一目惚れ
「志貴野春雪。舞武にエントリーしたい」
「了解致しました。ではこちらを。登録番号になります。試合の時に受付にお渡し下さい」
闘技場の前で受付に名前を言って、一枚だけ渡された書類に自分の名前をたどたどしくだが書き込んだ紙を渡し、受付から番号が刻まれた木札を受け取った。
刻まれた番号は666。
受付開始の一日目にしてこの番号という事は出場人数は1000人などと言わない数になるだろう。
現にハルユキの後にも結構な人数が長蛇の列を成している。
「おい、ガキ。終わったんならさっさと退け」
「…ああ、悪いな」
ハルユキは、後ろから聞こえた罵声に体を退けた。
体を割り込ませるように入ってきたのは、身の丈2メートルはあるかと言うほどの大男。
割と前から思っていたことだが、この時代の人間は一億年前の人間とかなり違う部分がある。
基本的に身体能力は一億年前の人間と比べたら高すぎるのだ。その辺に居る一般兵士がトップアスリート以上の身体能力を持っていると言ったらわかりやすいだろう。
他にも、この男の様に背が2メートルを有に超える者や、腕が異常に長い人間などもギルドでちらほら見かける程だ。
恐らく魔力による影響だと考えられるが、そもそも魔法が使えるようになるまで生態が変化しているのだ。そう考えれば不思議な事でもないのかもしれない。
「ちょっと待てよ。割り込んでんじゃねぇぞ、ウド野郎」
問題を起こすのももう飽き飽きなので、黙って帰ろうとしたところで、違う所から声が上がった。
「俺が並んでただろうが。順番くらい守らんかい」
しかし、声の主が見当たらない。
「ああ? 誰か何か言ったか?」
大男がそこら中にガンを飛ばして威圧的に辺りを見渡すが、先程の声の主は見つけられないのかきょろきょろと辺りを見渡している。
「ここじゃボケェッ!!」
「ぬぉッ!」
大男がしゃがみこんだのを目で追って、漸くその存在を確認できた。
「このッ! って、はァ…?」
一言で言えばそいつは。
小さかった。
「……お前、何歳だ?」
「十五じゃ! 文句あんのか!」
ぼさぼさとした短い金髪にだぶだぶの服。幼い割に整った顔立ちの中、切れ長の眼が男の顔面を臆せずに睨み上げる。
「帰れ! ガキが来る所じゃねぇんだよ!」
「んだとォ…!?」
「はい、そこまでですよ、アキラ君」
とん、と両者の肩にゆっくりと手が置かれた。
「離せ、ガネット! こういう奴には一発どついたらんといかんわ!」
今度出てきたのは肩に手を置く子供とは対極のような男。身長180cmほどの体格に真っ直ぐ伸びた茶髪が肩まで届いている。
さりげなくかけた眼鏡はどこと無く胡散臭さを漂わせていた。
「またあの翁に怒鳴られますよ。それと、我々の登録はもう済ませてあるそうです。帰りますよ」
「離せやぁ!!」
「しょうがないですね。では私が先程見つけたとっておきの幼女を紹介しましょう。それでいいですね」
「いい訳あるか変態がァ!!」
結局、アキラとか言う子供はガネットとか言う男に小脇に抱えられ、歩き去っていった。
何やら印象的な二人だったが、まぁ関わり合いには絶対にならない方がいい、と本能が訴える声に従って宿に続く道の方に足を向ける。
そして。
「お、おぉ、おおおおおおぉ…! 嗚呼、天にまします主よ! 此処に最大の感謝と感激を! ああぁあぁああ、素晴らしい…! 正に穢れを知らぬ天使そのもの! これほど麗しい存在に今まで出逢った事があっただろうか?! いや、ありはしない!! 見ているだけで心が洗われるような美しさ! あどけなさ! 凛々しさ! そして幼さ!! ──お嬢さん、お名前を伺っても構いませんか?」
「………気持ち悪い」
三十m進んだところで、見知った面子と関わりたくないと宣言したばかりの面子が何やら見過ごせない事態に陥っていた。
「……何やってんだ、お前ら」
「…ハル」
「闘技大会の、登録」
「二人とも、出るのか…?」
「力試し」
「…………まぁ、気ィ抜かずに無理せずにな。…んで、どうしたユキネ。何か大人しいな今日は」
「…いや、別に」
「……まぁ俺が聞きたいのはこいつらが何なのかって事だが」
フェンの前で跪き、愛を語っている男は1分前に会った眼鏡で間違いないだろうが、どうも先程とテンションが違い過ぎる。
「帰ろうとしたら、いきなり、絡んできた…」
再び眼鏡の男に目を向ける。
「見たところアキラ君と同じか少し下ほどでよろしいでしょうか、いやしかしこの落ち着きは十五歳ほどか? しかしそうだとすると十五にして十二の神聖を保っているというのか!?」
「…ちょっと本気で気持ち悪いなこいつ」
「…おや? ああ、失礼。少し目の前の奇跡に我を忘れていたようです。して? 貴方は?」
「まあ…こいつらの保護者みたいなもんだ」
フェンとユキネから保護者という言葉に対する苛立ちが篭った目線が送られるが、それを無視したのかそれとも気付かなかったのか、ハルユキの視線は前を向いたまま。
「そうでしたか。──ご安心を。娘さん達は私が幸せにします故」
「私も入ってる!?」
「大丈夫ですよ。このままにしておけば至る所が育ってしまう恐れがありますが、しかしッ! 私が毎日毎日穢れを洗い流して差し上げましょう、無論この両腕で!」
