2.静かな違和感
どれくらい眠っていたのだろう。
リシェルはゆっくりと目を開けた。
窓から差し込む光は柔らかいのに、頭の奥は鈍く痛む。
(…そうか、落ちたんだ、私)
ゆっくりと上体を起こす。
身体のあちこちがじんわり痛むのに、不思議と心は冷えていた。
“誰かが駆けつけてくれるかもしれない”
そんな期待は……最初から、微塵もなかった。
部屋は静かだった。
扉の向こうから人の気配はしない。
足音も、声も、布の擦れる音すらない。
(……やっぱり、誰も来ないのね)
嫡出の娘が階段から落ちたというのに、家のものは誰ひとり心配していない。
その事実が、胸の奥でひどく冷たい音を立てた。
(…前世は過干渉、今世はネグレクト…本当にろくなもんじゃないわね…)
視界が少しにじむ。
でも涙ではない。
もっと、乾いた感情。
“この状況はおかしい”…そう心のどこかが告げていた。
前世の記憶が混ざり、自分がどれほど“当たり前に我慢してきたか”がじわじわと浮かび上がってくる。
自分を大切にしないのが当たり前になっていた。
誰にも期待されず求められないのが日常になっていた。
(…嫌だ。このままずっと、我慢して生きるなんて…)
──もう、我慢なんてしたくない。
胸の奥で心が叫んでいるようだった。
その時だった。
コン、コン。
控えめなノックが、静かな部屋に響いた。
「……リシェル様、起きておいでですか?」
聞こえてきたのは、かすれた、年長の女性の声。
(ヘレナ……?)
母の代から仕えてくれていた侍女。
継母により下働きに落とされ、それでも時々、廊下の陰から心配そうにこちらを見てくれていた。
「……入っても、よろしいですか?」
その言葉に、胸の奥がほんの少しだけ温かくなる。
「……ええ。どうぞ」
かすれた声で答えると、扉が静かに開き、ヘレナが顔を覗かせた。
彼女はリシェルの姿を見ると、驚いたように息を呑んだ。
「まあ……!お怪我を……!」
駆け寄るでもなく、しかし見捨てるでもなく、丁寧に距離を測りながらベッドのそばに立つ。
リシェルは、その“自然な優しさ”に胸がじんわり緩むのを感じた。
(…あなたは…本当に変わらないわね)
「痛みは……大丈夫ですか?」
ゆっくりと差し出された問いかけは、この家で感じる唯一の“心配”という名の言葉だった。
リシェルは、小さく頷くとも言えず、ただ視線を落とした。
それだけで、ヘレナは何かを察したように静かに息を吸う。
「…リシェル様。今日は…少し、いつもと顔色が違うように見えます」
その言葉は、前世と今世の境界に揺れ動くリシェルの心にそっと触れた。
どこかで何かが、小さく、確かに音を立てた気がした。




