2.魔王様の酒係
私は経済学部出身で、経理課所属の人間だ。そんな人間なら、内政チートができるかといえば、そんな都合のいい話があるわけもない。
とりあえず大学卒の経歴が欲しくて入っただけの学校だし。パソコンは得意だけど、社会経済に一家言あるわけじゃない。
仕事経験もそうだ。面接で『パソコンが得意な君はうちの経理部にぜひ』と言われ、まさか今のご時世でも表計算システムでゴリゴリに管理している平成経理なのかと、戦々恐々としながら入社した中小企業だったけど……実態としては、前年度に導入した会計システムでほとんどの処理はオート。しかしその最新システムについていけないおじちゃん課長のサポートがメイン業務だった。
『斎藤さん、この赤い文字がずっと消えないんだけど』と同じ質問四回目の仙田課長に、『大丈夫です。申請不備の社員には連絡しておきました。週末に今週の申請の一覧を見せるので、一緒に確認してください』そう言って微笑むと、仙田課長は『さすが、斎藤さんはすごいねぇ』とニコニコしてくれる。
そんな時間が、割と気に入っていた。私はただ、それだけの人間なのだ。
◇
「んん……?」
眩しい日差しで目が覚めた。ゆっくりあたりを見回すと、石造りの部屋の中。大きな窓から朝日が差し込んでいる。枕元のテーブルには、水差しと……
「ベル?」
長い持ち手のベルが置かれていた。鈴の部分はさほど大きくない。手に持って軽く振ってみると、涼やかな音がした。
「はい。お呼びでしょうか」
パッと、ベッド脇に小さな影が現れた。
「え……!?」
大きな耳。つぶらな瞳。茶と白、ところどころに黒の差し色が入ったフワフワの毛でおおわれたその体は……
「チワワ?」
ロングコートのチワワ。模様はパピヨンよりだけど、パピヨンほどは耳が大きくない。だからたぶん、これはチワワ。
「……?僕の名前はトトラです。コボルトという種族です」
二足歩行のチワワはそう言った。体にはエプロンのようなものをつけている。コボルトって、確か悪戯好きな妖精とかだったような。
「魔王様より、あなたのお世話を仰せつかっております。まずは、こちらをどうぞ」
チワワがそう言うと、目の前にお湯の入ったボウルが現れた。
「これは?」
「お顔を洗ってください」
なるほど。顔を洗い、渡されたタオルで拭いていると、二人掛けテーブルの上に、食事が並べられていく。この部屋にはベッドとテーブルセットくらいしか無い。ベッドは四畳くらいありそうなビッグサイズだけど、本当に寝ることと食事をすることくらいしか想定していなさそうな家具配置だ。手洗いすら廊下を出て少し離れた場所にあるので、ちょっと面倒。
スープとパン、果物が並んでいくテーブルを見ながら声をかけた。
「その手で器用だね」
「魔法を使ってますから」
言われてよく見ると、手を動かしてはいても、器には触れていない。全部浮遊して移動させているらしかった。
「ここにはあなたみたいな種族も多いの?」
「この島に住むのは、魔族と僕達コボルトだけですね。身の回りのお世話は、コボルトの仕事です」
「そうなんだ。ところで、トトラ?は何歳なの?」
「僕は八歳です」
「八歳!?八歳を働かせてるの!?」
カルチャーショック。児童保護はないのか、とおののく私に、トトラは首を傾げた。
「僕は立派な大人のコボルトですよ」
「そ、そうなの?」
「コボルトは一歳になって立てるようになれば働き始めます。三十歳くらいで死ぬ者が多いですが、それまでずっと働きます」
「……大変だね」
「働くのはとっても楽しいです」
ブンブン尻尾が揺れている。本当に楽しいらしい。
「もしかして、魔族もそれくらいの寿命だったりする?」
魔王が二十歳って驚いたけど、魔族の中では高齢だったりするんだろうか。
「魔族はだいたい二百年は生きます。魔王様は五百年くらい生きると聞いたことがありますよ」
全然若造だった。
