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今世はもう我慢しません!家を捨てて、精霊たちの森で自由に生きます。  作者: ちょこだいふく


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11/15

11.出立の朝

出立の朝は、驚くほど穏やかだった。


空は薄く曇り、陽光は柔らかい。


屋敷の中も、いつもと変わらない。


使用人たちは静かに動き、

廊下は磨き上げられ、

銀器は整然と並ぶ。


まるで何事もなかったかのように。


(……本当に、あっけない)


リシェルは部屋を見渡した。


大きな寝台。

厚い絨毯。

重いカーテン。


ここで生まれ、

ここで王妃候補として育てられ、

そして——今日、ここを去る。


机の引き出しから、小さな袋を取り出す。


最低限の着替え。

包帯と薬草。

顔を隠す薄布。

少しの金貨。


それだけ。


「リシェル様」


ヘレナが静かに入ってくる。


「御者の手配は整っております。小型の馬車でございます」


「ありがとう」


「修道院へ向かう街道までは問題なく」


その言葉の“奥”を、二人とも理解している。


「途中の川は、昨夜の雨で水かさが増しているようでございます」


ヘレナの声は穏やかだ。


けれど意味は明確だった。


(……流されるには、ちょうどいい)


リシェルはゆっくり頷く。


「御者は?」


「トマスの伝手でございます。口の堅い方です」


「怪我はさせないで」


「もちろん」


ヘレナは深く一礼した。


「……お戻りになるおつもりは、ございませんね」


問いではない。


確認。


リシェルは微笑んだ。


「ええ」


迷いはない。


「私は、今日で終わるの」


今日で終わる…令嬢リシェルは。



玄関ホール。


エドマンドは実務的な顔で立っていた。


「書状は修道院へ送ってある。受け入れの準備も整っている」


「ありがとうございます」


カサンドラは淡く微笑む。


「道中、お気をつけて。祈りは真面目に捧げるのよ」


ミネットは、どこか複雑な目をしていたが、何も言わない。


大きな別れの言葉はない。


抱擁もない。


それでいい。


(……もう、私はこの家の娘ではないから)


外へ出る。


北門近くに、小さな馬車が止まっていた。


装飾はない。

見た目には市井の小型乗合馬車にしか見えない。

質素だが中は清潔だった。


“修道院へ向かう令嬢”としてはちょうどいい。


トマスが近づき、帽子を取る。


「道は整っております」


それだけ。


リシェルは小さく頷く。


「ありがとう、トマス」


馬車に乗り込む。


扉が閉まる。


屋敷が遠ざかる。


揺れが始まる。


(……終わった)


涙は出ない。


ただ、静かだった。



街道。


人影は少ない。


森が近づく。


やがて、川の音が聞こえてきた。


御者が馬を止める。


「お嬢様、ここから先は少々ぬかるみがございます」


決まり文句。


リシェルは顔を隠す布を手に取る。


「ここで結構です」


馬車を降りる。


川は確かに水かさを増していた。


トマスの伝手の男が低く言う。


「この先で馬車を横転させます。馬は放ちます」


事故は自然に見せる。


増水した川沿い。

ぬかるみ。

転落。


遺体は流された。


そういうことになる。


リシェルは頷く。


「……ご無事で」


御者の声。


「あなたも」


森の奥へ、一歩踏み出す。


背後で、木材の軋む音。


馬のいななき。


水の音。


やがて、すべてが川音に溶ける。


令嬢リシェルは、ここで終わった。


おそらく王家は探しには来ないだろう。


王家は合理的だ。


事故は不運として処理される。


そして王太子は、別の婚約者を迎える。


世界は止まらない。


だからこそ。


リシェルは、初めて世界から自由になった。


森の空気は冷たい。


けれど、胸は静かに温かい。


(…私は、生きている)


もう誰の娘でもない。


誰の婚約者でもない。


ただ、ひとりの人間として。


静かな自己解放は、誰にも気づかれず、完了した。


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