老いていなくなっても、代わりの者が現れる」
それは役割の話だよね。まぁ、役割とかの話にしても、だ。
「キリーちゃんの代わりは、現れないかもしれませんよ?」
何せ聖女だ。しかもたぶん、力が強い方だし、魔王に協力的だし。こんな条件がそろった子がそうそう現れるとは思えない。
キリーちゃんがいなくなるかも、と思えば少しは何か感情が湧くだろうか。そう思って魔王の顔を見上げてみると、赤い瞳がこちらを見下ろしてきて、視線があった。
「お前もだろう」
「え?」
「お前のような人間も、たぶんもう現れない」
なるほど。確かに……現代日本のワインを持ち込める人材は、そうそう出てこなさそうだ。
「そうかもしれませんね」
小さく笑うと、突然抱き上げられた。
「わ!?」
「次はどこへ行くんだ」
「あ、ああ……えっと、自室に戻ります。昨日まとめた情報を紙に書き起こさないと」
金貨の枚数に宝飾品の品目と数、過去の取引データから見た宝飾品の予想換金額。購入品目とかもまとめているけれど、それらの情報はすべてパソコンの中だ。私しか扱えないパソコンに情報をしまっていても仕方がない。ヴェンスさん、ゆくゆくはその後継者が管理できるような形に残さなければ。
あと、次回取引以降は明細や支出を記録できるように書類のひな型を作っておきたい。プリンターとかも出せたらいいんだけどなぁ。いけないかなぁ。文字は手書きになるとしても、表部分とかは印刷で出したい。
食糧の生産量とかも調べないと。支出を減らすなら、まずは自給率を上げて購入量を下げるところから。
私が構想をブツブツ呟いていると、魔王がぼそりと言った。
「地味だな」
「世の中の仕事の九割は地味ですよ。そういう仕事で世の中成り立ってるんです。たぶん」
「そういうものか」
魔王が翼を広げ、自室の方へと飛び立った。風の音に紛れそうな小さな声が、耳に届く。
「……お前からすれば、俺は物を知らない王なのだろうな」
「……」
ここでそんな不安げな声を出すのは狡い。
くっ……魔王の年齢、聞くんじゃなかった。
溜息をかみ殺して、口を開く。
「私の知っていることを知らない、という意味ではそうかもしれません。でもそれが、王として失格だとは言いませんよ」
「そうなのか?」
「あなたには大きな美点があります。私の言葉に耳を傾けてくれるところです」
ずっと思っていたことだ。魔族からすれば人間は下等な生物扱いのようだし、しかも私は聖女のおまけ。だというのに、ここまで自由にさせてくれたし、仕事の評価もしてくれた。
バルコニーで下ろしてもらって、魔王の正面に向き直る。
「きっと私の発言はあなたのプライドを傷つけるものも多くあったでしょうけど、必要だと思えば聞き入れてくれる。その懐の大きなところは、さすが魔王だなと思いますし……一個人としても尊敬できます」
「……そうか」
少し、彼の口元が緩んだように見えた。
「そうです。だからそんなに卑屈にならなくていいですよ」
「卑屈?」
怪訝な顔をされた。自覚がなかったのだろうか。思わず笑ってしまった。
「魔王様は、案外子どもっぽいところがありますね」
踵を返して部屋へ向かおうとすると、突然腕を掴まれた。
「わっ……何ですか?」
「訂正しろ」
「は?」
「子どもではない」
「はぁ」
子どもっぽいって言っただけだが。
「今までそんなことは言われたことが無い」
「まぁ、王様相手ですしね」
思っても言えなかったのでは。
「俺は子どもではない」
「でも私よりは年下だしなぁ」
魔王の口がへの字に曲がった。子どもかな。
「……仕事に戻る」
「はーい。いってらっしゃーい」
拗ねて帰って行った。大人げなかっただろうか。
◇
どうやらこの国には昼食の文化が無いらしい。お腹が鳴るのに耐えかねて自分でサンドイッチを召喚して食べた。
神様、私のこの力の使い方あってるんでしょうか。想定と違うとか文句言ってないでしょうか。まぁ勝手に召喚に巻き込んできた時点で、私は被害者なんで好きにさせてもらいますけどね!