「他に必要なものはございますか?」
「あ、そろそろお風呂とか入りたいんだけど。あと着替え」
「ご入浴ですね。夕方には用意しておきます」
「ありがとう」
ペコリと頭を下げて、トトラは姿を消した。改めて部屋を見る。昨日まで暮らしていた部屋とは違う。
キリーちゃんの部屋から、私だけ移ることになったのだ。聖女の世話役ではなく、魔王のお酒係という新たな役職になったせいだ。個室ができたのはいい。しかしながらこの部屋にはとびきりの問題がある。それは……
「起きたか」
廊下へ続く扉とは別。隣の部屋へと続く扉がここにはある。その扉を開けてやって来たのは、魔王だ。
「………魔王の隣室、やだな……」
「俺が欲しい時にすぐ酒を出すのが、お前の仕事だ」
小さく零した独り言を聞かれてしまったらしい。酒を出すのが仕事って……呆れた視線を向ける。しかし、私の視線などそしらぬ顔でテーブルに着き、長い指が酒をよこせと催促してきた。
この魔王様、横暴だけど狭量ではない。私がちょっと失礼な言動をしても、それを咎められたことは無かった。おかげで危機感が薄れてしまう。
「出せと言われて……すぐ出るものでもないんですよね」
ワイン、ワイン、と念じてみても、なかなか出てこない。
「なぜだ。昨日はすぐに出していただろう」
「そう言われても……」
うーん、と投げやりに唸る私を見て、魔王がポツリとつぶやく。
「必死さが足りないのではないのか?」
図星をつかれて、呼吸が止まった。
実のところ、そうだと思う。どうやらこの能力は、私が心底必要だと思わない限り、発揮されない。出てくる物にも制限があるけれど、私の気持ちの面でも制限があるらしいのだ。しかし、この魔王にそれを知られると、どう考えてもまずい。殺されたく無くば、と脅迫される未来しか見えない。
「いや……そういうわけでは……」
「………お前が仕事をしないなら、聖女の飯は抜きになる」
「なんでキリーちゃんにしわ寄せがいくの!」
ドンッと拳でテーブルを叩くと同時に、ワインが出た。テーブルの上を転がるワインボトル。滑り落ちる前に、魔王の手がそれをすかさず拾う。彼の口元が不敵に笑んだ。
「やはり、聖女のことになると仕事が早くなるようだな」
「くっ……」
私の庇護欲が悪用されている。この魔王を討伐できる勇者はおらんかね。
魔王は歯噛みする私を無視して、ボトルを開けた。どこからか現れたグラスに、赤い液体がトクトクと注がれていく。朝っぱらから、ワインですか。
「それで、今日は金庫室を見たいのだったか?」
昨夜の会話を覚えていたらしい。結局、あの後はこの部屋に放り込まれて、『話は朝になってからだ』と言われてしまったのだ。
「金庫室というか、帳簿を見せてもらえれば」
「帳簿?」
「……まさか、無いんですか?」
まさかとは思うが。有り得なくもないのが怖い。
「商人との取引の証文はあったと思うが」
「もうやだこの国」
テーブルに突っ伏す私の頭に、魔王の声が降ってくる。
「……この国は、嫌なのか」
抑揚のない声。元気が無さそうに聞こえたのは気のせいだろうか。
「お前から見て、何が問題だ?」
殊勝な質問だと思う。思うけど……何から口にすればいいか分からないくらい問題が山積みなのが問題だというかなんというか。
「とりあえず、情報が揃ってないのでまだ何とも。あ、地理も確認したいです。人間の国も含めて。地図とかあります?」
「探させておく」
スッとは出てこないらしい。そういうとこだよ。
「帳簿は無いんですね?」
「……金庫の管理をしている者を、後でよこす」
うん……一つだけ言っておくか。
「あの、魔王様って、この国を守る義務があるんですよね」
「そうだ」
「で、お金が大事なのは知ってますよね?魔族が生きていくために、食べ物とか日用品とか、買わなきゃいけないんでしょう?」
「そうだな」
「なら、そのお金がどういうふうに減っているのか、魔王様は把握しているべきだと思います」
