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忘れ物一つで毎日が世界崩壊~小学校教師が子供に与える影響について~

作者: kayako
掲載日:2026/01/10



 先日、自作の長編小説を書いていた時、ふと気になったことがあった。

 ヒロインが小学生時代、教師による暴言や暴行などに苦しみ、それが今もなおトラウマとなっている……というシーンを書いていた時である。

 勿論その描写はある程度自分自身の記憶に基づきつつも、小説用にかなり脚色して書いたものだが、書きながら改めて思い出してみると――


 私の小学校時代って、教師がかなり酷くなかったか?

 というか、今の基準から考えたら滅茶苦茶じゃなかったか?


 という疑問が不意に頭をもたげてきた。


 小学生、特に低学年ともなると人格が形成されていく非常に重要な時期。それは令和の現在では常識であり、今ではどんな教師もかなり注意を払って子供に接していることと思われる。

 体罰を行なったり暴言を吐けば即座に大問題となり、ヘタをすればニュース沙汰にまで発展する。

 しかし昭和から平成中盤にかけては決してそうではなく、暴力的な教師が当たり前に存在し、それが当たり前だった。

 私自身、そんな時代の教師たちに怯えながら育った人間である。

 夫に聞いても弟に聞いても同世代の友人と話しても、この手の話題になると「とんでもない奴らばっかりだったな」で終始する。


 それを「今はいい思い出」と笑って話せるならまだいい。

 だが問題は、当時の教師による暴力・暴言が人格形成に著しい影響を及ぼし、数十年が経過した今もなお、日常生活や仕事に支障が出るレベルでトラウマとなっているケースである。

 多分私自身もそうだろう。


 私の場合でいうと、「他人に話しかける」「他人に何かを聞く」「他人に意見する」という行為を無意識のうちに忌避するようになってしまった。

 要するに「質問ができない」。

 学生のうちはまだ何とかなるが、社会人になってからこの自分の性質が徐々に弱点となって表れ始め、どこの職場に行ってもだいたい途中で行き詰まってしまう。

 どうして自分がこんな風になってしまったのかを考えているうち、原因は「小学校時代のアレでは……?」と思い至った。




 小学校時代の教師のありようを、順を追って思い出していくとこんな感じである。


 小学1年(某地方都市A:女性教師)→忘れものをするとデコピンを食らわしてくる教師であったが、まぁ今思えば他に比べればだいぶマシな方ではあった。しかし問題は次。


 小学2年(同じく地方都市A:女性教師)→忘れものをした生徒を怒鳴る・威圧する・失敗すれば尻など目立たない場所を叩くは当たり前。

 理不尽にキレられ、机を倒され中のものをぶちまけたりされたこともあった。

 それ以外でも、朝の歌唱中に歌集を忘れているのをめざとく見つけるとその瞬間に怒鳴る・ターゲットにした子供を毎日毎日執拗に監視し何かあれば叱り飛ばす、などなど……身体も大きく縦にも横にもデカかったので余計に威圧感が凄かった。

 1学期は他の子がターゲットだったから助かったが、2学期からターゲットは私に。

 小学校の2学期が100日もあると初めて知ったのはその時である。そして途方もない絶望に陥ったのも。


 そして3学期になりその教師は産休に入り別の女性教師が来たけど、その人はめちゃめちゃ優しくてビックリ。教科書を忘れて、私はホントに駄目でバカでだらしがなくて神様ごめんなさい許してください……と祈りながらそのことを先生に言ったら「うーん、それじゃ隣の人に見せてもらってね」で終了。

 しかし残念ながらその教師は3学期だけの臨時扱いで、次の学年からはまた別の教師に。


 小学3~4年(同じく地方都市A:男性教師):教室で蚕を飼ったり理系の授業に熱心だったりで風変りな先生と評判だったけど、時々暴力的に生徒を責める性質は以前の担任と実はそこまで変わっていなかった。

 生徒たちに毎日日記を書かせていたのまでは良かったが、毎日それをチェックし、自分の気に入らない表現があると突如つるし上げの学級会が始まることも。

 さらに「土台がしっかりしていない」という理由で、せっかく作った粘土像を上から潰されたこともあった。

 当時は「こうなるから土台をちゃんとしないといけないんだ!」と好意的に解釈していたが、今から考えるとあれはやっぱり問題だったとしか……


 また、当時この地域ではスケートの授業があった。

 近くのスケート場を借りて1学年まとめての授業をしていたのだが、当時からスケート靴を履くのは慣れていないと難しく、私一人だけがなかなか履けずに授業時間の大半でずっとモタついていた(蝶結びがうまく出来なかった)