夕方。部屋がオレンジに染まってきたことに気付いて、目を揉んだ。
……久々に一日パソコン見てたな。
改めて部屋の中を見ると、今日一日必要に迫られて召喚した物が散らばっている。目薬、缶コーヒー、筆記用具、プリンター、低反発クッション。
「やばい……めちゃくちゃオフィス感出てきてる……」
なんで私、異世界に来てまでデスクワークしてるんだっけ?プリンターから紙の束を取り上げて、端を揃えて置いておく。ヴェンス課長への報告は明日でいいか。何か今日一回も会ってないけど。そもそもどこに居るのか知らんしな。
テーブルの上の呼び鈴を鳴らすと、間を置かずにトトラがどこからともなく現れた。
「はい、ユズハ……わぁ!お部屋が!」
「あー、うん。ごめん。これら、この部屋に置いといてもいいかな。このパソコンとバッテリーとプリンターの三つは、水にぬれるとダメだから、掃除するときとか気を付けてほしい」
「わ、分かりました」
トトラの丸い目が、私をジッと見る。
「ユズハ、お疲れですね?」
「まぁ、ちょっとね」
「夕食をお持ちします。他に何か欲しいものはありますか?」
「あー……蒸しタオルとか欲しいなぁ」
「お任せください!僕は可愛いだけでなく仕事もできるコボルトですから!」
胸を張る姿に、思わず頭を撫でた。私の腰くらいの身長だから、大変撫でやすい。尻尾がブンブン揺れている…というか回っている。本当に可愛い。癒し。
「……ユズハ、そんなことされたらタオルを取りに行けなくなっちゃいます」
尻尾を大きく振ったまま、モジモジしながらそんなことを言ってくる。どうしてくれようか、この可愛い生き物。しかし、彼の仕事の邪魔をするのは本望ではない。
「ごめんごめん、じゃあお願いね」
「はい!」
そう言って、姿が消えた。……そういや、これ何なんだろ。瞬間移動?いいな。私もそれできないのかな。
「資料とやらはできたのか?」
廊下へ続くドアから魔王が入って来た。機嫌は直ったのだろうか。
「資料はできましたけど……魔王様って瞬間移動できないんですか?」
「急になんだ?」
「コボルトたちはできるじゃないですか。姿を急に現わしたり消したり。私もあれできたら便利なのになーと思って。でも魔族達もふつうに自分の足で移動してますよね」
私が足元に置いているバッテリーやプリンターを興味深そうに眺めつつ、勧めてもいないのに勝手に私の向かいの椅子に腰かける魔王。
「あれはコボルトの特性だ」
「魔法の勉強とかしたらできるようになったりしないんですか」
「魔法ではなく、特性なのだ。植物のように枝葉を伸ばしたいと望むようなものだぞ」
「あー……無理さ加減がよく分かった」
駄目かぁ……
「で、今夜のお酒をご所望ですか?」
「……ああ」
「ちょっと待ってください。昨日とは別のがいいですか?」
「何でもいい」
何でもいいのか。まあ、次は甘いのでも出してみるかな。あ、ばあちゃんが毎年作ってくれてた梅酒とかどうだろう。わー、ばあちゃんの梅酒なつかしーい!
ドゴン、とでっかい梅酒瓶が床に転がった。
あっぶな、プリンターやられるところだった。
「なんだこれは」
「梅酒です。甘いの平気?」
「わからん」
わからんのか。
「まぁ、飲んでみてください。ストレートだとかなり甘いんで、水で割って」
よいしょ、と持ち上げて渡してみたけれど、受け取りはするものの、動きが止まっている。
「……ここで飲む」
「私今から食事ですし、今夜は飲みませんよ」
「何故だ」
ちょっと語調が強い。責められているかのようだ。
「二日酔い大変でしたし。今日は疲れてるんで、風呂入ったら寝ます」
「食事と風呂の後で構わん。付き合え」
「いや、今日はマジでやめときます」
「いいから」
しつこい。
「あのね、アルハラはお断り」
「ある……?」
通じなかった。そりゃそうか。戸惑っているようにも見える魔王に、ゆっくりと言い聞かせる。
「無理に飲ませようとしてくるの、嫌です」
何か言おうとしていた魔王の口が、一瞬閉じた。
「……飲まなくてもいい」
「……」
「少しでいいから。付き合え」
駄々をこねられた。やっぱ子どもじゃんよ。
「わかりました。じゃあ、お風呂の後で十五分だけ。私は水で。それでいいですか」
「いい」
梅酒をその場に置いて、魔王は部屋を出て行った。その背中にほんのり哀愁が漂って見える。
……なんか、懐かれた?キリーちゃんじゃなくてこっちに懐いてどうすんの。何かイベントとかあった?無くね?