「…き、気持ち悪い…!」
…なんて純度の高い変態だ。
しかも、大声でとてつもない事を喋り続けているものだから、周りから視線が集まってきている。
それも当然のことだが、何か汚いものを見るような目が。
こいつの知り合いと思われるのもかなり嫌なので、二人を連れてこの場所を離れようとした時、コツコツン、と左右でバランスが取れていない不自然な足音が耳に届いた。
そして次の瞬間。
「──たわけえぇッ!!!!」
ビリビリと空気が震えるほどの声が響き渡った。
それは騒がしいこの辺り一体を一瞬黙らせるほど弩声で、流石の変態も何事かその流暢な口を閉じた。
「ガネットォ…! 貴様にはアキラを連れて帰るように言っておいたはずだが…?」
「御恐れながらムイリオ翁。私めには時間と世の中と脂肪の塊に穢されていく天使たちを救う使命があるのです」
どこかで見たと思えば、昨日の会ったノインの祖父。聞き覚えが無い名前だと思ったがそう言えば名前を聞いていなかった事を思い出す。同時に昨日ムイリオ爺が言っていたことも。
頭が勝手に、現状を軽い推測と共に組み立てた。
「こいつ等が、ノインの婿候補?」
ピクッと声に反応して、ムイリオがこちらを向いた。
「おお! また会ったの、えー…」
「ハルユキだ」
「まぁこの際名前なんぞどうでもええわい。ガネット、アキラ。こやつが昨晩言っていた男じゃ」
「へぇ…」
一転して眼鏡のガネットがハルユキに落ち着いたそれでい興味深そうな目を向けてくる。
しかしむしろ最初路印象としては好戦的だった十二歳のアキラとやらの視線がこないことに気付いた。
それどころか、ここに来てから一度も口を開いていない。
「アキラ君?」
その事に他の面々も気付いたのか、アキラという子供に視線が集中する。
しかしそれでもアキラは動こうとせず、微動だにせずに、ポカンと口を開けたまま、ユキネを凝視していた。
「…な、何だ。お前もまさかその年で変態なのか…!?」
そこで漸く我に返ったのか、アキラと呼ばれる少年が顔を真っ赤にして声を荒げた。
「ち、違うわ! そこの馬鹿眼鏡と一緒にすんなや!」
そこで漸く視線が自分に集まっていることに気付き、一度舌打ちをして背を向ける。
「……お、お前、名前は?」
そして背中越しにユキネに質問を投げかけた。
「…は?」
「名前!」
「ユキネ…だけど」
「俺は、アキラ。アキラ・コノエだ」
「…そうか、よろしく」
「あ、ああ。……………ま、また」
耐え切れなくなったように、そう言うと、猛ダッシュで人ごみの向こうに消えた。
「あの糞餓鬼、惚れよったな…!」
「あの糞ガキ、惚れやがったな…!」
頬を染めて走り去ったアキラに爺とハルユキが舌打ちしながら声を重ねた。
キョトンとした爺の視線に、ハルユキは目を逸らし、軽く咳をしてお茶を濁す。
アキラの様子の真意にユキネはいきなり過ぎて気付いていないようだが、まぁ落ち着けば気付くかもしれない。
「…て言うかいいのか、あれ婿候補だろ?」
「構わんさ。あれは王になるのをやめようとはせんよ」
その言葉にあらぬ疑いが頭に浮かんだが、爺の顔を見て勘違いだと気付かされた。
脅しているとかではなく、恐らくアキラ側に理由があるのだろう。
「ああフェンさんというのですか! いい御名前だ! もふもふしてよろしいでしょうか!?」
まだ続くのかと、今度は眼鏡の方に顔を向ける。
ユキネがフェンの名前を言っていたのを聞いていたのか、眼鏡男が恭しく声を上げた。
「違う、私の名前は…、カルネラ・モルデリヒト・ガウチラル・テクナ・マタンノリ・レ・モハニマトラ・シノガリ・イマド・ノゲイラ」
「ああ、更に麗しい名前だ!カルネラ・モルデリヒト・ガウチラル・テクナ・マタンノリ・レ・モハニマトラ・シノガリ・イマド・ノゲイラ! 天使の御名でさえも霞んでしまう!」
お前に名前なんて教えないという意思表示だったのだろうが、予想外の高性能に変態指数と馬鹿に押し返された。
うわッ…、と無表情のままながら余りの気持ち悪さにフェンが後ずさりした。
「喧しいわお前は。全く腕は確かなんだが…。人選を間違えたか?」
そろそろ殴り飛ばしてやろうかと思ったところでムイリオ爺が声をかけた。
まぁそれでも小さい子供が関わっていなければ冷静な性格だったことは、爺も分かっているのだろう。
眼鏡に一声かけると、やれやれと首を振りながら去って行く。深々と礼をして眼鏡もその後に続き、帰った振りしてこちらを覗いていたアキラを抱えて帰っていった。
「……一目惚れ、されたね、ユキネ」
「わ、私か…!?」
そう驚いた後、何となく自分の中でも察しがついたらしい。
「か、変わった奴だな…」
ポリポリと照れたようにほんの少しだけ赤くなった頬をかきながら、チラッとハルユキの方を見た。
慌ててハルユキは表情を取り繕う。
「……まぁ何だ。この前行けなかったから飯でも食いに行くか、三人で」
誤魔化す様にそう言い繕うと、さり気なく視線を逸らした。
「悪い。私達はここに来る前にもう食べたんだ」
申し訳無さそうに視線を落としながら、ユキネが言った。
「ああいや、なら良いんだけどな」
言いながら挨拶代わりに片手を挙げて、この前見つけた魚が美味しい店に一人足を向けた。