グラスを傾ける手が止まった。……強く言いすぎただろうか。
「先代の魔王はどうしてたんでしょうね」
「……何代も前からずっと、金庫室の床が見え始めた頃に戦を起こしていた」
「豪快な会計システムですね……」
それで長年何とかなってきてしまっていたなら、そりゃこうなるか。
食事をしながら話をした結果、少しは魔族の文化が見えてきた。
魔王は魔王。魔族から選ばれるわけではなく、生まれつき魔族を統べるものとして存在する。めちゃ強い。魔族が束になっても敵わない。
魔族も強い。人間が剣で切りかかってもほぼ当たらないし、当たっても大した傷にならない。子供の魔族ですら、大人の人間を一ひねりできる。生物的に力量差がすごい。
ただ、その代わりというべきか。人間は工夫する力がすごい、というのが魔王の言。私から言わせれば、魔族が何もしなさすぎのように聞こえるけど。
「で、魔族はこの島からは出られないんですね?」
「出ることはできる。永住はできないだけだ」
「この島みたいに魔力が濃い場所でないと生きられない……」
この島は、魔族にとって楽園であり、狭い檻だ。他の地で魔族が栄えることはできない。聞いている限り、とっくに魔族が人間を駆逐していてもおかしくないのに、そうならないのはこれが大きな原因だろう。それから。
「人間を絶滅させると、食糧調達が面倒になる」
魔王がこういう認識だから。魔族の存続には必要だと認識しているから、人間は生かされている。
とはいえ、人間からしたら百年に一度くらいのペースで戦争をしかけ、一方的に蹂躙してきて金貨や物資をごっそり奪っていく魔族など、災厄でしかない。聖女の召喚は一縷の望みをかけた、大勝負だったに違いない。そう考えると、キリーちゃんの恋は罪深い。ワイルドな神官がいなかったのが全ての敗因だ。いや、もしキリーちゃんが寝返らなければ、彼女はたぶん魔王に殺されていた。聖女召喚を魔王に嗅ぎつかれた時点で、どっちにしろ詰んでたわけだ。
「魔王様、お呼びでしょうか」
食事を終え、最後に水を飲んでいたころ、廊下へ続くドアをあけて入ってきたのはヴェンスさんだった。いつの間に呼んだんだろうか。
「お前、帳簿とやらを知っているか」
「帳簿?」
魔王の問いに、ヴェンスさんが怪訝な顔をする。魔王は知らずとも、彼なら帳簿を付けている可能性はある。信じてるぞ。そのメガネが伊達じゃないって。
「帳簿とは、何ですか」
このエセインテリ眼鏡!
「商人との取引とか、どうやって管理してるんですか!?」
「取引の証文なら、残しているが」
私が質問をすると、今こちらの存在に気付いたように眉を跳ね上げつつも、一応回答してくれる。
「それで?」
「それでとは?前回の取引からあまり大幅に値上げをしているようであれば、つけあがる前に痛い目を見せている」
「………」
黙りこんだ私。何故か気をよくしたように、ヴェンスさんは得意げに胸を張った。
「しかし、脅しすぎても次回以降の取引に差し障る。この加減が難しいのだ」
インテリの見た目しておいて、解決方法が脳筋だ。思わずため息が出た。
「ヴェンスさんは、今金貨が何枚あるか把握してますか」
「あの枚数を毎日数えているわけがないだろう」
馬鹿を見る目をされた。駄目だこりゃ。
思わず立ち上がる。
「金庫室、行ってもいいですか。魔王様。いいですよね」
「何を言っている小娘。貴様などが立ち入って良いわけがなかろう」
「構わん。入れてやれ」
「魔王様!?」
「酒係。余計なことをすれば聖女の命は保障できんと思えよ」
座ったままグラスを煽り、魔王様がそんなことを言う。
「当然です。私は金庫室の金貨を減らすんじゃなくて、増やしたくて見に行くんです」
◇
神様グッジョブ。そう心から思った。祈りが届いて出てきたノートパソコンと太陽光のモバイルバッテリー。これがあれば勝てる。ひとまず充電があることだけ確認して、ノートパソコンを手に部屋を出た。