「これは、テコ入れが要るな?」
「お待たせしました、ユズハ。どうしました?難しいお顔ですね」
カートと共に戻って来たトトラ。くりくりお目目の下にあるふわふわほっぺを、両手で挟む。
「むぅぅ?」
「この可愛すぎるトトラを、どうやって食べちゃおうか考えてた」
「あああ、やっぱり僕の可愛さは由々しいです!」
「ははは、ほんと由々しき可愛さだよね」
いやもうマジで由々しいよ。どうやってキリーちゃんと魔王の仲を縮めさせたらいいんだろ。
食事の準備をしてもらっている間、蒸しタオルで目を温めつつ、考えようと思ったんだけど……やばい、寝そう。
……まあいいか。これがあの二人の物語なら、放っておいてもそのうちくっつくでしょ、たぶん。テコ入れとか無理だ。何をしたら恋愛感情が盛り上がるとかよく分からん。ライバル投入くらいしか知らん。あの二人のライバルって誰だよ。
そして肉入りのスープとパン、ステーキという肉々しさ溢れ野菜に乏しい夕食を終え、入浴を済ませたころ、また魔王が部屋に来た。
「どうぞ。座ってください」
テーブルの上から仕事道具は片付けてある。できれば広げたままにしておきたかったけど、トトラに怒られるし、魔王がこうやって晩酌しに来ちゃうし。致し方ない。
「それはなんだ?」
「青汁です」
「あおじる……?」
私の目の前に置かれているコップを見て、魔王が怪訝な顔をしている。たぶん見たこと無いんだろうな、青汁。
「別に健康志向じゃないんですけど……自発的に食べるならともかく、自動的に肉ばっかり出てくると、なんか野菜ほしくなるんですよね」
「……よくわからんが、食事が気に入らなければコボルトに伝えろ」
「いえ、気に入らないってわけじゃないんで、いいです。大丈夫」
食糧事情が危うい中、出してもらっている貴重な食事なのだ。とりあえず、魔王の晩酌に水で付き合うのも何かなと思って、ついでみたいなところもある。召喚した青汁粉末90パックは、今後も時々飲むことにしよう。
「それで、何か話とかありました?」
赤い瞳がこちらをジッと見てくる。
「……」
じーっと見てくる。
「いや、何?」
「今日は、どうだった」
「説明した通りですよ。資料作りました。明日ヴェンス課長に見てもらいます」
「その課長というのはなんだ」
「役職ですね。元の世界で、ヴェンスさんと同い年の課長の下で働いてたんで、つい」
「……それは、どういう人間だったんだ?」
「仙田課長ですか?」
魔王が仙田課長に興味持ってるの、なんか面白いな。
「ニコニコ笑顔で、穏やかな男性でしたよ。癒される感じの」
「……好いていたのか?」
「まあ、好きでしたけど」
「では、その男と番おうとは思わなかったのか」
「つが……え、男女関係ってこと?無い無い。孫におやつあげすぎて娘さんに怒られてるような平和家族をぶっ壊すとか鬼すぎる」
「俺なら、欲しいものは手に入れる」
「魔王様マジ魔王。でも別に、私は仙田課長欲しくないしな」
恋愛対象として見たことなど無い。
「好いているのではないのか?」
「そりゃ人間としては好きでしたよ。新しいこと覚えるのは苦手みたいでしたけど、私みたいな年下の女に教えられる立場になっても、気を悪くしたりしない人で接しやすかったし。あ、ここは魔王様も同じですね」
ごふっと魔王がむせた。ちょうど一口目の梅酒を飲み込んだ瞬間だった。
「大丈夫?誤嚥?まだ若いのに」
ポケティをやろう。
「……誤嚥とはなんだ」
「今あなたが起こしたそれだよ」
「そうか……これを誤嚥と言うのか」
そうだよ、また一つ賢くなったね。
「……それにしても、この酒は喉が焼けそうなほど甘いな」
「甘いの苦手だった?」
「嫌いではないが……甘さを抑えるために水で薄めると、酔えそうにない」
「魔王様にはウィスキーストレートとかがいいのかなー……肝臓とか、どうなってんの?」
「肝臓?」
「内臓って人間と同じ?」
「知らん……その青汁とやらは酒なのか?」
ごめん、素面でこれだ。
「とりあえず、魔王も酔うんだね」
「それなりの量は要るし、日による」
「酔いやすい日ってあるもんね。昨日はなんか酔うの早かったな」
そう話したところで、急に魔王が黙った。
「……?あ、すみません。敬語抜けてました」
「構わん……お前は時々そうなってるだろう。楽に話せ」
「あ、そう?じゃあ遠慮なく」
こういうところ、大らかで助かるなぁ、この魔王。
「……殺さん」
「ん?」
「必要に迫られん限りは、たぶん殺さん」
「何なに、急に怖い話なんだけど」
「……お前が」
「私が?」
また魔王がフリーズした。今日よく止まるな。裏でアップデートでも走ってんのか。
「大丈夫?再起動する?」
「意味が分からん。もういい」
いいらしい。
「いいならさ、魔王」
「なんだ」
「私、そろそろ寝たい」
かなり眠い。マジ限界。
「……唇が緑だぞ」
「え?あ。青汁のせいかな。大丈夫、歯磨きはするから」
歯ブラシと歯磨き粉はしっかり召喚済みだ。トトラに用意してもらってあるボウルの側で、歯ブラシを取り出し、口に突っ込んだ。その様子を興味深そうに眺めながら、なおも魔王はグラスに梅酒を注ぐ。
「……え、帰る気ゼロ?」
「お前は寝ていていい」
晩酌続行は決定なんだ?
