第三話 状況把握を鬼は問う
悪疫は悪疫だったが、土地を奪うほどの代物ではなく。現実側で溜まった膿の滓だったと騰蛇が説明してくれた。
沖田がわざわざあの武装化したのは、土方への手本もあったが沖田自身がさっさと終わらせたかったと。ほとんどの悪疫退治はあれが日常茶飯事なのだが、まだまだ十二神将抜きに倒す力量は沖田にもない。
『幻夢』に一同戻り、李白手製の夕餉を食べながらの会話だったが……土方はまだ納得がいかないからと膳に手をつけないでいた。
「……あの悪疫じゃねぇのは、いつ戦うんだ」
活力は必要とは李白に聞いてたが、まだ納得がいかない土方には沖田のようにかっくらう気にはなれないでいた。自分は何も仕事をしていないという意固地もあったが。
【……正直、わからん】
騰蛇はそう答え、自分にも出された徳利で酒を啜っていた。その言葉に、土方は軽くイラッときたが……態とでない雰囲気に、腰を上げるのをやめた。代わりに問い掛けを続けてみる。
「軍のように、駐在地があるわけじゃねぇのか?」
【……少し落ち着いたか?】
「……身体はともかく。もうガキじゃねぇ」
沖田はともかく、土方はいい歳で戦死しかけた身だ。素戔嗚尊に見出され、この場で若返りをしても……根本的な精神面はまだ生前のままだった。
それを騰蛇もわかったのか、猪口を膳に置いた。
【本命は百足のように這いずり回る。移動しているようなもんだからな? 具体的にどことまではわからねぇんだ】
「ほんとですよ、土方さん。僕もまだ確実に退治したことはありません」
【ええ。騰蛇や我もまだ数回程度。総司と組んでからも一度とてありません。……多くの死人が出た後からが問題ですから】
朱雀の言葉に、土方はまさかと北の地での戦を思い出した。顔色でさとったのか騰蛇は首を横に振る。
【これからだ。江戸と明治の交錯……時代の変動時期によって、人の生き死に悪疫は喜んで食らっていくんだよ……。本土以外にも大陸でもそうだ。旨い血潮を好むあやかしが、膿になり悪疫と化す】
「……人間を食うのか?」
「それだけではありませんよ、土方さん」
今度答えたのは李白だった。茶ではなく甘酒で胃を温めろと言うのか、土方の前に出してきたので湯呑みを受け取る。
酒粕ではなく、麹の甘味。軽く飲んでみたが、不思議と気分が落ち着いていくようだった。それだけはしっかり飲もうと何度か傾けてみる。
【そうだな。こればかりと弱いあやかしを無作為に喰らう悪疫の弱いのも出てくるしな? 己が真の悪疫になろうとかな……さっきのはそれだ】
「この幻夢も代々須佐様の恩恵を受けているので……神狼殿の陣地ともなっています。他にもありますが、少し距離があるので。京都ではうちが主ですね」
「あれは……滓って言ったのは」
「ほんとですよ? 僕の口調がああなのは、憑依のせいですけど」
「は?」
「十二神将に憑依してもらうと、苛烈の性格が向上するそうですって」
【面白いだろ?】
面白いかはともかく、自分らが倒す本命がすぐあるわけではないらしい。少し気が抜けそうになったが、せっかくならと李白が用意してくれた膳に手を伸ばしかけたのだが。
李白の後方にある障子が、沖田が開け放った時のようにまた勢いよく開けられた。同時に怒号のような大声にも慄き掛けた。
「総司! トシが来たと聞いたが本当か!!?」
野太いが、よく通る大声。極めつけに、土方の呼び名を嬉しそうにする言い方。騰蛇以外に呼ばれていないそれは、むしろこの男にしか許していなかったので……驚き過ぎて膳をひっくり返しそうになったのを堪えた程だ。
「こ……近藤、さん!?」
「おお! やはりトシか!!」
恰幅のいい体格はそのまま。斬首された首もきちんとある。装いは新選組のだんだら羽織ではないが、浪人風情の黒い着物を着込んでいた。肩に虎の毛皮を羽織っているがよく似合う。
土方や沖田がかつて所属していた新選組の局長。近藤勇本人も、どうやら神狼には既に所属していたらしい。李白に断りを入れながら、彼は土方の前に腰掛けた。歳こそ少し若めだが、威勢の良さと懐の大きさはそのままのようだ。
「……あんたも、なのか?」
「うむ。総司より少し前にな? 今まで江戸周辺を回っていたが……北での戦でお前が行方不明になったと聞いたが……まさか、騰蛇殿を使う神狼にされたか。須佐様は俺の話を聞いてから、トシを気にかけていらしたからな?」
【応。見どころありそうじゃめ? って、俺を組ませたしなあ?】
「はは。その様子だとまだ纏いはせず?」
【今日は総司の見学だ】
「左様か」
剣では兄弟子。組では上司と部下。
一度死んだ身でもまた同じになるとは思わず……鬼の形相になりかけてた表情を引っ込め、沖田の前でもならなかった涙まみれの若僧を露わにした。
嗚咽を漏らし、鬼の副長や北の地での幹部だった男はどこにもいない。只々、感無量で心が蕩けたひとりの男が出来上がった。沖田も飯を置いてから涙ぐみ、近藤は土方の肩を何度も叩いてやっていた。
「こ……ど、さ……お、れ」
「いいんだ、トシ。あれはどうしたって、終わるしかなかったんだ。新選組も同じだった」
決別のやり方がよくなかった。その言葉を兄弟子にもらえた土方は、ようやく痼が溶けてよいのだと納得したのだ。
今からの生き方に、始まりを感じることが出来たのだった。