魔王はまだ酒が残っているとか言って席を立とうとしなかった。ここ、一応私の部屋では?いいけどさ。
新しい部屋は、キリーちゃんの部屋とは建物自体が違う。この城で一番高い棟だ。魔王の部屋があるところだもんな。たぶん、八階くらいある。廊下を進み、バルコニーの前を通り過ぎて、広い廊下をぐるりと一周すると吹き抜けがあった。どうやらバルコニー以外からも、上下の階に移動する場所はあるらしい。そりゃそうか。いちいち外に出るのは面倒だ。
けれどやっぱり、ここにも階段は無い。手すりの無い付きだした廊下の向こうへ足を踏み出せば、真っ逆さま間違いなしだ。
「では、行くぞ」
「待って待って」
バサリと翼を広げたヴェンスさんの服を慌てて掴む。
「離せ!なんだ!?」
「私、飛べないんで」
今にも振り切って飛び出しそうなヴェンスさんに、端的に状況を伝える。彼の目が一瞬丸くなり、たちまち蔑むような表情に変わる。
「そうだったな。下賤な人間め」
「そうですよ。そんなわけでよろしくお願いします」
よいしょ、と翼を避けて背中に張り付いた。
「なっなんだ!やめろ!」
「運んでください」
「なぜ私がそんなことを……」
「ああ、ヴェンスさん、細いですもんね。私を運ぶの難しいですか。セトくん呼びます?」
「セト!?だまれ、小娘一人運ぶくらい造作もないわ!」
なんてちょろい。しがみついた私をそのままに、ヴェンスさんが飛び降りた。
翼が動かしにくそうだ。体の両脇でモゾモゾするのがくすぐったい。
速度はほとんど殺してもらえなかった。着地の瞬間のみ、ふわりと浮遊感がある。数秒とはいえ、八階からのダイブはかなり怖かった。ヴェンスさんに運んでもらうのはできるだけ避けよう。
「金庫室は一階なんですか?」
「黙ってついてこい、小娘」
「さっきから小娘って……ヴェンスさん、いくつなんです?」
魔族は人間より長寿みたいだけど、魔王もセトくんも若いからなぁ。ヴェンスさんもパッと見は、私とそう変わらないように見えるし。
「私は今年で五十八だ」
「仙田課長と同い年じゃん」
「誰だそれは」
「じいちゃんにおぶってもらってごめんなさい」
「誰がじいちゃんだ!」
そんなコミュニケーションを取りながら廊下を進むと、物々しい黒の扉に、赤い魔法陣が浮いているのを見つけた。
「……まさか、これですか?」
「そうだ。許可の無い者が立ち入ると、たちまち細切れになり……」
「細切れ!?」
「魔王様の目の前に降ってくる」
「……迷惑じゃない?」
「先代の魔王様は、寝ている時にそれで目覚めたことがあったそうだ」
「かわいそう」
最悪の目覚めすぎる。
「目の前に降ってくる仕組みは削ってもいいんじゃ?」
「この保護魔法は初代魔王様が作った、城全体を守る魔法の一部だ。書き換えることは容易ではない」
「今の魔王様や先代様にはその技術が足りなかったってことですか?」
「無礼だぞ。そんなわけがなかろう。ただ、これほどの大規模な魔法の書き換えには、時間と金がかかるのだ」
「シビア……」
魔法も案外世知辛い。
「私も入れないんですか?」
「魔王様が許可された。今のお前は入ることができるだろう」
不満げにそう言いながらヴェンスさんが魔法陣に手をかざすと、ゆっくりと扉が開く。中に広がるのは、まさに金銀財宝。宝石や宝飾品、金貨が無造作に置かれている。漫画やアニメで見たことある。お宝を集めたがるドラゴンの住処がこんな感じ……管理の仕方がドラゴンレベルってさぁ。
魔王が言っていた通り、ちらほら床が見え始めている。戦争直後は、きっと山のように積まれているんだろう。
「なるほど……金貨以外もあるから数字に起こしにくいな……」
とりあえず、その場にノートパソコンを置いて、表計算ソフトを開いた。
金貨以外だと……銀貨と銅貨かな?同じ金貨でもサイズ違いとかあるかもしれない。