「いいけど……静かに飲んでよ」
「分かっている」
歯磨きを終えてベッドにもぐりこむ。この部屋ワンルームだからな……私が寝てるベッドの横で普通に魔王が晩酌してる図になるんだよな……変な状況。
私結構繊細だからなー。人がいる中で寝れるかな。そう思いながらベッドにもぐりこみ、シーツが冷たくて気持ちいいな、なんて思ったのを最後に思考が途切れた。
◇
朝日が差し込む気配で目が覚めた。こっちに来てから規則正しい生活をしている気がする。なにせ夜更かししようにも娯楽が無い。パソコンがあってもインターネットがつながらないんじゃ、表計算ソフトくらいしか使い道がないんだ。
あー……今期のアニメ、どうなってるのかな。本気で帰りたくなってきた。ゴロンと寝返りを打った瞬間、寝ぼけた頭が完全に覚醒する。魔王と目が合ったからだ。
テーブルに肘をつき、こちらを見ながらグラスを傾けている姿は、昨日寝る前に見た時と変わりがない。
「……ええ……ずっと飲んでたわけ?」
「ああ……朝か」
朝か、じゃないんよ。
「魔王って、寝なくて平気なの?」
「少しは眠るが、数日は平気だ」
アニメ1クール夜通し見て、そのまま仕事行くとかできるじゃん。羨まし。枕元のベルを鳴らしてトトラを呼ぶ。
「おはようございます。ユズハ」
「おはよう、トトラ」
洗顔用のボウルと共に現れたトトラは、ペコリと頭下げた後、ふと背後を見て……魔王の姿を認め、凍り付いた。
「……ま、ま、ま」
この前も姿消してたし、トトラは魔王が怖いんだろうか。このタイミングで呼んだのは悪かったかな。そう思ったのだけれど。
「魔王様とっ!ユズハがっ!そうですか!おめでとうございます!」
「!?待って違う!おめでとうございまさない!」
変な誤解が生まれた。そうか。よく考えたら一国の王と共に夜を明かしてしまったのだ。
「このお部屋にユズハを通したということは、やっぱりそういうことだったのですね!」
「どういうことだってばよ」
「このお部屋は代々、魔王様の愛人のお部屋として使われてきました」
「愛人部屋かよ!」
最悪な部屋、割り当てられとる!