 すると当然教師は大変ご立腹。授業中のみならず学校への帰路、さらにはその後の給食時間中までずっと嫌味を言われ続けた。その時食べていたパンが全くの無味だったことだけはよく覚えている。

 他にも色々とあったが、ウチの親にはたいそう評判が良かった。


 ちなみに、風邪を装って登校拒否を企てはじめたのはこの頃からである。



 小学5年(関東某所・女性教師):5年生になると父の転勤で関東へ転校。この時は教師がどうのより環境に適応するほうが大変だった。いじめやらなんやらで大変だったのは覚えてるけど教師についてはあまり印象がない。


 小学5年3学期~6年(地方都市B・女性教師):1年足らずでまた地方へ転校。しかしそこで出会った教師がまた、2年と同じくらいヤバかった。

 忘れものをしたら即怒鳴る、気に入らない子がいたらつるし上げは当たり前……あたりは2年の時の担任と同じだ。忘れものをしすぎた子が思い切り顔をぶん殴られたのも見た。

 それ以外でも、授業中で何故か話の流れが変わって突然ヒステリーを起こされることも度々あった。日本の国技は何か?っていう授業をしていたと思ったらいつの間にか「あんたたちに! 日本人としての誇りはないのか!!」などとクラス中が怒鳴られていたなんてことも。


 忘れられないのが、私が風邪で休んでいた時に作文の宿題の提出期限が来てた時のこと。

 作文は出来ていたが休んでいたから当然期限には間に合わず、どうすればいいですか?と聞きにいったら「何で今更言うの!? あんた、精神的に幼いんじゃないの!!?」とクラス中に響き渡る声で怒鳴られた。

 休んでいたから遅れただけなのに何故怒鳴られたのか、全く理解が出来なかったのを覚えている。


 6年時の担任については他にも色々ある。

 小学校6年ともなると生徒たちの自我もだいぶ芽生えてきて、教師のヒステリーの被害にあった私をこっそり心配してくれる子もいた。

 しかしその一方、この理不尽なヒステリーから何としても逃れる為、子供は子供なりの自衛手段を講じ始める。

 そのひとつが、「誰かを教師のターゲットに仕立て上げ、盾にすること」。

 幸い2年の時と違い、私がターゲットになることはなかった。そのかわり、ちょっと普段から抜けていたりおかしな行動も多かった子が自然とターゲットに。

 その子の行動を誰かが毎日毎日逐一学級会で取り上げて、それで教師が毎日毎日その子を怒鳴り散らしていた。おかげで教師の攻撃は他の子に来ることはあまりなくなったが、まさしく「歪んだ平穏」であり「偽りの平和」そのもの。


 そんなこんながあって、6年時のクラスはある意味結託していたものの、中学になったら当然クラスはバラバラに。子供たちの歪んだ結束はあっという間に瓦解した。

 自分はその後、クラスの雑事に関わるのが心底嫌になってひたすら勉強に邁進(勉強が出来れば怒られる率は比較的下がることに気づいた)

 で、中学は殆ど誰とも喋らず過ごすことが多くなり、見事なコミュ障の出来上がりである。



 小学校教師で何故か全学年に共通していたのは、「忘れものをすると殺人でも犯したかの如く怒られた」という点(授業中のおしゃべりもこっぴどく怒られたが、私自身はおとなしかったのでそれはあまり記憶にない)

 生徒同士の暴力・暴言など、もっときつく叱るべきところは山ほどあっただろうに……と今では思うが、忘れもので何故あそこまで怒られなければいけなかったのかは未だに理解不能である。


 中学に入ると校則などの締めつけが若干厳しくなったものの、それでも反抗する生徒が多く教師側も辟易していた感があったので、「教師からの圧力」という点で言えば小学校に比べれば相対的にかなりマシだった。教科ごとに教師も変わったので、同じ教師に一日中目をつけられるということもなかったのも良かったと言える。

 それに対し、小学校の頃は教師に「反抗する」という発想が出来ない子供も多かった。教師にひとたび「だらしない」「頭が悪い」子供と見做されれば何の抵抗も出来ず、「自分が悪い」と思い込まされたまま一方的に叩かれたのが小学校である。