「ヴェンスさん。貨幣の種類ってわかります?」
「馬鹿にするな。大金貨、小金貨、大銀貨に小銀貨、銅貨だ」
なるほど、五種類か。
「どの硬貨がいくつあるのか調べます。手伝ってください」
「なんだと!?」
ヴェンスさんの視線が私と金庫室を交互に泳ぐ。
「これ、全てをか!?」
「そうです。帳簿さえちゃんとつけてれば、こんなことしなくて良かったんですよ」
「必要性が分からん!」
「じゃあ、あとどれくらいでこの金庫室が空っぽになるのか明言できますか?」
「……どれくらいだと?」
「帳簿を付けていれば、分かるんですよ。あと何年猶予があるのか。もしくはもう一か月も無いのか」
ヴェンスさんの目が、金庫内の金貨をザッと見る。
「普段の取引額を考えれば、あと五回は問題ない」
視線の動きは頼りないが、声は力強かった。
「そうですか。取引ってどれくらいの期間でやってます?」
表を整えながら、聞き取りをする。商人の船が来るのは約半年に一度。前回来たのは四か月くらい前、と。どうやらこの世界の暦は元の世界とほとんど変わりがないようだ。助かる。
「ヴェンスさんの感覚が確かなら、あと二年くらいでお金が尽きるってことですね」
「私の感覚に狂いはない!」
「それを裏付けるためにも、数字は必要です。数えるの、ヴェンスさんがやりたくないなら、手が空いてるコボルトさん呼んでもらえます?ヴェンスさんは、過去の取引歴が分かる書類を出してきてください。何をどれだけ買って、この金庫室から何をどれだけ持ち出したのか分かるような」
◆
「魔王様!あの人間は何なのですか!」
部屋に飛び込んできたヴェンスを一瞥し、魔王は空になったボトルを逆さに振った後、手のひらの炎で燃やした。
「聖女のおまけで、俺の酒係だ」
魔王の返答はヴェンスの疑問解消の役には立たない。言葉に詰まった後、なおも抗議を続ける。
「金庫室の金をすべて数えるから手伝えなどと言うのですよ!それが嫌ならば取引の書類を出せと!人間ごときが、この私に命令をするなど……」
「それで、お前は何をしている?」
「え?」
「金庫番にも関わらず、金の残量を把握していない。今はその人間からも目を離し、何をしているんだ?」
「そ、それは……」
ぐっと拳を握り、ヴェンスは魔王を睨んだ。
「なぜ、あの小娘の好きなようにさせるのですか」
「様子を見ているだけだ。利にならんと判断すればやめさせる」
「あれは聖女と違い、何の力もない人間だという話だったではありませんか。なぜ様子見など」
「うまい酒を出す」
「……酒?」
「だから、殺すな。この酒が飲めなくなる。今はまだ、様子を見る」
淡々とした指示に、返答はない。
「不服か?」
「いえ……承知いたしました」
不満をにじませた声で寄越された返答。荒っぽい足音が遠ざかっていくのを聞きながら、魔王はため息をついた。
「あれはいくつになっても変わらんな」
魔王は先代の記憶を引き継ぐ。初代魔王から現在に至るまで。ヴェンスの幼い頃のことも、魔王自身の記憶ではなくとも、知識としてはあった。
「……酒係の様子でも見に行ってやるとするか」
◇
魔王が金庫室の前へ行くと、五名のコボルトが忙しなく働いていた。木を削って布を張り付け、手際よく箱のようなものを作っている者が三名。出来上がった箱を金庫室の前に並べている者が一名。さらに、ヴェンスの補佐として金庫室の立ち入りを許されているコボルト一名は、金貨を箱に詰めていた。
金庫室の中はと言えば、散らばる金貨は端へ寄せられ、反対側には金貨の詰まった箱が整然と積み上げられ、床が広く見えるようになっている。そこに胡坐をかいて座り込みながら、外に並べられた箱を手に取って金貨を詰めてはノートパソコンに何かを打ち込んでいるのがユズハだ。魔王からすれば光る変な板にかじりついている、異様な光景だった。
「何だこれは……」
