表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
今世はもう我慢しません!家を捨てて、精霊たちの森で自由に生きます。  作者: ちょこだいふく


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/10

6.自分の足で

翌朝。

リシェルは、そっとベッドから身を起こし、窓から差し込む光に目を細めた。


身体のあちこちにはまだ鈍い痛みが残っている。

けれど、それでも今日はどうしてもやりたいことがあった。


(……鏡)


立ち上がり、ゆっくりと鏡の前へと歩み寄る。


映った自分は、やはり少し疲れた顔をしていて、

頬にはまだ白いガーゼが貼られている。


(……でも、昨日よりは……)


胸の奥に小さく息を吸い込む。


「……わたしは……よく、やってる……」


喉がかすかに震える。

それでも、昨日よりずっとスムーズに声が出た。


「……いつも……ありがとう」


言いきった瞬間、胸の奥がじんと熱くなる。


(……言えた……)


完全ではない。

まだ声は小さいし、途中でつかえそうにもなった。

それでも──確かに、言えた。


(少しずつでいい……私は、変わっていける)


ふと、ガーゼの下に隠れた傷に触れそうになり、そっと指を引っ込めた。


(……この傷)


鏡の中で、ガーゼ越しに自分の頬を見つめる。


(“王妃”にはふさわしくない顔……そう思われるのなら)


だったら──と、思考が自然と繋がっていく。


(だったら、これを理由に……婚約を、辞退できるんじゃないかしら)


“王太子の婚約者”という立場から退く。

その代わりに、表向きには“神のもとで静かに祈る道を選んだ”という形にする。


(修道院……)


顔に傷を負ったことを恥じ、心を鎮めるために修道院へ入る──


そう言えば、少なくとも体裁としては不自然ではない。


(……そこから先は、私次第)


修道院に行くふりをして、途中で姿を消す。

どこか安全な場所へ──森の中、誰にも知られない場所へ逃げる…。


ぼんやりとした輪郭だった“逃げ道”が、

ようやく形を持ち始めた気がした。


その時だった。


コン、コン。


控えめなノックの音が、静かな部屋に響いた。


「……リシェル様、ヘレナでございます。入ってもよろしいでしょうか?」


「ええ。どうぞ」


返事をすると、扉がそっと開く。

ヘレナが朝食のトレイを抱えて入ってきた。


「おはようございます、リシェル様。お加減はいかがですか」


「……おはよう、ヘレナ。痛みは……まあ、なんとか、ね」


そう言うと、ヘレナはトレイをテーブルに置き、

少しだけ申し訳なさそうに微笑んだ。


「他の使用人たちは……相変わらずでございましたね」


リシェルは、思わず目を瞬いた。


「……え?」


「今日も、こちらに伺おうとしましたら……誰もこちらのお部屋の様子を気にしていないようでしたので」


ヘレナは、わずかに肩をすくめる。


「ですが、それはそれで……悪いことばかりでもございません」


「……どういうこと?」


問い返すと、ヘレナは少しだけ声を落として続けた。


「誰もこっちを気にしてない分、わたくしはこれからもこっそりとお部屋に伺いやすくなりまして」


「……ああ」


思わず、ふっと笑いがこぼれた。


(そうか……無視されているのは、悪いことばかりじゃないのね)