 この件について少し調べてみると、昭和の終わりごろから平成中盤にかけて(1980~90年代)は主に中学・高校で校内暴力が吹き荒れた時代でもあり、その被害に遭う教師も非常に多かった。「金八先生」や「スクールウォーズ」の時代であり、もう少しすると「ぼくらの七日間戦争」もヒットする時代である。

 補導された中学生の数も、1980年代が非常に多い(wikipedia調べ)

 その為に中学では不必要なまでに校則が厳しくなったり、管理教育の徹底が小学校まで及んだ結果の「忘れもの=犯罪」的な誤った認識の刷り込みだったのかも知れない。



 よくよく考えたら、生徒が忘れものをするというのはれっきとした理由がある。

 嫌な先生・嫌な授業・嫌な学校には行きたくなくなって当たり前。そうしたら前日に準備をしなくなって当たり前。そして忘れもの発生となる。

 そこで追い打ちの如く教師の怒号などがあるとさらに学校に行きたくないとなり、登校拒否が始まる→さらに教師から目をつけられる。あんまりな悪循環である。



 その苦しみにさらに拍車をかけたのが、親や教師たちによる「お前たちは恵まれている」という刷り込みである。

「戦中戦後の貧しさや、飢餓に苦しむアフリカの子供たちに比べたら……」という論調を再三にわたって使い、子供たちがいかに恵まれた時代に生まれた幸せな存在かを強調。

 つまり、「そこまで満たされていて幸福なはずなのに文句言うヤツはバカ」と言いたいわけである。

 ちなみに1980年代当時、流行りに流行っていたのが「おしん」。

 子供時代から奉公に出されて苦労に苦労を重ねるヒロインの姿が日本中で話題となったのはいいが、学校を嫌がれば「おしんは学校にさえ行かせてもらえなかったんだぞ」の言葉が飛んでくるのは参った。

 確かにおしんは壮絶な苦労をしているのかも知れないが、だからといって今目の前にいる子供たちの痛みを無視していいわけじゃないだろう!……と、当時の大人たちの襟ぐり掴んで怒鳴りたい。

「衣食住が保障されているんだから幸せ」「学校でちゃんと教育を受けさせてもらってるんだから文句言うな」「その権利を自ら放棄するとかありえない」「先生に怒られるお前がだらしないだけ」「お前は甘えて怠けようとしているだけ」これを何べん言われたことか。


 後から考えれば恐らくこれも、子供の反抗や校内暴力の芽をおさえる為の論理だったのだろう。今から思うと無茶苦茶ではあるが、当時はこれがきっちりまかり通っていたのが恐ろしい。

 ついでに言うと、「あなたの為にやっている」も勿論常套句だったな……



 私自身のトラウマも含めて、数々の問題を無数に生んでいたであろう小学校の教師たち。

「毒親」というワードが世間に広まってだいぶ経過するが、これらの「毒教師」とも呼ぶべき教師たちも、同じくらい危険な存在だったのではないかと今にして思う。

 小学生が学校で過ごす時間を考えると、ヘタをすれば親よりも影響力が強い。その上、当時の親たちは教師たちをほぼ神と崇め、絶対的な信頼をおいていた。つまり教師に「問題児」とされた子供は親からの目も厳しくなり、家庭内ですら居場所がなくなるのである。

 1980~90年代ともなるとネットなどほぼ存在せず、テレビもチャンネル権を親に握られていることも多く、ゲームは一日一時間の時代。子供が外部から知識を吸収する手段は非常に限られていた。

 つまり学校で教師にどれだけいたぶられようと、「教師などの大人に抵抗する」「適当に学校をさぼる」という発想に至ることすらできず、ひたすら自分が悪いと思い込んで苦しむ子供も多かったのではないか。



 ******


 ちなみに小学校当時の私の世界ってのはこんなんでした↓


 テレビ番組⇒ドラえもんや戦隊ものなど、弟が見ている子供向け番組のみ。歌番組やドラマなどはほぼ見せてもらえず(というか夜8時以降はさっさと寝ろと言われ、テレビ自体見せてもらえなかった)、人気のドラマとかアイドルとかの情報がほぼゼロ。