「お酒係と言うのは、素直になれないお二人の言い訳だったのですね」
「落ち着いてトトラ、よく聞いて」
トトラの前足をしっかり掴み、目を見て言う。
「正真正銘の酒係なんだわ。魔王を見て。ほら、酒飲んでるだけ。ずーっと。夜通し。わかる?あれはただのアル中だ」
「あるちゅう」
「ごめん、そのワードは覚えなくていい」
トトラは魔王と私を交互に見つめた後、ピンと張っていた尻尾と耳をしょんぼり下げた。
「……そうですか」
ガッカリさせてしまったらしい。
「ほらもう。朝の準備するから飲んだくれ魔王は帰る!」
言いながらぐいぐいと魔王の部屋のドアへと押し出す。本当ならビクともしないはずだけど、仕方なさそうに魔王は足を進めた。
「俺がいると不都合があるのか?」
「着替え。プライバシー」
「そのコロボックルはいいのか」
「トトラは癒し」
「俺は」
「魔王」
腑に落ちない顔をしている魔王がいたが、容赦なく扉を閉めた。
「ユズハは……魔王様と仲良しですね?」
「そう見えた?」
「見えました」
「魔王が私の気安さを許してくれてるだけだよ」
「仲良しでないのに、魔王様がずっとお部屋に居たりはしないと思います」
「………」
それもそうか。
顔を洗って、トトラが並べてくれた朝ごはんを取る。塩気のきいた魚のスープと、パン。ちょっと物足りないので、青汁をプラスしておこう。やべぇ、異世界で健康になってしまいそう。
ベッドのシーツを取り換えてくれているトトラに、声をかける。
「ところでさ。この国の組織構造ってどうなってるの?」
「構造ですか?」
「トップは魔王でしょ?その下に幹部とかはいるの?」
「魔王様の手足となって働かれるのは、初代魔王様の時代から代々続く三家です。グラース家、ジェッラ家、ホルオン家。今は、ヴェンス・グラース様、セレン・ジェッラ様、セト・ホルオン様です」
なんと。幹部三人に、私もう会ってた。
「それぞれ何を担当してるの?」
「何をとは?」
「いやえっと、ヴェンス課長は金庫番みたいだし」
この問いには、トトラはうーんと首を傾げた。
「ヴェンス様は人間との取引をされているようですが……基本的にどの方も、魔王様に頼まれたことをする為にいるので。得意なことであれば……セレン様は大変お強いそうなので、戦でしょうか」
「ああ、うん。そんな感じだったね。セト君は?」
「セト様はお優しいです」
「おう」
「よく、城下を見て回っているようです」
「なるほど」
明確な役職があるわけじゃない。頼まれれば何でもやる。だけどヴェンス課長は、一応経理と営業?セレンさんは軍事系。セト君は民間との折衝って感じなんだろうか。
「農作物の管理状況とかを知りたいなら、ヴェンス課長なのかな」
「そういうのは、セト様の方がご存知かもしれません」
「そっか。それぞれに部下はいるの?」
「部下ですか?……コボルトがたくさん?」
「……他の魔族は何してんの?」
「畑を耕したり、海の魔獣と戦ったり、物を作ってみたり、お店を開いてみたり、やりたいことをやります」
……おかしいな。お酒飲んでないのに頭痛がしてきた。よくこれで国が回ってるな。違うか。回ってないから人間を襲うしかなくなるのか。
食事を終え、歯磨きと着替えを済ませたところでまた魔王が入ってくる。
「……寝なくていいんですか?」
「問題ない。お前は一人では動けんだろう。どこへ行く?」
「いや、魔王様に何とかしてもらわなくても、他の人に頼みますよ……」
魔王直々のタクシーはいい加減やめたいんだけど。しかし、魔王からの応答がなくなった。
「口調をどうした?」
「え?ああ……仕事の時は一応敬語使いますよ」
「別にいい」
「いや、なんかその方が仕事モード入れるんで。とりあえず今日はヴェンス課長に資料見せて報告します。その後、お金以外の資源の情報を集めようかと」
魔王は何か言いたげだったけれど、結局口を閉じて歩き出した。ついて来いというように手を振って。
「コボルト、ヴェンスを呼べ」
部屋を出る間際にそう呟く。その場にトトラはもういなかったけれど、誰かが聞き届けてくれるのだろうか。そして魔王が向かったのはバルコニーでも下の階に続く吹き抜けでもない。
最上階の一室だ。大きな扉を開くと、広めの部屋に長方形のテーブルと、椅子がズラリと並んでいる。会議室のようだ。
「こんなところ、あったんですね」
「久しく使っていないが。ヴェンスに話をするならば、ここに呼べば良い」
さらっと、最近会議をしていないって言った?