「あ、魔王様。いいところに。他のコボルトさんにも、入室許可って出せませんか?金貨を数えるの手伝ってほしいんですよね」
「本日限りなら構わんが……」
「いいって。もう一人来てくれる?」
箱を手に金庫室へと入るコボルトの姿を見て、魔王はユズハの手元を覗き込む。光る板には何か線や文字が書かれているようだが、見たことの無い文字で判読できない。
「何をしているのだ?」
「まずは貨幣の数を数えてます。この世界の造幣技術は思ったより高いですね。銅貨は歪みや大きさにばらつきがありますけど、銀貨や金貨は綺麗なので、一箱で百枚になるような規格の箱をこうして作っていれておけば、今後も管理が楽になりそうです。ただ、適当に置かれてたせいかチラホラ曲がってる硬貨もあるんですよ。そういうのは箱に収めにくいので困ります」
つらつらと語られる内容は、理解できる。理解できるが、魔王にはどういう成果が上がっているのか、何の不満を述べられているのかよく分からない。分かったのは、金貨が曲がっていて困る、という事実だけだ。
「……曲がっているものは、戻してやるから出せ」
「え、そんなことできるんですか!たとえばこれは?」
わずかに反り返っている金貨を受け取り、指でこする。数度力を軽く込めただけで、金貨の反りは無くなった。
「すごい!魔王様天才!」
笑顔でその金貨を受け取り、嬉しそうに箱へ収めるユズハに、魔王は口を少し曲げた。大魔法を使ったわけでも、一振りで魔族を数十人吹き飛ばしたわけでもない。小さな金属片をちょっと擦っただけで、惜しみない賞賛を向けられる。喜びなどはない。ただ、珍獣を見るような目でユズハを見つめていた。
「小娘!持ってきてやったぞ!」
紙の束を抱えて足音荒く歩いてきたのはヴェンスだ。ユズハのすぐそばにどさりと置かれた紙の束。それをすぐさま手にして、ユズハが何か呟く。
「違う文字……読める。転移特典?でもこれだとOCRは無力……ていうか植物紙があるのか」
「小娘、何を言っている?」
「いえ、お気になさらず。これ、宝飾品を支払いに充ててることもありますね。金貨何枚分に相当するかとか、分かってやってます?」
「また細かいことを……!」
「細かくありません。買い叩かれてるかもしれないんですよ!」
すっかり魔王のことは意識の外で、ヴェンスとユズハが喧嘩を始める。詰みあがっていく箱を見下ろして、魔王は小さくつぶやいた。
「管理、か……」
◆
「現在分かった情報をまとめると……一回の取引で大金貨なら四百五十枚分くらい使ってます。結構な額が動いてそう。確かに、取引あと五回は大丈夫。ちょっと宝飾品込みでの支払いの時は下に見られてる可能性があるから、交渉の余地あるかもしれません。それから……やっぱりその商人、ちょっと信用できないですね」
全ての硬貨を数え上げ、過去の取引に関する情報をまとめた頃には夕方だった。目がしょぼしょぼする。お腹もすいた。
報告をしろ、と魔王の部屋に呼び出され、険しい顔のヴェンスさんと気だるげな魔王に対して今のところ分かっていることを話す。取引があと五回は出来るという自分の目算が正しかったことを知って、得意げな顔をしていたヴェンスさんは、私の最後の言葉に眉を跳ね上げた。
「どういうことだ?」
「この取引証文にある、金貨一箱っていう単位。これ、五十年前に大金貨五十枚入る箱を一箱として取り決めて、一箱で野菜を百箱、みたいな取引を長年してるんですよね。で、その箱は商人が持ちこんで、大金貨を詰めて返すような慣習。一箱五十枚っていうのは、当時の取引履歴に明示されて残ってます。なんですけど……最近の取引では、実際にその箱におさめていた大金貨の枚数は五十二枚だったそうですよ」
「何!?」
ヴェンスさんが声を張り上げた。
「たぶん、どこかのタイミングで箱のサイズを少し大きくされたか……あるいは金貨のサイズが変わった可能性もあります。が、商人側が気付いていないはずないので、黙っているなら悪意はあるかと」