 日曜は父が囲碁将棋ゴルフ相撲野球ばっかり見ててチャンネル権奪われる


 本⇒母が買ってくる児童文学や偉人の伝記、もしくは図鑑とかのみ。漫画もあったけどドラえもんぐらいで、弟に買い与えられた漫画雑誌をこっそり読むことが多かった。伝記とかは面白くて夜にベッドでこっそり読んでたけど見つかったら当然怒られた。

 友達から少女漫画借りたらいつの間にかゴミとして捨てられていたのはトラウマ


 おもちゃ⇒リカちゃん人形とかリカちゃんハウスで遊ぶのが圧倒的。

 マンション住まいだったので同じマンションの子たちと外で遊ぶこともあったが、一人遊びのほうが好きだった(そしてたまには外で友達と遊べと怒られた)


 習い事⇒ピアノは母から毎日1時間レッスンを受けていたし、週に2回ぐらい音楽教室にも通わされてた。母が気に入らないと同じところを何回もやり直し。

 歌番組の類を殆ど見せてもらえなかったのも相まって、私は小学4年ぐらいになるまで世界にはクラシックと童謡以外の音楽が存在しないと思ってた(家に膨大にあるワケ分からん音楽関係の本の中に、世界中の音楽の全てが詰まってる本があるもんだと思いこんでたw)


 改めて思うけど今と当時の情報格差酷いな……


 ******


 だが毒親と違い、「毒教師」たちは今、世間で話題になることはほぼない。

 毒親は今でも存在するが、あのレベルの「毒教師」は令和のこの時代、どの学校においても存在を許されないからである。話題になるのは子供に暴力をふるったと訴えられニュース沙汰になった時ぐらいであろう。


 また、世代的に親自身が毒教師の被害者であるケースも多いせいか、教師VS子供の構図になった場合に親が子供の味方になれるのは強い。自分と同じようなトラウマや苦痛を子供に負わせたくないと親が思うのは当然で、その結果が毒教師の激減につながったのではと私は見ている。

 かつて被害者だった子供たちが成長して親となり、自分の子供たちを守る為に毒教師をフルボッコにしている構図と考えるとなんか胸熱。

(ただ、それが高じてモンスターペアレント化することもあるのだろうが……そしてフルボッコにされているのは昔の毒教師たちではなく現在の良心的な教師たちだが……

 多分昔の毒教師たちはうまいことやって教育委員会とかに潜り込んで、今の若い教師たちに圧をかけてるケースも多そう。

 というか、ふと思い立って一番酷かった教師をエゴサかけたら、地域の某スポーツの指導者育成委員会とやらで名前見てしまったのが一番のホラーかも知れない……しかも20年前とかじゃなく数年前のリスト。同姓同名の他人だと思いたいが……)


 とにかく今の子供たちは、決して毒教師に怯える必要はない。

 何かあったとしても親やスクールカウンセラー、他にもSNSなどセーフティネットはある。そのこと自体は非常に喜ばしい。



 しかしそんな中で、未だに毒教師のトラウマから逃れられずに苦しむ人間もいる。コミュニケーションで悩みっぱなしの自分のように。



 こういう話題がSNSなどで出ると、時々「子供の頃のトラウマを未だに引きずるって、成長してないんじゃないかw」だの「当時の貴方も相当悪かったんじゃない?」だのというコメントを見かける。

「私の時もこんなだった!」「こういう暴力教師多かったよね~」もかなり多いが、それに混じってちょいちょいある。被害者(当時の子供)を攻撃するような言葉が。

 それを見るたびに、心のどこかがモヤモヤする。これが二次被害というヤツだろうか。

 荒らしではなく本気でそれを言ってるなら言いたい。貴方がたは運よく毒教師たちのターゲットにならずに済んだだけです!と。

 というか、「相当悪かった」のが本当だとしてもそれ、小学生の子供の頃なんですが。善悪の区別もろくについてない頃なんですが。




 しかも毒教師に苦しんだ世代はちょうど就職氷河期にぶち当たり、それまで必死に信じていた「真面目に勉強して頑張って進学すればいい会社に入れる」の幻想をぶち壊された。

 幸せと言われる時代に生きているはずなのに、何故ここまで苦しまなければいけないのか。何度もそう思わされたのがこの世代である。

 この世代の、幼少期からの人間不信や将来への絶望が高じて結婚・出産を避けることが多くなり、結果現在の少子化に……というのはさすがに考えすぎか。



 過ぎたことに対して恨みつらみを言っても仕方がないが、たまに思う。

 あの頃の自分に、何か出来ることはなかったのかと。学校に行くふりをして街を出歩いてみるとか、近くの公園で好きなだけ遊んでみるとか出来なかったかと。

 しかし結論はいつも、「近所の大人か警察につかまって結局連れ戻されて、親や学校にそれがバレて事態がさらに悪化するだけ」としかならない。それだけ近隣の目が良くも悪くも行き届いていた時代でもある。