いや、いったんそこは置いておこう。
一番奥、テーブルの短辺にあたる席。明らかに一脚だけ豪華な椅子に、魔王が腰かける。そして自分の右隣を示してくるけれど、そこは次点の上座にあたると思う。
「そこは、ヴェンス課長が座るべきかと」
「何故だ」
「日本人的感覚で……」
「なら、お前はどこに座るんだ」
ヴェンス課長の向かいでもいいんだけど、なんか距離近いし、ひとつ席を空けてその隣かな。魔王から見れば、一席開けて左隣。
「何故距離を置く」
「奥ゆかしいので」
「誰がだ。変な冗談を言っていないでそこに座れ」
奥ゆかしいを冗談扱いするんじゃない。
渋々、魔王の左隣に座った。持参した資料をテーブルに広げる。資料は一部しか作っていない。何せ枠線やグラフはパソコンで作れても、文字は手書きするしかないのだ。複製なんてやりたくない。
この世界の文字は、元の世界とは違う。私はどうやら転移者特典で読み書きできるようだけど、パソコンにまでその特典は適用されていなかった。久々にたくさん文字を書いて、手が疲れた……
「魔王様、お呼びですか」
ガチャリとドアを開けて、ヴェンス課長が入室する。私の姿を見て取り、明らかに嫌そうな顔をした。いやぁ、順調に嫌われてるな。
「今度はなんだ、小娘」
「ユズハです。部下の名前くらい覚えて下さい」
「お前を部下とは……」
「座れ」
魔王の一言で、ヴェンス課長が黙って、私の向かいに座る。
「先日調査した内容を資料にまとめました」
資料をテーブル越しに、課長へ差し出した。
「一枚目は、現時点で金庫室にある貨幣および宝飾品の品目と数量。二枚目は過去の取引履歴に使用された貨幣の平均、宝飾品の予想価値を記載しています。三枚目はそれをもとに、今後の取引でどのように金庫の中身が減っていくかの予想。このままだとおよそ二年で国庫が尽きます。最後に、四枚目は今後の取引に関しての私の所感と提案です」
ヴェンス課長はパラパラとページをめくった後、眉をぎゅっと寄せた。
「この紙切れに何の意味がある?」
「これを紙切れと見るか、資料と見るかは読み手に依るでしょうが」
ぐっと拳を握る。意識の改革なんて、簡単にできるものではないことは分かっているのだ。それでも。
「ヴェンス課長。この国の行く末を決めるのは誰ですか?」
「……それは、当然……」
私の問いに戸惑ったように、アイスブルーの瞳が魔王をとらえる。魔王は頬杖をつき、私とヴェンス課長を黙って見守っている。
「そう、魔王様ですよね。私は政治のことは詳しくありません。国の命運を決める重い決断なんてできないし、問題解決するためのスマートな対処法なんて思いつきません。部下としての仕事しかできないんです」
「部下としての仕事だと?」
「上司が判断を下すための材料を揃えることです」
ヴェンス課長の指先で曲がっている紙を、トンと指で叩く。
「今の私の上司はあなたです。この資料を、魔王様に見ていただくべきかどうか。それは課長が決めてください」
沈黙が落ちる。数十秒……たぶん一分は経った。これは駄目そうだ。ふぅ、と息をついた。作った資料は無駄になるかもしれない。だけど、今の私ができることを続けるしかない。私がこの国を去るまでに、せめて少しくらいは。もらった衣食住の分だけ、少しは何かを残さないと。この若く頼りない王様の為にも。
「次の仕事として、国内の資源の在庫、今後の産出見込みを把握したいです。このあたりの情報は、セトさんがご存知かもしれないと伺いました。お話を聞いてきても良いでしょうか?」
「好きにしろ」
その許可は、魔王から出た。課長は相変わらず、私に視線を向けない。険しい顔で資料に目を落としたままだ。軽く頭を下げて、席を立った。
◆
ユズハが退室した会議室の中には、重い沈黙が流れていた。
「……魔王様は、このような情報をお求めだったのですか」
ヴェンスの声は、震えてこそいなかったが、小さかった。それでもこの静かな部屋の中では、よく響く。
「わからん。だが……あれに言われて気付いた。金は大事だ」
魔王は閉じた扉を見つめて、目を細めた。
「その金がどう減っていくのか、俺は把握しているべきだと言われた」
「な……無礼な!魔王様に指図をするなど!」
気色ばんで顔を上げたヴェンスに、魔王は視線だけを向けた。
「だが、事実だと思った」
そう告げると、ヴェンスは息を呑む。その姿から視線をそらし、彼の手元の資料へと落とした。
「二年、だったか。いつまでにどれだけの金貨を得る必要があるのか。俺は明確に知らなかった。それが危うい事なのかもしれないと……明確な数字を聞いて初めて思った。二年は短い」
「………」
乾いた音が沈黙を埋める。紙がゆがむ音だ。ユズハが持ち込んだこの紙は異色だ。異様に白い。その白い紙に踊る黒い文字は、鮮やかすぎるコントラストで、確かに魔王国の窮状を示している。
「こちらを……ご覧ください」
ヴェンスの白い指が、端に皺が寄った資料を魔王の前へと滑らせた。
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