「……お前、気付いていなかったのか?」
魔王の視線を受けて、ヴェンスさんが凍り付く。返事がない。
「これに金貨を詰めるの、ヴェンスさんじゃなくて補佐のコボルトに任せてましたね?あの子、この箱に大金貨をびっしり詰める、っていう指示しかされてなかったから、いつも五十二枚入れてたらしいです」
「な……許せん!コボルトをここに」
「ヴェンスさんは、ちゃんと説明してたんですか?」
コボルトを今すぐしょっぴきそうなヴェンスさんを慌てて止めた。
「必要なのは五十枚だって。ちゃんと数えて入れろって、指示しました?」
「いや……それは、しかし」
「上司の指示不足で部下がミスしたなら、それは上司の責任です。コボルトへの指導は必要ですが、まずは自分の仕事を顧みましょう」
「小娘……!」
牙をむいたヴェンスさん。今にもとびかかってきそうで、ちょっと体をのけぞらせた。やばい、調子に乗りすぎたかもしれない。けれど、魔王が軽く手を上げて、それを制した。
「状況は理解した。よくやった、酒係」
「これは酒係の仕事じゃないんですけどね」
「では、金庫番補佐」
仕事増えた……
いや、でもこれはチャンスかもしれない。本当に金庫番補佐になれれば、いつか商人との取引にも立ち会える可能性がある。こっそり船に乗り込ませてもらえれば、この島から脱出できるのでは。
にこっと笑顔を向けた。
「金庫番補佐、承りました。よろしくお願いします。ヴェンス課長」
「かちょうとは何だ……?いやまて、お前が部下になるなど認めんぞ」
「ヴェンス。命令だ。人間の商人などに良いようにされるな。金庫番補佐の言う管理をやってみて、そのやり方が不利益となるようなら言え」
魔王の一言で、ヴェンスさんは黙った。……案外、この魔王って結構味方してくれるんだよな。
知識が無いだけで合理的ではあるのかもしれない。必要ならどんな手法でも取り入れるような。
「金庫番補佐」
「はい?」
話が終わったと見て部屋を出ようとすると、魔王に呼び止められた。
「話がある」
「え、今ですか?」
私の不満を代弁するように、お腹の音が盛大に鳴る。部屋を出て行くヴェンスさんが、私の横を通り過ぎる瞬間、鼻で笑ってきた。仕方ないじゃん、お昼抜きだったんだもん。
「……食事の後で良い」
「お風呂も入りたいんですけど」
「寝る前で構わん」
ヴェンスさんに比べると、よっぽど魔王の方が優しい上司なんだよなぁ。
◇
「あー、さっぱりした」
用意してくれてあった着替えは黒いワンピースみたいな寝巻だった。背中がパックリ空いてるのはたぶん、羽がある魔族基準なせいだろう。あと、なんかレースとかついてて可愛い感じ。この際、デザインはどうでもいい。ずっと同じ服を着ている気持ち悪さから解放されたことが重要だ。
「待ってください!髪がまだ乾いていません」
「いいよ、もう。適当で」
「ダメです!」
トトラに後を追いかけられながら、風呂場から部屋に戻る。トトラが起こしてくれているらしい風が私の髪をふわふわと踊らせていた。ポテポテと後を追いかけてくる姿がなんというか……
「……可愛いな」
「そうなんです。僕すごく可愛いんです」
真剣なトーンで返された。
「人間は僕達コボルトの姿を見ると心を惑わせるそうなんですが、中でも僕はとびきり可愛いと思うんです。ユズハは大丈夫ですか?僕のせいでおかしくなりませんか?」
「ンっふ……」
噴き出さなかった私えらい。つぶらなお目目、愛らしい手足。口を開けばこれ。破壊力高い。
「そ、そうだね……すごく可愛いもんね。おかしくならないように気を付けるね」
「ユズハは理性的でえらいですね!」
褒められちゃったよ。とりあえず撫でくり回していいかな。
部屋のドアを開け、テーブルについて水を飲む。このあと魔王の呼び出しか……もう眠いんだけどな。