 だから当時の私に出来ることと言えば、「風邪を装って学校を休む」ぐらいしかなかった。

 まだ「登校拒否」という言葉もろくになかった時代。授業で必要な教材をなくした、嫌な授業がある、嫌な学級会がある、宿題を忘れてて明日までに間に合わない……

 などなど、傍から見れば「お前そんなことで??」と思われがちだが子供にとってこれらは即、毒教師からの攻撃に繋がるあまりにも切実な問題。


 それを回避するべく、子供の自分は必死だった。「こんなことで何故自分は逃げようとするのか」「本当に自分は卑怯で小心者で幼くてクズで……」「神様ごめんなさい、でも明日だけはどうしても休みたい」などと当時は何度もぐるぐる考え、いるかどうかも分からぬ神様への謝罪を繰り返しながら、風邪をひこうとした。お風呂で冷水をかぶったり、冷たいシャワーを長時間浴びたり、夜中に窓をこっそり開けてお腹を冷やしてみたり。

 大半はうまくいかず、親に怒られながら医者に連れていかれて「登校しても大丈夫ですよ」とかスルっと言われて色々終わる。

 あの頃、心の状況が何故身体にろくに反映されなかったのかが未だに不思議。

(頭痛や胃痛などで反映されてはいたけど「親に言うほどじゃない」「学校に行けないほどではない」という自己判断もあったか)


 よくよく考えれば「お前そんなことで?」と思われるようなことで「犯罪を犯したかの如く叱責・怒号を繰り返す教師」の方に圧倒的に非があるとしか思えないが、当時の自分は「こんな小さなことで休みたくなる自分自身を責める」ばかりで、「先生が怖いから行きたくない」という自己分析まで至らなかった。

 要は、「自分ではなく先生が悪い」どころか「自分は先生が怖い」という気づきすら得られなかったのである。

「先生は神様同然なのだからそれを怖がること自体おかしい」という刷り込みがよほど強烈だったのだろう。



 色々とりとめもなく書き連ねてしまったが、もし今恐怖のあまり萎縮している子供たちがいたら(その原因が毒教師でも毒親でもイジメでも)その全員に言いたい。


「あなたが全面的に悪いということは絶対にない」と。


 というか過去に苦しんでいた人たちにも言いたいし、今なおハラスメントに苦しんでいる多くの人たちにも言いたい。そして一番言いたいのは過去の自分にである。

 もしあの時そう言ってくれて、全てから守ってくれる誰かがいれば、その後の自分の人生も性格も大きく変わっていたかも知れない。アカハラ教授だのモラハラ先輩だのデートDVだのの加害者たちに目を付けられターゲットにされることもなく、あまり被害を受けることなく生きられたかも知れない……と。

 今は旦那こそそういうハラスメントとは全く無縁な人で家庭内は平穏幸せだからいいが、一歩外に出れば、職場ではモラハラ気味な言動をとってくるリーダーがいたりする。

 過去の毒教師たちに比べればどうということはないのだが、そうやって「過去のアレと比べれば……」と考えて耐えてしまうこと自体、これまで出くわしたモラハラパワハラをさらに助長していた可能性も考えると「どこかできっぱり止めなければ」と思う昨今。

(今の職場だと止める手段がほぼないに等しいから困ってるんだが)

 小学校で出くわした子供同士のイジメも、中学で出くわしたクラス中からの無視も、相当酷くなるまで自分で気づかなかったし耐えきれてしまった。

 それを考えると、毒教師の罪は思った以上に重い。



 ともかく一番言いたいのは

「今でも毒教師は(自分から何をするわけでもないが)絶対許してないし

 これからも許すことはない」それだけだ。


 絶対ありえないとは思うが、今後なろうで私が万一書籍化して万一にでも大ヒットしたとして、そして毒教師どもが「私がこやつを育てた恩師でござい」みたいなツラして出てきたら、

 その時こそは死なばもろともの覚悟でぶっ潰す。




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