自分でも驚くほど自然に笑ったことに、リシェルはほんの少しだけ目を見開く。


ヘレナは、その変化を見逃さなかった。


「……今、少しだけ……前よりも、柔らかいお顔をなさいました」


「そうかしら」


「ええ。とても……いいお顔でございます」


そう言ってから、ヘレナは椅子を引き寄せ、そっとリシェルの髪に手を伸ばした。


「髪を少し整えさせてくださいませ。リヴィア様に似てとてもお美しい髪ですわ」


柔らかな指先が、優しく髪を梳いていく。

そのたびに、胸の奥の緊張が少しずつ解けていく気がした。


しばらく沈黙が流れたあと、リシェルは、迷いを飲み込みきれずに口を開いた。


「……ヘレナ。実はね」


髪に触れる手が、ほんのわずかに止まる。


「昨日……トマスと、少し話したの」


「トマスさんと…?」


「ええ。馬小屋のところで。

 ……ヘレナが、トマスも私の味方でいてくれるって言ってくれたから」


ヘレナは驚いたように目を瞬き、けれど否定も詮索もしてこなかった。


「……話してみて、いかがでしたか?」


「…少し…怖かったけれど……話せて、よかったわ」


胸の前で指を絡ませる。


「私ね、この傷を理由に…王太子殿下との婚約を、辞退できないかと考えているの」


ヘレナの手が、そこで完全に止まった。


「…………」


驚き。

心配。

そして──どこか、安堵にも似た感情。


様々な想いが、その瞳の奥をかすめていく。


リシェルは続けた。


「この顔では……“将来の王妃”としてふさわしくないって、きっと言われる。だったら、私は…“修道院に入りたい”と申し出ようかと思うの」


ヘレナは、静かに息を吸い込んだ。


「……心を鎮めるために、と」


「ええ。今のままでは、婚約者として王太子殿下のお傍に立つ資格がない、と。…だから、神のもとで祈りながら、己を見つめ直したい……って」


言葉にしてみると、嘘と本音が複雑に絡み合っていくのが分かる。


修道院に行きたいわけではない。

本当に求めているのは“自由”だ。


けれど、それを正面から言えるほど、この家の空気は甘くなかった。


しばらく沈黙が続いたあと、ヘレナはそっと手を離し、正面からリシェルを見つめた。


「……リシェル様」


「なに?」


「それは……もう、お決めになられたことでしょうか?」


問いかけはとても慎重で、どこまでも優しかった。


リシェルは、少しだけ視線を落とす。


「……まだ、ちゃんとは決めていないわ。でも……このまま何もせずにいるのは、違うと思うの」


(ここにいたら、私はまた人形のように生きることになるわ)


胸の奥で、その言葉が静かに響いている。


「自分のことを……自分で助けたいの。」


ヘレナの瞳が、ふっと柔らかくなった。


「……わたくしは、リシェル様に拍手を送りたい気持ちでいっぱいでございます」


「……拍手?」


「ええ。ご自分の人生を、ご自分の手で選ぼうとなさっていることが……どれほど尊いことか」


ヘレナは、静かな声で続けた。


「……修道院の件をお父上に申し出るかどうかは、まだお決めにならなくて構いません。けれど……いつかその時が来たとき、リシェル様が“ご自分の選択だった”と胸を張って言えるように……わたくしは、そばにいたいと思います」


胸の奥が、じんわりと熱くなる。


「……ヘレナ」


「はい」


「……ありがとう」


それしか言えなかった。

けれど、その一言に、今のリシェルのすべてが込められていた。


ヘレナは深く頭を下げる。


「わたくしはいつでも、リシェル様の味方でございます。たとえ世間が何と言おうとも」


その言葉は、ゆっくりと、しかし確実に胸の奥に染み込んでいった。



ヘレナが部屋を出ていくと、静寂が戻ってきた。


さっきまでそこにあった温もりが消えてしまったようで、少しだけ心細くなる。


けれど──


(……私には、ヘレナがいて。トマスもいて)


前世には、一度も持てなかった“味方”が、今世には、確かに存在している。


(……逃げるって言えなかったけれど)


“修道院”という言葉に隠した本音を、ヘレナはきっと、どこかで気づいている。


追及しないまま、そっと支えようとしてくれていることが分かるから、余計に胸が熱くなる。


(……ちゃんと……計画を立てないと)


婚約辞退の申し出。

修道院という建前。

そこから先にどう動くか。


考えるべきことは山ほどある。


(……怖い。でも、やるしかない)


小さく息を吸い、吐く。


(……私の人生を、私の足で歩く)


窓の外を見ると、空は重たい雲に覆われている。


けれど、その向こうには、どこまでも続く青空があるはずだ。


(……私の行き先は、この家の外にある)


リシェルは、そっと拳を握りしめた。


その胸の奥には、もう消えることのない、静かな決意の灯がゆっくりと、しかし確かに燃え続けていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