「そういえば、魔王様の名前って何なんだろうね?」
「魔王様ですか?魔王様は魔王様ですよ」
私の問いに、トトラがすぐさまそう答える。知らないってことだろうか。
「俺に固有名は無い」
「うわ、びっくりした」
突然、隣の部屋のドアを開けて魔王が入って来た。本当にプライバシー無いんだけど、どうなってんだ。
振り返ると、トトラは姿を消していた。逃げたな。
「名前、無いんですか?」
「生まれつき魔王で、他に魔王と言う存在はいない。魔王が名前のようなものだ」
「ふーん」
魔王は役職って感じがするけど。
ああ、あれか。これはキリーちゃんが名前をつけてくれるやつだな。たぶん。キリーちゃんに今度促してみよ。
「それより酒係。ワイン以外は無いのか」
「え?あー……」
そういえば、二連続で同じ赤ワインを渡していた。購入したことが無いものでも出せるなら……買うかどうか悩んだことのある他の高級酒でもいけるかな。あの一万円以上するウイスキー。日本の有名ブランドのやつ。あれ、一回飲んでみたかった。
「あ、出た」
もしかして、タダで飲めるのか?という期待が高まったせいだろうか。特徴的なラベルの瓶がテーブルの上に鎮座している。
「これは何だ?」
「ウイスキーです。ロックで飲みたいですね」
「ロック?」
「氷を入れた上に注ぎます」
「ふむ?」
魔王がグラスを出した。武骨なワイングラスみたいなそれに手をかざすと、氷の塊がゴロリと入る。
「この上に注ぐのか?」
「そうですね。あ、注ぎますよ。その代わり私の分のグラスと氷もお願いします」
製氷機能もついているなんて、最高の晩酌魔王だな。魔王のグラスにウイスキーをついでやって、仕方なさそうに出された氷入りグラスに、私の分も入れた。やった。高級酒!
香りを吸い込むと、甘さのある木の香りを感じた。口に含めば、香りどおりの滑らかな甘みが舌を撫で、芳醇な香りが鼻に抜けていく。ロックなのに濃い。だけどトゲが無い。これはグビグビいけてしまうやつ……
あ、なんかチョコ食べたくなってきた。ハイカカオのやつ、絶対合う。絶対ほしい。
「……今度は何を出した?」
「チョコです。チョコ。どーぞ」
個包装を剥いて口に入れると、チョコの苦みとウイスキーの残り香がまじりあって、たまらなかった。私の様子を見て、魔王もチョコを手に取る。小さなかけらを口に放り込む姿がなんかシュールだ。
「で、話って何ですか?」
「……いや……」
珍しく言い淀んでいる。言いにくいというよりは、何を聞くか悩んでいるような。
「お前は、何者だ?」
悩んだ末に、変な質問をぶっこんできた。
「私は、聖女様のおまけでお酒係で金庫番補佐なのでは?」
「元の世界でも金庫番補佐だったのか?」
ああ、そういう。
「まぁ、近いものではありましたね。組織のお金を管理する部署だったんで。毎月どれだけのお金がどういう目的で出て行ったのかとか、いくらお金が入って来たのかとか、そういうのをまとめる仕事です」
お風呂上がりの喉の渇きに任せて、グイっとグラスを傾ける。豊かな香りと共に流れ込んできた冷たさが喉を焼く。あ、やばい。一気に行き過ぎた。ぐわん、と頭が揺れる。
「なるほど。お前の使い道は、そちらか」
「使い道っていうの、どうなんですか。なんかまおまおは、ずっとそういう風にしか人の事見てないんだもんなー」
「まお……?」
「為政者としてはね、大事だと思うよ。そーゆーの。人材配置とか。でもさー、なんか役に立たないならいらないみたいなの、どうかと思うよ、まおまお」
「……よくわからんが、その呼び方はやめろ」
「だってさぁ……わたしが使えないってなったら、ころすんでしょ」
頭が重い。瞼が重い。あれ、私こんなに弱かったっけな。鈍い音と共に、額をテーブルにぶつけた。けれどもう、首を持ち上げる力が出てこない。魔王の、大きなため息を最後に聞いた。
ご覧いただきありがとうございます。




